22話 危機感
「久しぶりですねシーベルタ」
「──‼」
お婆様と呼ばれていた女性は、以前の俺の名前を口にした。
どういうことだ? なぜ俺の名前を知っているんだ?
「シーベルタ、だ、と?」
その名を聞いたマチルダが、俺の顔を覗き込みながら驚きの声を上げる。
「お婆様、彼は、いえ、彼女はシーベルトという名ですが」
「ええ、貴女は覚えていないのですか? 彼、いえ、彼女はシーベルタという名ですよ」
「いやいや、お婆様。シーベルタという名は覚えております。それはリーマン家の御子息の名前で……あ」
そこで何か思い出したのか、マチルダも言葉を切った。
どちらにしてもこのお婆様には正体がバレているようだ。しかし、どういう訳で正体が露見したのか訊いてみたいものだ。
「どうして俺がシーベルタだと?」
「あら、まだ思い出さないのかしら?」
お婆様は優雅にお茶を飲みながらそう言った。
「思い出すも何も……以前お会いしたでしょうか?」
「そうね、私は二度ほど会っていますよ。それにマチルダとも一度会っていますね」
「なんと……」
このお婆様だけでなく、マチルダとも一度会っているらしい。
「ああ、確かに俺はシーベルタだった。だが今はシーベルトと改名し、成人の儀を済ませている。だから今後はシーベルトと呼んでほしい。それに失礼だが俺はお二人とも覚えていない。なんとなく見たことがある程度だ。失礼ですがよろしければお名前を教えては貰えないだろうか?」
「ほほほ、正直ですね。わたくしはクリス、クリス・カリパラといえば分かるでしょうか?」
「……!」
クリス・カリパラ。この町の名前を冠する貴族。
「な、なんと、カリパラ子爵の。では、クリス叔母上でしたか。これは申し訳ありません。数度しかお会いしていないとはいえ、お名前もお顔も忘れてしまっていたとは。まったくお恥ずかしい限りです」
「ほほほ、良いのですよ。あの頃は貴方もまだ幼かったですしね。覚えていなくとも当たり前でしょうから」
なんとお婆様は俺の叔母であった。
父の一番下の妹がクリス叔母である。叔母はカリパラ子爵へ嫁ぎリーマン家を出た身だ。
父は長男、その他は全員姉か妹の女系家族だ。その一番下の妹であるクリス叔母は、確か父よりも10歳くらい下だったと思う。ということは、今年で55歳くらいだろうか?
今の子爵は叔母の息子だったはず。前子爵は俺が生まれた頃に亡くなられている。俺は生まれたばかりで覚えていないが、たしか他国との小競り合いで戦死したということだけは聞いている。
ということは、マチルダは現子爵の子ということになるのか? これはまた数奇な出会いだ。
従兄の子だから、従姪ということになるのか?
「なんと……シーベルトが、あのシーベルタ、いえ、シーベルタ様だったとは……それは強い筈だ……」
「今更『様』はつけなくてもいいぞマチルダ嬢。それに俺はリーマン家を出た身だ。今はただの一般人。俺の方がマチルダ様と呼ばなければいけない立場だな」
「な、なにを言われますか! リーマン家を出た身とはいえ、リーマン家の息女であることは変わりないのです。恐れ多い……」
確かに父には死んだことにしてくれていい、とは言ってきたが、あの父が簡単に俺を死んだことにするとは考えにくい。それに絶縁されたわけでもないし、親子の縁も切れたとはいえないのも確かである。
「マチルダ嬢、俺は堅苦しいのは嫌いだ。それに家を出た以上、リーマン家の子だということを隠して行こうと思っているのだ。先ほどまでのように接してくれた方が俺も嬉しいのだよ」
「わ、分かった……シーベルト」
マチルダは渋々納得してくれた。
クリス叔母が目の前にいるので、マチルダはチラチラとそちらを見ている。厳しいお婆様と言っていた以上、粗相があったら叱られると思っているのかもしれない。
叔母はそれを涼しい笑顔で見ていた。
「さて、予想はしていましたが、やはりこうなってしまいましたね」
そうこうしていると、クリス叔母がそう切り出してくる。
俺が家を出た経緯を語り出した。
「叔母上は、こうなることを……」
「ええ、シーベルタが生まれ、貴女の母親が亡くなったことで、貴女を男として育てると聞いたとき、私は大いに反対しました。兄にも何度となく止めるようにと言い含めたのですが、当時の兄は聞く耳を持っていませんでした」
「なるほど……」
俺が生まれ母が死に、父は考えた。
自分の年齢で、この先新たに嫁を娶り、子を成すことが不可能だと判断した。それゆえの決断だったのだろう。
「しかしいくら兄妹とはいえ、領主の決定は絶対です。私の力及ばず、シーベルタ、貴女は男として育てられる事になりました……ごめんなさいね、私の夫があの時まだ生きていれば、このような事にならずに済んだのですが、折悪くその時、他国との諍いで命を落としてしまいましたからね。それでなければ、息子の子を養子に出しても良かったのですが……そうも行かなくなってしまったのです」
なんと初めて聞いた。
そんな事が俺が生まれた時にあったとは……確かに俺が知っているのは今のカリパラ子爵は、クリス叔母の子で俺の従兄に当たるということだ。
俺が生まれた時に前子爵が生きていれば、従兄の息子を養子に出す話も上がっていたという。要はマチルダの兄妹だ。
前子爵が亡くなり、当主として従兄が立つと、その跡目を担うのは従甥になる以上、養子には出せなくなったという話である。
そうなっていれば、俺は男としてではなく、素直に女として育てられたのだろう。
「叔母上が気にかけて頂けていたと知っただけでも嬉しいことです」
「私も止められなかったのですから同罪といえば同罪です」
「いえ、そんなことはありません」
どちらにしても領主である父の決定は、覆すことは難しいのだろうから。
「しかしリーマン家は本当に呪われているとしか言いようがありません。どうしてリーマン家の血を引くものは女子が多く生まれてくるのでしょうか。それに生まれてくる女子は遍く男勝りな者ばかり……マチルダなどその最たる者です。女性の奥ゆかしさの欠片もない、全く恥ずかしいばかりです……」
「お、お祖母様、なぜそこで私が槍玉に挙げられるのですか……」
いきなり話に加わるマチルダが困惑する。
「それを言われるなら、俺は芯から男勝りだな、マチルダ嬢の方がまだ女性として活動しているぶん女性として見られるからな」
「それは仕方のないことです。シーベルタは今まで男性として育てられてきたのですから、女性として意識しろと言われても難しいでしょう」
まあそれはそうだ。すぐに女性らしくしろと言われてもできるものではない。
「でもこれは仕方のないことなのですかね。リーマン家は女性因子が強いというのは昔からです。初代領主は女性でとても強いお方だったという言い伝えが残っているくらいですからね。女性の血が強いのでしょう」
リーマン家は長く女系一族として続いてきた経緯があるらしい。
その昔、この領地がまだリーマン領ではなかったとき、前領主の善戦空しく他国に攻め入られた経緯があるらしい。領主一族はその戦いで命を落とし、この国自体も存亡の危機を迎えようとしていたということだ。
そこに現れたのが一人の女傑だったという。劣勢の我が国の兵を立て直し、国の懐深くまで侵攻してきていた敵国を押し返し、そして駆逐した。それと共に敵国の国土まで奪い、我が国が地理的にも優位に立つ位置まで領土を拡大したのだそうだ。
その女傑が初代リーマン辺境伯としてこの地を治めることになったという。
その頃は、女系領主禁止令などなかった時代だったので、国を救った英雄(戦の女神)としてそのままこの広い領地を王から賜ったという話だ。
だがそこから始まる女系一族の苦難が始まるのだった。生まれてくる子供はほぼ女性。男子が生まれて来る確率はとんでもなく低かった。人々はそれを『戦神の呪い』とまで呼ぶようになったのだ。
最初の頃は婿を迎えることで何とかなったが、その内女系当主禁止令なるものが施行されると跡継ぎ問題が非常に難しくなるなり、今回の俺のような事態にまで発展したという訳だ。難しい問題である。
「それよりもシーベルタが家を出たことで、この領地の先行きも怪しくなってきました」
「それは弟ができたのでなんとかなるでしょう。女の俺が居ても何もできませんし」
「いえそういった話ではありません。男子の後継が生まれたことは喜ばしい事です。ですが、あの女の『子』だというのが問題なのです」
「母君の子という事がですか?」
「そうです。シーベルタ、貴女はどこまで知っているか分かりませんが、あれは政略結婚というものではありません。某略結婚といったところでしょう」
「某略、ですか……」
クリス叔母は真剣な表情でそう言った。
そもそも政略結婚も多少の謀略的な駆け引きがあっての事だと思う。家の力をより高めたいがゆえに、娘を自分達の家に都合の良い良家に嫁がせるのだ。
国内といえど争いが無いとはいえない。領地間での争いを避けるために娘を嫁に出したり、長男以外を婿に出したりするのだ。
「気を付けなさい。あの女の実家は、リーマン家を、この領地を乗っ取ろうとしているのです」
「な、なんですと!」
確かに、弟が生まれてからというもの、母君の俺に対する態度が急変した。明らかに俺を排除しようと動いていたのは明白である。
だがそれは、弟が領主になることで、女である俺がずっと家に居座られては困るというだけと考えていたのだが、そうではないということか?
「あの女の実家、ハロルド伯爵家は野心家です。シーベルタが跡継ぎと確定している状態で、あの年齢の兄にどこの誰が後妻として若い娘を嫁に出すと? どこからか噂が漏れたのかどうかは分かりませんが、兄の寿命を考えてもおかしな話です。最悪は兄亡き後シーベルタは暗殺され、己が子を跡目にしようと策略していたのでしょう。そもそも、女系一族であるリーマン家にこうも簡単に男子が生まれるなどあり得ないのです。あの女の『子』が、本当に兄の子であるかどうかも怪しいものです」
「……」
なんとも物騒な話だ。
そこまで考えたこともなかった。
女系一族のリーマン家には、男の子が生まれる確率は非常に低いと言われているらしい。クリス叔母でも10人の子を産みやっと男の子が生まれたそうだ。その子も次の跡目である男子が生まれるまで、3人の嫁を迎え、15人もの子を成したてようやっと男の子が産まれてくれたという。
だからいまだリーマン家の血族としてカリパラ子爵はいられるということだ。
そう言われると確かにおかしい。
あの弟が父の子であるのかどうか証明する事もできないが、それは別として、母君が嫁に来てから弟が生まれるまでの期間を考えても出来過ぎ感が無いとはいえない。
しかし、クリス叔母が言っている事が正しいとも今はいえない。穿った考えといえばそうかもしれないし、理に適っていると考えれば、なんでも当てはまるものだ。
「しかし、父がまだ健在でいる内は大丈夫でしょう。そう簡単に家を乗っ取られることはないでしょう」
「甘いですね、シーベルタ。兄が後どれだけ生きていられますか? それに他国もまたいつ攻め入ってくるか分からない情勢です。衰え始めている兄が次生き残れる可能性も、徐々に低くなってゆくのですよ?」
「た、確かに……」
既に65歳という年齢の父、長生きしたとしてもあと15年がいいとこだろう。丁度弟が成人を迎えられていればいいが、それ以前に父が他界してしまったら、暫定的に弟を領主と認め、その実母君が実権を握るだろう。そうなればリーマン家としては名ばかりの存在になり兼ねない。
ハロルド伯爵家の影響も強まり、事実上乗っ取られる可能性も見えて来る。ということなのか?
もし他国が攻めて来ようものなら、その未来が非常に近くなる可能性もある。
年々衰えが見え始めている父が、いつまで最前線で戦えるだろうか……。
「私も気を配っておりますが、貴女も十分留意なさい……リーマン家直系の血は、もしかしたら貴女で途絶えるかもしれませんからね」
「分かりました叔母上。しかし戦いでしたらいくらでもリーマン領に貢献できるのでしょうが、貴族云々の問題に関しては、俺は何もできますまい……すでに家を出た身でもありますし」
「ええ、そうですね……それは私の方でも動きます。なるべく多くの味方を集めなければなりません。この土地がハロルド伯爵家に乗っ取られようものなら、おそらくこの国は他国の手に落ちることでしょう。それは阻止せねばなりませんからね」
今までリーマン家がこの土地を治めていたからこそ守られていた国土。
それが崩れると、この国自体が危機に瀕するとクリス叔母は切実に語った。
この問題は根が深そうだ。
そう思う俺だった。
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