第60話 カイルの警備保障――暴力の再雇用と鉄の盾
大陸に訪れた「経済による平和」。 鉄道網が国境を越え、サージョ・ルピが共通言語となり、王たちは剣を置いて算盤を弾き始めた。
だが、光が強くなれば、そこには必ず濃い影が落ちる。
サトシには、解決すべき大きな懸念があった。それは平和の到来によって職を失った、膨大な数の失業者たちの存在である。 彼らはただの失業者ではない。各国が軍縮を行い軍事予算をインフラ投資へと切り替えた結果、路頭に迷うことになった「食い詰め兵」や「傭兵」たちだった。
昨日まで人を殺すことで糧を得ていた男たちが、いきなり商人にはなれない。暴力しか知らぬ彼らが野に放たれれば、せっかく築き上げた物流網が略奪の対象となり、大陸は無秩序な嵐に見舞われるだろう。
「……旦那、各地で元兵士の野盗化が始まってる。どいつもこいつも、食うに困って目が血走ってやがる」
カイルが重苦しい報告を上げた。 サトシは頷き、デスクの上の組織図を指で叩いた。
「ああ。だからこそカイル、お前に頼みたい。彼らに『仕事』を与える。それも、彼らの特技である『暴力』を、社会の役に立つ形に変換してな」
この難題をサージョ・グループの武力の象徴、カイル一が手に引き受けることとなる。 彼は銀行、鉄道、海運といった全事業部門を横断的に守護する新組織、「サージョ統合警備保障」を設立し、大陸中に散らばるあぶれ者たちの吸収に乗り出したのだった。
◇
大陸中央部国境地帯の荒野、線路沿い。
そこには職を失い、薄汚れた鎧をまとった元傭兵や解雇兵たちが、千人規模で集結していた。行商人を襲う相談をする者、絶望して酒に溺れる者。あちこちで小競り合いも起きていた。
そこへ一台の蒸気機関車が轟音と共に現れ、急停車した。 降り立ったのは、漆黒のコートをまとったカイルと警備部隊の最精鋭だ。
「傾注!」
カイルの声が、荒野に朗々と響き渡る。 殺気立つ数千の視線が一斉に彼に向けられた。だが、カイルは不敵な笑みを崩さず、むしろ挑発するかのように両手を広げた。
「暇でしょうがねえって顔をしてやがるな。……そんなに力が余ってるなら、俺が買ってやる」
カイルは懐から、一枚の紙を取り出した。
「俺たちは今、大陸中の『レール』を守る番犬を探してる。仕事の内容は簡単だ。盗賊退治に線路の安全確認、そして災害があれば真っ先に駆けつける。……報酬は、お前らの傭兵時代と同額を保証してやる。しかも、毎月払いだ」
どよめきが広がる。
「同額だと……?」
「嘘だろ、そんな美味い話があるか」
「嘘じゃねえ。ただし!」
カイルの目が鋭く光った。
「規律は厳しいぞ。略奪、暴行、職務怠慢は即刻クビだ。……これからは、他人から奪ってその日暮らしをするんじゃねえ。サージョの給料で、胸を張って家族を養うんだ」
カイルの演説は、荒んだ男たちの心に突き刺さった。 彼らの大部分は戦いたくて戦っていたわけではない。食うために戦っていたのだ。
安定した給料、家族を養える生活。それは、彼らが最も渇望し、そして諦めていた夢だった。
「……俺はやるぞ!」 「俺もだ! 家族に美味いもんを食わせてやりてえ!」
その日、荒野の野盗予備軍たちは、サージョの警備隊員へと生まれ変わった。
◇
カイルは集めた元兵士たちに徹底的な再教育を施した。
体力自慢の歩兵は、重い資材を運び線路の歪みを直す「保線員」へ。 目ざとい弓兵や斥候は、広大な路線を監視し異常を早期発見する「鉄道警備隊」へ。 そして統率力のある騎士崩れは、それらを指揮する「監督官」へ。
さらに「大陸広域救援隊」を創設して元兵士たちを組み込んだ。 救援隊は大陸のどこでも、土砂崩れや洪水が起きれば誰よりも早く駆けつけ、その力と組織力で瓦礫を撤去し、人々を救助する。
かつて破壊に用いられた彼らの力は、人々の安全を守る建設的なエネルギーへと転換されたのである。
だが、この組織が強固な結束ができた理由は別のところにあった。 それは、戦場で見捨てられてきた傷病兵の処遇である。
ある日の訓練中、石材の運搬事故で一人の隊員が右足を砕かれる重傷を負った。 現場を指揮していた監督官ボリスが沈痛な面持ちでカイルに報告に来ていた。
「カイル統括官。負傷した隊員、ゼクスですが……切断は免れましたが、以前のようにはもう……」
ボリスは悔しそうに拳を握りしめていた。
「ゼクスは優秀な奴でした。ですが、歩けない兵士を置いておくわけにはいきません。……退職の手続きを進めます。せめて、故郷に帰るまでの路銀くらいは渡してやりたいのですが」
これまでは怪我をした傭兵は即座に解雇されるのが常識だ。場合によってはその場で「処理」されることすらあった。戦えない者に払う金などない。 ボリスもまた、その常識の中で生きてきた男だった。部下を切り捨てる辛さを抱えながらも決断を下そうとしていた。
だが、カイルは呆れたように眉をひそめ、持っていた書類でボリスの頭を軽く叩いた。
「お前、雇用契約をちゃんと読んでないな?」
「え……? 契約、ですか?」
ボリスが目を白黒させる。
「誰がそいつをクビにするって言った? サージョの就業規則には、業務中の負傷に対する『雇用保障』が明記されてるだろうが」
「は、保障……?」
「足が使えなきゃ、手を使えばいい。手がダメなら、口を使え。口もダメなら、頭を使え」
カイルは当然のことのように言った。
「ゼクスは現場の地理に詳しいし、部隊の連携も熟知してる。明日からは『運行管理センター』で、無線通信のオペレーターをやらせろ。座ってできる仕事だ」
「な……事務仕事、ですか……?」
「そうだ。まあ、現場を離れる分危険手当はカット。手取りは今の八割になるが、その代わり命の危険はねえ。長く働けるし、生涯賃金ならギリギリプラスだろ」
カイルはニヤリと笑った。
「いいか、ボリス。ここは使い捨ての戦場じゃねえんだ。サージョには何万というポストがある。俺の部下である限り、野垂れ死になんて絶対にさせねえ」
ボリスは震える声で聞き返した。
「……本気、なんですか? 怪我人を養うなんて、そんな……」
「養うんじゃねえ。適材適所だ。現場を知ってるオペレーターは貴重なんだよ。『足一本でサージョから逃げられると思うな、死ぬまでこき使ってやる』って伝えとけ」
ボリスの目から、大粒の涙が溢れ出した。彼は直立不動の姿勢をとり、これまでで最も美しい敬礼をした。
「……っ! 了解しました! 統括官!」
その噂は、瞬く間に全隊員へと広まった。
『サージョにいれば、見捨てられない』 『生活は、組織が守ってくれる』
その安心感は、彼らの士気を極限まで高めた。金のために働く傭兵ではなく、組織のために命を賭ける企業戦士が誕生した瞬間だった。
◇
それから数ヶ月後。 大陸西部の主要駅プラットホームにて。視察に訪れたサトシとエレナは、整列した警備隊員たちの姿を見て息を呑んだ。
各国の正規軍よりも近代的で統一された装備。かつての傭兵時代の荒んだ、獲物を探すような目ではない。背筋を伸ばし、自信と誇りに満ちた「守護者」の顔をしていた。
「旦那、見てくれよ」
カイルが誇らしげに、作業準備中の保線員たちを顎でしゃくった。
「あいつと、そこのあいつ。敵対してた国の元兵士同士だ。数年前までは戦場で殺し合ってた連中が、今は同じ釜の飯を食って、同じレールの不具合を探してる」
そこでは二人の男が互いに装備の点検を行っていた。
「暴力の衝動ってのは、行き先さえ間違えなきゃ、立派な『守る力』になるんだな。……あいつら、今は自分たちを『サージョの盾』だって自慢してやがるよ」
サトシは、カイルが部下たちと笑い合い、肩を叩き合う姿を見ながら、深く確信した。
「……リスク管理の基本だな」
「はい?」
エレナが聞き返す。
「最強のセキュリティとは、高い壁を作ることでも、強力な武器を持つことでもない。……『絶望した敗者』を減らすことだ」
失うものがない人間は、何でもする。だから怖い。 だが、守るべき生活、帰るべき家、そして自分を必要としてくれる場所がある人間は、秩序を乱さない。むしろ、自らが秩序の守り手となる。
「カイルは、彼らに『居場所』を与えた。それこそが、この大陸の平和を支える最後の一手だったんだ」
サトシの言葉に、エレナは優しく微笑んだ。
「ええ。貴方が作り、私が整え、カイルが守る。……私たちの『国』は、これでようやく完成しましたわね」
汽笛が鳴る。 大陸を巡る列車は、かつて殺し合いをしていた男たちの敬礼に見送られ、平和な大地を力強く走り出した。
その車輪の響きは、もはや略奪の足音に怯える必要のない、安寧の時代の到来を高らかに告げていた。




