第26話 芽吹く才能
大都市グランベルに位置する『一閃館』。
朝靄が残る道場の広大な稽古場に、腹の底を揺さぶる凄絶な打撃音が響き渡っていた。
ガンッ――ッ!!
「ぐあぁッ!?」
吹き飛ばされたライカが、石畳の上を激しく転がった。
背中に背負っていたガルシアの愛刀――いまの十六歳の体格では、全身の軸と腕力を注ぎ込まねば振り回せない重厚な長剣が、手から零れ落ちて乾いた音を立てる。
「どうした、ライカ! 体幹の軸がブレているぞ! 踏み込みの甘い一撃など、死線においてはただの自殺志願だ!」
仁王立ちで立ちふさがるのは、黒の道着を纏った兄弟子グレンだった。
手にした木剣からは、一切の隙が感じられない。
かつてガルシアから叩き込まれた不敗の真髄に、グレン自身が数々の修羅場で編み出した冷酷な実戦の剣理が組み合わさっている。
その圧迫感は、ガルシアとの稽古以上に容赦のない、まさに「地獄」そのものだった。
「ぬ……ぐ……っ!」
口端から血を吐き出しながら、ライカは膝を支えにして立ち上がった。
全身は汗と泥、そしてあざだらけだった。胸の奥が灼熱の炎で焼かれるように苦しい。
だが、その赤髪の奥で燃える瞳には、折れることのない野生の牙が宿っていた。
「死んでたまるかよ……ッ! おっさんの剣は、こんなもんじゃねえ……ッ!」
ライカは血のついた口元を腕で強引に拭うと、再びガルシアの大剣を持ち上げ、全身の力を足裏に込めた。
「直剣の軌道を覆い隠すように合わせろ、ライカ!」
死角から静かに滑り込んだのは、ルカだった。
限界を超えた呼吸で呼吸を整えながら、細身の直剣を低く構える。
額からは滝のような汗が零れ落ち、全身の筋肉が疲労で悲鳴を上げていたが、青い瞳の集中力は研ぎ澄まされ続けていた。
「行くぞッ!」
ライカが大剣を振りかぶり、重厚な一閃を繰り出す。
それと同時に、ルカの影のような刺突がグレンの喉元へ迫る。
一年前、ガルシアに見せた連携とは次元が違っていた。
二人の呼吸は完璧に合わさり、互いの死角を完璧に補い合っている。
だが――。
「――浅い」
グレンの木剣が、まるで一筋の黒い旋風のように回旋した。
ライカの重撃の力を最小限の受け流しで殺し、そのまま柄頭でルカの直剣の腹を弾き飛ばす。
二人の呼吸の「継ぎ目」を的確に割り込む、圧倒的な武の領域。
ドガッ! ガンッ!
「がはっ……!」
「くッ……!」
二人の身体が同時に弾き飛ばされ、再び道場の床へ叩きつけられた。
息を吸うことすら苦しいほどの打撃。普通なら失神して立ち上がれないはずだった。
しかし、ライカとルカは倒れた瞬間に爪を床に立て、血を吐きながらも、互いの身体を支え合って立ち上がろうとしていた。
「まだだ……! まだ……稽古は終わってねえぞ……ッ!」
「……ああ。僕たちの……刃は、こんなところで折れはしない……!」
地獄の底から這い上がってきたような二人の姿。
それを、道場の壁際に控えていた数十人の門下生たちが、言葉を失って注視していた。
「あいつら……正気か……?」
「もう一時間もあの地獄のような稽古を叩き込まれてるんだぞ……?」
門下生たちの顔には、恐怖と衝撃が混ざり合っていた。
大都市の裕福な家柄の子女が多く通う一閃館において、稽古とは規範を守り、綺麗に技を競い合うものだった。
だが、目の前で繰り広げられているのは、まさに生き残りを賭けた「牙の削り合い」だった。
自分の命を削り、泥を舐めてでも前へ進もうとする二人の壮絶な気迫。
それは、温室育ちだった門下生たちのぬるい意識を、根底から叩き潰し、着火させていた。
「……ッ」
中でも、拳を血が出るほど強く握りしめていたのは、アルトだった。
全身に包帯を巻き、木剣を握る手が固く震えている。
ライカに何度も挑んではボコボコに叩きのめされ、己の甘さを思い知らされたあの日。
ライカたちが背負ってきた「過去の重み」を知った今、アルトの胸には激しい羞恥と、それを上回る情熱が燃え上がっていた。
(僕は何をやっていたんだ……! 綺麗な道着を着て、道場の威光を笠に着て……! 本当の剣とは、あんなにも泥臭く、あんなにも高く尊いものなのか……ッ!)
「アルト、次はお前だ」
グレンの冷徹な声が、道場に響いた。
「え……?」
「何を見ている。ライカとルカの覚悟を見たなら、お前も己の刃を差し出せ。ぬるま湯の稽古は今日で終わりだ」
アルトはゴクリと生唾を呑み込んだ。恐怖で足が竦みそうになる。
だが、泥まみれになりながら不敵に笑うライカの顔が視界に入った。
『来いよ、アルト。お前、いい剣士になるぜ』
ライカの言葉が、耳の奥でこだまする。
「……はいッ!!」
アルトは叫び、木剣を強く握り直して前へ出た。
余分な力みが消え、その瞳にはこれまでになかった真剣な光が宿っていた。
アルトの踏み込みを見たグレンの眉が、微かに跳ね上がった。
これまで形だけだったアルトのフォームから無駄な飾りが削ぎ落とされ、軸の通った鋭い突進へと変貌していたのだ。
ライカたちの気迫に触発され、アルトの中に眠っていた剣術の才能が、芽を吹き始めようとしていた。
「――いい踏み込みだ、アルト!」
グレンの木剣が迎え撃つ。
一閃館の稽古場は、ライカとルカが持ち込んだ泥臭い熱波によって、かつてないほどの死気と活気に包まれようとしていた。
自らの牙を研ぎ澄ます少年たち。
だが、剣士たちが血汗を流す一方で、この街の片隅で静かに魔術の資質を開花させていたシオンの運命にもまた、小さな転機が訪れようとしていた。




