第5話 境界線の向こうへ
血と泥の匂いが充満する漆黒の森。
静寂を取り戻した樹海の中で、ライカとルカは激しい呼吸を繰り返していた。
足元には、息絶えた六人の兵士たちが転がっている。
命を奪った感触と恐怖に手が震え、ライカはその場にへたり込んでいた。
「……ハァ、ハァ……ッ」
「ライカ、休んでいる暇はないよ。立って」
ルカが短く息を吐きながら、冷静な声で言った。
その青い瞳は、既に『次の生存行動』へと切り替わっている。
「……立つって、ルカ……お前、平気なのかよ」
「平気なわけないだろ。でも、僕たちが生き残るために必要な作業がある」
ルカは殺した兵士の遺体に近づくと、躊躇することなくその懐に手を差し入れた。
ライカは目を見開く。
「な、何してんだお前!?」
「物資の回収――剥ぎ取りだよ。僕たちには金も食料も装備もない。この死体は、僕たちが要塞都市まで生き延びるための貴重な資源だ」
ルカは慣れた手つきで兵士の腰から革袋を外し、中身を確認する。
「いいかい、ライカ。甲冑や王国の紋章が入った槍、正規の軍刀はダメだ。街に持ち込めば一発で足がついて捕まる。持っていくのは『足がつかないもの』だけだ」
ルカは手際よく戦利品を選別し、泥の上に並べていった。
兵士たちが個人的に持っていた銅貨と数枚の銀貨が入った小銭入れ。
紋章や刻印が入っていない、汎用的な護身用のナイフ。
革の袋に詰められた上質な干し肉と水筒。
そして、羊毛で作られた厚手の防寒マントだ。
ルカはマントの端に縫い付けられていた小さな軍隊の刺繍を、ナイフの先で手際よく切り落とした。
「このマントなら刺繍さえ消せばただの古着だ。夜露を凌ぐのに使える。……ライカ、ボーっとしてないで手伝って。夜が明ける前にこの場を離れないと、次の追手が来る」
「……あ、ああ……分かった」
ライカはゴクリと生唾を飲み込み、震える手で別の兵士の体を探り始めた。
冷たくなりかけた人間の服を探る感触に鳥肌が立つ。
だが、腰袋からずっしりと重いコインの感触を掴んだとき、生きるための泥臭い現実感が掌に伝わってきた。
命を奪い、その遺品を奪って糧にする。
綺麗な正義などここにはない。
自分たちはもう、その引き金を引いてしまったのだ。
「……ルカ、これ。銀貨が三枚入ってる」
「上出来だ。これだけあれば、要塞都市に着いてからの宿代と数日分の飯代にはなる。急いでまとめよう」
二人は足がつく危険な軍用品をその場に残し、金銭、食料、ナイフ、そして防寒着だけを素早く自分たちの袋へと詰め込んだ。
戦利品を身につけ、二人は遺体に背を向けて森を駆け抜けた。
東の空が、ゆっくりと鈍色から鮮やかな茜色へと染まり始めていた。
冷たい朝靄が漂う中、ライカとルカは村外れを臨む小高い丘の頂へと辿り着いていた。
二人は獲たばかりのマントを羽織り、朝焼けの光の中で深く息を吐き出す。
「……ハァ……ッ」
ライカは自分の両手を眺めた。
爪の間に残る泥と血の汚れ。
しかし、その掌には、兵士から奪った銀貨の冷たい重みと、生き伸びるためのナイフの感触が確かに残っていた。
「二度と……戻れないな」
ライカがぽつりと呟いた。
丘の上から眼下に広がる故郷「リブート村」は、不気味なほど静まり返っていた。
徴税人に荒らされ、村長を失い、追手の兵士が消えた村。
やがて王国の知る所となれば、反乱の疑いを掛けられて完全に潰されるだろう。
「うん。戻れば僕たちは処刑される。僕たちの帰る場所は、もうどこにもないよ」
ルカも静かに村を見下ろしていた。
奪ったナイフを腰に差し、細身の剣の柄に手を置いている。
着の身着のままだった少年たちは、今や手に血を塗り、奪った金とナイフを握りしめて世界に放り出されたのだ。
「ルカ」
「なに?」
「俺は諦めねえぞ」
ライカは赤髪を朝風にはためかせ、燃えるような瞳で遥か彼方の街道を見つめた。
「村を追われて、奪って、手を汚して……ここからが俺たちの始まりだ。ただ飢えて死ぬだけのゴミクズじゃないってことを、俺たちの存在を……世界中に証明してやる!」
ライカは血塗れの軍刀を握り直し、果てしない荒野を指差した。
「絶対、生きて這い上がって頂点まで登りつめてやる! 俺たちの名前を……『ライカ』と『ルカ』の名を、このエルディール大陸全体に響かせてやるんだッ!」
腹の底から絞り出すような力強い宣言。
ルカはその横顔を見つめ、ふっと呆れたように息を吐いた。
「ハァ……相変わらず話が大きいな、君は」
ルカの唇の端に、かすかな笑みが浮かぶ。
「でも、奪ったお金と食料のおかげで、要塞都市までは確実に生き残れそうだ。……行こう、ライカ。僕たちの新しい一歩だ」
「おうッ!」
二人は差し込む朝日に向かって、強く頷き合った。
熱き猛攻の刃と、冷たき必殺の刃。
奪い、生き払い、背中を預け合う二人の少年は、果てしない修羅の道へと一歩を踏み出した。
故郷に背を向け、希望と絶望が入り混じる境界線の向こう側へ。
後に「二つの刃」と称えられる英雄たちの物語が、今ここから始まりを告げた。




