第6話 見えぬ未来
血塗られた森を脱出し、警戒しながら街道の影を辿ること三日。
ライカとルカの視界に、地平線を遮る巨大な漆黒の影が飛び込んできた。
視界を覆うほどに高く聳え立つ、重厚な石造りの城壁。
ここがガルディナ王国東部の要衝――要塞都市「ベルガモ」だった。
城門の周辺には、長槍を構えた重装兵たちが鋭い目を光らせて立ち並んでいる。
行商人の馬車や、ボロ切れを纏った避難民たちが長い列を作っていた。
二人は兵士から奪った防寒マントを深く羽織り、殺した兵士の持ち物だと悟られないよう息を殺して列に混ざった。
死に物狂いで奪い取った銅貨を通行料として門衛に投げ渡すと、怪しまれながらもなんとか巨大な鉄門の潜り戸を通過することができた。
「……はぁ、通れたな」
ライカがマントの隙間から安堵の息を吐き出した。
門をくぐり抜けた先に広がっていたのは、最果ての村では見たこともない圧倒的な「熱気」だった。
石畳の路地の両脇には、びっしりと立ち並ぶ石造りの店舗。
甲高い声を上げる商人、行き交う重武装の傭兵や冒険者たち、そしてあちこちに張り出された「徴兵募集」の求人札。
活気と殺気が複雑に混ざり合った、大都市独特の混沌とした空気が二人を包み込む。
「立ち止まるなライカ、目立つよ」
ルカが横から静かに囁き、ライカの袖を引っ張った。
ルカの深い青髪も、ライカの炎のような赤髪も、マントのフードで深く覆い隠されている。
「まずは宿だ。身体を休めないと、思考が鈍って判断を誤る」
二人は賑やかな大通りを避け、路地裏の湿った狭い道へと入っていった。
探すのは、身元を確認されないような裏通りの安い宿屋だ。
何軒か怪しげな酒場を通り過ぎた末、風化して看板の文字が掠れた小汚い宿屋「錆びた鉄錨亭」を見つけ出した。
店主に兵士から奪った小銭入れから銅貨を数枚差し出すと、店主は不躾な視線で二人を一瞥し、何の質問もせずに古びた部屋の鍵を投げ渡してきた。
ギシギシと悲鳴を上げる階段を上り、狭い部屋へと入る。
扉を閉め、鍵を掛けた瞬間――ライカとルカの緊張の糸が完全に切れた。
ライカはそのまま床に倒れ込み、天井を見上げた。
「……ははっ、屋根がある。壁もある……」
「……倒れるならベッドの上に倒れなよ。埃っぽいな」
ルカもまた、疲れ果てた足取りで部屋の隅にある固いベッドに腰を下ろした。
しばらくして、部屋に運ばれてきたのは、薄い麦のスープと、石のように硬い黒パンだった。
しかし、連日の逃走と空腹に苦しんでいた二人にとっては、どんなご馳走よりも甘美な食べものだった。
「う……うめぇ……ッ!」
ライカは熱いスープを喉に流し込み、硬いパンを噛みちぎりながら、涙目になって食べ進めた。
ルカもまた、静かではあったが、いつもより格段に早いペースでスープを口へと運んでいく。
温かい食料が腹を満たすと、途方もない睡魔が二人の瞼を重くした。
二人は互いの剣を抱きしめたままベッドに倒れ込み、泥のような深い眠りについた。
命の危険におびえることなく眠れたのは、何日ぶりのことだっただろうか。
目が覚めたのは、翌日の昼過ぎだった。
窓から差し込む陽光を浴びながら、ルカは木机の上に奪った小銭入れの中身をぶちまけていた。
ジャラリと鈍い音を立てて転がるコインを、ルカは細い指先で丁寧に仕分けしていく。
「……確認しよう」
目を擦りながら起き上がったライカに、ルカが冷静な声をかけた。
「僕たちが殺した兵士たちから奪ったお金は、銀貨が四枚、銅貨が三十二枚だ」
「おう……結構な大金じゃないか?」
「甘いよ」
ルカは青い瞳を厳しく細めた。
「昨日の門の通行料で銅貨が四枚。この宿の二日分の部屋代と粗末な食事代で銀貨一枚と銅貨八枚が消えた。……このペースだと、一週間も経たないうちに僕たちのお金は完全に底をつく」
「……マジかよ」
ライカの顔が引きつる。
「それに、僕たちには根本的な問題がある」
ルカは木机を指先でトントンと叩いた。
「僕たちは、この世の中の仕組みを何も知らないんだ。ガルディナ王国が今どうなっているのか、冒険者ギルドがどんな場所なのか、どうやってお金を稼げばいいのか……何ひとつ分かっていない。知識がない人間は、真っ先に騙されて搾取される」
「……うぐっ。確かにな」
ライカは頭を掻きむしった。
村にいた頃は、毎日を生き延びることだけに必死で、国家や社会の仕組みなど考える余裕すらなかったのだ。
「お金が尽きる前に、情報と仕事を手に入れる必要がある」
ルカは銀貨と銅貨を巾着袋に仕舞い直すと、腰の細身の剣の柄に触れた。
「行こう、ライカ。まずはこの街の『冒険者ギルド』を探すんだ。あそこなら、仕事の依頼も、この国の情報も集まっているはずだ」
「よしっ! そうと決まれば出発だ!」
ライカは愛用の錆びた軍刀を腰に差し、赤髪を揺らしてニッと笑った。
空腹と疲労は癒えた。
ここからが、要塞都市ベルガモでの本当のサバイバルだ。
二人は再び深くフードを被り、活気と不穏な空気が渦巻く街の雑踏へと歩みを進めた。
しかし、世間の冷酷さと理不尽な現実が、すぐ目の前で彼らを待ち受けていることを、少年たちはまだ知らなかった。




