第53話 絶望を喰らう者
「信じられない……。」
私は闇の神を崇める一派の一人。
先日、名乗った時は『ソフィア』とでも言っていたかしら。
一派というのは、教団の中にも色々とあるからだ。
己の欲望を抑え、働いて得た糧を寄進し、徳を積もうとする者たち。
己の欲望に抗わず、奪うことを当然とし、免罪符の言葉で自分を誤魔化す者たち。
前者は、貧しい者に多い。
彼らは信仰心が強く、どんな悪事であっても『それが神の導き』と説けば、喜んで命を散らしてくれる。実に都合のいい働き者だ。
後者は、国々の大貴族に多い。
どれほど偉そうにしていても、心の底では死後に待つ地獄を恐れている。
だから、ほんの少し脅してやれば、滑稽なほど金を落としてくれる。大事なスポンサー様だ。
私は、世界を混沌へと誘う一派に身を置く者。
過去六度、世に地獄を落とした『魔王』を神の化身と崇め、その来臨を静かに手助けする一員だ。
もっとも、私が信じるのは神という『力』だけ。
魔王がどうなろうと、世界がどう転ぼうと、知ったことではない。
私が『十三使徒』などという大幹部の肩書きを頂いているのは、ただ便利だからだ。信念でも誇りでもない。
『レイニャン、そろそろ出発するニャー!』
『解っている! 少し待て!』
私は絶望が好きだ。
人が絶望に沈み、顔を歪める様を見ると、心が踊る。
私が仕掛けた絶望を知り、怨嗟の叫びを向けられた瞬間、その高揚に絶頂すら覚える。
そして、その絶望を刈り取る。これこそが、神への供物。
私は、刈り取った絶望の数だけ、神へと確実に一歩近づけるのだ。
先日の女、確かメアリーと言ったか。
亡くした恋人を生き返らせてくれという願いを叶え、生ける屍と化した恋人の姿を目にしたときの絶望。その味わいは、格別に美味だった。
しかも、それだけではない。
絶望の果て、その女は自らの首を刃で切り裂き、苦悶に満ちたまま息を引き取る。
私はその光景に酔いしれ、自然と拍手を贈った。心の底から。
『トイレですか? 早く済ませて下さいね』
『ふん! お前のように、待たせはせん』
『なっ!?』
すると、その女は静かに起き上がった。
信じがたいことに、絶望の深さが限界を超え、種を飛び越えて高位のアンデッド『デュラハン』となったのだ。
ただの村娘が、『都市落とし』の異名を持つアンデッドに変貌するとは、望外の喜び。
実に素晴らしい。感動した。
気づけば、私は涙を止めどなく流していた。
是非、この感動を皆にも知ってほしかった。
私だけが独り占めするなんて、あまりにももったいない。
だから、その女の恋人を生き返らせた水晶玉に仕掛けを施した。
地脈の力を吸い続け、その女が住んでいた村に生きとし生けるものを呼び寄せて、アンデッドへと変貌させるように。
村の立地も、実に都合が良かった。
街道から外れた細い枝道の先にひっそりと佇み、どの街からも隔絶されている。
しかし、街道との距離は絶妙。完全に孤立しているわけではない。
私自身がそうしたように、一夜の宿を求め、旅人がふらりと訪れる場所だった。
一ヶ月もすれば、きっと美しい地獄絵図が完成している。
半年ほど経ち、地獄が熟成された暁には、アンデッドたちを導き、街を襲わせるのも悪くない。その想像だけで、胸が高鳴った。
『レイモンド殿、紙をどうぞ!』
『要らん!』
ところがだ。別件で目を離していた隙に、村は変わっていた。
100匹はいたはずのゾンビたちも、デュラハンへと変貌したあの女も、跡形もなく消えている。
村に居るのは、冒険者と思しき四人の男女。それだけだった。
信じられない。ゾンビだけならまだ理解できる。
村を訪れたその四人が、偶然にも高ランクの冒険者だった。そう考えられる。
だが、デュラハンを倒すなど、到底あり得ない。
元はただの村娘で、変貌したばかりの身だろうと、『都市落とし』の異名を持つ存在が、たった四人に屈するはずがない。
『さて……。』
「なっ!?」
次の瞬間。遥か上空を旋回する鷲の目を通して、さらに信じがたい光景が飛び込んできた。
貴族らしき優男が大地を蹴り、勢いよく天へ舞い上がったのだ。
だが、私が驚いたのはそこではない。
空など、私にも飛ぶことはできる。
真に驚いたのは、その優男が水晶玉を素手で掴み、何事もなかったかのように平然としている点だ。
思わず目を開けそうになるのを必死に堪える。
目を開けば、使い魔の鷲とのリンクが途切れ、光景は今いる宿の一室に切り替わってしまう。
信じられない。
たった数日でも、水晶玉は地脈の力を吸い、村の怨嗟を浴びて、極上の呪物と化していた。
今や、この私ですら触れられない。
並の者なら触れただけで、肉も骨も粉砕される。恐るべき代物だ。
『今の音は何ニャ!』
『大丈夫ですか!』
『何か有りましたかな!』
『俺の屁だ! こっちへ来るなよ!』
しかし、信じがたい光景はまだ続いた。
素早く大地へ戻った優男は、口の端を吊り上げてニヤリと笑い、水晶玉を頭上に高々と掲げた。
魔力の迸りと共に優男の右手が淡く光り、水晶玉から粘性の高い、どす黒い怨嗟の塊が落ちてくる。
それを優男は大きく口を開け、喉をゴクゴクと鳴らしながら飲み込んでいく。
『行きませんよ! レイモンドさんの馬鹿!』
『ニャっはっはっ! 人騒がせな屁ニャ!』
『さすが、レイモンド殿! 屁も豪快ですな!』
やがて、水晶玉から黒く禍々しかった澱みが消え去った。
優男は、透明なガラス玉になったそれを放り投げ、足で踏み潰し、粉々に砕いた。
『いつまで俺を見下ろしている。この無礼者が』
「まさかっ!?」
優男が空を見上げ、ゆっくりと右手を掲げると、こちらを指差した。
鷲の目を通しているとはいえ、ここが現場でないと分かっていながらも、思わず一歩下がった瞬間。
「ぐうっ!?」
優男の指先から閃光が迸り、視界を覆い尽くす。
目を見開き、胸を両手で押さえ膝をつく。口からは血が噴き出した。
「げっほっ!? げっほっ!?」
信じられない。
遥か上空を飛ぶ鷲を使い魔と見破ったばかりか、遠く離れた地にいるこの私にまで影響を及ぼすとは。
咳が止まらない。血が喉から溢れ、止まる気配もない。
間違いない、心臓をやられた。
私が今まで幾人も呪いで刈り取ってきたときと、同じ苦しみ方だ。
「こ、この私が……。げっほっ!?」
血溜まりを広げる床を、這うように進む。
意識が途切れそうになるのを必死に押さえ、震える手で旅行鞄を開く。
着替えや下着が血で汚れるのもいとわず、奥に隠されていた赤い液体の小瓶を引き寄せた。
「げっほっ!? は、早く……。」
床にごろりと仰向けになり、残り少ない力を振り絞って小瓶の栓を抜く。
逆さにした小瓶の口を、自分の口へと押し当てた。
その中身は、ポーションだ。
ただし、一般に流通しているような、ちゃちなものとは違う。
これ一本で、小国がまるごと買えるほどの価値を持つ。
剣で斬られた程度の傷なら、ごく少量を舐めれば治るその液体を、迷わず一気に流し込む。
「はぁ……。はぁ……。はぁ……。はぁ……。」
すぐに効果が現れた。
刃で執拗に抉られるような胸の痛みが和らぎ、血管を焼き裂くような鼓動も徐々に落ち着いてゆく。
「レ、レイモンドだったかしら? ……な、何者なの?」
しかし、まだ立ち上がれない。
血溜まりの中、荒い呼吸とともに天井をぼんやり見つめるしかなかった。




