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ボッチの僕、イケメンの俺  作者: リディア


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第34話 水面に映る、夏の始まりその2

 流れるプール。 浮力に体を預け、ぬるめの水に揺られながら、俺たちは緩やかな流れに身を任せていた。


「テスト、手応えどうだったよ?」

「聞くなよ、鈴木。思い出しただけで、俺の夏休みが終わりそうなんだから」

「あはは! 佐藤、それ以上言うと泣くよ?」


 そんな他愛のない会話が、水の音にかき消されそうになりながら響く。

 ふと気づくと――すぐ隣に、橘さんがいた。


 水流のいたずらか、それとも彼女が寄ってきたのか。

 触れそうで触れない。

 でも、彼女が水をかくたびに、その飛沫が俺の肩にかかる。


「……白石くん」

「ん?どうしたの?」

「……楽しい?」


 水面から顔を出した彼女が、少しだけ首を傾げて覗き込んできた。

 濡れた髪が頬に張り付き、鎖骨に溜まった水滴が、強い日差しを浴びて宝石みたいに光っている。

 ……正直、楽しさを通り越して、心臓が持たない。


「……ああ。……来て、良かった」

「ふふ、良かった」


 橘さんは満足そうに笑うと、また前を向いた。

 俺は――その横顔を、食い入るように見つめていた。

 水面に映る光が彼女の白い肌をなぞり、揺れている。


 ああ、本当に。夏が、来てしまった。


「おーい、お前ら! 記念写真撮ろうぜー!」


 鈴木が防水ケースに入ったスマホを掲げて声をかけてきた。

 みんなで一箇所に集まり、流れに逆らって足を踏ん張る。


「はいはい、美咲と白石くんは真ん中! ほら、もっと寄って!」


 桜井さんが確信犯的に、僕の背中を橘さんの方へ押しやった。


「わっ……」

「あっ……」


 バランスを崩した瞬間――。


 橘さんの柔らかな肩が、俺の二の腕に、ダイレクトに触れた。


「――っ!!」


 水着越しに伝わる、彼女の肌の温度。

 プールの水は冷たいはずなのに、そこだけが火傷しそうに熱い。


  一瞬、肺の中の空気がすべて止まった。


 至近距離で、彼女の甘い匂いと、微かな塩素の匂いが混ざり合って鼻腔をくすぐる。


 カシャッ、とシャッター音が響く。


 でも、橘さんは離れようとしなかった。 それどころか、流されるふりをして、ほんの数秒だけ、体重を預けてきた気がした。


「……あ。……ごめん」

「……いや、別に」


 離れた後も、二人の間には、周りの喧騒が嘘のような静寂が流れた。 橘さんはうつむいたまま、耳の付け根まで真っ赤に染まっている。


 ――気づいてる。 お互いに、今の「感触」が、ただの事故じゃないことに。


 写真の中で笑っている俺たちは、きっとどんな言葉よりも雄弁に、今の距離を語っているんだろう。


 僕は、まだ彼女の熱が残る右腕を、水の中に深く沈めた。 そうでもしないと、自分の鼓動が周囲にバレてしまいそうだったから。




 昼過ぎ。


 鈴木たちが「腹減った!」と騒いで売店に向かった後、俺と橘さんはパラソルの下で荷物番を任された。


 周囲の喧騒が遠くの波音のように聞こえる。


 パラソルが作る狭い影の中で、肩が触れそうな距離に彼女がいる。


「……暑いね」

 橘さんが、火照った頬を冷ますように、手でパタパタと扇ぎながら言った。


「そうだな」

「でも……すっごく、楽しい」


 橘さんが、少しだけ俺の方を向いて微笑む。

 濡れた髪が細い首筋に張り付いていて、そこから一粒、水滴が鎖骨へと滑り落ちた。 俺は思わず息を呑み、視線を誤魔化すように手元のペットボトルを握りしめた。


「……白石くん、やっぱり眼鏡ない方が……」 「え?」 「……ううん、なんでもない」


 橘さんはパッと顔を赤くして、膝を抱えるように丸くなった。 沈黙。 でも、それは学校の休み時間とは全く違う、甘くて重い沈黙だった。 お互いの肌から発せられる熱が、湿った空気の中で混ざり合う。


「……ねえ」 「ん?」 「白石くんは――今のままで、いい?」


 消え入りそうな、でも確かな熱を持った声。 「今のまま」――それが何を指しているのか、聞く勇気は俺にはなかった。 でも、彼女の潤んだ瞳が俺を真っ直ぐに捉えた瞬間、俺の理性は音を立てて崩れそうになった。


「……俺は」


 言いかけたところで、遠くから真琴の「お待たせー!」という声が響いた。


「……みんな、戻ってきたね」


 橘さんが弾かれたように立ち上がる。

 俺も、自分の中の動揺を押し殺すように立ち上がった。


 真琴と菜月が、焼きそばやフランクフルトを抱えながら、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべてこっちに来る。


「おまたせー! 二人とも、なんか……顔、赤くない? 暑いからかなぁ?」


 桜井さんがわざとらしく俺の顔を覗き込んできた。


「……日差しが強いんだよ」

「へぇー。美咲なんて、耳まで真っ赤だけど? ねぇ、菜月」

「……うん。……空気が、甘い。チョコバナナより甘い」


 中村さんの淡々とした、でも核心を突く一言に、橘さんは「菜月っ、もうっ!」と真っ赤になって俯いた。


 鈴木たちが「なんだなんだ? 喧嘩か?」と能天気に割って入るが、このパラソルの下で起きた「何か」に気づいているのは、女子二人と、俺たちだけだ。


 ――何も起きてない。 指一本、触れていない。

 でも、この数分間の沈黙が、これまでのどんな会話よりも深く俺たちの間に刻まれた。


「……行こうか」 俺が少し低い声で言うと、橘さんは小さく頷いて、俺の後ろを一歩、遅れて歩き出した。 その歩幅が、あの日服の裾を掴まれた時と同じくらい、俺に寄り添っていることに、俺は気づかない振りができなかった。





 夕方。 プールの塩素と日差しの匂いを肌に残したまま、僕たちは駅前で解散の時間を迎えた。


「おーし、次は海だな! また遊ぼうぜ!」

「おう、またな」


 鈴木と佐藤が、日焼けした顔で手を振って去っていく。


 桜井さんと中村さんも、「お疲れさまー」と意味深なウインクを僕に投げ、美咲さんの背中を優しく押してから人混みに消えていった。


 喧騒が遠ざかり、夕闇が迫る駅のホーム。


 残されたのは――僕と、橘さんの二人だけだ。


「……じゃあ、また月曜日。学校で」

「うん。また、月曜日」


 橘さんが、少し名残惜しそうに微笑む。

 夕日に照らされた彼女の髪が、オレンジ色に透けていて、見惚れるほど綺麗だった。

 彼女が改札に向かって一歩、歩き出す。


「……白石くん」


 ふいに、彼女が振り返った。


「……今日の写真、後で送ってね。……私、宝物にするから」


 それだけ言うと、彼女は今度こそ、駆け足で改札の中へと消えていった。


 僕は――その背中が見えなくなるまで、ずっとその場に立ち尽くしていた。

 右腕にはまだ、プールで触れ合った彼女の肩の感触が、熱を持って残っている。

 それは、夏の熱気のせいでも、日焼けのせいでもない。


 夏が、始まる。


 告白したわけじゃない。 付き合うことになったわけでもない。


 でも。



 あの日、彼女が掴んだ僕の裾。

 今日、触れ合った僕たちの腕。

 この距離のまま、僕たちは夏へと踏み出していく。




  少しずつ、でも確実に、僕たちの境界線は溶け始めている。


 何も決まっていないはずの夏が。 僕たちの運命を大きく変えてしまう夏が。 気づけば、もう、すぐ目の前まで来ていた。

 本日も読んでいただきありがとうございます。

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