22 ただそこにいる
ブログ掲載*二〇一二年十一月三日
テーマ*読書
『シリーズ表集4 華 春子と不思議な物語 四年生、春と夏』という紙媒体に収録しています。
2012.11.18発行
頭でっかち。UFOみたいな形をしている。
愕然として春子が見つめる先には、おじいさんがいた。
リビングとダイニングの間に位置する縁側は、春子の祖父の特等席であるはずだ。
しかし、帰宅した春子の目に飛び込んできたのは、着物を着た、頭でっかちなおじいさんが、祖父の定位置に座して読書している背中姿であった。
さて、念の為、祖父とその老人の背中姿をめぐる相違点を確認しておこう。
祖父の頭は丸く、白髪を短く刈っており、耳はやや尖っていてただ者ではない様子を醸している。その老人の頭はUFOのように後頭部が張り出しており、毛の生えていない頭は皺だらけで、アンバランスさと相まって異様である。
祖父の背中は丸くなっており、近頃は寒くなってきたので草色のカーディガンを着るようになった。老人の背中は頭でっかちのわりに定規を当てたみたいに真っ直ぐで、緑がかった焦げ茶色の着物を着ている。
祖父は縁側にいるとき、日向でのんびりしているだけで、ほぼ何もしない。老人は何やら表紙がカラーのA五版の本を手にして読んでいるようである。
とどのつまり、春子の家の縁側に、祖父とは別人である異様な人物が当然のように座して読書しているのである。
金木犀香る夕方の縁側に、それは秋らしい読書風景であるが、いかんせんその老人は怪しかった。
ランドセルを背負ったまま、硬直してかの人物を眺めていた春子は、我に返ってゆっくりダイニングに移動した。縁側の人物から、目を離さず。
ダイニングのテーブルで紅玉の皮むきをしている母の側に寄る。
「春子、ランドセル置いてきたら。暇なら手伝って」
「お母さん、えんがわの変な人、だれ」
「おじいちやんは変な人だけど変な人って言っちゃ駄目でしょ」
話が通じない。
春子は悟っている。こういうときの母は、縁側に誰かいる状態を、〝いつも通り〟だと自分の中で修正してしまっている。つまり、おじいちゃんがいる状態だと認識しているのである。
そもそも、母の柳は、おかしなものや不思議なものを引き寄せる性質があるのに、人間の意識を脅かす異常なものを排斥する、人間的感覚に長けている。
あの奇妙な老人が縁側にいる状態を、母が「おじいちゃんがいる状態」と捉えているなら、あの老人は「何かいるもの」程度の存在感で縁側に座っていて、母は自分の都合に良い解釈を優先させている、ということなのだろう。
それを明確に、論理的に春子は理解していたわけではないが、とりあえず母が〝いつも通り〟と捉えているのだとしたら、母は断固として〝いつも通り〟を押し通すだろう。
春子は「脱妖怪」の孫という、異色の出自を持つ。
そのため、不思議な現象やおかしなものによく遭遇する。
春子はげんなりした。
一体何だか分からないが、とりあえず、春子があの老人を見ているしかない。
祖父は一体何処に行ったのだろう。祖父がいれば、ああいう変なやつが堂々と縁側で読書している、ということはない。
春子はリビングのソファを陣地にして、偵察態勢に入った。祖父も出かけることはあるだろうが、あんな変てこな老人が祖父の代わりにいるのは初めてである。気もそぞろで林檎の皮むきなどやってられない。
母は手伝いもしない春子に呆れ、台所に一人で戻ってしまった。アップルパイを作るのだそうだ。
春子は祖父のいぬ間にあの老人が何かしでかさないよう、見張ってなければならない、と気合を入れた。何かしたらただじゃおかないぞ、と眼力に念を込めて。
頭でっかちな老人は、時折ページを繰り、安穏と縁側に佇んでいる。
それから、三時間が経った。春子はその間に、トイレに立った。自分の部屋から龍の鱗をお守りに持ってきた。武器になるものと思い、父の部屋からブリタニカ百科事典の分厚い一冊を持ってきた。オレンジジュースも飲んだ。パイが焼ける香ばしくて甘酸っぱい匂いをかいだ。
母は夕食の下ごしらえをし始めた。
外は暮れて来て、縁側は薄暗くなってきた。
頭でっかちな老人は、未だそこで、読書していた。
これだけ何もないと、飽きがくるというものである。
春子は退屈して欠伸をしていた。無論、かの老人から目を離しはしないが、かれこれ三時間、何の動きもなかった。
かの老人は相変わらず、読書をしている。春子は一体あの老人が何の為にうちにいるのか、不可解に思った。変なやつには違いないが、やっていることは妙に人間臭く、そして堂々としている。しかし、春子宅の縁側でわざわざ読書して、長時間居座ってはいるが、何の接触もなく、騒ぎも起こさない。ただ勝手にそこにいるだけ。何がしたいのかさっぱり分からない。
変なやつの行動動機なんて、春子に分かるわけがないけれど。
頭でっかちな老人は、本のページを繰る。
春子はソファの背もたれに寄りかかって、欠伸をする。
台所から、包丁を使う音が聞こえてくる。
やがて帰宅した人物は、祖父ではなく兄の実であった。
部活帰りで、大きなスポーツバッグを肩にかけた兄がリビングに現れるや、春子は訴えるような目線を兄に送った。実は台所にいる母に声をかけ、二、三言葉を交わして、自分の部屋に行こうとした。
廊下に向かおうとした実は、ただならぬ視線を向けてくる妹に目を留めて、溜め息を吐いて立ち止まった。
「ただいま」
「む」
「何だその目は」
「えんがわに変なのがいる」
実は多少ショックを受けた。妹が祖父を「変なの」呼ばわりする日が来るとは。
「春子」
「む」
「おじいちゃんは変だけど、おじいちゃんなんだぞ」
「む?」
「変なの、なんて言ったら駄目だ」
途端に、春子の目線が悲しみと非難を訴えるようなものになったので、実は慄いた。
「何故そんな目で俺を見る」
「ちゃんと見た?」
「何を」
「えんがわ」
「だからおじいちゃんがいるんだろうが」
「よく見て。頭でっかちなおじいさんがいるの」
実はすごく面倒臭そうな顔をして、しぶしぶ縁側に目を向けた。
縁側には人影があった。老人らしき人物だった。頭でっかちなその姿は、アンバランスな雰囲気で異様だった。
かの老人は、当然のようにそこに座して、本のページを繰りつつ佇んでいた。
実は暫く、ぼんやりそれを眺め、徐々に叫び出しそうな顔になって、春子を振り返った。
「何だあいつ!」
声は控え目だった。
「で、三時からあいつはずっと縁側にいるのか」
「む」
分かってもらえて嬉しい春子は、得意な気持ちで重々しく頷いた。
春子と実はソファの背を盾に並んで座り、縁側のかの老人を見張った。実は祖父がいるものと思っていた縁側に全く別人が座っていたことにかなりショックを受けており、いつもはクールな面立ちを引きつらせて、縁側を注視していた。
「で、何かされたのか」
「ううん」
「は?」
「ずっとああしてるだけ」
「何もしないのか?!」
「む」
「普通何かしてくるもんだろ!」
実は悲痛な声を上げたが、妖怪に普通も何もあったものではない。
「よく分からないの」
「実害はない、かぁ。でも」
何もしないが、変なものが勝手にずっと自宅にいるというのも不気味なものである。
いい加減、外も暗くなってきた。いつまでもここにいられても困る。
「何とか追い出せないのか」
「分かんない」
「どうにかしよう。ああいうのって何が効くんだ」
「菊?」
「どうやってやっつけるんだってことだよ」
「分かんない」
「分かんないじゃねーよ!お前はいつもどうしてるんだよ!!」
「いつもは、そいつらがどうしたいのか考えて、代わりに何かあまり問題のないことをやってもらうように仕向けてる」
「・・・・・」
「だいあんっていうんだよね。でもあの人が何したいのか全然分からないから、今日はどうしようもないの」
うーん困ったとのんびり言う春子を、実は胡乱げに見下ろした。
「じゃ、その本は何だ」
春子はソファの背と自分の間に装備している事典に目を落し、ああ、と答えた。
「じしょ」
「それ何か意味あんのか」
「いざとなったら、これでぶつ」
「それでやっつけられんのか?」
「分かんない」
「分かんねーのかよ!!」
冷静さを欠いている兄の姿は珍しい。春子は少し感動して、実とは反対に段々落ち着いてきた。同じ出来事を共有している二人の人間がいるとすれば、片方が目に見えて慌てていたら、それを目の当たりにするもう片方の人物は逆に冷静になってくるものである。
苛々とした様子で考え込んでいた実が、はたと思い付いた顔をして、春子に訊いた。
「ああいうのって、魔除けって効くのか」
「まよけ?」
「例えば、破魔矢とか」
破魔矢とは、新年に縁起物として神社で販売している矢のことである。遠野家が購入した矢には「家内安全」という札がついていた。護りの力はありそうである。
春子は自分にはなかった発想を提供した兄に尊敬の目を向けた。
「もしかしたら、きくかもしれない」
妹からの尊敬の眼差しを、誇っていいのか分かりかねるという顔をして、実はとりあえず破魔矢を取りに行く、と言った。
破魔矢を置いている和室に向かう兄の背中を見送って、春子はやはり分かってくれる人がいるのは頼りになる、と実感した。自分だけでは考えつかないことを思い付いてくれる。その内、祖父も帰って来るだろう。きっと大丈夫だ。
春子がそうした楽観に浸り、縁側の監視に戻ろうとした、その時。
目の前を緑がかった焦げ茶色がゆらりと通り過ぎた。
視線の先の縁側の向こうには、真っ暗な庭があるだけで誰もいない。
首をぐるりと戻して、何かが通り過ぎた方向の廊下を見ると、薄暗い廊下に頭でっかちな着物姿の老人が歩いていた。
かの老人は歩く暗闇の先に、溶けるように消えた。
春子は老人が消えた後を、暫く凍り付いたように見ていたが、ふと自分が座るソファの空いているスペースに何かが置いてあるのに気が付いた。
カラー表紙の分厚いA五版の雑誌、『月刊妖怪研究 鳥山石燕特集』。
その本を誰が手にしていたのか、言うまでもない。
「き」
春子は久々に、驚いた。
「きいーーーーーーーーーーーあーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
「そいつはのう、ぬらりひょんというやつじゃのう」
ぐずり顔の春子を気の毒そうに眺めて、祖父は言った。
春子が叫び声を上げた直後、母は驚いて台所から飛び出してきた。しかし、何もないと分かるや否や、近所迷惑だと激怒した。
叫び声を聞いた兄も急いでリビングに戻ってきたが、怒られて泣き始めた春子を見て渋い顔をした。
しかし、直後に帰宅した祖父によって、騒動は打ち切られた。
「何を騒いでおるのじゃ」
ハンチング帽にジャケット姿という外出ルックの祖父は、いつもは瞼が被さっている目を丸くして仲裁に入った。
「まあ、あまりカリカリせんで。叫び声が何だというのじゃ」
「近所迷惑よ」
「もっとも。しかし春子は反省しておる」
母の柳はぐずる春子を見て、ふっと肩の力を抜いた。
「分かってるわ。春子、大きな声を上げないのよ」
「あい」
驚いたやら、理不尽やら、悔しいやら、母が怒るから怖いやらで春子はダメージを受けていたが、辛うじて頷いた。
柳はふと気付いた顔をして、祖父に訊ねた。
「あら?おじいちゃん、今日は出かけていたんでしたっけ?」
「おう、知己に会いに。古寺の古狸にな」
「もう、何言ってるのよ!」
訝しげにしていた母はぷりぷり怒って、まあいいわと勝手に納得して台所に戻って行った。
祖父は外出着を解いて、縁側のある窓際に泰然と腰を下ろした。春子と実はその側に二人して座り、今は誰もいない縁側で起こった出来事を代わる代わる話した。
祖父は、自分のいぬ間に不審なものが特等席を占めていたことについて、意外や目を丸くして感心を示した。
「ほう。あやつもまだ健在であったか。なるほどのう」
春子と実は顔を見合わせた。流石、齢も分からぬ大妖怪らしいコメントといえるが、あの老人と知り合いだったのだろうか。
実は胡乱げな視線を祖父に向けた。
「おじいちゃんの知り合い?」
「知り合いというほどのものでもないのう。存在を知っておるという程度じゃ」
「・・・・・」
「大方、わしがここにいるとも知らんでいたのじゃろう。いや知っておったのやもしれんの。分からん」
「意味が分からねぇ」
実は頭を抱えた。自分が矢を取りに行っている間に事は終結し、妹は悲劇的な目に遭い、しかもあの変な老人は祖父の知り合い、いや知り合いではないのか、何なのかよく分からないが祖父の知っている何かであるらしい。
妹の春子は祖父の話を聞くと、ケロッとして言った。
「そういうのがいるんだね」
その感覚もよく分からない。
祖父はぷくぷく笑って、二人の反応をおもしろげに見比べた。
「さよう、そういうものなのじゃ。何だかよく分からぬが、そこにいる。何処から来たのかも分からぬ。何から由来するのかも分からぬ。何が目的なのかも分からぬ。じゃが、確かにそこにいる。前触れもなく、やってくる。わしらもよく分からんやつじゃ。大方そういうのが好きなんじゃろ」
春子はなるほど、と頷いたが、実は渋い顔をして体を斜めに傾げた。不可解だという思いが身体の重心を傾けているらしい。
春子も、頷いてはいるものの、どこか釈然としない思いはある。無断で祖父の特等席に座って、無断で父の趣味の雑誌を持ち出して読破していくなんて、人を食っているとしか思えない。
そんなつもりもないのかも知れない。しかし、分からない。
「変なのがいるねぇ」
何もしないし実害はないけれど、できれば二度と遭遇したくない。
心底うんざりという声を出した春子に、祖父はぷくぷくと笑った。
「まあ、仕方ないやつなのじゃ」
かちゃり、かちゃりと食器を用意する音が、台所から聞こえてくる。そろそろ夕食の時間が近い。
祖父の、金の虹彩が刻まれた茶色い目が、ぎらりと光る。
「じゃが、捨ててはおけぬことをしてくれたのう」
祖父は縁側に出る硝子戸をカラカラと開けた。
暗い庭から金木犀の香りを含んだ空気がふわりと入ってきた。
「どこにでも、いることもある。知らぬうちに、いることもある。それだけのことに、人の心は過敏になるからのう」
祖父が暗闇に沈む縁側に、ふっと息を吹きかけると、金木犀の空気が風に巻き込まれて、夜の庭に吸い込まれていった。




