14話 風呂が無い?
盗賊たちを衛士に引き渡した俺たちは、ようやく宿に入ることができた。
俺がリーマン家の者だと分かるや、行商人のおっさんはそれから恐縮しきりだった。
まさかリーマン家の御曹司だとは知らずに護衛として雇ってしまい、女みたいな兄ちゃんと無礼極まりない物言いを繰り返してきたことに、ガクブルと怯えるように震えていたのだ。
まあ御曹司ではなく御令嬢なのだが……。
「あ、あのう、申し訳ありませんでした。領主様のご子息様とはつゆ知らず、無礼の数々……護衛の件はもう結構ですので……これがこれまでの依頼料です、お受け取りください……女みたいな兄ちゃんと呼んでいたことは死んでお詫び致します。だから痛くないようにひと思いに殺してください」
おっさんは全財産が入った金袋を差し出しながら、平身低頭にそんなことを言ってきた。
「おいおい、誰が殺すか。物騒なこと言うな。だいたい依頼を途中で投げ出す俺だと思っているのか? カリパラとやらの街までは護衛は間違いなく続けるぞ。それに今護衛を断られても俺たちも困る。移動の足もなくなるではないか。そして依頼料は銀貨で80枚だ、それ以上は受け取らんからな。そもそも全財産を俺達に渡してどうするつもりだ? 雇い主本来の行商仕事の仕入れもできんではないか」
「いえいえとんでもありません! 仕入れなんてもうどうでもいいです。無礼討ちされるならば、せめてものお詫びに……」
おっさんはもう殺されるのを覚悟している物言いだ。
「だから誰が殺すか! 多少言動が無礼だからといって、俺は親の権力を笠に着るような愚か者ではない。そもそも俺はもうリーマン家とは何の関係もない一人の人間だ。そう扱ってくれればいい」
「ですが……」
「くどいぞ! ならば元リーマン家の者として命令する。俺がリーマン家の者と知る前の態度で振る舞え」
「めめめ、滅相もありません……」
「しつこい! さもなくば有る事無い事でっち上げて犯罪者に仕立て上げ、衛士に突き出してやるぞ? 父上は怒るであろうな。でっち上げる罪は何がいいかな、リディ?」
「そうですね、シーベルト様を辱しめた。だけで、きっと旦那様は死ぬより辛い刑を準備することでしょう。苦しんでも苦しんでも死ねないような、あーんなことやこーんなこと……ああ〜、残酷でこれ以上想像できません……」
リディアは思いつく限りの、死なないまでも、苦痛を伴うような残酷な責め苦をつらつらと述べた。
どこでその拷問のような悲惨で残酷な責め苦を教わるんだ? 鬼ババア、もといメイド長の教育か?
「だそうだ」
「……」
おっさんは顔色を死人のように真っ白にしてプルプルと震えた。
「で、どうする? 雇い主よ」
「わ、分かりました……今まで通りでまいります、ご子息様……」
「ちがーう! そこは『おぅ、わかったぜ、女みたいな兄ちゃん』だろう! 言ってみろ!」
「お、おおおおおおおぅ……わわわわわかつたぜい、おおおおおおおおおおおおおおんんなみてええええなにいいいいちゅああああん」
「ちがーう! もう一回‼︎」
そんなことを数度繰り返すと、
「クスッ」
と、リディアは可愛く笑ったのだった。
その後、雇い主と食事を終えた俺達は、部屋へと向かった。
「あー疲れたな……」
「お疲れ様です」
宿の部屋に入るとなぜかぐったりとした。
魔物や盗賊と戦って肉体的に疲れたというよりも、精神的な疲れが身体を重くしているような感じだ。
俺が領主の子だと知れると、ここまで対応が変わるのかと驚くほどだ。
普通に接してもらえていた方が気兼ねなく会話ができるのだが、元リーマン家の子というのがバレてしまうと、とんでもない事態になると知ってしまった。これは少し考えた方がいいみたいだ。
「リディ、極力リーマン家のことは伏せた方が良さそうだな」
「そうですね。あそこまで恐縮されると、普通に旅もできませんね」
「ああ。そもそも俺達はリーマン家とは縁を切ったようなものだから、進んで元リーマン家の者だと言わない方がいいな。父上にも迷惑をかけるかもしれん」
「そうですね。まだここはリーマン領ですから余計かもしれませんね。他領に入ればそんなこともなくなるのでしょうけど」
「そうだな。だがなるべく普通に過ごしたいものだ。今後はリーマン家の者だということを言わないように心掛けよう」
「ハイ!」
別にお忍びの旅とか、身分を隠して行動するわけではないが、俺自身も辺境伯の子だったことを極力忘れて過ごした方が良さそうだ。と、今日痛感してしまった。
どのみち家を出てきた以上、もうリーマン家との係わりは無いに等しくなるのだから。
「さて、昨晩は湯浴みもせずにお休みになられましたから、湯浴みにいたしましょう」
リディアはそう言いながらバックパックをゴソゴソと漁り、タオルや着替えを準備し始めた。
確かに丸一日風呂に入らなかったので頭も痒いし、身体も所々痒い。戦闘もしたので多少汗の匂いもするし、困ったことに少しゲロ臭い。これは風呂で綺麗さっぱりしたいものだ。
と、ここで部屋を見回して疑問に思う。
「リディ、風呂はどこだ?」
「?」
リディアは何を言っているのだろうという顔をしている。
元々リーマン家の俺の部屋にはトイレも風呂も完備していたので、考えてもみなかったが、この部屋にはベッドが二つあるだけで、ほかに扉のようなものがない。寝るだけの部屋のようだ。
昨日の宿もそうだったのかもしれないが、気持ちが悪かったので余り覚えていない。
「あら? そうですね。少々お待ちください。宿のご主人に訊いて参ります」
リディアも遅まきながら気づいたらしく、パタパタと部屋を出て行く。
昨日は体調の悪い俺の世話をしていたのだろうから、風呂など気にもしていなかったのだろう。献身的なメイドである。
もしかしたら庶民が利用する宿という所は、風呂が完備されていないのかもしれない。
暫くするとリディアが大きな桶を抱えて戻ってきた。
「シーベルト様。こちらの宿には浴室はないというお話です」
「なんだと? 風呂はないのか」
「はい、浴室付きの宿もあるらしいのですが、この町にはそのような高級な宿は無いと、宿のご主人が言っておりました」
「なんと、そうなのか……」
やはり風呂はないそうだ。風呂が付いている宿は高級というからには、庶民には宿泊できないような宿なのだろう。
なんとも不便な所のようだ。
「で、その桶はなんだ?」
「お湯を頂いて参りました」
「お湯?」
「ハイ、この桶一杯で銅貨3枚支払ってきました」
なんとも、お湯を貰うだけでお金を支払わなければならないとは、下々の生活にはお金は必要不可欠なもののようだ。
お湯など屋敷で言葉通り湯水のように掛け流していた事を考えると、やはり貴族の家は贅沢をしているのだとしみじみ思う。
一度の入浴で、この桶100杯分以上は使うよな? 銅貨300枚以上か……ええと、銅貨100枚で銀貨一枚といっていたから、銀貨3枚以上は、一度の入浴で使っていたということか……ふむ、今回の護衛依頼の金額を考えれば、贅沢なことをしていたようだ。
庶民はこの一抱えほどの桶一杯をお風呂代わりにするというのに、全く贅沢な話だ。
「で、その小さな桶に浸かれと?」
「幾らなんでもこの桶には浸かれませんよ。両足を入れれば終わりです」
「だよな……」
ならどうするというのだ? お湯に浸かれない以上入浴ではないな。
「タオルで身体を拭くらしいです」
「ん? その為のお湯なのか?」
「はい、そうらしいです」
タオルをお湯に浸し、硬く絞って身体の汚れを拭き取るらしい。
なんと、庶民とはお風呂に入らないのか? そう思ったが、リディアが聞いてきた話に依れば、この小さな宿場町にはないが、他の町には共同浴場というところがあるらしく、庶民でもお金を払えば自由に入浴できるような、そんな便利な施設があるということらしい。
ただ庶民が毎日入れるような金額ではない為、月に1,2度そういった場所で疲れをとる目的で利用するらしい。その他はもっぱら水浴びが主流だということだ。
ふむ、自分へのご褒美的な目的でしか入浴できないとは、何とも庶民とは世知辛い生活をしているようだ。
ともあれ俺もその一般庶民になったのだから、これからは慣れてゆかねばならんということか。
「ではお拭きいたしますね」
「ああ、頼む」
俺は装備や下着も脱がせられ、リディアに身体を拭いてもらう。
暖かいタオルが疲れた体をじんわりと癒してくれるようだ。
「うーむ、意外とこれも気持ちが良いものだな。風呂がなければないで、皆考えるものなのだな」
「そうですね。ただあまり綺麗になった気がしませんが、仕方がないのでしょうね」
「そうだな。まあ一度その共同浴場とやらに行ってみるのもいいだろう」
「えっ!? シーベルト様……それはおやめになった方が……」
「ん? なぜだ?」
「だって、シーベルト様は女性の浴場に、わたしは男性の浴場にはいらなければならないのですよ? シーベルト様は素知らぬ顔で入っても構わないでしょうが……わたしは男性の浴場へは絶対に入れません……無理です」
ぬっ! そ、そうか……それがあったか……。
「そ、そうだな……俺も、無理そうだ……」
俺も体は女だが、男として育ってきた手前、女性の浴場に入る度胸はない。それもいままでリディアに体を洗ってもらっていたのだ。一人で入るなど考えられない。
リディアも体は男だが、見た目も中身も女性そのものだ。男の浴場に入ろうものなら、他の男の方が驚いてしまうな。
そもそも、もうリディアは俺との主従関係はないのだから、俺一人で入浴も着替えも出来なければならないのだが、今はまだ難しい。その内一人でできるようにならなければならないな……。
「はい終わりました」
「ありがとう」
体も拭き終わり、案外とさっぱりした。下着も穿き替えいつものスケスケのネグリジェに着替えさせられている。
これで寝る準備も万端だ。
「ん? リディは身体を拭かないのか?」
「ひゃっ! 私は後で、お洗濯をしてからにいたします」
「そうか、なら早く洗濯して来い。俺が拭いてやろう」
「いぇいぇいぇ、結構です! ひひひ、一人でできますので、シーベルト様はお先にお休みくださいませ」
「そうか? だが背中など手が届かないではないか? 遠慮するな」
「遠慮ではありません! 一人でできますからぁ!」
真っ赤な顔をして俺の下着を入れた桶を抱え、部屋から出て行ってしまった。
洗濯するにも、そう慌てて出てゆかなくてもいいものを……何を焦っているのだろうか。
まあいいか。
そうベッドに横になってリディアを待っていたのだが、疲れていたのか、俺はいつの間にか眠ってしまうのだった。
お読み頂きありがとうございます。




