第32話 奪われた面影
かつて「穀倉都市」と称えられ、地平線まで黄金色の麦畑が広がっていたヴェローナの風景は、跡形もなく消え去っていた。
一閃館を後にした四人が街道の丘を越えたとき、視界に飛び込んできたのは、黒く焼け焦げた死の土と、立ち上る不穏な薄煙だった。
「……これが、ヴェローナ……?」
シオンの呟きが、乾いた風に浚われて消える。
街道の脇には、骨と皮ばかりに痩せこけた避難民たちが力なく座り込み、虚ろな瞳で四人を見上げていた。
かつて活気に満ちあふれていた城門は半ば崩れ落ち、見張り台は黒く煤けている。
二度にわたる激戦と掠奪の痕跡は、想像をはるかに絶する残酷さで土地を苛んでいた。
四人は無言のまま、重い足取りで城門をくぐった。
まず四人が足を進めたのは、街の中央の高台に聳え立つ、ヴェローナ伯爵家の居城――アリアの実家だった。
「あっ……」
アリアの足が止まり、口元が小さく震えた。
かつて気高く美しい白壁を誇っていた屋敷は、跡形もなく崩れ落ち、黒く焦げた石材の山と化していた。
アリアはスカートの裾を固く握りしめると、制止するルカの声を振り切るようにして、廃墟と化した屋敷の敷地内へと足を踏み入れた。
「アリア!」
「探させて……! お父様やお母様の……何か、何か残っているかもしれないわ!」
かつて豪華な調度品が並んでいた応接間も、アリアが家族と笑い合いながら過ごした私室も、すべては崩落した天井と灰の下に埋もれていた。
アリアは気品あるお嬢様としての振る舞いも忘れ、膝を突いて黒焦げの木片や石を必死に押し退けた。
爪の中に黒い煤が入り込み、皮膚が擦り剥けて血が滲む。
それでもアリアはなりふり構わず、瓦礫を掘り返し続けた。幼い頃に父から贈られた宝飾品、母と刺繍した布、家族の写真――。
だが、いくら手を血に染めて掘り返しても、出てくるのは冷たい煤と焼き尽くされた炭の破片だけだった。
「なんで……何も無いの……? 一つくらい……残ってくれていたっていいじゃない……っ!」
アリアは泥と涙に汚れた顔を覆い、灰の上に崩れ落ちた。
育った家も、温かな家族の記憶を繋ぐ形ある品も、掠奪と炎によって容赦なく奪い去られていたのだった。
「……アリア。行こう。俺たちの『家』にも」
ライカが静かに、しかし力強くアリアの肩を抱き起こした。
アリアは溢れ出る涙を拭い、ライカの差し伸べた手を握り返して立ち上がった。
高台を降り、街の裏手に広がる住宅街へ向かう。
そこは、幼いライカたちがガルシアに拾われ、血と汗を流しながら過ごした「もう一つの我が家」が存在した場所だった。
角を曲がれば、あの古びた木造の屋敷が見えるはずだった。
だが――そこに残されていたのもまた、黒く焦げた柱の残骸と瓦礫の山だけだった。
「おっさん……っ!」
ライカは叫ぶように駆け出すと、まだ熱を帯びているかのような黒い瓦礫の山へと飛び込んだ。
「探すんだよ! 俺たちの家だぞ! おっさんが使ってた木剣や、俺たちの道具が残ってるはずだッ!」
ライカに続き、ルカも、シオンも、そしてアリアも再び泥まみれになりながら瓦礫を掘り返した。
四人で必死に、自分たちの生きてきた証を探し続けた。
――しかし、そこにも何も残っていなかった。
「なんでなんだよぉッ!」
ライカは血と煤で真っ黒になった両拳を床に叩きつけた。
「家も……思い出も……俺たちがここにいた証拠まで、全部燃やされなきゃいけねえんだよッ! 俺たちは……何も守れなかったのかよッ……!」
絶望的な静寂が四人を包み込む。
形ある思い出は何一つ残っていなかった。伯爵家としてのアリアの過去も、ガルシアと共に生き抜いた少年たちの過去も、すべては灰燼と化して風に舞っていた。
その時、風が吹き抜け、灰の中から一本の錆びついた鉄くずが顔を出した。
それは、かつてライカが稽古で折り折った、ガルシアの手作りの小さな鉄細工の破片だった。
ライカはその破片を拾い上げると、泥にまみれた掌の中で強く握りしめた。
「……ねえよ」
「ライカ……?」
ライカはゆっくりと立ち上がった。
煤で汚れた顔に、背中に差したガルシアの重厚な長剣が月光を受けて鈍く輝く。
「思い出の品なんて……どこにも残ってねえ。でもな……」
ライカは自らの胸を、拳で強く叩いた。
「おっさんが俺たちに遺してくれた牙も、アリアの胸にある誇りも……ここにある。俺たちの腕の中に、全部残ってんだ!」
血と涙を拭い、ライカは全員を見つめた。
その赤髪の奥で燃える瞳は、絶望の底に突き落とされながらも、決して折れることのない強靭な輝きを取り戻していた。
「形が消えても……俺たちが生きてる限り、俺たちの絆は消えねえ。……そうだろ!」
「……ああ」
ルカも立ち上がり、血の滲む手で直剣の柄を握り直した。涙を拭ったアリアも、シオンも、その瞳に熱い志を宿し直していた。
形ある故郷を完全に失った四人。だが、その悲壮な喪失は、彼らの胸にある不滅の刃を、より深く、より鋭く研ぎ澄ませていくのだった。




