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エルディール戦記〜二つの刃〜  作者: 九十九(つくも)
第二章 崇高なる志
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第27話 魔術師の翼と食堂の少女

 一閃館でライカとルカが血と汗を流して激しい稽古に打ち込む一方で、シオンもまた、自分の戦場に身を投じていた。


 大都市グランベルの冒険者ギルド。

 掲示板の前で、黒髪の少年――シオンは短い指先で依頼書を指でなぞっていた。


「薬草の調合と精製、古代魔導具の鑑定と解読、さらには街郊外での魔物討伐の術式支援……。どれも僕にできる仕事だ」


 シオンは冒険者ギルドで、魔術や知識が求められる依頼を片っ端から引き受けていた。


 かつて要塞都市の路地裏で凍死しかけていた自分を拾い、温かな温もりを与えてくれたガルシア。


 その巨漢の師は生前、短杖を持つシオンの背中を撫でながら、こう言って笑っていた。


『シオン、お前には剣の才能はない。だがな、お前には誰よりも繊細で澄んだ“魔力の導管”がある。知識を蓄え、心を研ぎ澄ませ。お前の一撃はいつか、仲間を守る最強の翼になる』


 その言葉は偽りではなかった。

 死線をくぐるような依頼をこなすたび、シオンの中で眠っていた魔術の才能は凄まじい速度で開花していった。


 複雑な術式を数秒で頭の中に展開し、最適な魔力消費で正確無比に解放する。

 本来なら何人もの魔術師で分担するような高度な補助魔術や属性攻撃を、シオンは華奢な身体に似合わぬ高い集中力で次々と成功させていった。


 ギルドの冒険者たちの間でも「幼い見た目に反して、恐ろしいほど優秀な魔術師の少年がいる」と、静かな噂になり始めていた。

 



 ある日の夕暮れ。

 郊外での魔物討伐の補助任務を終え、全身に泥と疲労を溜め込んだシオンは、下層区の賑やかな一角を歩いていた。


 お腹が空いたな、と小さな腹の虫を鳴らした時、香ばしい肉汁と野菜の煮込みの匂いが鼻腔をくすぐった。

 吸い寄せられるように視線を向けると、そこには古びているが清潔に保たれた一軒の大衆食堂があった。


『木もれび亭』


「いらっしゃいませー! 空いているお席へどうぞ!」


 ガラガラと木戸を開けると、元気で明るい声が店内に響いていた。


 出迎えてくれたのは、エプロン姿の小柄な少女だった。


 栗色の髪を後ろで一つに結び、大きな瞳をキラキラと輝かせている。彼女こそが、この食堂の看板娘――セナだった。


「あ、冒険者さん? お疲れ様! こっちのテーブルが空いてるよ」


「あ……ありがとう、ございます」


 見慣れない身なりの自分に対しても、分け隔てなく温かな笑顔を向けてくれるセナ。


 シオンは少し恐縮しながら席につき、日替わりの煮込み料理と焼きたてのパンを注文した。


 運ばれてきたスープは湯気を立て、野菜と肉の旨味がぎゅっと凝縮されていた。


 一口口に含んだ瞬間、疲れ切ったシオンの全身にじんわりと温もりが広がっていく。


「ふふ、美味しそうに食べるね」


 セナが水差しを手に、くすくすと笑いながら声をかけてきた。


「あ……ごめんなさい、お行儀が悪かったですか?」


「ううん、全然! 料理を作るお父さんも、そうやって喜んで食べてくれるお客さんが一番好きなんだよ。君、最近この街に来たの? あんまり見かけない顔だから」


「ええ……まあ、最近住み始めたばかりで。冒険者ギルドで仕事をしています」


「へえ、すごい! こんなに若いのに冒険者さんなんだ。大変でしょ、怪我とかしないように気をつけてね?」


 セナは心配そうに眉をひそめると、シオンの前に小さな焼き菓子をコトンと置いた。


「これ、おまけ! 今日も一日、お疲れ様でした」


「え……こんなの、もらえません」


「いいのいいの! 看板娘のサービス! 頑張ってる男の子を応援するのは当然でしょ?」


 セナはいたずらっぽく笑うと、パチンとウィンクをして他の客の対応へと駆けていった。


 残されたシオンは、手のひらの上の焼き菓子をじっと見つめた。


 ほんのりと甘い、ミルクと砂糖の香り。孤児として冷たい路地裏で寒さに耐えていた頃には、決して味わうことのできなかった「無償の優しさ」。


(温かい……な)


 胸の奥が、ぎゅっと締め付けられるように熱くなった。


 それからというもの、シオンはギルドでの依頼が終わると、吸い寄せられるように『木もれび亭』へ足を運ぶようになった。


 セナもまた、いつしか店に来るシオンを心待ちにするようになり、料理を運ぶ合間に他愛もない世間話をするようになった。

 街の楽しげな出来事、自分の好きな本の話、セナが失敗した料理の話。


 セナと過ごす時間は、殺伐とした戦いと死線の渦中にいるシオンにとって、うたた寝のような穏やかで優しい一時だった。


 夕暮れ時、セナが「また来てね、シオンくん!」と笑顔で手を振る姿を見送るたび、シオンの胸の中に、甘く切ない感情が芽生えていく。


(もっと……セナさんの笑顔を見ていたい)


 それが、自分の中に芽生えた初めての「恋心」だと、シオンはまだ気づいていなかった。


 しかし、この平穏で美しい時間が、やがて自分を深く苦しめる「激しい葛藤」の始まりになるとは、この時のシオンは知る由もなかった――。

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