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1500万円で異世界を買い叩く 〜ブラック企業で貯めた金で【銀行】を作り、【産業革命】を起こして魔法世界を経済支配する〜  作者: 高山 虎
最終章 最期の貸借対照表編

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第66話 点火――星を穿つ2100万馬力の論理

 運命の朝が来た。


 東の地平線が白み始め、荒野の冷気がまだ肌を刺す早朝の時間帯。かつては何もない不毛の地だったサージョ宇宙港の周辺には、数千、いや数万の人々が詰めかけていた。


 最前列に用意された特別観覧席には、大陸各国の国王、女王、大統領、そして神殿の枢機卿たち。彼らの表情は一様に硬く、そしてどこか懐疑的だった。


「本当に、あんな鉄の塊が天を貫くというのか?」


「魔法使いが一人も乗っていないのだぞ。さすがのサージョといえども正気の沙汰ではない」


 彼らの視線の先、広大なその土地の中心には朝日を浴びて白銀に輝く巨塔――有人ロケット「レヴィアス」が鎮座している。その全貌は全長六十メートル。質量は実に五百七十トンに及ぶ。


 それはかつて人々が崇め、縋っていた魔法の「奇跡」とは対極にある存在。サトシがこの世界に持ち込んだ「物理法則」と、それを制御する「緻密な計算」の結晶であり、圧倒的な質量の暴力であった。


 その足元では、サトシが育て上げた若き技術者たちが、まるで群がる蟻のように走り回っている。彼らは祈らない。ただ、チェックリストを確認し、数値を読み上げ、バルブを回す。


 神への祈りよりも、ボルト一本の締め付けトルクを信じる者たち。その光景は古い時代の終わりと、新しい時代の幕開けを無言のうちに告げていた。


 ◇


 管制塔の最上階。

 分厚い防弾ガラスの向こうにロケットを見下ろす司令室は、張り詰めた緊張感に支配されていた。四十人のオペレーターが、それぞれのコンソールに向かい、呪文のような専門用語を交わしている。


「第一タンク内圧、正常。酸化剤充填完了」


「魔導姿勢制御ユニット、ジャイロ同期確認。誤差0.001以内」


「風速三メートル、南東の風。打ち上げ条件、問題なし」


 その中心、フライトディレクターの座る指揮官席のすぐ後ろ、全体を見渡す位置にサトシは立っていた。その背中は老いて、以前より少しばかり小さくなっているように見える。しかし岩のように小動もすることはない。彼が見つめるメインモニターには、ロケット各部の状態を示す数千のパラメータが川のように流れている。


「……最終チェックだ」


 サトシの声は低く、静かだった。目の前に座るフライトディレクターは、手元のタブレットとメインモニターを瞬時に照合し、即座に答えた。


「すべて予定通りです、サトシ様。燃料温度、魔力出力、生命維持装置、すべてグリーン。リスク値はオールクリアです」


「よし」


 サトシは頷き、マイクのスイッチを入れた。その指先が、わずかに震えたのを彼は隠した。これは恐怖ではない、武者震いだ。


「総員に通達。これより、最終秒読みを開始する」


 その瞬間、管制室の空気が変わった。

 サトシの脳裏に、かつて日本で過ごしたブラック企業時代の日々が走馬灯のように駆け巡った。


 終わらない残業、理不尽な納期、詰められる恐怖、削られる精神。あの頃、時間は「追われるもの」だった。数字は「自分を縛る鎖」だった。


 だが、今は違う。

 この秒読みは、単なる時間の経過ではない。サトシがこの世界で積み上げてきた信頼、育て上げた技術、そして納期への執念と経済の集大成が、たった一点へと収束していく。


「……十、九、八……」


 場内放送がカウントを告げる。観客席の王たちが息を呑み、整備士たちが工具を握りしめた。


「……七、六、五……」


 サトシはモニターの中の数字を見つめた。


(行け!俺の計算は間違っていない。俺たちの投資は、絶対に裏切らないはずだ!)


「……四、三、二、一……」


 サトシは叫んだ。


点火(イグニッション)!」


 刹那。

 世界から音が消えた。

 そう錯覚するほどの閃光が、荒野を真昼のように染め上げた。


 一拍遅れて、腹の底を殴りつけるような轟音が大地を揺るがした。


 ゴオオオオオオオオオオオオオオッ!!


 ロケットの底部から噴き出したのは、魔法の優雅な光ではない。液体燃料と爆発魔法をハイブリッドさせた、制御された爆発。二千百万馬力というこの世界のどの生物も、どの魔導師も持ち得ない、圧倒的な熱量と推力による暴風だった。


「う、うわあああっ!?」


「地震か!? 大地が割れるぞ!」


 観覧席の王たちは、あまりの衝撃に椅子から転げ落ちそうになり、悲鳴を上げた。彼らは知らなかったのだ。物理的な質量を物理的な力で空へ押し上げることが、これほどまでに暴力的で、凄まじいエネルギーを必要とすることを。


 白煙と炎の柱に包まれながら、銀の巨塔がゆっくりと、しかし確実に浮き上がっていく。重力という、この星が生まれた時から存在する絶対の鎖。それを、人間の知恵と計算が、力ずくで引きちぎっていく。


「上がった……! 上がったぞォォォッ!!」


 管制室で、誰かの叫び声が上がった。それを皮切りに、歓声と拍手が爆発した。技術者たちが抱き合い、涙を流して叫んでいる。


 だが、サトシだけはまだモニターを睨み続けていた。


「まだだ。……最大動圧点通過まで気を抜くな」


 ロケットはそのまま速度を上げ、音速の壁を突き破り、蒼穹へと吸い込まれていく。欠片の迷いもなく天を突くその姿。


 それは誰かを支配するための武力ではない。誰かの領土を奪うための兵器ではない。人類を未知のフロンティアへ。月面に眠る資源の活用へ。そして宇宙移民という次のステージへ押し上げるための、最も純粋で、最も高価な投資の軌跡だった。


 カイルは空の彼方へ消えていく光の点を見上げていた。その目には、いつもの皮肉めいた色はなく、ただ純粋な驚愕と、ある種の寂しさが宿っていた。


「……見てるか、カイル」


 いつの間にか隣に来ていたサトシが、ガラス越しに空を指差した。


「あれが俺たちの引いた、最後の『レール』だ」


 カイルは大きく息を吐き、首を振った。


「ああ、旦那……。あんな高いところまで、本当に行っちまいやがった」


 カイルはサトシの横顔を見た。老いた相棒の顔は朝日に照らされて、今まで見たどの瞬間よりも晴れやかだった。


「あんたは本当に、この世界を狭くしちまったんだな」


「狭く?」


「ああ。鉄道で大陸の端まで数日にしちまって、今度は空の上まで道を作っちまった。今じゃ、ここから見上げりゃ、月だってすぐそこに見えちまう」


 カイルの言葉に、サトシは笑った。


「狭くなったんじゃない。俺たちの庭が、無限に広がったんだよ」


 オペレーターの声が聞こえてくる。


「第一段ブースター、分離確認。第二段点火、正常。速度、秒速三キロを突破」


「高度百キロ、カーマン・ラインを突破。……宇宙空間へ到達しました!」


 ◇


 管制室からの報告と共に、会場に設置された巨大な魔導スクリーンに、ロケットからの映像が映し出された。ノイズ混じりの画面。だが、そこに映っていたのは、観衆の誰もが言葉を失う光景だった。


 青い、曲線。漆黒の闇の中に浮かぶ、青く輝く大地。


「あ、あれが……我々の大地なのか?」


「丸い……本当に、世界は丸かったのか」


 ある国の王が震える声で呟いた。枢機卿が胸の前で手を組み、涙を流して跪いた。


 そこには国境線などなかった。彼らがかつて血を流して奪い合っていた土地など、この巨大な青い宝石の上では塵のような点に過ぎなかった。


古い宗教観、偏狭なナショナリズム、数百年の因縁。それら全てが圧倒的な視覚的真実の前で、意味を失い、崩れ去っていく。


 ◇


 サトシはモニターに映し出されたその青い輝きを、静かに見つめていた。それは、かつて彼がいた世界と同じ、しかし確かに違う、この世界の本当の姿だった。


「……サトシ様」


 エレナが、濡れた瞳でサトシを見上げた。


「私たちは今、神の視座を手に入れました。ですが、これは神の奇跡ではありません。貴方が、人間たちの力で勝ち取った景色です」


「ああ」


 サトシは深く頷いた。


「これで、この大陸の人間は『自分たちの世界が一つであること』を、理屈ではなく本能で理解するだろう。小さなコップの中での争いは、もうおしまいだ」


 この瞬間、サトシが成し遂げたのは、単なる経済的な統合だけではなかった。々を「小さな土地の奪い合い」という呪縛から解放し、無限に広がる「宇宙」という新しい市場と可能性へと目を向けさせたのだ。


 月にある資源。無重力での実験。新たな居住区。フロンティアは無限にある。争っている暇などないほどに。


「レヴィアスより管制室へ。こちら船長、軌道投入に成功。窓の外は……息が止まるほど美しい」


 スピーカーから流れる飛行士の音声。それは、新しい時代の産声だった。


 サトシはマイクのスイッチを切り、椅子の背もたれに深く体を預けた。全身の力が抜け、心地よい疲労感が波のように押し寄せてくる。


 彼の役割は終わった。レールは敷かれた。車両は走り出した。あとは、次世代の運転手たちが、その先へ進んでいくだけだ。


「……俺の仕事は、本当にこれで終わりだ」


 サトシは目を閉じた。

 瞼の裏には、ワンルームの天井ではなく、無限に広がる星の海が焼き付いていた。


 かつて絶望し、消費されるだけだった男の人生は、異世界というキャンバスに、これ以上ないほど壮大な軌跡を描ききったのである。


 外では、歓声が鳴り止まない。それは、人類が重力の鎖を断ち切り星へと手を伸ばした日を祝う、勝利の凱歌だった。

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