66 紅葉の結婚
その日の夕方、紅葉が私を訪ねてきた。
結城に呼ばれて西棟の入り口で待っている紅葉に会うと紅葉はどこか嬉しそうな顔だ。
何かあったのかしら。
「紅葉。何かあったの?」
「うん。ちょっとね。話がしたいんだけど…」
「分かったわ。中庭でいい?」
「うん」
私と紅葉は中庭の東屋の所まで歩いて行った。
東屋には長椅子があるのでそこに二人で座ると紅葉が話を始める。
「実はね。私、三日後に魔公爵邸を辞めて実家に帰ることになったの」
「え? 実家に?」
「ええ。私、結婚することになったのよ」
「ええっ!」
私は思わず大きな声を上げてしまった。
「シー! 静かにして。声が大きいわよ」
「ご、ごめんなさい。それで相手は?」
紅葉はサイラス侯爵家の怜王様と恋仲だったはずだ。
もしかして実家の両親がそのことを知らず縁談をまとめてしまったのだろうか。
私はそう考えたが紅葉は嬉しそうな顔だ。
嫌な縁談を受けなければならない表情ではない。
まさか、紅葉の結婚相手って。
私が疑問を口にする前に紅葉が先にお相手の名前を口にした。
「お相手は怜王様なの」
「怜王様ってあのサイラス侯爵家の怜王様? 本当に?」
「そうよ。他にどこの怜王様がいるのよ。怜王様が正式に私の実家に私と結婚したいって申し込んでくれたの」
「それで紅葉は結婚のために退職するのね」
「ええ」
あの怜王様なら紅葉を大切にしてくれそうだ。
サイラス侯爵家の跡継ぎでありながら男爵令嬢の紅葉を妻に迎えるなんてやるじゃない。
それだけ紅葉のことが好きだったのね。
でも私はそこでふと新たな疑問が起こる。
怜王様の両親が跡継ぎの嫁に男爵令嬢を無条件で認めるだろうか。
「あの、紅葉。言いにくいんだけど、怜王様は紅葉を正妻に迎えてくれるのよね?」
私は確かめずにはいられなかった。
高位貴族は正妻の他に妾を持つこともある。
怜王に会った時には相手も真剣に紅葉のことを考えているとは言っていたが本人はそういう想いでも両親に反対されて「妾なら」と承諾された可能性も否定できない。
「当たり前でしょう。私は妾でもなくちゃんとした正妻に迎えられるのよ」
紅葉は私の心配したことが分かったみたいで笑って答えた。
「そう。でもよく怜王様のご両親が賛成したわね」
「それは……ちょっと言いにくいんだけど、真雪のおかげなのよね」
「私?」
なんでそこで私が出てくるのかしら。
「真雪が魔公爵様の寵愛を受けてる女性ってことはかなり広まっているらしくて私が真雪の友人だと言って怜王様はご両親を説得されたのよ」
なるほど。それで分かったわ。
怜王様の両親は紅葉を通して魔公爵の寵愛を受けている私に近付き最終的には烈牙様との縁を結びたいのだ。
高位貴族が考えそうなことね。
「真雪には申し訳なかったんだけど私の恋を叶えるにはその噂を利用するしかなかったの。ごめんなさい」
ペコリと紅葉は私に頭を下げて謝る。
「真実は噂とは違うけどそれで紅葉の恋が実るなら私はかまわないわ。ただ、私が寵愛を受けていないと分かったら破談になるんじゃないの?」
「怜王様もそれを考えて正式に結婚してしまえば離婚は侯爵家の恥になるから既成事実を作ってしまえばいいって言って二週間後に結婚することになったの」
「二週間後? それは早急ね」
でも二週間後に紅葉が怜王様と正式に結婚してしまえば三週間後に開かれる舞踏会の後で私が烈牙様にフラれても紅葉に影響は出ない。
もちろん肩身の狭い思いはするかもだがきっと怜王様が守ってくださるに違いない。
「分かったわ。私も紅葉は私の親友だって魔公爵様に話しておくわ」
「ありがとう。真雪。私、真雪と出会えて良かったわ」
「私の方こそ紅葉と出会えて良かったわ。今までいろいろありがとう」
「うん。私、真雪の恋が実ること祈ってるわね」
「ありがとう。紅葉」
私たちは中庭を出てそれぞれの職場に帰って行く。
それにしても紅葉の恋が実るとは正直思っていなかった。
私の恋も実るといいわね。
望みは薄いかもだけど……
紅葉の結婚報告を受けた日の夜。
私はかなりの上機嫌で烈牙様に夜のお酒を運んだ。
「なんか嬉しいことでもあったのか?」
烈牙様にそう訊かれて私は自分が随分と浮かれていたことに気付いた。
紅葉の恋が実ったことが自分自身のように嬉しくてしかたなかったのだ。
「はい。実は私の友人が結婚することになったんです」
「ほお、そうなのか?」
「はい。以前お話したサイラス侯爵家の怜王様がお相手です」
「怜王が?」
「私の友人は男爵令嬢だったので侯爵家の怜王様と結婚できるか不安だったんですがこの度結婚が決まったと言ってました」
「よくサイラス侯爵夫妻が許したものだな」
私はそこまで話して紅葉の言葉を思い出す。
紅葉は私が烈牙様に囲われている女性でその友人という理由で結婚が承諾されたと言っていた。
このことはきちんと烈牙様に話さないといけないわね。
「あの、烈牙様。大変申し上げにくいんですが……」
「なんだ?」
「私の友人が結婚を許されたのは私の友人だからという理由なんです。その、私が烈牙様の寵愛を受けている人物だという前提で……」
「なるほど。その友人とやらを通して真雪に近付き私と縁を持つ気か」
さすが烈牙様は察しが早い。
「すみません。烈牙様には何の関係もないのに烈牙様を利用したことは私が謝ります」
私が頭を下げると烈牙様はお酒を一口飲む。
「別にかまわない。それで真雪の友人が幸せになるならいくらでも私を利用するがいい」
「本当に申し訳ございません」
「真雪はその友人の幸せを願うのだろう?」
「はい。もちろんです」
「だったら黙って祝ってやれ」
烈牙様はお酒を飲みながら優しく微笑む。
ああ、烈牙様はやはりお優しいわ。
この優しさこそが私の心を捉えて離さないのだ。
「ありがとうございます」
「それより明日は真雪のドレスを作りに街に出かけた後に芝居を観に行くからな」
「まあ、お芝居を?」
「先日の休みの日は暴漢に襲われて芝居が観れなかったと言っていただろ。その時に約束したではないか」
そういえばそうだったわ。
約束を守ってくださるのね。
「はい。では明日は楽しみにしています」
私は笑顔で烈牙様を見つめる。
すると烈牙様は不意にテーブルの上にあった紙を指差した。
「それとちょっと頼みたいことがあるんだが」
「何でしょうか?」
「兄上からの舞踏会の招待状の返事を出したいのだが私の代筆で私の名前を書いてくれ」
「え? 烈牙様の名前の代筆ですか?」
「さっき右手の指を痛めてしまってな。名前が書けないこともないのだがミミズがのたくった文字で名前を書くわけにはいかないからな」
「指をおケガされたのですか? 大丈夫ですか?」
「大事ない。少し腫れているが腫れが引けば問題ないそうだ」
烈牙様は私にペンを渡してくる。
「指が治ってからお返事してもいいのではないですか?」
「いや。そういう物は早く返事を出すのが礼儀だからな」
それは確かにそうだけど私が烈牙様の名前を代筆していいのかしら。
疑問は残るが烈牙様に頼まれたことを断ることもできない。
「分かりました。ここに烈牙様のお名前を書けばいいのですね」
「ああ。頼む」
私は返事の紙に烈牙様の名前をペンで書いた。
そして烈牙様に紙を渡す。
「ありがとう。真雪。今日は下がっていいぞ」
「はい。では明日はよろしくお願いします」
私はそう言って烈牙様の部屋を出た。
烈牙様とお芝居か。楽しみだわ。
今日は嬉しいことが続くわね。




