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ボッチの僕、イケメンの俺  作者: リディア


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第50話 眼鏡がずれる一秒

文化祭の準備期間。

放課後の教室は、非日常の熱気とカッターの音、そして絵の具の匂いに満ちていた。


机を移動させ、段ボールを積み上げ、装飾用の色紙を切る。

雑然とした喧騒の中、俺は黙々と裏方の作業をこなしていた。


「白石、これ運んでくれるか?」

「ああ、了解」


男子生徒から渡された重い段ボールを受け取り、教室の隅へと運ぶ。

ふと窓際を見ると、美咲が女子たちに囲まれて色紙を切っていた。

夕陽に照らされた横顔が、ふわりと綻ぶ。


視線が合う。

美咲は作業の手を止めず、俺にだけ分かる角度で小さく微笑んだ。

俺も、誰にも気づかれないように顎を引いて応える。


ただそれだけ。


けれど、この「秘密の通信」だけで、埃っぽい教室の空気が甘く感じられた。

俺たちは、うまくやれている。

このまま平穏に、文化祭を迎えられるはずだった。


「白石ー、悪いけど上の飾り、頼めるか? 俺、手が届かなくて」

「わかった。今行く」


俺は眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、脚立に向かった。


事故は、ほんの一瞬の出来事だった。

そして、その一瞬が、俺の平穏な世界を劇的に変えてしまった。


天井近くの装飾。

テープを貼ろうと腕を伸ばすが、あと数センチ届かない。


脚立の最上段。

もう少し――。


俺は無意識に、身を乗り出した。



「――っ!?」



足元のバランスが崩れる。

浮遊感。

世界が傾く。


「白石、危ない!」

「うわっ!」


ガシャン、と脚立が揺れる音。

俺は反射的に天井の梁と手すりを掴み、落下だけは免れた。

体勢を立て直すために、激しく頭を振る。


その衝撃で――。

重たい黒縁眼鏡が、鼻梁から大きくずり落ちた。

そして、常に目元を隠していた長めの前髪が、ふわりと大きく舞い上がった。


一瞬。

本当に、たった一秒にも満たない時間。


夕陽のスポットライトが、露わになった俺の「素顔」を鮮明に照らし出した。


「……え?」


誰かの、息を呑むような声。

その一言を合図に、教室の喧騒がピタリと止まった。


カッターの音も、笑い声も、すべてが消える。

あるのは、俺に向けられる数十の視線だけ。


心臓が、急速に冷えていく。

嫌な汗が背中を伝う。


俺は慌てて眼鏡を押し戻し、乱れた前髪を力任せに引き下ろした。

脚立から飛び降り、背を向ける。

けれど、もう遅い。


「……ねえ、今の見た?」

「嘘……白石くん、だよね?」

「眼鏡の下、すごいきれいな顔してなかった……?」

「……なんで、今まで隠してたの?」


最初はさざ波のようだった囁きが、次第に教室内へ広がっていく。

嘲笑ではない。

そこに含まれているのは、驚愕と、好奇心と――値踏みするような視線。


「え、ちょっと待って。白石ってあんな顔だったの?」

「なんか、別人みたいだった……」


視線が、痛い。

突き刺さるような好奇の目。

俺は荷物を持つふりをして、逃げるようにその場から離れた。


呼吸が浅くなる。

視界が歪む。

過去の記憶が、濁流のようにフラッシュバックした。


――――――


『白石くんと話したから、私、目をつけられたの』

『お前が出しゃばったせいで、余計に酷くなったんだ』


廊下の陰。

泣いている女子生徒。

責める声。

俺が、良かれと思って口を出したせいで。

俺が前に出たせいで。

あの子の地獄は、もっと深くなった。


――――――


また、始まるのか。

この幸せな日常が、壊れてしまうのか。


「……白石くん」


不意に、一番聞きたくて、一番聞きたくない声がした。

ハッとして顔を上げる。


人垣の向こう、美咲が立っていた。

彼女だけは驚いていない。

その表情にあるのは、深い慈愛と、痛々しいほどの心配。


美咲が、俺に駆け寄ろうと一歩を踏み出す。


「……っ」


来るな。

俺に関われば、君まで巻き込まれる。

好奇の目に晒される。


「……平気、だから」


掠れた声で拒絶を口にして。

俺は美咲から逃げるように――反射的に、一歩後ろへ下がってしまった。


放課後。

人気のなくなった図書室の最奥。

埃と古書の匂いが漂う、閉架書庫の影。

そこが、今の俺に残された唯一の逃げ場だった。


「……来てくれたんだ」

「うん。待ってたよ」


美咲は、ずっと前からそこにいたかのように、静かに佇んでいた。

俺は張り詰めていた糸が切れたように、鞄を床に落とし、背中を冷たい書架に預けて座り込んだ。


「……大丈夫?」


美咲が膝を折り、俺と視線の高さを合わせる。

その瞳が、あまりにも澄んでいて、汚れた自分が惨めに思えた。


「……わからない」


震える声で、正直に吐露する。


「怖いんだ。また、始まってしまう気がして」

「何が?」

「俺が目立つことで、周りが壊れるのが。……中学の時みたいに、俺のせいで誰かが傷つくのが」


脳裏に焼き付いている、泣き顔と罵声。


今度は誰だ?

美咲?

真琴?

菜月?

それとも、今日笑いかけてくれた春野さんか?


「……戻りたい」


膝を抱え、子供のように弱音を吐く。


「眼鏡をかけて、前髪で顔を隠して。誰の視線も感じない、あの透明な場所に」


美咲は、すぐには何も言わなかった。

ただ、静寂だけが二人を包む。

やがて、彼女の柔らかな掌が、俺の冷え切った拳の上に重ねられた。


「ねえ、悠真くん」


母が子を諭すような、慈愛に満ちた声。


「逃げたいなら、逃げてもいいよ」

「……え?」


予想外の言葉に、顔を上げる。


「でもね――」


美咲の手が、俺の指を一本ずつ解き、恋人繋ぎで強く絡め取った。


「戻ってくる場所は、ここだから」


ギュッ、と力が込められる。

痛いくらいに強く。

そして、泣きたくなるほど温かい。


「過去に逃げないで。逃げるなら、私のところに逃げて来て。 今は、過去じゃない。ここに、私がいるから」


その言葉は、冷え切った心臓に熱いくさびを打ち込むようだった。

そうだ。俺はもう、あの中学時代の孤独な「白石」じゃない。


美咲がいる。

桜井さんがいる。

中村さんがいる。

味方が、こんなにも近くにいる。


俺は震えを止め、美咲の手を強く握り返した。


「……ごめん。弱音吐いて」

「謝らないで」


美咲が花が咲いたように笑う。


「怖がっていいよ。弱い悠真くんも、私が守ってあげるから」


その頼もしさに、俺は涙が出そうになるのを堪え、大きく息を吐いた。


「……ありがとう」

「どういたしまして」


二人は手を繋いだまま立ち上がる。

図書室を出て、誰もいない廊下を歩く。

この掌の温度がある限り、俺はまだ立っていられる。


夜。

自分の部屋のベッドで、天井を見上げていた。

静寂を切り裂くように、枕元のスマホが短く震える。


美咲だろうか。


そう期待して画面を点灯させた俺は――凍りついた。


見知らぬアカウント。

アイコンも設定されていない、無機質な初期画像。

そこから送られてきたのは、匿名の、短いメッセージ。


『白石悠真って、あの白石?』

『元モデルの、YUMAくんでしょ?』


心臓が、早鐘を打った。

誰だ。 誰が、どこまで知っている?


「あの白石」という言葉に含まれた、粘着質な悪意と好奇心。


スマホを握りしめる指が白くなる。

恐怖で呼吸が浅くなる。


けれど――。

握りしめた掌の中に、まだ確かに残っていた。

図書室で美咲から貰った、あの体温が。


『逃げるなら、私のところに逃げて来て』


彼女の声が、耳の奥でリフレインする。

俺は深く、重く息を吐き出し、スマホを伏せた。


怖い。足がすくむほどに。

でも――もう逃げない。

逃げて隠して、それで守れるものなんて無いことは、もう知っている。


俺は、震える指でスマホを取り直し、美咲のトーク画面を開いた。


『……今夜、声が聞きたい』


送信。

既読がつく前に、目を閉じる。


窓の外は深い闇。

秋の夜風が、不穏な予感を告げている。

俺は目を閉じ、嵐が来るであろう明日を、覚悟を決めて待った。

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