第1話 泥の中の兄弟
オメガ建国記より遡るのこと千年前…まだ、剣技も魔法も荒削りな世界だった、そんな大昔の伝説の物語。
王の死によって始まった、10年におよぶ果てなき内乱。
三人の王子たちが覇権を争い、過酷な徴税と戦火が国土を苛む中、故郷の村を焼かれた二人の孤児の少年――直感と野生の剛剣を振るう赤髪のライカと、冷徹な頭脳で隙を穿つ青髪のルカ。
食料も身元もなく、追手と飢餓に怯えながら路地裏で残飯をあさる「野良犬」以下の生活。
理不尽な社会の壁に叩きのめされ、絶望の泥の中に沈みかけた二人は、三男ルキウスの治める穀倉都市ヴェローナで、伝説の剣豪にして騎士団長ガルシアと出会い、二つの刃は静かに研ぎ澄まされていく…そして大陸全土にその名を轟かせていく…一閃流の「二つの刃」として。
王道冒険ファンタジー開幕
二人の戦士の英雄譚
空を覆う鈍色の雲から、冷たい小雨が降り続いていた。
エルディール大陸の東の最果て、ガルディナ王国の辺境に位置する「リブート村」は、今日も死んだように静まり返っている。
干上がった畑、泥に塗れた骨組みだけの家々、そして空腹に喘ぎながら虚ろな目でたたずむ村人たち。
かつては豊かな開拓村だったという面影は、内乱の渦に呑み込まれたこの数年ですっかり削り取られていた。
「よし……これで、どうだっ!」
村はずれにある崩れかけの納屋の裏手。
湿った土を力強く蹴り上げ、一人の少年が跳躍した。
燃え上がる炎のような赤髪を振り乱し、手に握った一振りの剣を振り下ろす。
刃こぼれだらけで、なかば錆びついた粗悪な軍刀。
しかし、その振りの鋭さと重さは、年相応の少年の領域を優に超えていた。
空気を切り裂く突風とともに、立てかけられた太い丸太に深々と刃が喰い込む。
「っし! かなり深く入ったぞ!」
少年――ライカは、汗と雨が混ざり合った顔を拭い、ニッと野性味あふれる笑みを浮かべた。
十五歳という年齢にしては引き締まった身体と、ギラギラとした鋭い眼光。
貧困と暴力が日常のこの村で、彼の内に秘められた生命力だけは衰えることを知らなかった。
「……甘いね。力に頼りすぎだ、ライカ」
背後から、静かだが冷ややかな声が届く。
振り返ると、雨を避けるように破れかけた軒下に立つもう一人の少年がいた。
澄んだ刃を思わせる深い青髪に、線の細い顔立ち。
使い古した灰色の布切れを肩から羽織り、研ぎ澄まされた静寂を纏っている。
同い年の親友、ルカだ。
ルカは手に持った細身の直剣――こちらも各所に刃こぼれがある骨董品のような品だが――の柄に手を置いたまま、呆れたように息を吐いた。
「丸太相手なら満足かもしれないけれど、本物の人間や魔物は止まってくれない。そんな大振り、僕なら簡単に懐に入って喉元を突くよ」
「ああん? なんだよルカ、言わせておけば! だったらお前が受けてみろよ!」
ライカが血気盛んに剣を構え直すと、ルカは静かに歩み寄った。
その足取りには無駄がなく、泥を踏む音すらほとんど聞こえない。
「いいよ。手本を見せてあげる」
次の瞬間、ライカは地面を蹴った。
先ほどよりも一瞬早く、一直線にルカの頭上へと剣を振り下ろす。
直感と野生の反射神経が生み出す、圧倒的な猛攻。
しかし、ルカの体はすでに動いていた。
振り下ろされる直前、ルカは最小限の動きで右に体を軽く捻る。
ライカの剣が虚空を切り、空を切った質量で身体が前傾したその一瞬――ルカの細身の剣が、ライカの首元にピタリと突きつけられていた。
「……チッ」
ライカは不機嫌そうに喉を鳴らし、剣を下ろした。
「相変わらず嫌らしい戦い方すんな。正面から受け止めろってんだ」
「正面から受け止めたら、力で勝る君に押し切られる。最小の労力で、確実に相手を仕留める。それが僕の戦い方だ」
ルカは冷静に剣を鞘に収めると、空を見上げた。
「……それにしても、雨が強くなってきたね。そろそろ戻ろう。今日の『成果』を確認しないと」
二人は命を繋ぐために身を寄せる、村の端の崩れかけたボロ小屋へと足を向けた。
彼らには親がいない。
数年前、王国内乱の波火がこの辺境まで及び、双方の軍勢によって村が焼き払われた際、二人とも家族を失った。
「戦争孤児」というレッテルを貼られ、今日まで生き延びてきたのは、互いの存在があったからこそだ。
小屋の中に入り、ルカは小さな袋の中身を粗末な木机の上にぶちけた。
「……これだけか?」
ライカの顔が曇る。
机の上に転がったのは、乾いて固くなった干し肉の片端と、萎びた小さな芋が二つだけ。
これが、二人が一日中、森や廃墟をあさって手に入れたすべての食料だった。
「村全体の備蓄も底をつきかけている。森の獲物も減る一方だ。王都からの補給線が断たれて、流通が完全に死んでいるからね」
ルカは淡々と、しかし冷酷な事実を口にする。
「このままだと、内乱の兵隊が来る前に、僕たちは冬を越せずに餓死する」
「ふざけるな!」
ライカが激しく机を叩いた。
「こんな泥溜まりみたいな村で、ただ飢えて死ぬのを待つなんて御免だ! ルカ、出ようぜ。この村を抜けて、冒険者になろう!」
「冒険者、ね」
ルカは感情の読めない瞳でライカを見つめた。
「言うのは簡単だけど、ここから一番近いギルドがある『要塞都市』まで、徒歩で最低でも一週間。街道には山賊も出れば、飢えた魔物も徘徊している。満足な装備も食料もない僕たちが行ったところで、途中で野犬の餌になるのが落ちだ」
「だからって、ここでじっとしてたら死ぬだけだろ! 俺たちの剣があれば、魔物だって山賊だって倒せる!」
「甘いよ、ライカ」
ルカの声が低くなる。
「さっきの丸太打ちと同じだ。君の情熱だけで腹は膨らまないし、鉄の鎧を着た兵士の首は跳ね飛ばせない。生き残ることが最優先だ。そのためには、勢いだけじゃなく『時機』を待つ必要がある」
「時機ってなんだよ! 今がその時じゃないのかよ!」
熱くなるライカと、冷ややかに返すルカ。
二人の意見はいつだって衝突した。
攻撃的で直情的なライカと、慎重で現実主義のルカ。
性格も戦い方も正反対の二人。
だが、ライカは知っていた。
ルカがこうして理屈を並べ立てるのは、決して逃げたいからではない。
ただひたすらに、二人で「生き残る」ための最善策を泥臭く模索しているからなのだと。
沈黙が小屋を包む。
雨音がトタン屋根を激しく叩く音だけが響いていた。
「……ルカ」
「なに?」
「俺はさ。強くなりたいんだ」
ライカは手元の錆びた軍刀の柄を、血が滲むほど強く握りしめた。
「強くならなきゃ、誰も守れない。自分の命すら、誰かの気分ひとつで踏みにじられる。そんなの、もう嫌なんだ。俺たちの力で這い上がって、いつかこの理不尽な世界全体を見返してやりたい」
ライカの瞳に宿る赤々とした怒りと渇望の炎。
ルカはその目を見つめ返し、小さくため息をついた。
「知ってるよ。……君がどれだけ馬鹿で、どれだけ真っ直ぐかくらい」
ルカは干し肉を二つに切り分け、半分をライカに差し出した。
「僕だって、一生この泥の中で果てる気はないよ。だからこそ、死なない準備をするんだ。明日も森へ行く。少しでも乾パンの代わりになる木の実を集める。……旅立つのなら、せめて三日分の食糧を確保してからだ」
「……おう! 約束だからな、ルカ!」
ライカは差し出された肉をひったくるように受け取り、ニッと笑った。
ルカもまた、呆れたように、けれどどこか心強いような薄い笑みを浮かべた。
貧困と絶望に塗りつぶされた最果ての村。
だが、この狭く汚い小屋の中で、赤と青の二つの刃は静かに、確実に研ぎ澄まされていた。
このとき二人にはまだ知る由もなかった。
彼らが「時機」と呼んだその運命の瞬間が、王国の理不尽な暴力という最悪のかたちで、目と鼻の先まで迫っているということを――。




