64 ケガの治療
魔公爵家に着いて烈牙様に馬を降ろされても私は烈牙様に抱きかかえられていた。
屋敷に入ると何人かの使用人にその姿を見られて私は猛烈に恥ずかしさを感じた。
「烈牙様。自分で歩けますから!」
「どこをケガしているか分からないから大人しく抱かれていろ。真雪の体は軽いから特に問題はない」
いえ、そういうことではなくて。
抱かれて運ばれるのが恥ずかしいんです!
顔を赤く染めた私がさらに反論する前に烈牙様が帰ったことに気付いた竜葉が慌ててやって来た。
しかし烈牙様が私を横抱きにしている姿を見て眉をひそめる。
侍女が屋敷の主人に抱きかかえられているなど竜葉に叱責されてもおかしくない案件だ。
だが竜葉もさすがに烈牙様の側近だけあって烈牙様の目の前で私を怒ることはしない。
「烈牙様。お帰りなさいませ。あの、真雪がどうかされましたか?」
とりあえず事情を訊こうとする竜葉に烈牙様は口早に説明する。
「真雪が暴漢に襲われてケガをしたのだ。樹牙か青龍はいるか? いるなら至急私の部屋まで来て真雪を治療しろと伝えろ」
「はい! 樹牙様は王城ですが青龍様はご在宅ですのですぐにお呼びしてまいります」
竜葉は慌てて東棟に青龍を呼びに行った。
私は烈牙様に抱きかかえられたまま烈牙様の私室に連れて行かれてソファに座らされた。
ケガは首筋についた自分で短剣で切った傷しかないはず。
たいした傷ではないわ。
「大丈夫か? 真雪」
心配そうに私の顔を覗き込む烈牙様の顔が近くて私はその方がケガよりも心臓に悪い。
「だ、大丈夫、ですから…」
絞り出すように言葉を発すると烈牙様が私の頬に片手を当てた。
そして私と視線を合わせて逸らさない。
「本当に無理はしてないか? 首の傷以外に痛むところはあるか?」
優しい声で囁きながら烈牙様が顔を近付けるのでその吐息が私の顔にかかる。
このまま烈牙様に口づけされるのではと思うくらいの近さだ。
「真雪…」
切なさが含まれているような声で私の名前を呼んだ烈牙様の顔がさらに近付いてきたので私は口づけをされると思いギュッと目を閉じた。
しかしいつまで経っても烈牙様からの口づけはない。
恐る恐る目を開けるとそこには僅かに困ったような烈牙様の顔がある。
「真雪には不用意に触れない約束だったな。すまない」
そうだった。烈牙様は私に必要以上に触れない約束をしていたのだわ。
でも私は烈牙様の口づけが欲しかったのだけど。
その時、私の脳裏に烈牙様には想い人がいたことが浮かぶ。
烈牙様はきっと自分の想い人のことを思い出して口づけをやめたのかも。
いえ、違うわ。想い人がいるのに他の人に口づけをするような烈牙様ではないもの。
口づけされるかもって思ったのは私の勘違いだったのだわ。
すると廊下からバタバタと足音が聞こえてきて烈牙様が私の身体からスッと離れる。
「父上! 真雪がケガしたというのは本当ですか?」
扉が開き開口一番青龍が放った言葉に私は頭痛を覚える。
だからたいしたことないんだってば。
なんだか大騒ぎになってしまった気がする。
「ああ。首をケガしている。診てやってくれ」
「分かりました」
青龍はソファに座る私の横に来て「失礼」と言って私の首の傷を診る。
「剣で傷つけた傷ですね。でもこれぐらいなら薬で傷跡も無くなると思います」
カバンから塗り薬を出し青龍は傷口にその薬を塗る。
「二、三日で消えるはずです。一日に二回朝と夜に塗ってくださいね」
青龍は私に薬を渡した。
心配かけたわね、青龍。ありがとう。
私は薬を受け取りながらふと頭に浮かんだ疑問を訊いてみる。
「青龍様は樹牙様と同じお医者様ですか?」
「ええ。医者としての仕事はしていませんが医者の資格は持っているんですよ。薬草の中には医者しか取り扱えないモノもあるのでね」
なるほど。それで医者の資格を取ったのね。
「では私はこれで失礼します。真雪が軽傷で安心しました」
「ありがとうございました」
私は青龍に頭を下げる。
こんな軽傷で呼びつけて悪かったわね、青龍。
「ご苦労だった。青龍」
烈牙様がそう言うと青龍は僅かに頭を下げて部屋を出て行く。
「それで真雪。あの時何があったのだ?」
私は今日は休暇で友達とお芝居を観に行く予定で出かけたら男たちに絡まれたことを烈牙様に話した。
「そうか。芝居を観に行けなかったのは残念だったな。今度私が連れて行ってやろう」
「え? で、でも、烈牙様はお仕事で忙しいのではないですか?」
「大丈夫だ。それぐらいの時間は取れる」
「でも私のために時間を作ってくださるのは悪い気がするのですが…」
「私とは芝居を観に行きたくないということか?」
「と、とんでもありません! 烈牙様と芝居を観に行けるならとても嬉しいです」
烈牙様とのお出かけは何であれ私には喜びでしかない。
せっかく烈牙様が誘ってくれたのだ。
行かないという選択肢はない。
「では近日中に日程を空ける。真雪もそのつもりで」
「分かりました」
私はまた烈牙様と出かけられるということで嬉しくて踊り出したいぐらいだ。
そうだ。その日に刺繍したハンカチを渡しましょう。
昨日烈牙様と公子の分のハンカチの刺繍が終わったばかりなのだ。
喜んでもらえると嬉しいのだけれど。
今回は烈牙様にとても心配をかけてしまったしそのお詫びにもなるかしら。




