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第19話 托された命

 英雄の死は、一都市の平穏を崩壊させるのに十分すぎる激震だった。


 ガルシアを失ったヴェローナの街は、一夜にして底知れぬ恐怖と混乱に叩き落とされた。


 国境を破った次男ゼノヴィス派の精鋭大軍が、怒涛の勢いで押し寄せてくる。


 さらに最悪なことに、ガルシアを裏切った重鎮の手引きにより、防衛の要であった外郭要塞はあっけなく開城され、敵の手中に落ちていた。


 もはや、ヴェローナの陥落は時間の問題だった。


 街道には避難を始める領民の悲鳴が渦巻き、かつて黄金色の麦畑が広がっていた平和な都市は、今や黒い煙と絶望に覆われつつあった。

 



 館の灯りが力無く揺れる居間で、ライカとルカは血の気の失せた顔で武器を整えていた。


 胸を刺すような喪失感と怒りが、二人を狂わせそうになっていた。だが、悲しみに暮れている時間すら、押し寄せる現実の脅威は与えてくれなかった。


「ライカ、ルカ……二人とも、いるか」


 静かに重い扉を開けて入ってきたのは、数人の親衛兵を従えた一人の男――ヴェローナ領主、伯爵その人だった。


 その顔には深い疲労と悲壮な決意が刻まれていた。


 盟友ガルシアの死に、彼自身もまた胸を切り裂かれるような痛みを抱えているはずだった。


 だが、領主としての瞳には、最後の矜持が宿っていた。


「伯爵様……どうしてここへ? 街の防衛は……」


 ルカが問いかけると、伯爵は力無く首を振った。


「防衛線はすでに崩壊した。重鎮どもの裏切りにより、城門を守る兵の士気は霧散した……。この街は、あと数時間でゼノヴィスの鉄靴に踏み荒らされるだろう」


「そんな……! だったら伯爵様も逃げてください! 俺たちも一緒に戦います!」


 ライカが叫ぶが、伯爵は静かに手を開いてそれを制した。


「私には逃げる道などない。領主として、この街と運命を共にするのが私の責務だ。……だが、お前たちに頼みたい『最後の願い』がある」


 伯爵は振り返り、自らの背後に隠れるように立っていた一人娘――アリアの肩に手を置いた。


 アリアの瞳には溢れんばかりの涙が溜まり、唇を強く噛み締めている。


「アリアを……私の一人娘を、この街から連れ出してほしい」


「お父様ッ! 嫌です! 私はお父様と一緒にここに残ります!」


 アリアが叫び、伯爵の衣にすがりついた。しかし伯爵は、娘の頭を慈しむように優しく撫で、固い決意を込めてライカとルカを見つめた。


「ゼノヴィス軍が城に入れば、伯爵家の血筋であるアリアは容赦なく処刑されるか、見せしめの道具にされる。……ガルシアはお前たちを『誇り高き息子』と呼んでいた。その言葉を信じる。お前たちの強さで、どうかアリアを護り抜き、三男ルキウス殿下の直接統治する隣都市まで逃げ延びてくれ」


 伯爵は深く、深く二人に向かって頭を下げた。一国の領主が、一年前まで泥を舐めていた孤児の少年に頭を下げているのだ。


「頼む……ガルシアの息子たちよ。私の命に代えても、この子を生き残らせてくれ」


「伯爵様……」


 ライカは胸の奥が熱く焦げるのを感じた。

 自分たちを拾い、名前をくれ、守るべきものを教えてくれたガルシア。


 そのガルシアが命を懸けて仕えた男が、いま自分たちに我が子の命を託そうとしている。


「……引き受けます」


 ルカが前へ出、伯爵の前に膝をついた。その青い瞳には、涙を拭い去った冷徹で強固な覚悟が宿っていた。


「ガルシア様の名において……アリアお嬢様は、僕たちが必ず命に代えても護り抜きます」


「ルカ……! ありがとう……本当に、ありがとう……」

 



 伯爵が城へ戻り、街の最後の防戦へと向かった後。


 館の奥から、やつれ果てたマリアが静かな足取りで現れた。

 夫の悲報を聞いて倒れてから、一気に老け込んでしまったかのように小さく見える背中だった。


 その傍らには、魔法杖を握りしめたシオンが立っていた。


「マリアさん! 一緒に逃げましょう! この街はもう危ないです!」


 ライカが駆け寄ると、マリアは静かに微笑み、首を横に振った。


「いいえ、ライカ。私はここに残るわ」


「な……なんでだよッ!? ガルシアのおっさんも居ねえのに、なんでこんな街に残るんだよ!」


「ここはね……あの人と私が、あなたたちと一緒に『家族』になった大切な家なのよ」


 マリアは温かい手でライカとルカの頬を優しく撫でた。


「あの人が守ろうとしたこの家を、私は捨てたくないの。……それに、ゼノヴィスの兵隊が来ても、私が残っていれば、あなたたちが逃げた時間を少しでも稼げるかもしれないでしょう?」


「そんなのダメだッ! マリアさんまで死んじゃ嫌だッ!」


 ライカの目から、溜め込んでいた涙が溢れ出した。

 ガルシアを失い、さらにマリアまで失うことなど、耐えられるはずがなかった。


「泣かないで、ライカ。……私はね、あの人の妻になれて、あなたたちの母親になれて、本当に幸せだったわ」


 マリアはシオンの背中を、そっと二人のほうへと押し出した。


「シオンを……この子を連れて行って。ガルシアが残してくれたこの子の才能を、あなたたちの力で未来へ繋いであげて。……お願いね、私のかわいい息子たち」


「マリア様……ッ!」


 シオンが堪えきれずにマリアの胸へ飛び込み、声を上げて泣き伏した。マリアは愛おしそうにシオンを抱きしめ、何度もその髪を撫でた。


「行きなさい。立ち止まってはダメよ。あなたたちには、生き抜くための『刃』があるんだから」


 マリアの言葉は、まるで命を賭した祝福のように、二人の魂に深く刻み込まれた。


 ガルシアの死、領主の覚悟、そして母の無償の愛。


 かつて自分勝手に生きることしか知らなかった二人の少年は、いま、大人たちの大きな犠牲と強い意志を受け止め、自らの背中に重い「命」を背負う戦士となっていた。


「……行くぞ、シオン、アリア」


 ライカは袖で強引に涙を拭うと、腰の軍刀の柄を強く握りしめた。

 その赤髪の奥で燃える瞳は、もう迷いも恐怖も映していなかった。


「俺たちが二人を護る。どんな敵が来ようと、切り伏せて前へ進む」


「ああ。ガルシア様の意志も、マリアさんの想いも……僕たちが繋ぐんだ」


 ルカもまた、細身の直剣を引き抜き、静かに刃先を正した。


 遠くで城門が破られる凄惨な破壊音が響き、兵士たちの怒号がヴェローナの街道へと雪崩れ込んでくる。


 迫り来る暗雲の中、少年たちは大切な家族の想いを胸に、滅びゆく都市からの脱出へと踏み出した。

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