第17話 陽だまりの季節
10年の長きにわたって国を切り裂く泥沼の内戦は、なおも激しさを増していた。
東では次男ゼノヴィスが過酷な軍政をしき、南では四男ヴィンセントが潤沢な金で集めた傭兵群を解き放つ。
殺戮と飢餓が王国の全土を覆い尽くす中、奇跡のように平穏を保っている場所があった。
三男ルキウスの支配地域――その中心に位置する「穀倉都市ヴェローナ」である。
「帰還だ! ガルシア騎士団長のお帰りだぞ――ッ!」
開け放たれた城門から、重厚な鉄の長列が進軍してくる。
先頭に立つのは、黒毛の巨馬に跨がった巨漢――ヴェローナ騎士団長ガルシアだった。
国境付近で頻発していたゼノヴィス軍の強襲部隊を、ガルシアはわずか数百の騎兵を率いて完璧に叩き潰し、無傷で帰還を果たしたのだ。
「ガルシア様! 万歳!」「ヴェローナの不敗の獅子万歳!」
石畳の街道を埋め尽くす領民たちから、雷鳴のような歓声と惜しみない拍手が送られる。
ガルシアは太い腕を軽く挙げ、不敵な笑みを浮かべてそれに応えた。
『大陸で五本の指に入る』と謳われたその武術と圧倒的な統率力は、いまや戦場において敵を戦慄させ、三男ルキウス派の揺るぎない絶対防壁としてその威名をとどろかせていた。
「ただいま、マリア。……腹が減ったぞ」
武具を外し、ただの私服に着替えたガルシアが館の重い扉を開けると、そこには戦場の緊張感とは無縁の、温かな家庭の匂いが満ちていた。
「お帰りなさい、あなた。無事で何よりだわ」
出迎えた妻マリアが、洗いたての手ぬぐいを差し出す。その横から、待ってましたと言わんばかりに三人の少年たちが飛び出してきた。
「おっさん! お帰り! 今回も全勝だったんだろ!?」
「ガルシア様、お疲れ様でした。怪我はありませんか?」
「お湯の準備はできています、ガルシア様」
目を輝かせるライカ、冷たさの中に温かな敬意を込めて迎えるルカ、そして気回しの利くシオン。
この一年で、三人は見違えるほどの成長を遂げていた。
冒険者ギルドに登録して以降、彼らはガルシアの養子として、街の周辺に出没する魔物の討伐や行商人の護衛といった依頼を次々とこなしていた。
実戦を経験したことで、ライカの剛剣とルカの巧妙な隙突き、シオンの正確な支援魔術はさらに磨かれ、若い冒険者たちの間でも一目置かれる存在になりつつあった。
「ハッ、あんな小細工ばかりの連中に遅れをとるかよ。おい、今日のご飯は何だ?」
「ふふ、今日はあなたたちのために、アリアちゃんが上等な鹿肉を届けてくれたのよ」
マリアが微笑むと、食堂の奥から「誰があなたたちのために届けてあげたって言いましたの!?」と顔を真っ赤にしたアリアが身を乗り出してきた。
「お父様が『騎士団長への労いだ』っておっしゃったから持ってきてあげただけですわ! 勘違いしないでちょうだい、ライカ!」
「はいはい、わかってるって。感謝して食うよ、お嬢様」
ニッと不敵に笑うライカに、アリアは「もう、相変わらず生意気ね!」と憤慨してみせるが、その瞳には親しい仲間と過ごす喜びが隠しきれずに溢れていた。
大皿に盛られた鹿肉のシチューと、焼き立ての芳醇なパンが食卓を埋め尽くす。
ガルシアが豪快にワインの盃を干し、ライカとルカが大きな肉を奪い合い、それをシオンが苦笑いしながら宥める。
マリアとアリアが楽しそうに笑い声を響かせる。
血の繋がりなど、どこにもない。
かつて泥に塗れ、カビの生えた残飯をあさり、社会の底辺で野良犬のように怯えていた孤児たち。
彼らが今、こうして温かな灯火の下で、本当の家族として笑い合っている。
食後、ガルシアが満足そうに酒瓶を傾けて眠りについた頃、ライカ、ルカ、シオンの三人は夜風に当たるため、館の縁側に腰を下ろしていた。
アリアもまた、膝を抱えてその横に並ぶ。
「……信じられないな」
夜空を見上げながら、ライカが静かに呟いた。自分の大きな掌を見つめ直す。
「一年前は、明日の飯どころか、今日生き残れるかも分からなかった。街の奴らにはゴミみたいに追いやられて、冷たい泥の上で震えてた……。なのに、いまは屋根があって、温かい飯があって、帰る家がある」
「……ガルシア様とマリアさんのおかげだね」
ルカが深く頷いた。青い瞳に、月光が静かに反射する。
「僕たちに『生きる意味』と『名前』をくれた。……僕は、この温かい場所を守るためなら、自分の命だって惜しくないよ」
「僕もだよ」
シオンが穏やかに、しかし確固たる意志を込めて言った。
「二人と一緒に、ガルシア様やマリアさん、アリアさんを守りたい。僕たちの力で」
「ちょっと、シオンまで変なこと言わないでちょうだい」
アリアが少し声を詰まらせながら、みんなの顔を見回した。
「あなたたちが命を捨てるなんて言ったら、マリアさんもお父様も悲しむわ。……ずっと、こうしていればいいのよ。内乱なんていつか終わるわ。そうしたら、みんなでずっと、この街で過ごせばいいじゃない」
「……そうだな」
ライカは笑い、固い拳を胸の前で握りしめた。
「俺たちが強くなれば、誰もこの家に手を出させやしない。俺たちの刃で、この平穏を絶対に護ってみせる」
夜風が、四人の頬を優しく撫でて吹き抜けていく。
戦火の絶えない地獄のような世界で、奇跡のように手に入れた「陽だまりの季節」。
少年たちは、自分たちが手に入れた大切な居場所を噛み締め、互いの絆をより一層固く結び直していた。
だが――平和という名の薄氷は、あまりにも容易く砕け散る宿命にあった。
数日後の深夜。
ガルシアの書斎に、ヴェローナ城から緊急の密使が訪れた。
三男ルキウス軍の国境防衛線において、次男ゼノヴィス派の精鋭部隊が大規模な侵攻を開始したという報せだった。
「急な出撃になる、ガルシア」
急報を受け取り、鎧を纏うガルシアの背中に、ルカが鋭い懸念を抱いて歩み寄った。
「ガルシア様……今回の出撃、少し不自然ではありませんか?」
「ほう? 何がだ、ルカ」
ガルシアが重厚な胸甲の金輪を締めながら振り返る。
「敵の侵攻ルートがあまりにも都合よく我が方の補給路を突いています。それに、国境を守る貴族将校たちの動きが遅すぎる……。まるで、意図的に防衛線を削って、ガルシア様を前線へ引きずり出そうとしているかのように見えます」
ルカの冷徹な分析に、ガルシアは一瞬だけ目を見開いた。
そして、ふっと自嘲気味な笑みを漏らした。
「……相変わらず鋭いガキだな、ルカ」
「では、やはり……!」
「ヴェローナ内部にも、ゼノヴィスの金や権力に目が眩んだ『裏切り者』がいるんだろうよ。俺の存在を疎ましく思っている重鎮どもがな」
ガルシアの言葉に、部屋に居合わせたライカとシオンも息を飲んだ。
「だったら行っちゃダメだ、おっさん! 罠だと分かっててなんで行くんだよ! 伯爵様に言って、裏切り者を叩き潰せばいいだろ!?」
ライカが激昂して詰め寄るが、ガルシアは大きな手でライカの赤髪を力任せにワシワシと撫で回した。
「言えるわけなかろうが、証拠もないのに。それに……俺が退けば、前線で命を張っている若い部下たちが全滅する。伯爵様が命懸けで守ってきたこのヴェローナに、敵の鉄靴を踏み入れさせるわけにはいかんのだよ」
「おっさん……」
ガルシアは腰の巨剣を確かめると、三人の少年たちを正面から見据えた。その眼光には、一切の迷いも恐怖もなかった。あるのは、一人の武人としての、そして「父親」としての絶対的な覚悟だった。
「ライカ、ルカ、シオン。……留守の間、マリアとアリアを頼んだぞ。お前たちは俺の誇り高き『息子』だ。何があろうと、あの二人を護り抜け」
「……はいッ! 約束します!」
ライカが血が出るほど唇を噛み締め、力強く頷いた。ルカもシオンも、涙を堪えて固く拳を握りしめた。
「よし。行ってくる」
それが、不敗の獅子ガルシアが魅せた、最後の雄姿であった。
薄暗い朝靄の中、漆黒の巨馬に跨がり、陣風を切って出陣していく背中。
少年たちは、その背中が二度とこの館の門をくぐることがないという残酷な未来を、まだ知る由もなかった。
遠くで鳴り響く出撃の角笛が、陽だまりの季節の終わりを、冷酷に告げていた。




