第2話 黒い徴税人
翌朝、空を覆っていた重い雨雲は少しずつ去ったものの、湿った嫌な空気が村全体に漂っていた。
ライカとルカは、まだ朝靄が残る早朝から村外れの森に入り、食用になる山菜や木の実を必死にかき集めていた。
二人が手に持った小さな布袋は、どれだけ時間をかけて探してもなかなか膨らんでくれない。
少しでも遠くへ旅立つための糧を得るため、二人は泥に指を突っ込みながら無言で手を動かし続けていた。
「……やっぱり、この付近の森も食い荒らされているな」
鮮やかな赤髪を濡らしながら、ライカが悔しそうに舌打ちをした。
手に持っているのは、かろうじて食べられそうな硬い木の根と、小指ほどの大きさしかない小さな野草だけだった。
「当たり前だよ。僕たちだけじゃなく、村人全員が飢えているんだからね」
冷たい水で濡れた青髪を気にすることもなく、ルカが静かに布袋の口を縛りながら答えた。
その手つきは無駄なく洗練されていたが、顔色は決して優しくはない。
「干し肉の残りと合わせても、二人で二日分……ううん、一日半持てばいい方かな。このペースじゃ、要塞都市に辿り着く前に僕たちが干からびるよ」
「ちくしょう……! なんで俺たちがこんな思いをしなきゃならねえんだ」
ライカは拾った枝を激しく地面に叩きつけた。
折れた枝が悲鳴のような音を立てて弾け飛ぶ。
「数年前までは、もっとマシだったはずだろ。親父たちがいた頃は、腹いっぱい飯が食えたし、こんな惨めな暮らしじゃなかったはずだ!」
「思い出に浸ってもお腹は膨らまないよ、ライカ」
ルカの声音には、一切の情念が含まれていなかった。
「王都で始まった内乱のせいで、僕たちの領地を治めていた領主様は真っ先に戦場に駆り出されて戦死した。後釜に座った新しい代官は、自分たちの戦費を稼ぐためにこの辺境から根こそぎ奪い取っていく。……ただそれだけのシンプルな理屈だ」
「シンプルだか何だ知らねえが、踏みつけられる俺たちの身にもなってみろってんだ!」
ライカが血気盛んに胸を張り、燃えるような赤髪を揺らした。
「俺に力さえあれば、そんな代官だろうが将軍だろうが、全員ぶちのめしてやるのに!」
「その『力』がないから、僕たちはこうして森で草の根を掘り返しているんだ。現実を見なよ」
ルカは淡々と、しかし容赦なく正論を突きつける。
冷徹な青い瞳は、常に自分たちが置かれた絶望的な位置を見つめていた。
「文句を言っても世界は変わらない。生き残りたいなら、思考を止めるな。……さあ、もう少し奥の群生場所まで行ってみよう。危険だけど、あっちならもう少し実が残っているかもしれない」
「……へいへい。分かったよ、参謀様」
ライカは不機嫌そうに鼻を鳴らしたが、ルカの指示に従って立ち上がった。
二人がさらに森の深部へ足を踏み入れようとした、その時だった。
――ドトッ、ドトッ、ドトッ、ドトッ。
地鳴りのような重い振動が、湿った森の土を通じて二人の足裏に伝わってきた。
樹木に止まっていた野鳥たちが一斉に羽ばたき、不吉な鳴き声を上げて空へと逃げていく。
それは、重装甲を纏った軍馬が無数に地面を蹴り立てる蹄の音だった。
さらに、重い鉄の甲冑が擦れ合うカチャカチャという嫌な金属音が混ざり合い、村の方角から人間の甲高い悲鳴と怒号が聞こえ始める。
ライカの表情が一瞬で強張った。
「村の方からだ……! ルカ、行くぞ!」
「待って、ライカ! 相手の数と正体を確認してから――!」
ルカの制止の声が届くよりも早く、ライカは赤い髪を風になびかせて森を跳び出していた。
ルカは深く息を吐き出し、己の迂闊さを呪うように舌打ちをする。
「まったく……あいつのあの猪突猛進癖だけは、どうにかしないといつか二人して死ぬな」
ルカは腰の細身の剣が鞘から抜けないよう手で押さえ、泥を蹴ってライカの後を追った。
村の中央広場に駆け戻った二人の目に飛び込んできたのは、まさに地獄のような光景だった。
漆黒に塗装された無骨な鉄鎧に身を包んだ兵士たちが、十数名。
整然と列をなし、鋭い槍や長剣を手に村人たちを取り囲んでいた。
その中心で、一際立派な軍馬に跨がっている男が、見下すような視線を泥まみれの村人たちに向けている。
男の胸元には、ガルディナ王国軍の血のような赤と金をあしらった紋章が刻まれていた。
「おいおい、なんだこのゴミのような量は。これが、この村が今年納める『追加の徴税』だと言うのか?」
徴税隊長を務める男――重厚な兜の隙間から汚らしい太い髭を覗かせた男が、冷酷な声を広場に響かせた。
男が乗る軍馬の足元には、村人たちが命を繋ぐために命がけで残していた、わずかな麦の袋や乾燥野菜の籠が転がされていた。
村の長である白髪の老人が、泥の中に額を何度も擦りつけるようにして平伏していた。
「お、お許しください、隊長様……! 今年の日照りと先日の大雨で、畑の作物はほとんど全滅でございます! これでも、村中の家々から明日の食べものすら削って、かき集めたもので……これ以上は、わしらの命を差し出すしかございません……!」
「命などいらん。役立たずの貧民の命など、固いパンの一切れにもならんからな」
隊長は心底不快そうに唾を吐き捨てると、傍らに控える凶暴な目つきをした兵士たちに顎で指示を出した。
「家々をくまなく捜索しろ。隠してある糧食、種モミ、少しでも金目になりそうなものはすべて接収する。抗う者は反乱分子とみなして、その場で処分して構わん」
「はっ!」
兵士たちが野獣のような下卑た笑みを浮かべ、一斉にボロ小屋へと押し入っていく。
扉が破られる悲鳴、家具が叩き壊される惨状、そして納屋が引き倒される轟音が広場に響き渡った。
「やめて! それは来年の種モミなんです! それまで奪われたら、私たちは本当に……!」
幼い子供を抱えた母親が、種モミの袋を抱えて兵士にしがみついた。
しかし、兵士は鬱陶しそうに顔を歪めると、鉄で補強された軍靴で容赦なく母親の腹を蹴り飛ばした。
「ぐはっ……!?」
「うわあああ! おかあさん! おかあさん!」
泥の中に転がり、苦しみに呻く母親と、泣き叫ぶ幼い子供。
兵士はその姿を鼻で笑い、乱暴に袋を奪い取った。
「てめえら……ふざけるなッ!!」
崩れかけた民家の影からその光景を見ていたライカの目が、血走ったように真っ赤に染まった。
全身の血が逆流し、激しい怒りで激しく拳を握りしめる。
爪が皮膚に食い込み、手から血が滲み出していた。
ライカは腰の錆びた軍刀の柄に手をかけ、一歩を踏み出そうとした。
「……やめろ、ライカ!」
その肩を、強烈な力で押し止める手があった。
追いついたルカだ。
ルカの指先は、ライカと同じように激しい怒りでわずかに震えていた。
しかし、その澄んだ青い瞳は、驚くほど冷徹に周囲の兵士たちの配置や武装を分析していた。
「放せルカ! 見ただろあいつら! 女や子供にまで暴力を振るって、食べものを全部奪っていきやがる! 黙って見ていられるかよ!」
「聞こえるような声を出すな、馬鹿!」
ルカはライカの襟首を強引に引き寄せ、低い低音で鋭く囁いた。
「相手は完全武装の正規兵が十五人、馬に乗った隊長が一人だ! 全員が鉄の胸当てと丈夫な革鎧を着ている。僕たちのこんな刃こぼれした錆びた剣で、あいつらの甲冑を貫けると思うのか!?」
「だからって、黙って見過ごすのが正解だってのかよ!?」
「今出たら、僕たちが真っ先に斬り捨てられて、その後に村人が見せしめに全員殺されるだけだ!」
ルカの青い瞳が、刺すような鋭さでライカの赤々とした瞳を射抜いた。
「感情で動くな、ライカ! 僕たちが死んだら、誰がこの理不尽な奴らに一矢報いるんだ!? 今は耐えろ……頼むから耐えてくれ!」
ライカは激しく歯を喰いしばり、唇を噛み切った。
口の中に、生臭い鉄の味が広がる。
ルカの言っていることが、ぐうの音も出ないほど完璧な「正しい判断」であることくらい、痛いほど理解していたからだ。
力がない者の怒りは、権力と暴力を持つ者にとってただの心地よい羽虫の羽音に過ぎない。
己の圧倒的な無力さが、冷たい泥のように身体を重く縛り付けていた。
二人が息を潜めて影に伏せている間にも、惨劇と略奪は容赦なく進められていった。
兵士たちは村人が血と汗で守ってきた最後の命綱である穀物袋を、次々と馬車へ積み込んでいく。
「隊長様、これ以上は本当に……本当に何もございません……!」
血を吐くような村長の悲痛な叫びも、徴税隊長の心には届かない。
隊長は馬上で優越感に浸りながら、冷たい嘲笑を浮かべ、腰の長い軍刀の柄にゆっくりと手を置いた。
「収穫が少ないのはお前たちの怠慢だ。王国の庇護を受けながら税を怠るなど、反逆と同義である」
隊長の全身から放たれた刺すような殺気が、冷気となって広場全体を支配した。
陰で見守るルカの額から、冷や汗がすっと伝い落ちる。
「……まずいな。あの男、最初から税を取るのが目的じゃない。反乱の芽を摘むために、見せしめに血を流すつもりだ」
ルカの呟きに、ライカの赤髪が小さく揺れた。
極限の緊張と不穏な予感が、少年たちの全身の皮膚を不快に刺し穿っていた。
王国の横暴という理不尽な圧迫が、ついに少年たちの首元にまで冷たい刃を突きつけようとしていた。




