第24話 兄弟子の真実
名門道場『グランベル一閃館』での騒ぎから、数日が過ぎた。
ライカとルカは相変わらず、ギルドで低ランクの怪獣退治や荷運びの依頼をこなし、日銭を稼ぐ日々を送っていた。
だが、その帰路で必ず待ち構えている「邪魔者」がいた。
「待てッ! 今日こそ決着をつけてやる、泥犬どもッ!」
路地裏の角から飛び出してきたのは、顔に大きな絆創膏を貼った少年――アルトだった。
木剣を大上段に構え、血走った目でライカを睨みつけている。
その姿は、数日前に鼻血を流して泡を吹いていた軟弱なお坊ちゃんの面影を残しつつも、どこか必死さが漂っていた。
「……またお前かよ。懲りねえガキだな」
ライカは呆れ果てて肩をすくめた。
アルトはあの日以来、ライカたちがギルドの仕事を終えて下層区へ戻るたび、こうして待ち伏せしては勝負を挑んできていたのだった。
「うるさいッ! お前たちみたいなドブネズミに負けたまま、僕のプライドが許すと思うか! 覚悟しろ!」
アルトが叫び、必死の踏み込みで木剣を振り下ろす。
だが、結果は明白だった。
ガッ――ドカッ!!
「ぐあぁぁっ!?」
ライカの容赦ない木剣の一閃がアルトの腕を撃ち抜き、追撃の脚蹴りがその腹部を正確に捉える。
アルトは再び石畳の上を転がり、もがき苦しんだ。
これで四度目だ。
毎回、手加減なしで打ち叩かれ、青あざだらけになりながらも、アルトは決して挑むのをやめなかった。
「……ハァ……ハァ……ッ! ま、まだ……終わって……ない……!」
血の味がする口元を袖で拭い、アルトは震える膝を押し立てて立ち上がろうとする。
目は死んでいなかった。泥を舐め、痛みに顔を歪ませながらも、食らいつこうとする執念。
「……へっ」
ライカの唇の端が、微かに持ち上がった。
最初はただの生意気な温室育ちのガキだと思っていた。だが、何度叩き潰されても泥の中から立ち上がってくるこの根性。
(ちょっと前の……俺たちみたいじゃねえか)
理不尽な暴力に見舞われ、泥を舐めてもなお爪を立てて立ち上がっていたあの頃の自分たちの姿が、目の前のアルトに重なって見えた。
「いい根性してやがる。お前、案外いい剣士になるかもな」
「な……なに……ッ! 蔑むなッ!」
アルトが悔しさに歯を剥き出しにした、その時だった。
「――そこまでにしろ、アルト」
路地の暗がりから、重厚な足音が響いた。
現れたのは、黒の道着を纏った男――一閃館の師範、グレンだった。
「グ、グレン師範……ッ!?」
アルトが青ざめて姿勢を正そうとするが、激痛でその場に膝をついた。
グレンは呆れたように弟子を一瞥すると、ライカとルカの前に進み出た。
「またうちの愚弟子が迷惑をかけたな。……だが、何度ボコボコにされても諦めん根性だけは、少しは見直してやってくれ」
「……グレン師範」
ルカが警戒を露わにし、直剣の柄に手をかけた。
「僕たちを追ってきたのですか? 治療費の請求なら、冒険者ギルドを通して正式に――」
「言ったはずだ、治療費など不要だと」
グレンは静かに手をかざしてルカの言葉を遮ると、太い腕を組み、二人をじっと見つめた。
「前回の提案を変えよう。お前たち、金がないと言っていたな。……ならば、門下生としてではなく『一閃館の食客兼・助手』として道場に来い」
「……助教、だと?」
ライカが不審そうに眉をひそめた。
「そうだ。基本の稽古や雑用を手伝ってもらう代わりに、一日三食の温かい飯と寝床を保障する。さらに、毎月それなりの給金も支払おう。もちろん、俺の稽古を好きなだけ受けていい」
あまりにも破格、いや、異常と言ってもいい優遇条件だった。
ルカの頭脳が猛スピードで回転する。
自分たちのような身元不明の怪しい少年に、なぜそこまでの恩恵を与えようとするのか。
罠か、それとも何か別の意図があるのか。
「……納得がいきません」
ルカは青い瞳を冷たく光らせ、問いただした。
「僕たちはただの浮浪児同然の冒険者です。あなたの道場の門下生を叩きのめした余者でもある。なぜそこまで僕たちに便宜を図るのですか? 僕たちに何か見覚えでも?」
ルカの鋭い指摘に、グレンは一瞬あっけにとられたような顔をした。
そして――ハハハッと、お腹を抱えて豪快に笑い出した。
「ハハハ! 相変わらず可愛気のないガキだな! だが……その鋭さも、あの方の教え通りというわけか」
「あの方……?」
ライカとルカの身体がピクリと強張った。
グレンは笑いを収めると、懐から使い古された一本の木剣を取り出した。
その柄には、無数の小さな傷と、使い込まれた革紐が巻き付けられていた。
「型にはまらない野生の踏み込み。軸を殺さず、最小限の動きで隙を穿つ身体の使い。……そして、胸に秘めた折れない牙。お前たちの剣を見たときから、ずっと引っかかっていたんだ」
グレンの眼光が、温かく、そして深く澄んだ色彩へと変わる。
「俺もな……二十年前、要塞都市のドブ裏で凍えて死にかけていたところを、あの方に拾われたんだよ」
「……え」
「あの方は俺に木剣を持たせ、血を吐くような地獄の稽古をつけてくれた。『生き残りたくば牙を研げ』とな。……俺は、あの方の『弟子第一号』だ」
グレンはゆっくりと二人を見つめ、誇り高くその名を口にした。
「ヴェローナ騎士団長――ガルシア。俺たちの、偉大な師の名だ」
「……ッ!?」
時が止まったかのような衝撃が、ライカとルカの全身を駆け抜けた。
ガルシアの、一番弟子。
自分たちが命懸けで背中を追い、死んでなお胸の中で燃え続けている、あの男の「教え」を最初に受け継いだ男。
自分たちにとっての――『兄弟子』。
「お前たちが身につけているのは、間違いなくガルシア様の剣だ。……あの方が亡くなったという悲報は、このグランベルにも届いている」
グレンは静かに目元を伏せ、低く胸を痛めるように呟いた。
「師の遺志を継ぐ弟弟子たちが、路頭に迷い、身を削っているのを見て見ぬフリができるか。……来い、泥犬ども。ガルシア様の家系を、俺の道場で絶やさせるわけにはいかん」
夕闇が迫る路地裏で、グレンが差し出した大きな手。
その手は、かつて自分たちを拾い上げてくれたガルシアの手と同じように、分厚く、温かく、そしてどこまでも頼もしかった。
ライカとルカの目から、堪えきれなかった涙が溢れ出していた。




