第13話「魔女」‐②
呆れるタイハクと、困惑したままのラウに魔法使いは笑顔を向ける。言うからにはなにからしら宛があるのだろうか。彼女は意気揚々と廃寺院の庭跡へ戻っていく。砂を被った庭には、大きな枯れ木が一本植えられたままになっていた。背の低い草木が砂と風に揺られている。すでに薄暗いそちらを一瞥して、彼女は静かに息をした。
「ここ……ここだ。ここから気配がする」
オウはぽっかりと空いた巨木の洞を指す。
「なにもないように見えるけど」
「きっと魔法で隠してるんだ。ちょっと待って。やってみる」
「え、なにを?」
宙から杖を取り出したオウは、洞に手を添えて瞼を下ろす。静かな呼吸が、湿気る大地へ染み渡るように響いている。涼やかな風が頬を撫でた。
刹那、突風が周囲の空気ごと掻っ攫っていく。乾いた喉が張り付いて、激しい咳を誘う。
「よし、開いた──!」
その声に眦を濡らしながらタイハクは顔を上げる。目の前に広がる光景に思わず息苦しさを忘れる。魔法使いは目の前の光景に我を忘れたのか、ぴょんぴょんと飛び跳ねる。
「す、ごい! なにこれ……!」
目の前にあった巨木はいつの間にどこかへ消え、代わりに花畑がどこまでも広がっている。辺り一帯に人の気配はなく、遠くに小屋が見える。広がる花畑に少女は目を輝かせる。白く低い花が風に吹かれ、水面のように揺蕩っている。
「……ヒリの花だ」
「知ってるの?」
「さあ。詳しくは俺も知らない。夏になると毎年違う場所で花畑を作るらしいな。どこに出るか分からないから、陽炎花って呼んでる人もいた」
「へえ、陽炎か……。真っ白だし、遠くから見たら分からないかも」
「ヒリの花がなんでこんなところに……というか、ここは?」
頭を横に振って、空を見上げてみるも、そこにはただ広い青空が広がっているだけだった。先ほどまでの不快な湿り気はどこへやら。暑さも寒さも感じない、心地のいい風が緩やかに花を揺らしている。
(どこにいるのか全然分からない……こんなの初めてだ)
空を見上げても、星が一つも見当たらない。太陽もない、月も見当たらないこの空は、どうしてか明るく高く、透き通っている。
「……って!? ラウさんとオッカは!?」
「本当だ、いない」
どこまでも花畑が続く光景の中に、ラウとオッカの姿は見当たらない。
アバニは花弁を口に含んで遊んでいる。馬はヒリの花を食べはしないが、口寂しさに加えて遊ぶことはよくあるのだという。特に害はないと知ってからは、タイハクも好きにさせている。得体のしれない場所にも関わらず、ご機嫌な様子に少しほっとしてしまう。
「すみません。一度に三人までしか招き入れられないのです」
不意に聞こえた声に二人は振り返る。いつの間に、背後に年老いた女が立っていた。腰は綺麗に立てられており、白く輝く頭髪は綺麗にまとめられている。老婆と呼ぶにはあまりにも壮健な様子に、二人は思わず息を飲んだ。
「あなたが……タネさん、ですか?」
タイハクの問いに、老女は一つ頷く。
「ええ、その通りです。オウさんと、タイハクさん。それからアバニさんですね。どうぞ、お二人はおあがりくださいな」
そう言って魔女は小屋の中へ手招きをした。タイハクは外でアバニを繋いでから上がる。招き入れられた小屋の中は外観より広く見えた。綺麗に整頓された室内には、薬草らしき草木が吊り下げられている。壁に備え付けられた棚には、不思議な色合いの瓶が所狭しと並んでいた。タネは食器を取り出しながら、二人に問いかける。
「お茶がよろしいかしら?」
「い、いえお構い……」
「お茶ってなにがあるの?」
遠慮しようとしたタイハクを抑え、魔法使いが目を輝かせる。その反応が面白かったのだろう、タネは頬を緩ませながら茶葉の入った瓶を取り出した。
「舶来の赤いお茶がすぐに出せるわね」
「舶来?」
「外の国から来たもののことよ。じゃあ、これにしましょうか。どうぞ座って」
ことこと、と湯が湧く音がする。促されるままに座ったが、見慣れないものにどうしても気が散ってしまう。ブーツの砂も落とせないまま、上がってきてしまったがよかったのだろうか。なんとなく思い当たって、そっと靴を確認する。が、ついていたはずの砂はどこへやら。床には一粒も砂は落ちていなかった。オウは気づいているのか、いないのか。大人しく椅子に腰かけて、茶を待っているようだった。何気に乗り気な魔法使いに付いて行けず、青年は視線を落とす。とりあえず防塵眼鏡はとっておこう、そんな気持ちで装備品を外して膝に抱えておく。
そうしているうちに、目の前にお茶が置かれる。香りは高く、赤く透き通った色をしている。熱くなったカップを両手で包み込んで、軽く息を吹きかける。冷めるには少し待たなければならないようだった。オウはというと、特に気にならないのか一口飲んで目を輝かせている。
そんな二人の様子を見やってから、魔女は微笑んだ。
「それで、ここまで来たということは、なにかお困りのことがあるのでしょう?」
「そうです。助けてほしい人がいます」
タイハクの言葉に、ああ、とタネは肩をすくめる。
「……怪我でもしている人がいるんですか? それとも急病かしら」
「サンドワームに襲われて、怪我をして砂丘で動けなくなってしまってるんです」
「怪我の容体はどんな具合ですか?」
「えっと……血はそこまで出てないんですけど……体の内側に傷があるんじゃないかって、言ってました。その場から動けないくらいだったので……」
タイハクの言葉を聞き終えて、魔女は茶を一口飲んだ。
「……そういうことですか。事情は分かりました。ご協力いたします」
「ほ、本当ですか!」
「急ぎなのでしょう? 薬だけ先に渡すのがいいと思うから……速達はできるかしら」
「それならあてがあります」
「そう、ならこれを飲ませなさい。完全に傷を治すことはできないけど、起き上がって歩くくらいは大丈夫になるわ。これで町まで移動ができるはず。それでちゃんとした治療を受ければ……助かるでしょうね」
そう言って、タネが机の上に置いたのは目の粗い紙で包まれた小瓶らしきものだった。様子を窺ってから、タイハクはそれを摘まみ上げる。想像よりも重みのあった小瓶には液体が入っているらしい。たぷんと揺れたらしい中身は、覆われているせいで全く見えない。
「あの……薬では完全に治せないんですか」
「そうね。私自身はここから動けないから、こうするしかないんです。それに……瀕死の重傷を一瞬で治し切る魔法など、そうそう扱えるものではありませんから。なにかしらの重い代償が必要なはずです」
重く発された言葉に、タイハクは身が固くなるのを感じる。こくり、と喉が鳴ったのが分かった。自分自身も、それなりの重傷を負った自覚がある。かつて一度だけあった、あの感覚によく似ていたからだ。たったそれだけだが、己の怪我の程度に想像がついてしまう。
(俺は、一体なにを支払ったんだ)
ちら、とオウを見てみるが、彼女は特に思うところが無いらしい。すました顔で茶を飲んでいる。魔女とてなにも思うことが無いのか、静かに話は続けられた。
「外で戸惑っている子もいますし、一度そちらを渡してあげてください。あとでまた招待します。頼み事は、その時に。ドアを開ければすぐに出れますから」
「分かりました。行こうか、オウ」
いいよ、と軽く返事をするオウと共に、タイハクは席を立つ。二人は勢いをつけてドアを開けた。
ぐわり、と体に風の壁がのしかかる。
すぐそこに、目をまん丸にしたラウと毛を逆立てるオッカが立っていた。
「で、出た!?」
「ラウさん! 薬! 貰えました!」
紙に包まれた薬を押し付けられたラウは身を固めた。
「これを飲めば立って動くくらいには治るできるそうです。ただ完全回復はできないので、町に移動して医者に診てもらえ、とのことでした」
「わ、分かった。手紙をつけよう。もう一度言ってくれ」
矢立を取り出したラウは、タイハクの言葉をさらりと書き留める。手紙と、薬を厳重に革袋の中に入れ、彼女は鳥に背負わせた。いつの間に傍にいたのだろう。笛を咥えたまま干し肉を取り出し、その嘴につばませる。満足した大鳥を数度、愛おしそうに撫でたラウは強く黄昏空に翼を放った。
「それで……一体どういうことなんだ」
遠く、その背を見送って説明を求めるラウに、二人は顔を見合わせる。廃寺院の中へ入り、三人は適当に腰かける。タイハクの簡単な説明を一通り聞いたラウは、怪訝な顔をしながらも小さく頷く。
「じゃあ、これからは……その魔女の依頼を受けるんだな? そのために一度向こうに行かないといけないと」
「そうです。アバニが向こうに取り残されたままですし……」
「本当だ、いない……私に、なにかできることはあるか?」
「分かりません。事の次第でまたお力を借りるかもしれません。けど」
「そうだな。町までの移動を手伝う方がいいかもしれん。移動は早い方がいいだろうし……ここに早く戻ってくれば、あんたらを手伝える。けど、今日はさすがに一泊しようかな」
少しくたびれた様子で、ラウは息を吐いた。タイハクたちもしきりに頷いて同意する。
話がまとまる頃には、すっかり日が暮れていた。




