25 また会える、その日まで
ブログ掲載日*二〇一三年八月一五日(http://ameblo.jp/midorimushi-show-bow/entry-11583751761.html/http://ameblo.jp/midorimushi-show-bow/entry-11593345036.html)
テーマ*はないちもんめ
勝ってうれしい花いちもんめ
負けてくやしい花いちもんめ
顔を上げて、声が聞こえてくる方を見ると、窓枠の中にクラスメイトの女の子たちがいた。
楽しげな歌声と、笑い顔。空を蹴り上げる爪先。
二手に分かれて向かい合い、手を繋いで応答しながら前進後進を繰り返す。
春子もその遊びを知っている。花いちもんめだ。クラスメイトの最近の流行で、幼稚園の頃や小学校低学年の頃にやった遊びをしているらしい。
春子は花いちもんめに一度も参加したことがない。
隣のおばさんちょっと来ておくれ
鬼がいるからいかれない
この歌が、どこか怖いような気がするのもあるし、
あの子が欲しい あの子じゃ分からん
この子が欲しい この子じゃ分からん
花いちもんめの「誰が欲しい」パートで選ばれるまでもなく、春子が花いちもんめに誘われることがないのだ。
春子は「脱妖怪」の孫という、異色の出自を持つ。
そのため、よく不思議なことや、面白いものに、遭遇する。
幼稚園の頃はとにかく警戒心が強かったものだから、同年園児や先生のすべてに疑いの眼を向けていたし、小学校低学年の頃はクラスそっちのけで、学校のあちこちにある少し不思議なものや、おもしろいものの観察に精を出していた。春子は、自ら学校生活の集団行動から離れていったと言っていい。
遊び歌のユニゾンが聞こえてくる。
春子は、窓枠の画から視線を外し、手元の本に目を落した。蛍光灯の光りが、図書室を照らしている。春子の学校の図書室は概ね静かだ。奥のテーブルの角席が、五年生になった春子の常連席である。
五年生になってから、春子は図書室通いをするようになった。一番の友人だったルミカちゃんが転校したので、休み時間が暇になったのだ。
しかし、それよりも大きな動機は、春子にはまだまだ知らない世界が他にもあるということを知ったからだった。
ルミカちゃんは自分では気付いていなかったが、春子とは異なる方向性の特異体質の女の子だった。夢の中のような世界を、すいすいと歩くことが出来る。
春子は妖怪じみたものや、化け物じみたものや、不思議な現象には、大概適応できる。ところが、ルミカちゃんと巻き込まれたある事件は、それまで経験したことのないもので、春子はルミカちゃんがいなければどうすれば良いか分からなかった、と思う。
それでいいのだろうか。
ジャンル関係なく、不思議なものに遭遇しやすい体質なので、不安がある。
それを相談したら、「脱妖怪」の祖父はしわくちゃの顔でぷくぷくと笑った。
「おもしろきもの、魑魅魍魎の如くをちこちに蔓延れり、じゃ」
春子は首を傾げた。
「ちみもうりょう、って何?」
おじいちゃんはぷくぷくと笑って、「鬼や化け物がぎょうさんおるいうことじゃ」と言い、「そうじゃ」と提案した。
「おぬしは専門外のおもしろきものにもようけ遭遇するのう。どうじゃ、文献を読んで、他にどのような事物があるのか、知恵を仕入れてみてはどうじゃ」
春子の専門て何だ。
首を傾げたまま、春子は訝しげな声を出した。
「ブンケン?」
「本のことじゃ」
ああ、なるほど。
春子は頷いた。本はそれほど好きではないが、もっと多くの世界を知ったり、対処法を知ったりする手段として、とても有効的に思えた。
それ、やってみる、と言おうとしたタイミングで、縁側とリビングを隔てるガラスの引き戸が開いた。
兄の実が、サッカーで日に焼けた顔を出した。
「そうだ、春子。お前、もうちょっとちゃんと勉強しろ。兄ちゃんはあの成績表じゃ心配だぞ」
「見たな!!!」
声変わり中のガラガラ声で言われ、春子は抗議の声を上げた。
祖父は丸い背を震わせて、ぷうくぷくと笑っていた。
パタン、と本を閉じた。
見事な表紙絵の、分厚い本を名残惜しく思いながら眺める。
異世界の行ってしまう女の子のお話だということで読んでみた。すごく面白かった。妖精や魔法の世界にトリップした女の子は、記憶喪失の女の子と旅をして、自分の出生の秘密を探っていくのである。
しかしこんなことに実際なったら困るなぁ、と読了感と不安に浸りながら棚に本を戻しに行く。同じ作家の作品が他にも並んでいたので、春子は一冊借りることにした。
もしかしたら、ルミカちゃんはこういう魔法の世界の人なのかも知れない。でも、何か違うかも知れない。分からない。
相談しよう
そうしよう
窓の外を見ると、みんなきゃらきゃらと笑っていた。
春子は花いちもんめの勝敗がどうつけられるのか、いまいち分かっていない。最後に人数の多い方が勝ちなのか、それとも欲しい人を得た方が勝ちなのか。
カレンちゃんが欲しい
ヨウコちゃんが欲しい
貸出カウンターに本を出すと、学校司書の先生が春子に新着図書のあらすじ付リストをくれた。
「最近よく本を読みますね」
「もっと広い世界を知るためなのです!」
「壮大ですねー」
そんなやりとりをしていたら、同じクラスのユキノちゃんがすたすたとやって来て、横から春子の本を覗き込んで、言った。
「春子ちゃんそんな分厚い本読めるの?」
「む、うるさいバカ」
「バカとは何よ!」
ユキノちゃんは以前、春子に「気安くわたしの名前を呼ばないで」と言ったので、了解した春子はユキノちゃんを「バカ」と呼ぶことにひそかに決めている。
何かと春子にまとわりついて、嫌味を言ってくるユキノちゃんに、春子は腹が立って仕方ないのだ。
敵に情けは無用。
借りた本を持って教室に戻ろうとしたら、ユキノちゃんが眼鏡の奥の目を吊り上げて言った。
「ちょっと、待ちなさいよ!アンタ、何様なのよ!」
春子は振り返って、ハッキリ言った。
「春子様」
「バカじゃないの?!」
不安げになりゆきを見守っていた司書の先生が、口を挟んだ。
「図書室だから、静かにしなさいね」
クラスメイトの女の子の中で最近ブームになっているものが、もう一つある。
霊感だ。
春子はそっち方面はよく分からないため、真偽のほどは分からない。しかし、クラスの中に霊感のある子がいるのだという。
キヨミちゃん、という子で、背が高い女の子だ。守護霊を当ててみせたり、除霊をしてみせたりするらしい。
春子には、他の多くの人が目に見えないものを処理するのを大っぴらにする勇気はない。もし本当だったら、キヨミちゃんはすごいな、と思う。
ただ、わざわざ人に言って怖がらせるのはよくないのではないか、と思いながら、誰彼構わず霊が憑いている、と言うキヨミちゃんやその取り巻きを横目に眺めている。
ホームルーム後のざわめくクラスから撤退しようと、帰り支度をしてランドセルを背負ったら、「おい」と横柄に呼び止められた。
うんざりして振り向くと、案の定、五年生のクラス替えで同じクラスになった高橋君である。
高橋君は腕組みをして偉そうに言う。
「いいのかよ」
「何が」
「あいつらのこと、放っておいて」
高橋君が指差す先には、キヨミちゃんたちが男子一人を囲んで「除霊」をしている。
春子はうーむと目を凝らした。何か起こっている様子は見えないし、気配も感じられないが、春子は霊感があるわけではないので何とも言えない。
「分かんない。どうしようもないよ」
「分かんねーとか、嘘だろ」
「嘘じゃないもん。春子、あっち方面はくわしくないもん」
「はあ?なんだ、役に立たねぇなぁ」
知らんわ。
「なんか、廃墟で女の子の霊が出たとかで、キヨミがお祓いしたんだとよ。それからこんな騒ぎ。うるせーのなんのって。俺のところにも霊が憑いているとか言ってくるんだぞ。俺もう何も憑いてないよな?!」
意味ありげな視線をひしひしと受けて春子はうーむと唸った。前に高橋君と影響し合っている妖怪を追い払う努力をしたことがあるので、どうやらそのあたりの事なら何でも分かる人間だと思われているらしい。なんだかよく分からないが、同じクラスになってから、やたら春子に話しかけるようになった。
相変わらずイラっとしたことを言ってくるが、どこか信頼を寄せられている気がして、反発心と安心とで変な気分である。
「春子よく分かんなーい」
「何だよしらばっくれやがって」
「それより廃墟って?」
「ああ、線路の近くの、誰も住んでいないアパートらしいぜ」
何やら、あまりよくない雰囲気を感じ取る。
しかし、やはり余計なことには首を突っ込まない方がよろしい。春子は四分の一妖怪な少女なのであって、霊感少女ではないのだ。
まあ、何も起こらないことを祈ろう。
「よし、帰る」
「おい、俺が今まで提供してきた情報はどうなる」
「春子がどうこうすることじゃないもの」
「はぁ?何だこの役立たず。お前の方が霊感あるくせに」
だから霊感じゃなくて妖怪。
と、心の中で突っ込んでから帰ろうとする春子を、高橋君が手にしていた箒で突いてきた。
む。
春子は憤然として、無言でランドセルからリコーダー袋を取り出した。
「何してんだよ」
ソプラノリコーダーを取り出して構える。
「?」
そして、目をギンギンにして高橋君を睨みつけながら、ゆっくりとメヌエットを吹いた。
何とも言えない空気が流れた。暫く高橋君は唖然として、意味が分からないとか下手くそだとか言って春子を罵倒したが、春子は依然としてたどたどしくメヌエットを吹き続ける。
春子が一歩、前に出た。高橋君は黙り、一歩、後退した。
また一歩、一歩、と進み出ると、高橋君は顔を引きつらせて逃げ始めた。
春子はメヌエットを吹き続けながら追いかけ回し、高橋君は「なんか怖ぇ!怖ぇ!」と言いながら逃げ回った。
廊下に出て高橋君はどこかに行ってしまい、春子はメヌエットを止めてソプラノリコーダーを仕舞って帰ることにした。
何やら周囲からの視線をびしばしと感じたが、春子は胸を張って、その場から退場した。
気にしたら負けなのである。
地獄 極楽 閻魔さんがこわい
針の山へ とんでゆけ
か細い、震えた声で歌うのを、春子は聴いた。
公園のベンチに座る白い陰は、おばあさんだ。
春子は下校路途中の公園の前で、足を止めた。
あれは線路の向こうに住む大塚さんである。学年は違うが、春子の学校にお孫さんが通っている。
兄の実が在学中、同学年にお孫さんがもう一人通っていて、よく学校に来て読み聞かせをしていたので、大塚さんは春子の母と知り合いだった。春子もそれによって一応知り合いでもある。
近頃大塚さんは、外をあちこち歩き回り、家族の人が困っているらしい。
髪の毛が真っ白で、茫然とした表情をしている。大塚さんの娘であるおばさんや、家族や、誰か知っている人がそばにいるとハキハキとし、表情豊かになるけれど、一人で歩いていると白い影のように街を彷徨っている。
下校途中で大塚さんを見つけた春子は、うちのおばあちゃんを見かけたらよろしくお願いします、と前に大塚さんのおばさんが家を訪ねてきたときのことを思い出した。
意を決して、公園に入って行った。
「こんにちは」
呆けた顔をしていた大塚さんは、口を噤んで、春子を見てにっこりした。
「あら、新しい子が来たのね。フサコちゃんとチヨちゃんを見なかった?」
「見ませんでした。すいません。わたし、遠野春子です」
大塚さんは春子の顔をまじまじと見て、「あらあら」と気付いたような顔をした。
「遠野さんのところの」
「はい」
「下の子だったわね。いやねぇ。私ったらいつの間にこんなところに」
よっこいしょ、と立ち上がったので、春子は慌てて手を引いた。
「送ります」
「ありがとうねぇ。おかしいわね、杖も持たないでこんなところまで来ちゃった」
足の悪い大塚さんに合わせて、ゆっくり歩く。大塚さんはカラフルな遊具のある公園をキョロキョロと見回した。
「最近の子は公園で遊ばないのね。あんな面白そうなものもあるのに。春子ちゃんは学校帰り?」
「そうです」
「昔は何にもなくても、空き地とか、道路とかで、よく遊んだものよ」
花いちもんめって知ってる?と大塚さんは楽しそうに訊く。
「知ってます」
「よく遊んだわ」
隣りのおばさんちょっと来ておくれ
鬼がいるからいかれない
お釜かぶってちょっと来ておくれ
お釜底抜けいかれない
鉄砲かついでちょっと来ておくれ
弾がないからいかれない
紋白蝶がひらひらと飛んでいる。五月の日差しは温かい。たんぽぽの黄色い花も、目一杯に咲き開いている。
気持ちのいい春の日。大塚さんの弾んだ歌声が、途切れた。
「鉄砲なんて、嫌いよ」
懐かしさから、千切れた。
春子はゆっくり足取りを合わせつつ、緊張した。
「五月の終わりくらいにね、空襲があって、おばあちゃんはね、家を焼け出されて疎開したのよ」
大塚さんの皺くちゃの白い手が震えていた。声も、震えていた。
春子は先の時代に、戦争があったのを知っている。東京が一面焼け野原になった写真が教科書に載っている。
ああなったところに、小さな大塚さんがいたのかも知れない。
線路が近付いてきた。踏切に遮断機が下りてくる。電車が通り過ぎるのを待った。線路脇に生えたネコジャラシが電車の風圧で揺れる。
ぐっと唇を引き結んでいた大塚さんが、キョロキョロと周りを見回して、ぽつりと呟いた。
「ミチちゃんの家もない」
ゆっくりと、電車がホームに滑り込んでいく。
「もう、こんなに時間が経ってしまったのね」
疲れたような声を聞いて、春子はふと、大塚さんはいつも色んなところを歩き回って、誰かを探しているのではないかと思った。
電車が通り過ぎた踏切の向こうに、大塚さんのおばさんが、春子とおばあちゃんを見つけて手を振った。
家のリビングのソファーに寝そべって借りてきた本を読んでいたら、玄関で応対していたお母さんが春子に声をかけた。
「春子、大塚さんのおばあちゃん、家で今は寛いでいるって。お礼にお野菜頂いたわよ。よかったわね」
「トマト?」
「何で分かったの?」
「トマトの気配がした」
「あんた意味分からないわよ」
そう言いながら、母は春子にトマトを見せてくれた。ビニール袋の中には丸々とした赤いトマトがいくつも入っていて、ピンク色の光沢を放って艶々としていた。大塚さんの家は農家なのである。
うーむ、元気が良さそう、と上機嫌になった春子は、母に訊ねた。
「お母さん、ここら辺って、戦争のときに焼けちゃったの?」
「なに、いきなりね。お母さんは戦争中は生きていないわよ」
母は逡巡し、言った。
「あのね、お兄ちゃんが学校にいたときに、大塚さんが小学校に戦争の体験をお話に来て下さったのよ。ここら辺も焼けてしまって、田舎に疎開したんですって。戻ってきたとき、焼け野原で一からやり直しだったそうよ」
そういえば、大塚さんもそんなことを言っていた。
「そうだったんだ」
春子も知らない歴史が、この地域にはあるのだ。
母は吊り気味の大きな目をぱちぱちさせて、春子を見た。春子は本に目を落していたが、あまりにも注視されているので、落ち着かなくなった。
「なぁに。おてつだい?」
「春子も世の中にようやく興味を持ったのかと今感動しているところよ」
「む」
「その調子でちゃんと勉強もすると更に感動するわよ」
「むむー」
痛いところを突かれた。
どうやって濁そうかと考えていたところで、思い出して母に問うた。
「大塚さんはあちこち歩いて、どこに行きたいのかしら」
母はうーんと考えて答えた。
「どこかしらねぇ。分からないわ」
「ミチちゃん、て誰だろう」
「大塚さんが言っていたの?」
「うん。さびしそうだった」
母はふっと悲しそうな顔をした。
「もしかしたら、心に残っている人なのかも知れないわね」
心に残る人って、どんな人だろう。
春子なら、まず家族を思い浮かべる。おじいちゃん、お母さん、お兄ちゃん、お父さん。
それからルミカちゃん。親友だ。ルミカちゃんのお母さんも、家に遊びに行くといつもよくしてくれた、と思い出す。
クラスは違ってしまったけれど、村田君という男の子も親切にしてくれた。
ある意味、あまり話さなくなったカレンちゃんや、マキちゃん、高橋君やユキノちゃんも腹立つけれど春子の心には残っている。
あと、飼育小屋の兎のトト。ナノハナの花壇。ひらめく蝶々。
観察池の亀ものーんびりしていて、春子の心にのーんびりの象徴として残っている。
でもそれは少し大塚さんの心に残る人、というのとは違うかしら。
そう思いながら、学校の掃除時間で廊下を箒で掃いていたら、声を掛けられた。
「春子ちゃん、ちょっといい?」
顔を上げて、思わずうげと言った。
キヨミちゃんを筆頭に、その他クラスの女の子たちに囲まれていた。いつも霊がいるのどうの、というときに集まっている子たちで、カレンちゃんもいる。
彼女たちは、好奇心剥き出しのギラギラした目でこちらを見ている。
キヨミちゃんはその中で、自分はまさに冷静な人間といった雰囲気で、にっこりとして春子に言った。
「春子ちゃん、霊が憑いているよ。最近大丈夫?体調悪くなったりしていない?」
「うぇ」
寝耳に水である。春子はぎょぎょっと肩を強張らせ、動揺した。
まさか。まさか。知らない内に、霊にとり憑かれているのだろうか。まったく、気配を感じなかった。
いや、ちょっと待て。
春子は思い直した。昨日の夜も、今朝の朝食の席でも、おじいちゃんは何も言っていなかった。よもやあの「脱妖怪」のおじいちゃんが春子の危機を察知しないわけはあるまい。
春子はキヨミちゃんを見上げた。キヨミちゃんは何かの事情があって、「霊が憑いている」などと言うのではないだろうか。
しかし、おじいちゃんも何も言ってないだけで、何か憑いているのかも知れない。不安だから、今日、家に帰ったら訊いてみよう。
黙ったままの春子を変に思ったのか、キヨミちゃんが訊ねた。
「どうしたの?」
春子ははっとして、とりあえず、話を合わせてみた。
「どんな霊が憑いているの?」
キヨミちゃんは春子の背後あたりをじっと見てから、言った。
「同い年くらいの、女の子だよ」
「む」
見えないけれど、いるのだろうか。
周りにいる女の子たちが、「えー」とか「ひゃー」とか言って、さざ波みたいに、寒気を感じているジェスチャーをしてみせる。
「生き霊なんじゃないのー?」
「ルミカちゃんの」
「む」
春子はくすくすと笑う女の子たちをギンと睨んだ。
「ルミカちゃんをバカにしないでよ」
それでも、彼女たちはくすくす笑う。
親切そうに、キヨミちゃんが申し出る。
「除霊してあげようか?」
何が除霊だ、馬鹿馬鹿しい。
むっとして断ろうとした春子は、口を開きかけて、あることに気付いて固まった。
「春子ちゃん?」
「・・・キヨミちゃん」
「除霊は?」
「ちがう。誰と手を繋いでいるの?」
キヨミちゃんは目をぱちくりとさせた。
春子の目は、キヨミちゃんの右手に釘付けになっていた。
キヨミちゃんの日に焼けた手を、どこかから差し出されている黒く薄汚れた小さな手が、握り締めている。
ひやーっと、一気に春子の背筋が凍った。
「え?何言ってんの、誰とも手、つないでないよ」
キヨミちゃんは眉を吊り上げた。
キヨミちゃんは春子より背が高いので、見下ろされると怖い。しかし、今、もっと怖いのは、キヨミちゃんの手を握っている手の先にいる何かである。
春子はゆっくりと、目で辿っていった。茶色っぽい長袖。煤けた牡丹色の頭巾。ところどころ焦げ付いている。
春子は息を呑んだ。
顔を黒くした、白目ばかりが際立つ目の、おかっぱ頭の女の子が、じっとして立っていた。
「キヨミちゃん」
祈るような気持ちで、春子は声をかけた。
「見えてるんでしょ?」
しかし、キヨミちゃんは訝しげに春子の見ているところを見下ろし、それから怒ったように言った。
「そうだよ。だから春子ちゃんの除霊どうするの?」
見えてなーい!キヨミちゃん、自分の隣にいる子が見えてなーい!!
春子の心の中は嵐が吹き荒れ、自分の周りにいる女の子たちが怪訝そうな顔をしていることに気付かなかった。
一人の女の子が、興味津々といった表情で身を乗り出した。
「春子ちゃんも見えるの?」
春子ははっとして、慌てて首を横に振った。
「分かんない、わたし、何も分からない!」
「春子ちゃん落ち着いて。どうした」
やや同情的な目線で見られた。
キヨミちゃんはつまらなそうな顔になって、春子を見下ろす。
春子はチラと彼女の横にいる子を見た。冷え冷えするような強い目をして、相変わらず立っている。見間違えではない。
キヨミちゃんが溜め息をついた。
「いいや。春子ちゃん除霊してあげない。なんかいつまで経ってもはっきりしないの」
いいや、じゃないし。溜め息ついているどころじゃないし。
色々言うべきことが心の中に去来して春子は穏やかではなかったが、何かを言いたくとも言葉が出なかった。
見えないのに「見えている」と言い、霊感がないのに「ある」と言う。そんな人に、どう伝えれば春子の言うことを信じてもらえるというのか。そんな人に、春子が何かを言ったとして、どう対処できるというのか。
箒を握る手に、じんわりと汗が滲んだ。
春子はキヨミちゃんたちが教室に戻って行くのを、不安の目線で見送った。
あの煤けた女の子もついていった。
「どうしよう」
青い顔をした春子の話を聞いて、「脱妖怪」おじいちゃんは、薄情にもぷくぷくと笑った。
「どうしようもないのう」
雨が、ぱらぱらと降り始めた縁側はひんやりとしている。庭の土は黒々と湿り、つつじの赤紫色が光る。
青っぽい雨の暗さに沈む、丸い背で、ちょこっと尖った耳の、しわくちゃ顔の祖父は、ごく普通な佇み姿であるのに関わらず、ただならぬ趣を醸し出す。
春子はおじいちゃんの言葉に、むっとした。
「春子、困っているんだよ」
おじいちゃんは、ぷくぷくと笑った。
「それでも、わしには関係ないのう」
目をぱちくりさせて、それから春子はぶすっとして黙った。
確かに、春子のクラスメイトの危機は、春子の祖父に関係があることではない。妖怪じみた物事ならまだしも、春子も専門外である幽霊系の事件だ。
霊でも、化け物になってしまったものがいるが、そうしたものは妖怪に近いのか、春子はぶつかり合って対処を迫られたことがある。
しかし、まるで歴史の授業に使う資料集の〝戦時中の少女〟の白黒写真から飛び出してきたような女の子は、目ばかり強くてドキリとさせられるけれど、妖怪とはまた違う気がする。それに、敵意や憎しみがあるかというと、そうではなかったように思える。
ただ、キヨミちゃんの側に、確然として存在している。
明確な意志じゃ。
おじいちゃんが、昔言っていた言葉を思い出す。
「強い意志があるのかも。私にも見えるくらい、はっきりとした意志」
おじいちゃんはふむ、と考えた。
「まあ、そうかも知れん。人間の怒りや悲しみ、悔しさ、憎しみ。霊とはそんなものが多いのう」
しかし、おじいちゃんは呆れたように言った。
「しかしのう、お主ものう、専門外のことじゃて。あまり首を突っ込むことでないのう。そやつ、同級生のおなごは、たいした知り合いでないばかりか、性悪とみたぞ。どうなったって構わんわい。情けは無用じゃ」
むぅ~、と春子は唸った。
キヨミちゃんは春子にとって、友人とは言い難いのは確かだ。むしろ今日は腹が立つ部類の出来事だった。積極的に助けようと思える要素は少ない。
だが。捨て置けない気持ちがむずむずとする。
あのまま、あの煤けた少女をキヨミちゃんのそばにいさせたら、どうなるのだろう。
カラカラと引き戸を開けて、普段着姿の実が顔を出した。
「春子、おじいちゃん、おやつのお茶とカステラ」
「そこに置いてくれんかの」
「む」
「なんだ、冷えるのに外で食うのかよ」
と、言いながら実は急須、湯呑を三つ、カステラのお皿を三つ、載せた盆を持って縁側に出て来た。
「なんじゃ、用意がいいのう」
「む」
カステラにお茶のおやつを食べながら、三人は話をする。
「何の話をしていたんだ?」
「学校で、霊感あるって言う女の子がいてね、その子が今日、春子に除霊してあげるって話しかけて来たんだけど」
「はあ、春子に」
「春子にのう」
「それでね、その女の子が、霊と手をつないでいたの」
「は」
「それで、気付いていなかったの」
実はぽかんとして、それから納得したように「あー」と頷いた。
「いるよなぁ、霊感あるっていう子。俺のクラスにもいたよ?」
「いたんだ」
「その後、クラスの頭いいやつに論破されて、嘘がバレて、ぷっつり黙ってたけど。春子の言っている女の子も、自分で霊感があるって言っておいて気付いていないとか、アホらしいな」
祖父はむぐむぐとカステラを飲みこんで、言った。
「おかしなものよの。霊などほとんどが悲しいものじゃ。生の苦しみがこもっておるのじゃ。何故そのようなものに遭いたいかの」
「あー、なんというか、自分の特別感を出したいんだよ。『私は特別に霊が視える人間』って」
「見栄だのう」
「うん、見栄」
「見栄で利用されて、霊も敵わんのう」
春子はふーふー冷まして、緑茶を飲んだ。温かくてほっとする。祖父も兄もふーふーして、お茶を飲んだ。遠野家は父以外、猫舌なのである。
「どんな霊が憑いているんだ?」
「防空頭巾被ってて、おかっぱで、全体的に煤けているの。焦げていたりもする。春子よりちょっと年下っぽかった」
「防空頭巾?太平洋戦争のときみたいな?」
「うん」
実は首を傾げた。
「なんでそんな子が、その自称霊感少女に憑いているんだ?」
「む」
言われてみれば、そうである。特定の人物に憑いたのは、何か理由があるのかも知れない。
春子はあっ、と思い出した。
「廃墟のアパートに遊びに行ったときに、キヨミちゃんがお祓いしたんだって」
「廃墟のアパート、って線路沿いの?」
「知ってる?」
「多分。あそこ、よく肝試しに入るやつがいるんだ」
「お祓いなんぞ流儀もない小娘が真似しおって、ややこしい」
呆れ気味におじいちゃんは歎息して、春子に言った。
「よいか、春子。関わり合いになったら仕方がない。じゃが、暫くは様子を見ておれ」
「む」
「おぬしも詳しくない事柄じゃ。なまじ分かる物事が多いゆえ、気になるじゃろう。じゃが、それは春子の問題でのうて、他人の問題じゃ。そやつは、おそらく自ら引き寄せたのじゃ」
湿気を含んだ空気が、縁側に降りている。
春子は肩を落とした。心配だけれど、春子の出る幕ではないのだ。
実がカステラの焦げ目の皮を食べながら、思い付いたように訊ねた。
「じいちゃん、じいちゃんは戦争を体験したの」
おじいちゃんは遠くを眺めるように虚空の方に向き、暫くしてから言った。
「保元の乱や応仁の乱じゃったら見物したがのう」
もっと古いのだった。
「昭和の戦争ならのう、始めの頃から異様な気に満ち満ちて、面白うなくなったと思うて、山に引っ込んでおったわ。山から下りたときは、戦争が終わっておった。一面焼き払われて、何もなくなっておったわ。座敷わらしだの、河童だの、怪魚だの、家や河川におったものだが、そやつらもおらんようになった。その辺りに死体がごろごろしておるのに、死体集めの火車というやつも、おらんかった」
雨は静かに降っていた。
おじいちゃんは口をへの字にして、吐き出すように言った。
「あれは面白うなかった」
雨は翌日も降り続いた。
昼休みが終わる予鈴が鳴り、春子が図書室から教室に戻ると、女の子たちが花いちもんめで遊んできゃらきゃらと笑っていた。
教室の空いているスペースは狭く、みんなで手を繋いで行ったり来たりしていると、入り乱れてぐちゃぐちゃになる。それでも、楽しいらしい。
春子はその中に防空頭巾の女の子がいるのに気付いて、はっとした。
勝ってうれしい花いちもんめ
負けてくやしい花いちもんめ
ぎゅっと唇を結んで、春子は掃除用具入れに寄りかかって彼女たちの遊戯が終わるのを待った。教室の後ろでわちゃわちゃと遊ばれていると、一番後ろの春子の席に座れないのだ。
図書室で借りた本を広げ、暫し遊んでいるクラスメイトを観察してから、文字列に目を落した。
やっぱり、キヨミちゃんの隣にいた。
「ほんとあの人たち子供っぽいわね。花いちもんめとか小五でやる遊びじゃないわよねぇ?」
うげ。
春子が顔を上げると、いつの間にか側にユキノちゃんがいた。眼鏡の奥の目を細めて、ヒソヒソ耳打ちしてきたのである。
何と返そうか、と考えて、春子は気付いた。クラスの女の子のほぼ全員が参加している花いちもんめに、ユキノちゃんは参加していない。
子供っぽくて嫌なのだろうか。それにしたって、春子はどうとも思わないので、同意を求められても困る。
「別にそう思わないけど」
ユキノちゃんはニヤニヤした。
「なーに春子ちゃんもやりたいの?でも入れてもらいたいんだー」
ぴき
危うく分厚い本で殴ろうとするところだった。
「わたしを怒らせてどうしたいの?」
「は?何様?あ、春子様か」
「おちょくるのもいい加減にしてよ!そんな思ってもないことを春子のことみたいに言われるのすごく不愉快。何であんたイチイチ嫌味言ってくるの。今度からわたしに話しかけないでくれない?!」
イライラして強い口調で言った春子を、ぽかーんとしてユキノちゃんが見ていた。
いつの間にか花いちもんめを止めた女の子たちも、ぽかーんとして春子を見ていた。その向こうにいる男の子たちも、ぽかーんとして見ていた。
クラスが静まり返った。
春子は注目をすり抜けて、自分の席に座り、本を広げた。
うんざりだ。
ルミカちゃんに会いたくなった。
放課後、春子は掃除を終えてから図書室に行き、先生の新着図書のリストにあった戦争の絵本を読んだ。
主人公は、家族揃って幸せに暮らしていた女の子。防空頭巾を被って、空襲から逃げるが、母と兄弟とはぐれてしまう。防空壕に辿り着き、母が迎えに来るのを待つが、遂に飢えて死んでしまう。
読み終わって、春子は考えた。あの女の子はどうして、キヨミちゃんに憑いているのだろうか。あの子も、火の中を逃げ回ったのだろうか。
灰色の煙に囲まれて逃げる防空頭巾の女の子の絵を眺める。
勝ってうれしい花いちもんめ
負けてくやしい花いちもんめ
勝ったり負けたりするために、消えた命だ。
暫くは何事も起らなかった。女の子が、キヨミちゃんの側に、常にあの女の子がいるぐらい。
キヨミちゃんをずっと見つめているから、春子の不安はなくならなかった。キヨミちゃんは未だに霊感があると言っているらしいが、春子に「除霊してあげない」と言って、春子が何でもないのが続いているので、どうやら胡散臭く思われ始めているらしい。
と、いうのを教えてくれたのは、何故か高橋君なのである。
「お前さ、うまくやったじゃん」
「別にそうしたいと思ったわけじゃないもん」
また本を読む邪魔をされた。春子は不機嫌に返す。
高橋君は腕を組んで、如何にも偉そうに言った。
「むかつくんだよなぁ、女子のああいうところ。何でもないのに力があるように見せかけて、除霊してやるとか言い出して。そんなの頼んでねぇよ」
春子はちらとキヨミちゃんがいる方を見た。集まって歓談しているすぐ側に、あの煤けた女の子がじっとしている。
春子は溜め息を吐いた。
「何でもないのに力があるように見せかけて、って高橋君もそうじゃない」
「う」
「何でもないのにえらそう」
「うるせぇ!オマエな、何でもはっきり言えばいいわけじゃねんだからな!」
そう怒りながら、高橋君はクラスメイトの男の子にチョップしに行った。最近は高橋君もクラスの人と仲が良さそうだな、と春子は思った。
お布団かぶってちょっと来ておくれ
お布団ビリビリいかれない
お釜かぶってちょっと来ておくれ
お釜底抜けいかれない
昼休み、図書室のいつもの席で春子は花いちもんめをBGMに、本を読んでいた。
イギリス、伝説の時代にトリップした姉弟の物語。この間読んだファンタジーシリーズの別篇だ。
姉が恋に落ちたくだりを帰るときにどうするのだろうとドキドキしながら読み進めていると、ふと歌が止み、女の子たちの悲鳴が上がった。騒がしい。
ボールでも飛んできたのかしらと思いながら文字を追っていたが、騒がしいのがキヨミキヨミと口々に呼んでいる声だと気付き、春子ははっとした。
ドンドン、と窓を叩くのは、中にいる春子を見つけたカレンちゃんだ。
窓を開けると、クラスメイトの女の子たちがわっと集まってきて、興奮して訊ねた。
「春子ちゃん、今、キヨミと女の子がそっちに飛び込んでいかなかった?!」
「キヨミちゃんと女の子?どうしたの?」
「さっき、花いちもんめしていたら、いつの間にか防空頭巾被っている女の子が何人も混ざっていて、じゃんけんに勝ってキヨミを連れてったの!」
「む?」
防空頭巾を被った女の子が何人も?
ということは、あの女の子以外にも、霊がいたのだ。
カレンちゃんが珍しく冷静ではない様子で喚いた。
「それで、この窓、閉まっているのに、突っ込んでいって、それで消えちゃったの!本当なの!」
「そっちにいるんでしょ?!」
春子は努めて落ち着いて答えた。
「いないよ。わたしも気付かなかった」
女の子たちが悲劇的に泣き始めた。
春子は頭を掻いて、うーむと唸った。全員に見えていたものらしい。何だかよく分からない。あの女の子からは禍々しさも敵意も感じなかったから、不安だったけれど、こうした行動を起こすとは思っていなかったのだ。もっとも、霊が何を引き起こすのか、春子も知らないけれど。
とりあえず、春子はパニックになっている女の子たちのもとへ行った。女の子たちはみんな図書室の窓を叩いてみたり、開閉してみたり、キヨミちゃんの名前を呼んでみたり、校庭や校舎に探しに行ったり、泣いたりして、それぞれ惑乱していた。
春子が来たことに気付いたカレンちゃんは、神妙な表情で言った。
「どうしよう。先生に言った方がいいかな」
「でも、絶対に信じてもらえないって!」
泣いていたミツルちゃんが噛み付くように言う。
「やっぱり廃墟のおばけがついてきたんだよう」
「廃墟で何があったの?」
「女の子の霊がいるらしいって噂があったの。足音がして、で、キヨミちゃんが私には見えるって言って」
「キヨミの名にかけて汝をここに止めん、とか言ってた」
「キヨミちゃんが止めてくれている間に逃げてって言うから逃げて」
「でもこんなことになると思わなかった」
「やっぱりタタリなんだぁ」
怖がって泣き始める子が多発し、春子はおろおろした。困った、よく分からないが本当に心霊現象らしい。というか、キヨミちゃん霊感ないのに何者なのだろうその台詞。
春子はキヨミちゃんと防空頭巾の女の子が飛び込んでいったという窓を見た。まだ叩いている子がいるが、春子はその窓に、灰色とオレンジ色の混じり合った奇妙な歪みの水溜りのような箇所があるのを見つけた。不思議と、窓をチェックしている子は、その場所を避けて触れている。
ああ、もう。
春子は歎息した。彼女たちの異物スルー能力だ。自分の世界を構成するものだけを把握し、日常を脅かし常識を崩す可能性のあるものを五感や意識から排除する、人間の心理的な操作。自らに危機が降りかからないよう、あの窓の歪みに、無意識に触れないようにしている。
しかし、春子には分かる。キヨミちゃんはおそらく、あの歪みを通って行った。あの歪みはどこかに繋がっている。
春子はおじいちゃんに言われたことを思い出す。
専門外のことじゃて、あまり首を突っ込むでない。
それは春子の問題でのうて、他人の問題じゃ。
春子は霊感少女ではない。不思議なことや、おかしなものに遭遇しやすい、「脱妖怪」の孫である。
あるものを、受け止め、対処する。
春子にとっても、不思議なものは、春子の人間性を脅かす、危険なものでもあるのだ。
クラスメイトの女の子が呼び込んできた危機を、春子がどうこうする道理はないし、そのまま知らんぷりしておくべきかも知れない。
しかし春子は一歩を踏み出した。
どうやら、春子は知っていることを、知らんぷりできない性質らしい。
窓に近付いて、春子は歪みにスッと手を近付けた。
春子が戻らなかったら、どうなるだろうか?
クラスの誰かが先生に報告
↓
母に連絡が行く
↓
母からおじいちゃんに話が伝えられる
↓
おじいちゃんが来る
頭の中で図式が出来上がって、春子はなんだ大丈夫かと思った。
どこに繋がっているか分からないが、せいぜいやってみよう。
クラスメイトの女の子たちが制止の声を上げるのを聴きながら、春子は歪みに手を突っ込み、引っ張り込まれる感覚に身を任せてその中に入って行った。
勝ってうれしい花いちもんめ
負けてくやしい花いちもんめ
目の前に夕焼け色の町並みが広がっていた。
春子の知っている町並みではない。武骨な自転車が通り過ぎると砂埃の上がる砂利道は道路である。家々は木造で、平屋ばかりである。電信柱も木でできている。すぐ手前に、畑が見えた。
春子は暫し状況を確認したが、聞いたことのある歌を辿って歩き始めた。まるで昭和の白黒写真をカラーにしたような場所だった。どこか静かで、不安定な世界に思えた。
もんぺを履いた女の人がそばを通り過ぎる。鍬を担いだ学生服の男の子もいる。電信柱には「ほしがりません、勝つまでは」のポスターが貼られている。
道の真ん中を陣取って、花いちもんめをしている、もんぺ姿の女の子たちがいた。汚れて痩せている子ばかりだが、楽しそうだ。
春子はその中に、やけに綺麗な格好をした、背の高い女の子がいるのを見つけた。
三対三。四対二。六人でひたすら、花いちもんめをしている。
春子はどうすればいいか、と悩んだが、結局声をかけることにした。
「こんにちは」
歌がぴたりと止む。
「わたしも入れて下さいな」
なるべく明るく、言う。
振り向いた子たちは、普通の女の子たちに見えた。春子を不思議そうに眺めている。
一人だけジャンパースカートを着たキヨミちゃんが、春子の出現に叫び出しそうな顔をした。
春子はキヨミちゃんより先に大きな声を出して名乗った。
「わたし、ユキコっていうの。よかったらわたしと勝負しない?」
ただし偽名で。
女の子たちが、顔を見合わせる。
「勝負って、地獄、極楽で?それとも石蹴り?」
「ううん、花いちもんめ。わたし対、みんな!」
「六対一なんて、変なの」
「でもいいよ」
春子は前に進み出た。六人はにこにこしながら手を繋ぐ。春子は六人と対峙するのは結構心細いと知った。
キヨミちゃんが真ん中で青い顔をし、春子を縋るように見ていた。春子も緊張でガチガチだったので、それどころではなかった。何しろ、初めて花いちもんめをするのに、幽霊相手なのである。
ごく普通に人間みたいな幽霊たちは、それぞれ自己紹介した。
「わたしチヨコ」
「わたしはナオコ」
「あたしはミチヨ」
「フサコといいます」
「わたしはヨシエよ」
あの子はミチヨという名前だったのか。
春子はいつもキヨミちゃんの側でじっと立っていた煤けた女の子を眺める。いつもより綺麗な格好で、笑っている顔は初めて見た。
キヨミちゃんが竦んだまま言った。
「キヨミです」
自己紹介が済んだところで、六人が前進しながら歌い始めた。
勝ってうれしい花いちもんめ
春子は負けじと声を張り上げた。
負けーてくやしいっ花いちもんめ!
春子の必死さがおかしいのか、女の子たちは大笑いした。
隣のおばさんちょっと来ておくれ
おにーっがいるかっらいっかれーないー!
お釜かぶってちょっと来ておくれ
おかーっまそっこぬーけいっかれーないー!
鉄砲かついでちょっと来ておくれ
たまぁーっがないっらいっかれーないー!
思い切り、空を蹴り上げる。
あの子がほしい
あの子じゃわからん!
この子がほしい
この子じゃわからん!
相談しよう
そーうしよう!
そして、誰を指名するか決まっているから、すぐ呼びかけをする。
ユキコちゃんがほしい
キヨミちゃんがほしい
手を離して、青い顔をしたままキヨミちゃんが前に出てくる。
春子も前に出て、キヨミちゃんと向き合い、律儀にじゃんけんをしようとしたキヨミちゃんの手首をがしっと掴んだ。
えっ、と目を見開くキヨミちゃんに春子は言った。
「走るよ」
弾かれたように走り出した二人の背に「待って」「キヨミちゃん!」「ユキコちゃん!」と五人の足音が迫った。
出口が分からないまま町を駆け抜け、キヨミちゃんは春子に訊ねた。
「春子ちゃんどうしてここにいるの?!」
「さあね!走って!」
「どこ行くの?」
「分かんない!」
「わたしじゃんけんで負けたから連れて来られたの。じゃんけんで勝った方がよかったんじゃ」
「わたしユキコじゃないからいいもーん!じゃんけん弱いからムリだもーん!キヨミちゃん絶対手を離しちゃダメだからね!」
「・・・なんで?」
「キヨミちゃん本名知られているから一人で連れ戻されちゃうかも!」
黙ってキヨミちゃんが走り始めると学年一鈍足の春子より速かった。
いつの間にか空は真っ暗闇になっていた。電灯のない夜の住宅街に、足音と息遣いが響く。
サイレンが鳴った。「空襲だ!」春子とキヨミちゃんの側を、黄土色の国民服を着た年配の男の人が駆けていき、町角にある鐘を鳴らした。
家から防空頭巾を被った人たちが出てきて、庭や近くの空き地や道に掘った防空壕に入っていく。荷車を引いて道を走って行く家族、子供を負ぶって逃げていく人もいる。
春子とキヨミちゃんは様子が騒がしくなって不安になり、一度立ち止まった。
「何?空襲・・・?」
握り合った手が、じっとりと汗ばむ。
キーンという飛行機のエンジン音がし、ヒューと空を切り裂く音がいくつも聞こえた。見上げると、赤い火が空一面に降ってきて、町を照らしていた。
ドーンと音がして、目の前の木造家屋が炎に包まれた。
「走ろう!」
春子とキヨミちゃんは走った。周りの家屋が燃えていく。炎が迫る。目の前に焼夷弾が落ちてくる。防空頭巾を被った人々が逃げ惑う。熱風が吹きつけて、むせた。
頬や腕がヒリヒリし、火の粉が目に入りそうになりながら、竦んだキヨミちゃんの手を引いて春子は走り続けた。
「春子ちゃん!死んじゃうよぉ!髪の毛が焼けちゃう!」
「走って!諦めないで!」
出口が分からない。
走りながら、春子はさっきと同じ道を通っていることに気が付いた。
だが、今は炎に包まれている。
目の前を走っていた防空頭巾の女の子が、火を噴く建物の倒壊に巻き込まれて下敷きになってしまった。
そこを避けて、走り続けると、今度は火柱となった電信柱が女の子の肩を押し潰していた。
焼夷弾が直撃して倒れ込む女の子。倒れた母親に縋っていたが、火の粉が防空頭巾に焼け移って消せない状態になっている女の子。炎に囲まれて逃げられない女の子が熱い熱いと泣いている。
みんなさっきの子たちだ。
気付いた春子は、走りながら涙が止まらなくなった。
昼間まで一緒に花いちもんめをしていたのだ。
ごめん。
春子は走り続けた。
炎に包まれ、どっちがどっちだか分からなくなって立ち止まった。キヨミちゃんは「もうだめ」と泣き喚いた。
春子は肩で息をし、咳き込んだ。出口はあるはずだけれど、この炎に取り残されたらこのまま死ぬ気がする。
思い付いて、春子はポケットの中を探って取り出した。前に龍の子供を助けたときに手元に残ったもの。透明で、キラキラした光の粒子が舞う、龍の鱗だ。
人間のことなんて関係ないくらい打ち破る理不尽があるのなら、この状況も大自然の力でぶった切って春子とキヨミちゃんを助けやがれ!!!
ぶち切れ気味に念じて龍の鱗を炎の中に投じた。
すると、光る鱗が炎の中で白い光の龍に変化した。蛇のような身をくねらせて、春子とキヨミちゃんの背後に回る。
龍が側を通ると涼しかったので、流石雪山出身と春子が思っていると、龍が春子とキヨミちゃんをひょいと背に乗せ、ぐわっと風のように、超特急で炎を切り裂いて飛んだ。
キヨミちゃんは泣きじゃくっていたので意味が分からないらしく、恐怖のために目を固く閉じて春子にしがみついていた。
春子は龍の背にしっかり掴まり、炎が分かれて光の歪みが迫るのを睨みつけた。
シュバッ
春子とキヨミちゃんが図書室の窓から飛び出し、その場にドシンと尻もちをついた。
春子は自分たちを乱暴に落した白い龍が空に登って行くのを眺めた。やっぱり大自然は腹が立つこともあるけれど偉大だ。
と、春子は自分の身が一切傷付いていないことに気付き、それと同時に目を点にしているクラスメイトの女の子たちが顔を揃えて、春子とガタガタと震えて春子にしがみついているキヨミちゃんを見下ろしているのに気が付いた。
「は」
春子は身構えた。
「春子ちゃーん!!!春子ちゃんまで消えちゃったからどうしようかと思ったー思ったーよかったー!!!」
普段大して仲の良くない子にそう言われて抱きつかれたので春子はなんとも言えない気分になった。
でも、とりあえず、戻って来れたのだ。抱きつかれてようやくほっとする。
口々に大丈夫か、と訊ねる女の子たちにうんうんと頷き、まだ泣いているキヨミちゃんに春子は囁いた。
「あの子たちを呼んだのはキヨミちゃんだよ。霊が視えるキヨミだって、お祓いできるって言ってたから、そういうのが来たんだよ。あんまりそういうのしない方がいいと思うな」
キヨミちゃんはびっくりしたような顔をしたが、すぐに何度も頷いた。主語がなくてもどういうことを言っているのか分かったらしい。
「は、春子ちゃんは一体何なの?」
春子は乾いた笑い声を上げ、げんなりした表情で言った。
「わたしも二度とああいうことにはなりたくない人間だよ」
女の子が二人、腰が抜けたキヨミちゃんのことを立ち上がらせて支えた。何故かニコニコ笑っている。春子にも手が差し伸べられたが、断って自分で立ち上がった。
まだ昼休みは終わってないらしい。校舎の時計を確認し、図書室に本を置いてきたことを思い出した。
図書室の窓を一度確認したが、歪みはなくなっている。窓の向こうの机の上に、本がそのままになっているのが見えた。
取りに行かなきゃ。先に行こうとした春子だったが、カレンちゃんが腕をとって引き止めた。
「待って、春子ちゃん。事情を説明してよ」
春子は首を傾げた。
「事情って?」
「みんな心配していたんだよ。どうしてああなったのか、何があったのか、教えてもらわないと。キヨミちゃんもあんな状態だし、春子ちゃんが話してくれないと分からないよ」
春子は大いに驚いた。あんなわけの分からないことを、しかもとても恐ろしいことを、わざわざ話して聞かせてほしいのか。
みんな、何故かニコニコ笑っている。春子はカレンちゃんをじっと見つめた。カレンちゃんもじっと見つめてくる。真剣なように見えた。
何も言わない春子に焦れて、カレンちゃんが言った。
「ねぇ、結局タタリなの?何だったの?教えてよ」
春子はカレンちゃんの手を振り払った。
「知ってどうしたいの?それでまた噂でもしたいの?また誰か連れて行かれてもいいの?」
カレンちゃんはびっくりしたような顔をした。クラスメイトの女の子数人も、ぎょっとした表情をしている。
一人の女の子が怒ったように言った。
「そうじゃなくて、みんなキヨミちゃんと春子ちゃんが心配だったんだよ!」
「それはどうも!だけどタタリなの?って絶対それ心配なのと関係ないじゃん!」
カレンちゃんは無表情になる。周りの子はひるんだように口を噤んだ。
「キヨミちゃんはあんなボーゼンとするくらい怖かったんだよ。自分でそうなるようにしちゃったんだけど、みんなで霊とかそういうのをおちょくって、簡単に消えるものだと思って考えていたから、キヨミちゃんももっとみんなが喜ぶように演じていたんだよ、多分」
キヨミちゃんがそう言っていたわけではないし本当はどうだかよく知らないが、口からデマカセでも春子は何か怒りを表現せずにいられなかった。
何が「霊が視える」だ。「除霊」だ。
おじいちゃんが「よく分からないのに首を突っ込むな」と言っていたのが、よく分かる。
「霊だのなんだのってタタリって憎しみとか悲しみとかで起こることでしょ?!よく分からないけど!それをおちょくって遊んで関係ない人も不安にさせたりして、分からないのに分かったフリして」
春子はぎゅっと拳を握った。
あの子たちは、みんな死んだのだ。誰にも気付かれないまま、炎に巻かれて苦しむままに、死んだのだ。
「春子も死ぬかと思ったわ!誰が死んじゃった人を面白がる人に大変だったことを話すか!暫く黙ってな!」
カレンちゃんも、キヨミちゃんも、全員青い顔をしてこちらを見ていた。
春子はクラスメイトの女の子たちを押し退け、憤然として校舎に入って行った。廊下をずんずんと歩く。モヤモヤする。一体何なんだ。腹立つ!
しかし歩いて行くうちに、春子はクラスの女の子ほぼ全員に啖呵切ったことに気付いて、段々気分が沈んできた。どうしよう。クラスに戻るのが怖い。
寒気もしてきた。図書室の元いた席に戻ると、本はそのまま置いてあった。ファンタジックな美麗な表紙を眺め、なんとなく心安らかな気持ちになった。面白い物語と、ルミカちゃんを思い出すのだ。
教室に戻ろう、と思ったとき、はたと気付いた。
わたし、さっきから誰かに見られている気がする。
おそるおそる、振り返ると―――――焼けただれ、血と煤まみれの、恐ろしい姿をした女の子五人組が並んで、春子のことを静かに見つめていた。
どうしよう。どうしよう。
クラスでどう振る舞おうとかそんな悩みは吹き飛んでしまった。
女の子たちは春子にずっとついてきた。
薄ら寒い気持ちがするけれど、どうにかしないとならない。見た目は恐ろしいが禍々しい気は感じないし、敵意もないらしい。キヨミちゃんの時とは違い、一定の距離を保って全員でついてくる。行き場所がないからついてきているのだろう、と思った。
しかし、春子は授業中も穏やかでない気分で過ごした。
一人は真っ黒焦げである。一人は肩が潰れている。一人は顔半分が潰れ、一人は首から上が骨と眼球だけである。
そして、ミチヨ、と名乗っていた女の子は、あの煤けた姿である。
無残な姿が怖くて仕方がない。しかし、今度は春子が呼び込んでしまったものだし、同情もしていた。家に帰ったら、雷が落ちるのを覚悟で、おじいちゃんに助言を乞おう、と春子は決めた。
びくびくしながら授業時間を過ごし、下校時間になった瞬間、春子はランドセルと帽子を掴んで、下駄箱に急いだ。
下校の喧騒に紛れつつ、春子は靴を履き替えながら女の子に小声で尋ねた。
「どうしてついてくるの?」
ミチヨが答えた。
「キヨミちゃん、知らない?」
春子は考え、彼女が言うキヨミちゃんが、春子が知っているキヨミちゃんとは別人なのだろうことに思い当った。
「ううん、知らない」
「どうなったのか、分からないから、さがしていたの」
なるほど。探し人か。
春子はようやくキヨミちゃんにミチヨが憑いていたのか理解できた気がした。キヨミ、と名乗ったことに反応していたのだ。
しかし、ややこしいことになった、と春子は自分の行動を後悔した。人探しすることになったら、大変である。どんな労力がかかるか分からない。その間ずっと彼女たちがついてくるかも知れない。
過ぎたことを後悔しても、仕方ない。
すぐさま家に帰って、おじいちゃんに会おう。
靴を履いて昇降口に向かおうとしたとき。
「春子ちゃん」
うわぁ。
春子はげんなりした。
振り向くと、案の定、帰り支度を済ませたユキノちゃんが立っていた。
「なんか昼休みにカレンちゃんとケンカしたらしいじゃん?何言ったの?」
「わたしに話しかけないでって言ったけど」
すげなく返す春子の腕を、ユキノちゃんは馴れなれしくとる。
「カレンちゃんと対立する者同士、仲良くしようよ?別にこの間のこととか気にしないからさ」
春子はのけ反った。どういう思考構造をしているのかよく分からない。
にこにこ笑うユキノちゃんを見ていた春子は、震える声で訊ねた。
「あの、それ本気で言っているの?」
「え?うん」
激昂するよりも、呆れて言ってしまった。
「わたしがユキノちゃんと仲良くしたいと思うのは何で?」
「だってさ、春子ちゃん一人じゃん。ルミカちゃんもいなくなってさびしいと思って」
「ルミカちゃんがいないのはさびしいよ。でもそれはユキノちゃんと仲良くしたいと思うかどうかって全然関係ないよ。何でいつも見下した感じで話しかけてきて、いちいち嫌味言ってくるユキノちゃんと仲良くしたいの?そんなの嫌だよ」
ユキノちゃんはショックを受けたような顔をした。思いも寄らない言葉だったようだ。
春子は罪悪感と怒りでイヤな気持ちになりながら、力の抜けたユキノちゃんの手をほどいた。
「別にそんなつもりじゃなかった」
「わたし、何度も怒ったし、傷付いたし、イヤだったよ」
背を向けて帰ろうと歩き始めた春子に、ユキノちゃんが声を上げた。
「仲良くしたかっただけだもん!」
春子は振り返らず、足早に下駄箱を通り過ぎて校舎を出た。
仲良くしたかっただけ?
どういうことだろう。
春子は悶々として下校路を歩いた。嫌味で鬱陶しいばかりのユキノちゃんの言葉に、春子は動揺していた。仲良くしたいなんて、嫌なことであるはずなのに、なんだかユイノちゃんのこれまでの行動を理解できた気がして、切ないのだ。
春子は溜め息を吐いた。人というものはよく分からない。
すり寄ってきて、嫌味を言って、人より上に立とうとする。それがユキノちゃんの「仲良くなる方法」だったのかも知れない。
悩ましい思いを抱えつつも、春子は忘れていない。背後霊が五人ついてきているのだ。
晴れた空に、白い壁の住宅街。ゴツゴツした黒いアスファルトの道。濃い黄色のヤマブキが咲く。白い車が左手から出てきて、春子のそばを通り過ぎた。
こういう町を見て、あの五人の女の子たちは何を思うのだろう。
やがて、公園の前に差しかかった。
帰路を急いでいた春子の足を止めさせたのは、公園のベンチに佇む白い影だ。
春子は迷った。家に早く帰って、大塚さんの所在を知らせて母に任せるべきか。それともこの間のように、自分が大塚さんを送るべきか。
早く帰っておじいちゃんに助言を乞いたいところだが、自分が家に帰ってしまえば、その間にどこかに大塚さんが行ってしまうかも知れないし、家族が探しているかも知れない。
振り返ると、恐ろしい姿をした五人が静かにこちらを見ている。
春子はしょぼんと座る大塚さんを見定めて、向かった。あの子たちはおばあちゃんに憑りついたりしないだろうか、と少し思ったが、大塚さんを放っておけるわけがない。
「ちょっと先にこっち寄るから」
一応背後霊に呼びかけて、大塚さんに声をかけようと近付いたそのとき、背後から声が上がった。
「キヨミちゃんだ!」
大塚さんに声を掛けようとした春子の声が、引っ込んだ。
大塚さんは不思議そうに春子を見た。
「今、私の名前を呼びました?」
春子が驚きで何も答えられないでいる間にも次々と女の子たちの声が重なった。
「キヨミちゃんだ」
「髪の毛、真っ白だね」
「無事だったんだ。ずっと来ないから、どこかで迷っているのかと思った」
「子供もいるね、きっと」
「孫もいるね」
「どこも怪我をしていないよ。よかった」
声だけ、その気配と共に、空中を走り回って、大塚さんと春子の周りをぐるぐる巡っているようだった。
暫くはしゃいでいた声が、一人、言った。
「もうこんなに時間が経ってたんだね」
その言葉を最後に、すべての声がふっと消えた。
静かな公園に、春子は呆気にとられて立ち尽くした。
大塚さんは首を傾げている。春子はおそるおそる周囲を見回し、背後に目を向けた。誰もいない。
大塚さんは春子に訊ねた。
「今、女の子たちの声が聞こえたわ」
春子ははっとして、大塚さんを見た。
「ええ」
目をぱちぱちさせて、大塚さんは気が付いたように頷いた。
「ああ、遠野さんのところの春子ちゃんじゃない。いやだわ、わたし、ぼんやりしていたみたい」
帰ろうとする大塚さんに、春子は慌てて手を差し出した。
「一緒に帰りませんか」
「あら、それは助かりますわ」
大塚さんと春子は一緒に帰り道を歩いた。ゆっくり歩調を合わせながら、春子は慎重に訊ねた。
「大塚さんは、下の名前がキヨミさんというんですか?」
大塚さんはにっこり微笑んだ。
「ええ、清く美しいと書いて、大塚清美といいます」
胸が詰まって、春子は何も言えなくなった。
そうか。そうだったのか。
生きていたんだ。
「いい、晴れた日ね。だけど、五月のこんな日には、必ず思い出してしまうの。空襲で焼けてしまって、疎開して、帰ってきたときに会えると信じていた友達がいたの。でもね、行方が分からないのよ、今も」
ひらひらと紋白蝶が飛んできて、横切る。
大塚さんは少女のように口ずさんだ。
地獄 極楽 閻魔さんがこわい
針の山へ 飛んでゆけ
「いくら探しても、分からなかった。いつまでも信じられないの」
大塚さんの目はぼんやりとしている。
「さっき、友達の声が聞こえた気がしていたわ」
春子は思わず言ってしまった。
「フサコさんも、ミチヨさんも、ナオコさんも、ヨシエさんも、チヨコさんも、大塚さんをずっと探していました。さっきいたんです。ようやくほっとしていたみたいでした。よかったねって。大塚さんが生きていてよかったって。もう、こんなに時間が経っていたんだねって」
大塚さんは驚いたように春子を見た。まぁ、と呟いて、自分の頬を押さえた。
「さっきの、ほんとうだったの」
「はい」
「みんな、死んだのね」
「・・・はい」
「空襲で」
「・・・はい」
大塚さんは少し黙った。春子はゆっくり歩き続けながら、この沈黙が怖いと思った。
大塚さんを傷付けてしまったかも知れない、と思った。
やがて、大塚さんは言った。
「そうなの。先にみんなで遊んでいるのかしら。わたし、これでようやく泣けるわ」
春子は嗚咽を漏らす大塚さんを支えながら、歩調を合わせて、歩き続けた。
七月のある日、春子はルミカちゃんに手紙を書いた。
ルミカちゃんへ
この間はメールをありがとう。ルミカちゃんの好きそうなバラの香りつきレターセットを買ったので、手紙で返信してみることにしました。
こちらでは色々ありました。最近カレンちゃんとまた話すようになりました。でも心外なのは「春子ちゃんって意外とおこりんぼうだったのね」と言われるようになったことです。どういうことでしょうか。ルミカちゃんならわたしがおこりんぼうじゃないことを分かってくれると思います。それから、気持ちに変化があったみたいで、今度マキちゃんと話をしてみると言っています。何を話すのかは分かりません。
あと、ユキノちゃんとキヨミちゃんと最近よく喋るようになりました。ユキノちゃんは失礼なことを言ってくるので結構怒ることがあります。キヨミちゃんは意外と妖精の物語とか読んでいて、話が合うことが分かりました。今度本を貸してくれるそうです。ルミカちゃんはO.R.メリングを知っていますか。おもしろいですよ。ルミカちゃんのオススメがあったら、今度教えて下さい。
わたしもルミカちゃんと会いたくなるときがあります。例えば、ユキノちゃんにうんざりしたとき。高橋君にバカって言われたとき。思ってもないことを言われたとき。ルミカちゃんがいたら、って思う時がたくさんあります。
でも、現実にはいません。だから、春子はルミカちゃんを思い出すだけになります。あるていど思い出したら、春子は頑張ることにしています。春子のことを分かってくれている人が、遠くてもいることを思えば、なんだか元気になれるのです。
転校先は色々大変そうですが、春子は応援しています。ルミカちゃんと同じ中学校で会えるのを楽しみにしています。
それから夏休みお泊りに行くときはよろしくお願いします。楽しみです。星を一緒に見ようね。
それではまた今度。
遠野春子
春子はこの手紙を出しに、駅の近くの郵便局に行こうと出かけた。
夏っぽくなった日差しが眩しく、春子は麦藁帽子を被って行くことにした。今年の夏は暑くなるぞ、と思った。
郵便局に行くついでに、アイスを買うお金を預かっているので、ウキウキしている。お兄ちゃんはバニラ、お母さんはチョコミント、お父さんはコーヒー味である。おじいちゃんは抹茶味が好きだ。
あの日、春子が帰宅して包み隠さずおじいちゃんに大塚さんと五人の霊について報告すると、案の定こっぴどく叱られた。おじいちゃんの言葉を守らず、首を突っ込んだからだ。
それでも、あのまま放っておけばキヨミちゃんは死んでいたであろう、とおじいちゃんは言った。春子とキヨミちゃんが入り込んだ世界は、多分自分たちは生きていると錯覚してしまった霊たちの記憶の中で、その追体験をしてしまったのだろう、と。いつまでも出られなかったら、現実ではないことでも、衰弱してしまったかも知れない、とおじいちゃんは言った。
龍の借りをその時使ってしまったのも、勿体ないと言われたけれど、おじいちゃんは兎に角春子が無事で良かったと、それを強調した。
おぬしも自立したのう。
最終的には、ぷくぷくと笑われた。
なんとなく、嬉しいような、怖いような気が春子はした。
住宅街を通り過ぎ、商店街に差しかかる。往来は光に包まれている。午後の日差しは人々の影を長くして、地面にもう一つの喧騒を出現させた。
この道の下にも、人が生きたり、死んだりした歴史があるのかも知れない。
春子はふと、最近大塚さんの話を聞かないのを思い出した。あちこち出歩いていないのだろう。元気だろうか。
ひらり、ふらり、ふわり。大きな揚羽蝶が、春子のそばを飛んでいる。
駅に近付き、踏切で遮断機が下りてきたから、足を止めた。踏切の向こう側に、空き地になっている土地がある。遠目からも草がぼうぼうだ。廃墟アパートがあったところらしいが、忍び込む小学生がいるからと所有者が遂に取り壊したのだという。春子は結局どんな場所なのか一度も見ることがなかった。
電車が過ぎるのを待ちながら、春子は郵便局の歌があることを思い出した。縄跳びを飛びながら歌う歌だ。
郵便屋さんの落し物
拾ってあげましょ 一枚 二枚 三枚・・・
誰か別の女の子の声が重なった気がした。
ふと、春子は土の道がずっと続く、木造家屋の商店街が目の前に伸びているのに気が付いた。
往来は賑やかである。買物の籠を持った女の人、天秤棒を担いでいる行商人が声を張り上げる。奥さん方の井戸端会議が始まり、大人の男の人が議論をしながら歩き、猫がにゃあ、と鳴く。
四枚 五枚 六枚 七枚 八枚 九枚 十枚
ぼんやり見ていると、すぐ側をおさげの女の子が駆けて行った。
春子はその横顔を知っている気がした。
線路の向こうでは、スカートを履いた女の子たちが、笑顔で彼女を待っている。
合流すると、みんな笑い合って、声を合わせて振り向いた。
あっりがっとさんっ!
女の子たちが手を繋いで笑い声を上げながら駆け抜けていく背中姿を、ホームを走り抜ける電車が掻き消した。
八月十五日までに、書き上げて、掲載したかった作品です。




