第39話 ありがとうの重み
「さあ、お前で最後だ」
レイモンドさんが魔術で開いた、揺らめき渦巻く黒いゲート。
その深淵の先はモテストの街へ繋がっており、女性たちは新たな一歩を踏み出した。
両手いっぱいの銀貨と銅貨を胸に。
多分、あれだけあれば、慎ましく暮らしたら五年は保つ。
レイモンドさんはぶっきらぼうに『迷惑賃だ』と言ったが、人生をやり直すための資金としては大きすぎる。
だって、彼自身は盗賊たちが貯めこんだ財貨を奪うために、ここへ来たはずなのに。
それなのに、どうしてこんなに優しいんだろう。
現金はもう残りわずか。
広場にはまだまだ色々と山積みになっているけど、あんなかさばる品々を街まで運べるわけがない。
必然的に、レイモンドさんの取り分は少ない。
そして、その少ない取り分も、残る最後のひとりの両手に乗せた時、きれいになくなってしまった。
「どうしたの? 怖くないよ?」
だが、少女はじっと立ったまま俯いて動かなかった。
確かに、ゲートの見た目は、誰だって足がすくむくらいの不気味さだ。
少しでも不安が和らげられるように、私は膝を曲げて少女の目線に合わせ、できるだけ柔らかく微笑んだ。
彼女は盗賊のボスに囚われていた少女。
日本でいえば、小学生三年生か、四年生くらいだろう。どう見ても、中学生には届いていない。
世の中にはそういう性癖があるのは知っていた。
でも、盗賊のボスの家の奥にいたのを見つけた時、愕然となった。
まるで、このアジト一番の宝物みたいに、大事に大事に隠されて。
どんなに着飾られて、高級な調度品に囲まれていようが、彼女がどんな目に遭っていたかは、光のない瞳がすべてを物語っていた。
ましてや、レイモンドさんの姿を見た途端、服をのろのろと脱ぎ始めた。
その姿に私は息を呑んで立ち尽くした。
レイモンドさんに至っては、ただ無表情に無言のまま部屋を足早に出て行き、隣のボスの自室の品を手当たり次第に投げつけた。
我にかえった私が止めに入らなければ、部屋ごと魔術で焼き払っていたかもしれない。
「ん、特別だ。他の奴らには内緒にしとけ。ラストワン賞だ」
レイモンドさんが懐から取り出した指輪を、少女の両掌に載った山のような銀貨と銅貨の上へと落とす。
私は右手で口を塞ぎ、思わず『あっ!?』と漏らしそうになった声を、なんとか飲み込んだ。
何故ならその指輪は、財貨を検分したとき、レイモンドさんが真っ先に懐へしまった品だったからだ。
レイモンドさん曰く、こんな盗賊たちのアジトにはあるはずもない、高性能なマジックアイテムらしい。
しかも、それひとつで城が建つほどの価値があるとか。
そんな品を、レイモンドさんはぶっきらぼうに渡した。
男性に強い忌避感を持っているだろう少女に、触れることなく。
そっと落とした仕草に、私は不器用な優しさを感じた。
「ぷっ!? なにそれ。素直じゃありませんね」
「う、うるさい! お、お前は黙ってろ!」
私は思わず笑いがこぼれてしまい、慌てて両手で口と鼻を覆う。
するとレイモンドさんが、声を裏返しながら怒鳴った。
だけど、そのやり取りに少女は顔をようやく上げる。
「ぁりが……。」
「んっ!?」
「ありがとう! お兄ちゃん!」
泣き顔の中で、ほんの一瞬だけ、花がほころぶような笑みを見せた。
そのままゲートの深淵へと飛び込み、あっけなく姿を消してしまった。
完全に不意を突かれた。
多くの女性たちを送り出したけど、中には『どうして、今更!』と罵っていた人もいた。
そんな中で、感謝の言葉をくれたのは、彼女ひとりだけだった。
レイモンドさんが目を大きく見開いて、動きを止めた。
私が微笑みながら『良かったですね』と声をかけようとした。まさにその瞬間。
「ぐぅっ!?」
レイモンドさんは突然、膝をついた。
表情が急に強張ったと思うと、額を右手で鷲掴むように押さえ、苦しそうに身を震わせる。その姿に、私の心臓が強く跳ねた。
「だ、大丈夫ですかっ!?」
慌てて駆け寄り、同じように膝をついて支える。
レイモンドさんの様子は尋常じゃなかった。頭痛に苦しみながら、虚空を見つめているようで。
「エ、エリザ……。シャ、シャーロ……。」
うわ言のように、聞き覚えのない名を繰り返す。
私はただ見守るしかなかった。
やがて、ふっと彼の表情が落ち着き、荒い呼吸の合間にかすれた声が漏れた。
「……大丈夫だ。問題ない」
その言葉とは裏腹に、彼は今にも倒れそうなくらい力なく見えた。
それでも私の手を借りて立ち上がろうとする姿が、どうしようもなく痛々しくて、見ていられないほど切なかった。




