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春子と不思議な物語シリーズ  作者: 独蛇夏子
春子、四年生、春と夏
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21/29

20 夢中に咲いている

ブログ掲載*二〇一二年九月五日

テーマ*花火

『シリーズ表集4 華 春子と不思議な物語 四年生、春と夏』という紙媒体に収録しています。

2012.11.18発行

 カラン、コロン。

 下駄を鳴らしてまだ熱を帯びたアスファルトの道を歩むと、真っ直ぐ目の前に、神社の赤い鳥居がぱっくり口を開けていた。


 母が観光地で買ってきた線香花火は、桜色や柔らかな水色といった淡い色をしていて、丈夫な和紙で丁寧に作られたものだった。火薬で膨らむ先端の、そのもう一方は花の紙細工になっている。花火というか、芸術品。市販の花火よりずっしり重みがあって、風に吹かれても頼りがいある火の玉を作りそうに見えた。

 折角、夏なんだから、花火でもしたら?と母は兄の(みのる)に線香花火と市販の花火セットを差し出し、実は妹がその様子を食い入るように見ていた意図を汲んで、春子を「これやるか」とぶっきらぼうに誘った。

 花火はみんなでやるものと、実は春子に友人を誘うように指示して、自分もカズキやその他友人を誘って、ささやかな花火大会が広い空間がとれる神社で行われることになった。

 春子はその神社に、思い出がある。去年の夏休みの始まりに、初めて友達と一緒に夏祭りに出かけた、その神社なのだ。両側に並ぶ屋台や、ぽつりぽつりと連なる電球。色とりどりの浴衣、笑い声、拓けたところに櫓が組まれ、太鼓の音頭と、その周りをぐるりと取り巻いて盆踊りを踊る人々。明かりに映る影たち。林檎飴を拝借する毛むくじゃらの手。綿飴、杏子飴、鼈甲飴の制覇。水風船。怪しげな金魚。

 カレンちゃん、マキちゃん、ルミカちゃん。

 昨日のことのように思い出されるけれど、確実に遠い一年前の出来事。一年間て色んなことがある、と春子はしみじみ哀愁を感じながら、ルミカちゃんに電話をかけた。


 近所に出かける用の朱色の下駄を履いて、花火と蝋燭とマッチとバケツを兄と分けて持って、家を出たのは夕方だった。

 眩しい西日が空を覆って、もくもくと棚引く雲を柔らかな金色と暗い陰に染めている。茜色の向かいの空は藍色で、星がぽつりと光る。もうじき陽が暮れる時間だ。

 それでも鳥居をくぐると濃い緑から蝉時雨が降ってきた。

 夕暮れを圧して参道は暗く、奥に静かな社が佇む。深閑とした神社は、厳かだった。


 「最近暑いわね。春子ちゃんもボウシかぶんないとだめよ」


 ピンクの造花の花飾りをつけた麦藁帽子を被ったルミカちゃんが待ち受けていて、ルミカちゃんは座っていた神社の社からぴょこんと降りて、そう言った。

 これから夜である。


 春子は兄とその友人たちが開けた市販の花火セットに目もくれず、和紙の線香花火を手に取った。


 「母さんもよくこんなん買ってくるよな」


 実は呆れ顔だ。


 「花火なんて燃やしておしまいなのに」

 「へー、見た目も綺麗だな」

 「俺もやってみようかな」


 と、実の友人の一人が手を伸ばして、数本の線香花火を春子の手から取り上げた。

 む、とられた、と春子が不当感を訴えるように中学生たちを見上げると、その中の一人が不快げな顔をして友人から線香花火をひったくった。


 「よせよ。俺たちがこんなんやったら勿体ないだろ」


 小学校の頃から実の友人であるカズキだ。諭されて、中学生たちはあっけらかんと諦め、次々に、銀紙やつやつやした色紙の花火を手に取る。

 線香花火を取り返したカズキは春子に「ほら」と返すと、次々に手持ち花火に火を着け始める友人たちに加わった。感謝の念を以て彼の背中を春子は眺めたが、実はそんな春子に不安そうな顔を向けて言った。


 「春子、あいつはいいやつだけど、やめといた方がいいぞ」


 春子は兄が何を言っているのか、意味が分からなかった。


 「ねぇ春子ちゃん!」


 ルミカちゃんの弾けた声が飛んできて、春子と実は振り返って、同時にぎょっとした。


 「これやったらどうなるのかしら!」


 ワンピースに花飾りのついた麦藁帽子、色素の薄い色のふわふわした髪の毛の少女は、満面の笑みで『手で持ってやってはいけない』花火を握りしめて蝋燭の火に近付けようとしていた。


 夜闇が色濃くなってきた神社の境内に、電灯が点った。光の円を地面に投げかける。そこかしこにある電灯は境内を照らし、参道や、砂利や、灰色の社殿を浮かび上がらせた。砂利石の一粒一粒が重なり合う隙間は一層陰濃くなり、石畳の道は色褪せて凹凸が濡れているようにテラテラと光っている。

降ってくるようだった蝉の声はぴたりと止み、夜空を木々の黒い枝葉が覆った。夜空より、影の方が暗いのだ。

 少年たちの笑い声が火花のように弾けた。

 サッカー部の少年たちだから、手持ちの花火を振り回したり、ふざけて境内を周ったりと、アクティブに弾けまわる。実もいつものポーカーフェイスはどこへやら、楽しげに立ち回る。

 意外や、その中に混じってルミカちゃんも弾けて花火を振り回す。さきほどロケット花火を手にして満面の笑顔だったところを引き止められ、叱られたとは思えないほど楽しげだ。緑から赤、赤から黄へと色が変わる花火を手にして、中学一年生たちと駆け回る。

 ねっとり絡み付く暑さに、涼風が吹き始めて、境内の木々がざわめくのを聴きながら、春子は境内の気配に敏感になっていた。ざわめきは人為ならざるものから発せられる。必然、それに乗じて蠢き、活動し始めるものがいるもので、暗闇の空間に渡り合う「何か」の存在を春子は認めた。


 春子は「脱妖怪」の孫という、異色の出自をもつ。

 そのため、不思議な現象やおかしなものに遭遇することが多い。


 春子にとって世界は目の前ではしゃぎ回る兄やルミカちゃんや中学生たちや花火の火花や電灯の光だけではない。

 既にたくさんの燃えカス花火が突っ込まれている、水を張ったバケツに、春子は自分が手にしていた和紙の花火をすっと差し込む。試しに一本火を点けてみて、さきほど花火をやってみたところだった。

 しばし、しゃがんだまま、自分の足元の赤い鼻緒を見つめて考え込む。それから、またひとつ和紙の線香花火を抜き出して、春子はしげしげと観察した。

 影、光、どちらだろう。花火のせいだろうか。それとも場所が場所だからだろうか。

 兄たちが騒ぐ笑い声と足音と火花が散る音。

 夜の色と陰の色と木々のざわめき。

 火花に混じって弾ける火の玉たち、社や木々の陰から窺う視線たち。

 気配を探るが、それとはなんとなく、これは異なる気がする。

 じっとりした暑さに、汗が頬を伝う。

 春子は手にした線香花火の先っぽを見つめ、それから蝋燭の火にすっと垂らした。ちりちりと先端が燃えて火薬がオレンジ色の火の玉を作る。


 パチッ パチッ


 爆ぜる音を立てて、稲光を細くして集めたみたいな花火が金色に咲く。心なしか、大きめの火花を放つ。

 オレンジ色の火の玉は、安定して渦巻く。春子はそれを一ミリも動かさない、というように息を詰めて見つめる。

 ひとつ、ふたつといくつか爆ぜて、それから線香花火はその花火生命を振り絞るかのように大量の火花を散らした。松葉が次々に茂るように、もしくは、菊の大輪が次々に咲くかのように、次々と花火は展開する。

 その、ほのかに明るくなる線香花火の光に照らされて、黒い小さな影が映し出された。

 春子はそれに目を凝らす。影絵のように、花火が爆ぜるたび、それらの小さな人影は映し出され、線香花火の火花の周囲を回って、踊った。

 無数の小さな人影が、楽しげに踊り、回る。花火に照らされる瞬間に、それは夢のように現れる。花火の輪の周囲に球体の幕があるかのように、映し出される。

 走る者もいるし、笑う者もいる。踊る者もいれば、跳ねる者もいる。細い松葉のような金の火花が消える間もなく激しく爆ぜて、闇に光が投げかけられる一方、影たちが行き交う天球に流れる時間は、ゆるやかに見え、戯れ遊ぶ影たちの挙動ひとつひとつが物語のように展開されていた。

 春子は懸命にそれらを目で追う。あ、笑った。あ、回った。踊る姿は優美だ。いや、こちらは勇壮だ。

 影が影とぶつかり、痛そうにしている。片方が片方を起こすのを手伝い、一緒に走り回っている。考え込みながら歩いている影、なりふり構わず走る影、楽しげに鬼ごっこするように見える影たち。小さな人影たちはそれぞれの物語を映じている。

 やがて線香花火の勢いは鎮まっていく。オレンジ色の火玉は見る間に萎み、火花が細かい雨のように落ちる。光の輪も小さくなるから、影たちは萎み、それぞれの存在が小さくなる。


 やがて火花が止めば、影は闇に溶けて、オレンジ色の火玉は ぽとり と落ちる。

 闇が戻ってくる。

 オレンジ色に燻る、火玉の残骸を見つめて、春子は呆然とするのだ。

 何なのだろう?これは。

 燃え残った、和紙の芯を見つめる。

 それから、線香花火がまだあることを確認して、急いでもう一本、手に取る。

 もう一度、見たい。

 先端を蝋燭の火に垂らす。

 オレンジ色の火の玉が作られる。

 稲妻を細くして集めたみたいな火花が。そして激しく燃え始める。

 光の周囲に影たちがまた、映し出される。

 踊る。回る。走る。笑う。

 手を繋ぎ、一人悩みながら、楽しげに、悲しげに、暴走して、慰められて、恋をして、手を差し伸べられて、また立ち上がり、走り回る。

 小さな影たちは光の天球に映し出されて、目まぐるしく変転を見せる。ひとつ残らず、見逃せない気がするし、それでも両手に掬った水のように、とりこぼしてしまう感覚がある。

 春子は、次々に線香花火を蝋燭の火に垂らした。

 そのたび、小さな人影が映し出される球体スクリーンに没頭した。

 夢中になって、影たちの一挙一動を愉しんだ。影たちは喜び、楽しみ、悲しみ、苦しみ、満ち足りて、それでも儚く消えていった。


 何だろう、これは。

 春子は問いかける。自分は何を見ているのだろうか。

 妖怪だろうか。霊だろうか。仏だろうか。

 そのどれとも違う気がする。

 何故、見ていてこんなに、楽しいのだろう。

 夢中になってしまうのだろう。

 切ない気持ちになってしまうのだろう。

 花火が消えた瞬間、泣きたいような気持になってしまうのは、何故だろう。





                ぽとり。





 「あれ、全部やっちゃったの?」

 「春子ちゃんが持っているので最後の一本だね、それ」


 いつの間にか兄やルミカちゃんたちは、市販の大量の花火をやり終わっていたらしい。春子の周りに、みんなが集まって来ていた。

 春子ははっとした。ひたすら線香花火をやり続けていたから、気が付かなかった。ずっと線香花火だけ、ひたすらやっていたらしい。

 そして、春子が手にしている線香花火が、最後の一本だった。

 暗がりで、電灯と蝋燭の火だけに照らされている中、みんなの顔がこちらを向いている。実はしばらく春子の様子を観察して、それから怪訝な顔をした。


 「春子、泣いているのか?」


 春子はそこで初めて、自分の頬が涙で濡れているのに気がついた。取り囲む顔が、びっくりした表情になって見合わせ、春子に困り顔を向ける。


 「ごめんね、こっち夢中で、ほったらかしてた」

 「ううん、ちがうの」


 春子は手首で涙を拭いて、言った。


 「花火がすごくて、悲しかったり嬉しかったり」


 春子の発言に、みんなはぽかんとしたが、ただ一人、うんと頷いた。


 「感動したのか」

 「む」


 そうなのかも。

 うんうん、と頷いて、彼はみんなが納得するように言う。


 「花火に感動するとは感情豊かで変わった妹だ」


 完璧なポーカーフェイスで、実は言い切った。

 うんうん、と勝手に納得している実に押し切られるように、みんなもなんとなく、うんうんと首肯する。ルミカちゃんは「そうよね、春子ちゃんだものね」と絶妙なコメントでフォローする。


 「で?その最後の一本は使うのか?」


 春子は手にしていた線香花火を見て、それから兄を見つめて首を振った。


 「ううん。一本だけ、持って帰っていい?」

 「まあ、その花火が見れないのは残念だけど、うちのだし」

 「そんなに気に入ったなら、持って帰ればいいよ。別に俺ら充分やったから」


 実の言葉を継いで、カズキがニカッと笑って言った。


 「ありがとう、ございます」


 春子はそう言って、和紙の花飾りのついた線香花火を握り締めた。


 本当は、最後の一本を使おうとしていたところだった。

 だけど、火に近付ける瞬間、最後の一本を使ってしまって、影たちの戯れが、そこで終わってしまうのが怖くなった。

 花火が点いている間だけ、燃え尽きればそこで終わってしまう。一瞬の儚いもの。それでも、楽しげで、夢中になってしまうもの。

 何故、映し出されるそれらに、こんなに、胸がいっぱいになるのだろう。


 帰り、みんなと別れ、ルミカちゃんを自宅へ送り、兄妹だけになってから兄に自分が見たものを話すと、実は「ふぅん」と言って春子が手にしている線香花火をチラッと見た。


 「また母さんのわけの分からない魔法かな」

 「魔法なの?」

 「妖術?」

 「何だかわかんない」

 「うーん?それも何か違う気がする・・・。分かんないままでいいか」

 「む」


 それから春子は少し考えて、言った。


 「お母さんの何たらとは、ちょっとちがうと思う」

 「じゃあ何」

 「お母さんが買ってきたものだから、だろうけど。わたしもよくわかんない」


 実は深く深く、溜め息をついた。


 「そういうもの、ってやつか」

 「ん、そういうもの」


 もう一度、実は深く溜め息をついた。

 夜道を歩く。ぽつりぽつりと等間隔に、電灯に照らされた住宅街の路は暗い。春子は一本の線香花火と蝋燭とマッチを持ち、実は大量の花火の燃えカスが突っ込まれたバケツをぶら下げて、歩く。

 カラン、コロン。

 春子の下駄の音も響く。まだ夜は暑いが、昼間の熱はもうアスファルトには残っていないらしい。


 「ひとつひとつがね、物語みたいだった」


 ぽつりと春子は言った。


 「ぜんぶは、見きれないんだけど」


 実は黙って、春子を見つめて話を聞いていた。

 春子は住宅街の真っ直ぐの路の先が、何処までも暗く、そして何処までもぽつりぽつりと光が続いているのを見据えて、言った。


 「ぜんぶ大事なものみたい、って思った」


 一輪の花のように、線香花火は春子の手に握られている。

それはきっと、名も知れない魂たちの物語。

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