52 心のケガ
朝のお勤めを終えて烈牙様がお出かけになると私は贈り物のハンカチの刺繡糸を貰いに紅葉に会おうと西棟を出る。
昨日は不審者のおかげで刺繍どころではなかったが一度やると決めたことはやりたい。
すると玄関の近くで外出から帰って来た樹牙と会った。
「樹牙様。お帰りなさいませ」
私は樹牙に頭を下げる。
「ああ、真雪。良いところに。父上から聞きました。昨日は大変だったそうで」
樹牙も昨日のことを知っていたのね。
「はい。でも魔公爵様に助けていただいたのでケガもなく済みました」
「いえいえ。貴女はケガをしています」
「はい?」
私がケガ?
いや、不審者の刃は私を傷つけなかったはず。
「ここですよ。貴女がケガをしたのは」
そう言って樹牙は自分の胸を押さえる。
「真雪は心に傷を負った。そのせいで眠れないようだから心の安らぐ薬を処方しろと父上に命令されましてね」
樹牙は優しく私に微笑む。
私は昨日の夜眠れなくて烈牙様に側にいてもらったことを思い出した。
確かに昨日よりは恐怖心は少なくなっているとはいえ、また夜一人で安心して眠れるかと考えるとちょっと不安だ。
でも烈牙様が私のことをそんなに気にしてくださるなんて。
「私の部屋に来て下さい。薬を処方します」
「分かりました」
私はそのまま樹牙の後をついて行き東棟の樹牙の部屋に入る。
「どうぞ。座って」
「はい」
私がソファに座ると樹牙は自分のカバンから瓶を取り出す。
そして私に示し説明を始めた。
「これは錠剤なので飲みやすくなっています。寝る前に一錠飲んでください。水で飲むことをお勧めします」
「ありがとうございます」
「これは常習性も無いしそれほど強い薬ではないので朝の早起きもできますから安心して」
樹牙は私に瓶を渡してきた。
これがあれば安眠できるだろう。
それにしても私の仕事が起床係だと知っての樹牙の配慮に心が温かくなった。
樹牙は本当に患者の気持ちが分る立派なお医者様だわ。
私は息子が立派に育ってくれたことに心が震える。
これも烈牙様が他の魔族と違い自分の子供の面倒をちゃんとみてくれたおかげだ。
「お気遣いくださりありがとうございます」
「いえ。お礼なら父上に言ってください。魔王城に来るなり私を呼び出して何事かと思えば真雪のために家に帰って薬を処方しろって有無を言わせず私に命令した結果ですから」
「すみません。樹牙様にもお仕事があるのに」
宮廷医師の樹牙が忙しくないわけはない。
烈牙様の命令とはいえこの時間にわざわざ薬を持って来てくれるなんて申し訳なく思ってしまい私は樹牙に謝る。
「かまいませんよ。父上のお気に入りの真雪に何かあったら大変ですからね。真雪が来てから父上の機嫌が良くて私たちは助かっているのですよ」
「魔公爵様の機嫌がいい?」
「ええ。真雪は知らないかもしれませんが父上は気難しく厳しい方なんですよ。私たちも何度となく泣かされました」
「え? 樹牙様が?」
烈牙様はそんなに厳しい方だったかしら。
「もちろん我々息子に厳しくしていたのは私たちが半分人間の血を引いていたからです」
人間の血を引いていたから烈牙様は子供たちに厳しかったの?
「あのそれはどういうことですか?」
「真雪は純粋な魔族なので分からないかもしれませんが私たちのような半人半魔は魔界では忌むべき存在とされます」
「はい。それは聞いたことがあります」
「だから父上はその半人半魔の私たちでも一人でこの魔界で生きていけるように自分の魔力を極限まで引き出せるように特訓させたのです」
「極限まで引き出す?」
それはどういう意味?
「ええ。私たちは魔界でも一位二位を争う魔力の持ち主の父上の血を引いたおかげでその辺の高位魔族にも勝てるほどの潜在魔力を持っています。半人半魔であってもね」
それはそうでしょうね。
烈牙様の魔力は魔王様も認めるほどだもの。その子供が強大な魔力を持ってても不思議じゃないわ。
「ですが潜在魔力があってもそれは訓練しないと自分のモノとして自在には使えないのです」
「え? そうなんですか?」
「だから父上は己の潜在魔力を100%引き出せるように私たちを厳しく育てました。最後に己を守るのは己自身だとよく言われました」
私の死後、そんなことがあったのね。
私が人間であったばかりに息子たちに苦労をかけてしまったみたいだ。
でも烈牙様は半人半魔の息子たちをよく育ててくれた。
息子たちを見ていれば分かる。
彼らは半人半魔のハンデをものともしていない。強く育ってくれた。
「私は自分が半人半魔に生まれたことに引け目は感じていません。母上は人間ではあったが優しい母だったし父と母は真実愛し合っていましたから」
樹牙がキッパリとした口調で言いきる。
まるで半人半魔であったことすら何でもないかのように。
「けれど母が亡くなってから父はあまり笑わなくなってしまった」
「そうなんですか」
「でも真雪が父上の侍女になってからは昔の父上に戻ったかのように笑顔を見せるようになったんです」
「え?」
「だから真雪。どうか父上の傍にいてあげてください。もちろん真雪に想い人がいる話は聞いています。真雪の気持ちを踏みにじることはしません。でもどうかもう少しだけ」
樹牙は真剣な表情だ。
大丈夫よ。私が愛してるのは烈牙様だもの。
自分からお傍を離れることはないわ。
「大丈夫です。私は魔公爵様が私を必要としてくださる限りお傍にいますから」
「ありがとう。真雪」
樹牙は私に頭を下げるので私は慌ててしまう。
「樹牙様。頭を上げてください」
頭を上げた樹牙は優しく微笑む。
どこか安心した表情にも見える。
「では私も真雪が少しでも快適にこの屋敷で暮らせるようにお手伝いしますから」
「ありがとうございます。樹牙様」
私は樹牙にお礼を言って樹牙の部屋を出た。
烈牙様にも樹牙にも感謝してもしきれないわね。
樹牙から貰った薬をポケットに入れて私は使用人棟に向かう。




