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1500万円で異世界を買い叩く 〜ブラック企業で貯めた金で【銀行】を作り、【産業革命】を起こして魔法世界を経済支配する〜  作者: 高山 虎
最終章 最期の貸借対照表編

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第65話 銀の巨塔と二人の夜

 数多の失敗と、それを上回る数の修正を経て。


 無人ロケットの打ち上げと回収を連続で成功させた「プロジェクト・スカイウォーカー」は、ついに歴史的な瞬間を迎えようとしていた。


 翌朝に控えた、この世界初となる「有人宇宙飛行」。そのフライトを数時間後に控えた深夜、サトシは、かつての不毛な荒野から一大先端技術都市へと変貌を遂げたサージョ宇宙港の展望デッキに佇んでいた。


 夜風は冷たく、荒野特有の乾燥した匂いが混じっていたが、彼の隣には長い年月を共に歩んできた伴侶であり、最強のビジネスパートナーであるエレナが、分厚いショールを羽織って静かに寄り添っていた。


 眼下には、滑走路と発射台を照らす無数の誘導灯が、地上を天の川のように輝かせている。そしてその中心には、月光を反射して白銀に輝く巨塔――重力に抗う者という意味を込められた世界初の有人ロケット「レヴィアス」が、天を突くように鎮座していた。


「……エレナ。ふと、昔を思い出したよ」


 サトシは手すりに寄りかかり、その煌びやかな光の海を見下ろしながら、ポツリと漏らした。


「この世界に来る前、俺は狭いワンルームマンションで、毎晩のように天井のシミを数えていた」


「天井のシミ、ですか?」


 エレナが不思議そうに首を傾げる。


「ああ。明日の仕事に行きたくない。どうやって会社からバックレようか。あのクソ上司をどうやって社会的に消してやろうか。……そんな陰湿で、物騒なことばかり考えていたんだ」


「まあ、サトシ様。そんな怖いことを?」


 エレナはクスクスと笑ったが、その瞳には夫の過去を慈しむような温かさがあった。彼女は知っている。彼がどれほどの絶望と消耗の中で生きてきたのかを。


「あの頃、俺の人生はただ消費されるだけの資源だった。いや、『消耗』といった方がいいかもしれない。システムの一部として使い潰され、心を削り、ただ理由もわからずに働いていた」


 サトシは視線を、眼下のロケットに移した。


「でも、この世界で君と出会い、グスタフに助けられ、商会を立ち上げ、一歩ずつレールを伸ばしてきた。あのワンルームの孤独な静寂が、数十年の時を経て、この宇宙港の喧騒に繋がっているなんて、あの時の俺には想像もできなかったよ」


 それは、あまりにも遠い道のりだった。

 古いワンルームから、星を目指す発射台へ。

 社畜という名の奴隷から、世界を変える投資家へ。


「人生とは、分からないものだな」


 二人の間には、言葉にしなくても通じ合う、濃密な時間が流れていた。


 右も左も分からなかった創業期。

 デカルトと交渉して手を結んだあの瞬間の安堵。

 カイルと共に、暴力ではなく知恵で危機を乗り越えた夜。

 そして、大陸縦断鉄道が開通し、世界が一つに繋がったあの日。


「サトシ様。……私たちは、ただ儲けるために走ってきたのではありませんでしたね」


 エレナが静かに言った。


「振り返れば、貴方がやってきたことは常に『戦い』でした。ただし、剣ではなく、リスクとの戦いでしたわ」


「ああ。俺は臆病だからな。荒事は専門外だ」


 サトシは苦笑した。


「新大陸への航路を開いた時も、命を懸けて荒波を超えたのはバルモアたちだ。俺はただ金を出して、港で祈っていることしかできなかった」


 サトシは、自分の手を見つめた。剣ダコもなければ、魔法の痕跡もない。あるのはペンだこだけの、商人の手だ。


「俺は戦士じゃない。だからだろうな、ただ、不確定要素が怖かったんだ。なにかあれば明日、立ち行かなくなるか分からない……そんな不安を一つずつ潰し、不合理を排除し、誰もが『明日も今日と同じように生きていける』という安心感を積み上げてきた」


 サトシは、夜空に輝く「蒼き巨星」を見上げた。


「エレナ、いま、俺たちはこの世界の次の百年分の『土台』を作ったんだ、そう自信を持って言えるよ。鉄道、銀行、法、そして明日飛ぶこのロケット。……みんな俺がいなくなっても、人々が平和に、豊かに暮らしていけるための合理的な仕組みだ」


 彼の声は巨万の富を得た者特有の傲慢さを微塵も感じさせることはなかった。あるのは、困難なプロジェクトを完遂したエンジニアのような、静かな達成感と自負だけだ。自分が作ったのは富ではなく「安定」というインフラだったのだと。


 ◇


「……最終チェック、異常なし」


 サトシは懐から最新型の魔導端末を取り出し、明日おこなわれる飛行プランの最終調整が終了したことを確認した。


 気象データ、燃料の充填率、生命維持装置の魔力残量、パイロットのバイタルサイン。画面に並ぶ膨大な数字の羅列を、サトシの目は恐ろしいほどの速度で処理していく。


 それは、かつてブラック企業で培われた「ミスは許されない」「確認を怠れば死ぬ(社会的に)」という、呪いのような完璧主義だった。だが今、その習性は、人類を未知の領域へ送り出すための、最高のリスク管理能力として昇華されていた。


「計算通りだ。0.1%のリスクも許容しない。俺が引いた図面に、狂いはない」


 サトシは端末を閉じ、深く息を吐いた。緊張していないと言えば嘘になる。今回の点火が背負っているものは乗組員の命だけでなく、この世界の未来そのものなのだ。


「明日、あのエンジンに火が入った瞬間、俺の人生における最後の、転機となる最大の投資が始まる」


 サトシはエレナに向き直った。


「これが成功すれば、この世界の文明はもう後戻りできないほど高い場所へ行くことになるだろう。……大地に縛られていた人類が、重力の鎖を断ち切るんだ」


「はい。そしてそこには、サトシ様が教えた『空の測り方』を知る若者たちがいます」


 エレナは微笑み、サトシの、少しだけ冷たくなっていた右手を暖かな両手で包み込んだ。


「彼らはもう、私たちが手を引かなければならない子供ではありません。貴方の背中を見て育った、新しい時代の開拓者たちですわ」


 確かに感じる温もりに、サトシの強張っていた肩の力がふっと抜けた。どんなに精密な計算よりもどんなに強固な法典よりも、この掌の温もりこそが、サトシを支え続けてきた最大の安全装置だったのだ。


「……ありがとう、エレナ」


 サトシは彼女の手を握り返した。


「君がいたから、いままで俺の計算は狂わずに済んだんだ。君という『定数』がいてくれたから、俺はこの不確定な世界で、今日まで解を出し続けることができたんだ」


「ふふ、定数だなんて。……でも、悪い気はしませんわ」


 夜風が、遠くの海から潮の香りを運んでくる。整備塔の明かりが点滅し、燃料注入の準備作業を行う技術者たちの声が、微かに風に乗って聞こえてくる。それは歴史が変わる前夜特有の、厳かで、それでいて熱を帯びた静寂だった。


「さあ、戻ろう。明日は早い」


「ええ。新しい時代の夜明けを、特等席で見届けましょう」


 二人の老投資家は並んで歩き出した。その背中の向こうには彼らが編み上げ、守り抜き、そして育て上げた世界の美しい夜景が、どこまでも広がっていた。


 明日、空の扉が開く。

 サトシの物語は、大地を駆け抜け、ついに星の海へと漕ぎ出そうとしていた。

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