第22話 街の道場
大都市グランベルに潜伏して二週間。
ライカ、ルカ、シオンの三人は、正体を塞ぎながら冒険者ギルドで薬草採取や倉庫の害獣駆除といった低ランクの依頼をこなしていた。
目立たず確実に日銭を稼ぐためだ。
だが、日暮れ時に小さな安宿の物置部屋へ戻ると、アリアが誇らしげに銅貨の入った袋を差し出してくる。大衆酒場の給仕で稼いできたチップだ。
手や服を汚しながらも健気に笑う彼女の姿に、少年たちの胸は締め付けられるような想いだった。
(このままじゃダメだ……)
ギルドの依頼だけでは、到底「力」はつかない。
ガルシアを失ったあの夜の無力さを思い出すたび、ライカの腹の底で焦燥の炎がくすぶっていた。
そんなある日の午後。
依頼の帰りにグランベルの上層区を歩いていたライカとルカは、重厚な木門を構える立派な建築物の前に足を止めた。
威風堂々とした看板には『グランベル一閃館』と刻まれている。
門の奥からは、静寂を切り裂くような乾いた木剣の音と、門下生たちの気迫に満ちた掛け声が響いていた。
「へえ……大都市の道場か。ヴェローナの騎士団の稽古場並みにデカいな」
ライカが物珍しそうに門の中を覗き込む。
「立ち止まるな、ライカ。僕たちの服装は目立つ。余計なトラブルは起こすな」
ルカが短く注意を促した。二人は冒険者の粗末な革鎧と、使い古したマントを羽織っている。
洗練された上層区の景観においては、明らかに浮いた存在だった。
だが、立ち去ろうとしたその時――門扉が開き、数人の同年代の少年たちが姿を現した。
「おい、そこのドブネズミども。うちの敷地前で何をごそごそしてやがる」
先頭に立つのは、整った顔立ちをした十五歳ほどの少年だった。
仕立てのいい上等な道着を身に纏い、腰には装飾の施された練習用の木剣を差している。
その眼光は、露骨な蔑みと傲慢さに満ちていた。
「ただ通りかかっただけだ。邪魔をしたなら失礼する」
ルカが冷静に言い放ち、ライカの肩を叩いて歩き出そうとした。
しかし、その態度の素気なさが気に入らなかったのか、生意気な少年――アルトはフンと鼻を鳴らし、二人を嘲笑うように言った。
「ハッ、冒険者の落ちこぼれか。汚い泥と血の匂いを撒き散らしやがって。そういう浮浪児の真似事は、下層区のゴミ捨て場にでも戻ってやるんだな。一閃館の視界に入るだけで不快だ」
「……何だと?」
ライカの足がピタリと止まった。赤髪の下で、目元が鋭く細められる。
「ライカ、やめろ。相手にするな」
ルカが制止しようとするが、アルトは調子に乗ってさらに吐き捨てた。
「なんだ、その豚のような睨みは? 少しはましな剣でも振れるつもりか? お前らみたいなのが握る剣なんて、野良犬が骨をしゃぶるのと変わらん浅知恵だろうが」
「野良犬……ねえ」
ライカはゆっくりと振り返った。
腹の底から冷たい怒りが沸き上がっていた。
かつてベルガモで、ヴェローナで、何度も叩きつけられた理不尽な見下し、そして何より、命懸けで自分たちに剣の『道』を叩き込んでくれたガルシアの教えまでもが、この温室育ちのガキに侮辱された気がしたのだ。
「いい度胸だ、お坊ちゃん。その高そうな木剣、飾りじゃねえなら……一回試してみるか?」
「ハッ! ドブネズミが調子に乗るなよ!」
アルトが不敵に笑い、腰の木剣を抜き放った。後ろの門下生たちが「アルト様、そんなゴミ相手に……」「分からせてやってください」と囃し立てる。
「後悔しても知らんぞッ!」
アルトが踏み込んだ。
なるほど、名門道場の花形門下生らしく、その軌道は綺麗で無駄がなかった。鋭い突きがライカの喉元へと一直線に伸びる。教科書通りの美しい一撃。
だが――。(遅い)
死線を幾度も潜り抜け、大陸屈指の猛者ガルシアの超絶的な打撃を食らい続けてきたライカにとって、その攻撃はあまりにも欠醒していた。
死気も、殺意も、生き残るための覚悟すら入っていない「お遊び」の領域。
ガァンッ!!
「な……ッ!?」
ライカは半身を引いて突きの軌道を最小限で交わすと、背負っていた練習用の無骨な太い木剣を、力任せに振り下ろした。
野性的な爆発力と、ガルシア直伝の体幹から繰り出される圧巻の重撃。
アルトの木剣は一瞬で弾き飛ばされ、遥か上空へと舞い上がった。
「な、何だその腕力――ぐはッ!?」
衝撃に目を見開くアルトの顔面に、ライカの容赦ない左拳が叩き込まれた。
鈍い骨音が響き、アルトの身体が石畳を転がる。
だが、ライカの攻撃はそれでは終わらなかった。
「泥を舐めたこともねえガキが……剣を語ってんじゃねえよッ!!」
ライカは跳びかかり、立ち上がろうとするアルトの腹部を容赦なく蹴り飛ばし、打ち据えた。
実戦の泥臭い打突、脇腹への容赦ない柄打ち、そして体勢を崩しての顔面への一撃。きれい事一切なしの、完璧な「叩きのめし」だった。
「ひぐッ!? ぎゃ、あぁぁッ!?」
悲鳴を上げるアルト。
あれほど高飛車だった少年の顔は瞬く間に鼻血と泥でぐしゃぐしゃに汚れ、石畳の上で悶絶して虫のように丸まった。
「あ、アルト様が……ッ!?」「おい、化け物かあいつは!?」
後ろの門下生たちが青ざめ、腰を抜かして退くだけ。
「……ハッ、口ほどにもねえな」
肩で息を吐きながら、ライカは木剣を肩に担ぎ直した。
「ライカ……やりすぎだ」
一部始終を冷ややかな目で見つめていたルカが、額を押さえて深い溜息をついた。
「こいつはグランベルでも有数の道場の門下生だぞ。こんな街中でボコボコにしたら、絶対に後引くトラブルになる……」
「……あ」
頭が冷えたライカが、石畳で泡を吹いて倒れているアルトを見下ろし、バツの悪そうな顔をした。
新天地グランベルでの静かな潜伏生活という誓いは、到着早々、ライカの溢れ出る血気によって派手に打ち砕かれることとなったのだった。




