第8話 壁と飢え
冒険者ギルドの受付カウンターは、重苦しい沈黙に包まれていた。
「……だから言ったろ。子供二人の悪ふざけに付き合ってる暇はないんだよ」
受付の男は、退屈そうに爪を磨きながらライカとルカを一瞥した。
男の背後の棚には、幾重にも分けられた依頼書が整然と並んでいる。
だが、そのどれ一つとして、自分たちに差し出される気配はなかった。
「冒険者登録料は一人につき銀貨二枚。二人で四枚だ。……それと、この街に身元を保証してくれる身内か後見人はいるのか?」
「……身内はいません。でも、僕たちは剣が振れます」
ルカが食い下がった。
フードを深く被り、必死に声を落ち着かせているものの、言葉の端々には焦りが滲み出ている。
「魔物退治でも、街の荷運びでも構いません。何か僕たちにできる仕事はありませんか」
「身元保証なし、実績なし、装備は貧弱、挙句に十五歳未満のガキかい」
受付の男は鼻で笑うと、シッシッと手を追い払うように振った。
「うちのギルドは慈善事業じゃないんだ。内乱の煽りで食い詰めたガキが毎日押しかけてくるがね、死にに来るだけの餓鬼に無駄な保険はかけられないんだよ。……金がないなら、とっとと失せな」
「てめえ……っ!」
ライカが思わず一歩踏み出そうとしたが、ルカが間一髪でその腕を強く掴んで引き留めた。
「やめるんだ、ライカ。……失礼しました」
ルカは静かに頭を下げると、ライカの首ぐさを掴むようにしてギルドの重い扉の向こうへ引きずり出した。
外の喧騒の中に放り出されたライカは、激しく腕を振り払った。
「なんで止めるんだよルカ! あんな言い方ねえだろ! 俺たちの剣を見もしないで……!」
「暴れてどうするんだ! あの男の言うことは、社会のルールとしては正論だ!」
ルカの叫び声に、ライカは息を飲んだ。
ルカの青い瞳には、怒りではなく、底知れない冷たさと絶望が宿っていた。
「僕たちには『何もない』んだよ、ライカ。名前も、金も、身元も、実績も。……ただ剣が振れるだけの孤児なんて、この街には腐るほど転がっている。誰一人、僕たちの価値なんて認めてくれないんだ」
ルカの乾いた言葉が、ライカの胸に突き刺さる。
兵士を倒し、修羅の道を越えてきたという自負は、この大都市の冷酷な制度の前で脆くも打ち砕かれた。
現実は、容赦なく二人を追い詰めていった。
兵士から奪ったお金は、安宿の滞在費と日々の粗末な食事であっけなく底をついた。
宿の店主は、コインが払えなくなったと知るや否や、二人の荷物を路地裏へ投げ捨て、容赦なく鍵を締め切った。
街へ来て四日目。
二人は一瞬にして、要塞都市ベルガモの最底辺――路地裏の泥の上に転落した。
「……ハァ、ハァ……っ」
雨上がりの湿った路地裏。
ドブの臭いが充満する日陰の物陰で、ライカは冷たい石壁に背中を預けて座り込んでいた。
お腹が鳴ることすらなくなり、胃が雑巾のように絞り上げられるような強烈な痛みが全身を痛めつける。
「……ライカ。これ……」
ルカがフラフラとした足取りで戻ってきた。
その小さな手には、青カビがびっしりと生えた、石のように固い黒パンの切れ端が握られていた。
大通りの高級パン屋が、裏口のゴミ捨て場に投げ捨てた残飯だ。
「……取ってきたよ。店員に見つかって、打ち水ぶっかけられたけど……」
ルカの青髪は冷たい水で濡れ、頬には泥がついていた。
ルカはそのパンを素手で二つに叩き割り、カビの少ない方をライカに差し出した。
「食えよ、ルカ……お前が拾ってきたんだろ……」
「半分こだって、決めてるだろ……。いいから、噛みちぎって水で流し込むんだ」
二人は物陰に身を潜め、石のように固いパンにかぶりついた。
酸っぱいカビの臭いと、土の味が口いっぱいに広がる。
近くの水たまりの濁った水を手ですくい、胃の中へ強引に押し込んだ。
生きていくために、兵士の遺体から金を奪った。
しかし今度は、街のゴミ捨て場で残飯をあさり、泥水をすすっている。
「……なんでだよ」
ライカの目から、ポロポロと涙がこぼれ落ちた。
手で拭おうとしたが、泥と血の汚れがついた手で顔を擦り、顔中が黒く汚れていく。
「強くなれば……這い上がれるって、言ったのに……ッ! 兵士だって倒したのに! なんでこんな……ゴミみたいな扱い受けなきゃならねえんだよッ!」
ライカは拳を石畳に叩きつけた。
皮が破れ、血が滲む。
だが、その痛みすら、胃を焼く飢えと無力感の前には何も感じなかった。
「……強さの質が違うんだよ、ライカ」
ルカが静かに、膝を抱え込みながら呟いた。
「戦場で人を殺す強さと、この世の中で生き通す強さは別物だ。……この街では、金と権力を持っている奴が『強い』んだ。僕たちの剣なんて、彼らにとっては都合のいい捨て駒にもならない」
ルカの青い瞳は、暗い路地裏の天井を見つめていた。
「理不尽に踏みつけられて、飢えて死んでいく……それが、僕たちの本当の『立ち位置』なんだ」
「ふざけるな……! ふざけるなッ!」
ライカは歯を喰いしばり、血が出るほど唇を噛み切った。
「俺は認めねえ……! こんなところで、カビ生えたパン食って野良犬みたいに死ぬなんて、絶対に認めねえぞ……ッ!」
激しい苛立ちと怒りが、ライカの胸の奥でドス黒く渦巻く。
しかし、どれだけ叫ぼうとも、どれだけ怒りを燃やそうとも、目の前の腹を満たしてくれる食べものはどこにも存在しなかった。
権力者たちの10年におよぶ内乱の陰で、要塞都市の華やかな光に隠された暗がりの中。
二人の少年は、社会の理不尽な「壁」と絶望的な「飢え」の前に、ただただ冷たい泥に塗れることしかできなかった。




