56 王城へのお使い
次の日の昼間。
今日は烈牙様は竜葉と魔王城に行っている。
私はハンカチの刺繍の続きをしていたのだが結城に呼び出された。
「真雪。貴女にお願いがあります」
結城は若干慌てた様子だった。
いったい何があったのかしら。
結城が慌てるなんて珍しいこと。
「今、魔公爵様から書庫にある資料を王城まで持って来てくれと連絡があったのですが私は用事があって屋敷を離れられないので代わりに魔公爵様に資料を届けてくれませんか?」
「え! 私がですか?」
「馬車の用意は出来ています。魔公爵様は王城の魔王軍本部におられます。お願いできますか?」
私は王城にアリシア時代に一人で行ったことはあるが魔王軍本部には足を踏み入れたことはない。
もしかしたら烈牙様の元帥としての働く姿が見れるかもしれないわ。
アリシア時代に烈牙様はご自分の仕事をする姿を私に見せることを避けていたように思える。
それは人間だった私に魔族の自分の姿を見せないように配慮していたのだろう。
初めて烈牙様に出会った時にアリシアは魔族を恐れていたから。
でも魔族に生まれ変わった私はもう魔族を恐れることはない。
だから許されるなら烈牙様の働く姿を見たいと思った。
「私で良かったら行ってきますが本当に私でいいんですか?」
烈牙様が使う資料は機密情報などもあるはず。
それをたかが侍女の私が持って行ってもいいのかという意味でそう尋ねた。
しかし結城は笑顔を浮かべる。
「問題ありません。真雪は魔公爵様が信頼されている人物ですからね。これが資料です」
結城は茶封筒を渡してくる。
確かに烈牙様には信頼されているとは思うけど本当にいいのかしら。
でも絶対他人に見せられないような資料を私に渡すわけもないか。
自分をそう納得させて私は魔王軍本部に向かうことにした。
「では行ってきます」
用意された馬車に乗り私は王城へと向かう。
王城へは魔公爵の家紋入りの馬車で行ったので特に不審に思われず入れた。
馬車を降りて私は頭の中で王城の地図を広げる。
たしか魔王軍本部は王城の西側だったわね。
私は正面入り口から入り西側の建物を目指す。
だが私が廊下を歩いていると運悪く麗華王女と出くわした。
ここで麗華王女に会うとは思わなかったわ。
今は烈牙様もいないしここは黙ってやり過ごした方がいいわね。
私は廊下の隅に寄り頭を下げる。
しかし麗華王女は私に気付いたようだ。
「あら、貴女はこないだの泥棒猫じゃない」
泥棒猫?
「貴女みたいな泥棒猫を王城に入れるなんて警備の者に文句を言わないとだわ」
麗華王女は扇で口元を隠しながら言いたい放題だ。
きっと烈牙様がいないから私を攻撃するいい機会だと思ったのだろう。
でも私はこの場を早々に切り上げて烈牙様のもとに行かなければならない。
資料がどんなものかは知らないがわざわざ結城に持って来させようとしたぐらいなのだから至急必要な資料のはずだ。
「麗華王女様。私は魔公爵様に用事があったので王城に来たのです」
「貴女に用事があるなんて関係ないわ。貴女は目障りなの。早く魔公爵邸から出て行きなさい!」
麗華王女は私を見下した目で睨みつける。
自分の言葉に逆らう者など存在しないとでもいうかの態度だ。
なんで貴女なんかの言うことを聞かないといけないのよ。
私は烈牙様の側を離れる気はないわ。
内心怒りが込み上げたが表情には出さない。
私が感情的になって麗華王女にたてついたら不敬罪にされるかもしれない。
なので私は事実だけを淡々と述べる。
「私の主は魔公爵様なので魔公爵様が私を解雇しない限り私は魔公爵邸を出る気はありません」
「まあ。生意気な小娘ね! 貴女なんか烈牙様に一時の遊びで求められているだけよ。私が魔公爵夫人になったら貴女のことなんて追い出してやるわ!」
あれだけ烈牙様に拒絶されていても麗華王女は魔公爵夫人になるのを諦めていないらしい。
「ああ、貴女みたいな卑しい女と話していると気分が悪くなるわ。さっさと私の前から消えなさいよ!」
その言葉に私はこれ幸いとこの場から逃げ出すことにした。
今は麗華王女に反論するより烈牙様に資料を届ける方が大事だもの。
「では失礼いたします」
私は麗華王女に頭を下げてから廊下を歩き出す。
背後から麗華王女の強い視線を感じたが私は振り返ることなくその場を後にした。
やれやれ、麗華王女は本当に甘やかされて育ったのね。
自分の感情を人に押し付けるしかできないなんて子供だわ。
あんな麗華王女に付きまとわれる烈牙様は本当に可哀想。
烈牙様が麗華王女の話題が出る度に不機嫌になる気持ちが分かる気がする。
だから最近、烈牙様は不機嫌なのかしら。
リール湖でも感じたが烈牙様は最近どことなく不機嫌なのだ。
それはあからさまな態度ではないのだが私はいつも烈牙様の側にいるのでその微妙な雰囲気を感じ取っていた。
まあ、今はあれこれ考えるより資料を烈牙様に早く届けないとね。
私は魔王軍本部の入り口に辿り着く。
入り口の兵士に魔公爵様にお届け物があるので会いたいと言ったのだが兵士はそれなら自分が渡してやろうと言って魔公爵に取り次いでくれない。
私は資料の中身は知らないがもしかしたら重要な書類かもしれないと思い自分で直接渡したいと兵士と押し問答になってしまった。
「あれ? 真雪じゃないか。どうしたんだ?」
そこに現れたのは火堂だ。
「あ、火堂様。魔公爵様に頼まれた資料をお持ちしたのですが兵士の方がここを通してくれなくて」
「いえ、第二将軍様。私どもが代わりに元帥様に渡すと言ったのですがこの女が勝手に中に入ろうとするものですから」
火堂は私と兵士の言い分を聞いて状況を察したようだ。
「ふ~ん、そういうこと。彼女は元帥閣下のお気に入りの女性だよ。一般兵のお前ごときが容易く口を利ける相手じゃない」
冷たい声でそう言い切った火堂の言葉に兵士は青ざめる。
「も、申し訳ございません!」
ちょっと、火堂。
お気に入りの女性というのは百歩譲っていいとしても容易く口を利ける相手じゃないなんて言い過ぎよ。
私は今は魔公爵夫人じゃなくてただの侍女なんだから。
今にも卒倒しそうなくらい青ざめた顔をしている兵士が気の毒に思えてしまう。
「まあ、今回は見逃してやる。真雪、ついて来い。父上の所に案内してやる」
「ありがとうございます。火堂様」
通してくれたのはありがたいけどあんな脅すように言っちゃダメよ、火堂。
そう思うものの私が火堂に意見を言えるわけではない。
火堂の後ろをついて行くと火堂は一つの部屋の前で止まった。
すると突然部屋の中から怒号が聞こえる。
「そんなことも貴様は分からんのか! すぐにもう一度確認を取れ!」
その声は間違いなく烈牙様だった。
私はこんな烈牙様の怒声を聞いたことがなかったので思わず肩がビクッと震えてしまう。
な、なに? もしかして何かの修羅場に来てしまったのかしら。
「大丈夫だよ、落ち着いて、真雪。いつものことだから。父上の仕事っぷりを見ても驚かないようにね」
火堂は私の反応を見て私が怯えたと思ったのか小さな声でそう説明し扉をノックする。
「誰だ?」
「火堂です。真雪が来ています。何か渡したい物があるそうですよ」
「真雪が? 入れ」
火堂が扉を開けると私も中に入る。
私と入れ替えに軍人だと思われる男性が真っ青な顔で部屋を飛び出して行った。
さっき怒られていたのはこの人ね。
仕事で失敗したのかしら。
烈牙様は大きな執務机の椅子に座っていた。
私の顔を見ると烈牙様は口元を緩めて優し気な笑みを見せる。
その姿からは先程の恐ろしい怒声を放った雰囲気は感じられない。
烈牙様の機嫌が悪いってことではなさそうね。
火堂が言ってたようにさっきの怒声は仕事中の烈牙様にとっては日常なのかも。
魔公爵邸では見せない烈牙様の新しい顔を見たような気分になる。
忙しそうなら資料を渡して私はすぐに帰った方がいいかもね。
「魔公爵様。資料をお持ちしました」
「真雪が来てくれたのか。結城に持って来るように言ったのだが」
「はい。結城様はどうしても用事で屋敷を離れられないというので私が代わりに資料をお持ちしました」
私は結城からもらった茶封筒を烈牙様に渡す。
「ありがとう。助かる」
烈牙様は私に微笑んだ。
良かったわ。烈牙様のお役に立てて。




