6小学校・ナ(名)・ヌシ(主)
向日葵の君はミニバスケットボールの選手であり、私とはクラスメートであった。
人の印象とは、様々なエピソードが地層のように重なり合って形成されるものである。ある時、ある場所で、人と人とがそれぞれの動きをしている。それが私の主観に写る。時が移り、場所が移り、私の中で地層のように記憶が重なっていく。そして時々、その記憶の中のある人が私の中で名前を持つ。そしてその名前が自分の地層のような記憶の中で玉のように光り、一つの線を結んでいく。線は元々は大きな川の流れのように隈々と回っていくものであったのかもしれないけれども、いつしかそれらの玉は位置を揃えて、真っ直ぐな光りの線となる。そして光りはますます太く大きなものとなり、光りは他の要素を呑み込んで行く。そのようにして思い出が形成されるのかもしれない。
そうした時に大切なのは、偶然的な個別の要素である私が関わった人々の中で、ある名前が認識されるきっかけである。一度認識が起こるとその人と関わる偶然性に運命を感じるようになる。
そして私の中でのきっかけというのは、言うのが恥ずかしいことだけれど、「健康診断」であった。
春の健康診断について私が真っ先に思い出すものは、先に青いゴムがついた上履きである。週に一度は持ち帰り粗い粒子の洗剤で洗っても洗っても、宿命的な染みが付いた上履きである。私は外に面した廊下に列をなして立っていた。上履きは春の雨の湿気で少し湿ることにより、暗く色づいていた。そして私がその上履きばかりを見ていたのは、三年生の男女混合での出席番号順で並んでいたからであるのだろう。目の先にはちらちらと赤い上履きが動いていた。そして列が進み、私たちのクラスは学校医の内科検診のための教室に案内された。私たちは皆体操服を着ていた。廊下の床には雨の匂いが染みこんでいたが、教室の床は上履きのゴムを意地悪く掴むように、きゅる、きゅる、と音を立てた。学校医が持つ聴診器は冷たく光っていた。そしてクラスの担任の先生から、検診を円滑に行うために、上半身の体操着を脱ぐようにという指示があった。




