第40話 空に抱かれて、白目の猫
「さて……。」
レイモンドさんは一人、私から距離を取って背を向け、ただ空を見上げていた。
その広い背中は頼もしいのに、どこか孤独を滲ませていて、私は声をかけることをためらってしまう。
でも、この場に女は私一人だけ。
デスナイトとスケルトンたちが盗賊たちを見張っているとはいえ、やっぱり不安は拭いきれなかった。
それが五分くらい。レイモンドさんを呼ぼうか呼ぶまいか迷っていたそのとき。
ふいに彼が振り向いた。
表情はいつもの無表情に戻っていて、指をパチンと鳴らした。
「ルミナス・レーザー」
まず、白く細い光が走った。
直後、ヒュッと耳を裂く鋭い音。
それは私の横をかすめ、風圧に思わず体が震えた。
「キャっ!?」
反射的に光線の軌跡を追って振り向いた。
そこには、集められた財貨の山々が炎に呑まれていた。
レイモンドさんの指先から、糸のように細い光線が財貨へ注ぎ続ける。
それだけで炎は勢いを増し、赤から白へと変貌していった。
最初は食料や木が燃えはぜる音が響いていた。
だが、それはすぐ、金属がじゅうじゅうと溶ける音へと変わっていった。
レイモンドさんが光線を止めた時。
財貨の山々は溶岩のような赤い塊と化し、まるで生き物のようにゆっくりと広がって、大地をじわじわと焦がしてゆく。
「あっ!? ごめんなさい」
「ふん! さっさと行くぞ」
思わず、迫りくる赤い塊から後ずさる。
背中がレイモンドさんにぶつかり、慌てて頭を上げて謝罪した。
彼は強く鼻息を一つ吐き、私の前髪を揺らすと、脇へ両手を差し入れてきた。
「あっ!? ……は、はい、お願いします」
その意図に気づいて、身を任せる。
腰と膝の裏を支えられ、咄嗟に彼の首へと両手を回し、強く組んだ。
彼の腕に抱かれ、ふわりと宙へ浮かぶ。
高く昇っていく感覚に、私は思わずレイモンドさんへ身を寄せた。
「ま、待ってくれ! お、俺たちはどうなるんだ!」
下から盗賊たちの叫びが響く。
だが、その声にあったのは、空を飛ぶ私たちへの驚愕ではなく、置き去りにされることへのむき出しの恐怖だった。
当然だ。モテストの街へ繋がる深淵のゲートはもう消えた。
周囲はデスナイトとスケルトンに囲まれ、アジトの四方は高い壁。
食料も燃え尽き、打つ手はない。このアジトは、いまや牢獄に他ならない。
それでも、私はもう彼らを助けようとは思わない。
それが正しいのだと、レイモンドさんに教えられたから。
けれど、私一人だったら。きっとまだ迷っていただろう。
「安心しろ。そいつらも、そのうち消える。
それに……。お前らのことだ。どうせ少しは食い物を隠してあるのだろ?
なら、それで命を繋いで、勝手に脱出する手段でも考えるんだな」
「や、約束が違うじゃねえか!」
届くはずもない手を必死に伸ばし、喉を裂くように叫ぶ盗賊たち。
だが、その声を浴びても、レイモンドさんは一瞥すら与えなかった。
「ああ、言ったな。全財産と引き換えに命を助けると。
その証拠に……。今、お前等は生きている。あとは知らん」
「なっ!?」
静かな声音。吐き捨てるでもなく、淡々と事実を告げるだけ。
その無慈悲な響きに、盗賊たちの顔から血の気が引き、伸ばしていた手は力なく垂れ下がっていった。
******
「ふぅ……。」
溜息を短かく漏らす。
下を覗けば、小さくなって遠ざかってゆくデスナイトとスケルトンたちが、こちらへ向かって大袈裟に手を振り続けていた。
「むっ!? この期に及んで、まだ文句があるのか?」
「いえ、違います。あのくらいの罰は当然だと思います」
「だったら、何だ?」
レイモンドさんが眉をひそめ、睨んでくる。
でも、私の不満はそこじゃなかった。
「次の街……。最初から、こうやって飛んで行けば良かったんじゃないですか?」
彼は一瞬きょとんとした顔をして、それからふっと鼻で笑った。
「馬鹿を言え。己の足で歩き、景色を愛でる。これこそ旅の醍醐味だ。空を飛ぶなど無粋」
「でも、早いし安全です」
「この魔術は疲れる。どうして俺だけが疲れねばならん。不公平だろう」
「理由っぽいけど、理由になってませんからね、それ」
言い返した私に、レイモンドさんは鼻を鳴らしてそっぽを向く。
その仕草が、妙に子供っぽくて、私は思わず吹き出しそうになった。
「第一……。お前、重いからな」
「ちょっ!? ど、どういう意味ですか、それ!」
だが、その一言が、私の心に火をつけた。
「知らんのか? 体重の事だ」
「私は重くなんかありません! もし重いとしたら、それは……。そう! 鎧です! 私は重くありません!」
必死に言い募る私を、レイモンドさんは横目で見て、肩を震わせていた。
その震えが笑いによるものだと気づき、私は怒りと恥ずかしさで彼の頭をポカポカ叩き、足をバタバタさせる。
「こら! 暴れるな! 危ないだろうが……。あっ!?」
「キャっ!?」
次の瞬間、腕の支えが外れ、重力に引きずり込まれるような落下感。
胃が浮き上がり、耳を裂く風の音が頭を支配する。
私は目を見開いて、身体を強張らせた。
「ほらみろ。ちゃんと掴まってないからだ」
しかし、それは一瞬だった。
落ちていく私を追うように彼の影が覆いかぶさり、再び腕の中に抱き止められる。
「ご、ごめんなさい……。」
胸の奥に残る恐怖が消えず、私は思わず彼の首にしがみついた。
鼻腔をくすぐるレイモンドさんの髪の匂いに、胸の奥がじんわりと温かくなる。
どきどきと早鐘を打っていた心臓が、ようやく静かに収まってゆく。
その穏やかな余韻を、甲高い鳴き声が突き破った。
「ニャーーーーーーーーーーっ!?」
「「あっ!?」」
私たちは同時に目を見開き、顔を見合わせた。
そうだった。お肉を追いかけていったタリアさんの存在を、完全に忘れていた。
「酷いニャ! 置いていくなんて酷すぎるニャ! ニャーも連れて行くニャー!」
ゲットしたお肉を左腕に抱え、右手を目いっぱいこちらへ伸ばしながら、涙目で駆けてくるタリアさん。
その必死さに、胸が痛んだ。さすがのレイモンドさんも、その顔を曇らせるほどに。
「ニ゛ャ゛っ!?」
しかも、タリアさんはこちらを見上げるばかりで前を見ていなかった。
次の瞬間、アジトの壁に真正面から激突。
抱えたお肉を離すまいと抱えたまま、仰向けに転がって白目を剥いてしまった。
「と、取りあえず……。い、一旦、下りましょう」
「そ、そうだな」
こうして、私たちの旅は新たな同行者を迎えることになった。
なお、本人はまだ気絶中である。




