第10話「海月」
夜の砂丘は、昼に比べて過ごしやすい暑さになる。涼しくはないものの、照り付ける日差しがないだけで、快適度合いはまるで違う。それは人や馬だけでなく、砂丘に住む生物にとっても同じである。昼間は感じられなかった息遣いが、虫の羽音が時折する。一定時間走ったのちに、三人は馬を降りて歩いてイーショを目指す。いくら砂の精霊と言えど、三日三晩走り続ける体力はない。褒美のシュリープを食べた二頭は、満足げに唇を舐めている。
乗って早駆けをして、休みつつ歩く。ほとんど歩を止めることなく、三人と二頭はイーショヤルクを目指して進む。日が昇れば馬を降りて、テントを張って休息をとる。夜に距離を稼ぐために、昼はほとんど移動をしないことにした。それでもだんだん、疲労は確実に蓄積していく。三日目に差し掛かる頃には、誰も口を利かなくなっていた。黙々と。ただ黙々と。過酷な道のりは、まだまだ続いて行く。
(……でも、あと半日あれば)
星を見て、投げ出しそうな思考を落ち着ける。
「あと、どのくらいだ……?」
「半日あれば着きます。遅くても……明日の朝までには着くと思います」
「そうか。着いたら少し休んで医者を探したいが……甘いだろうか」
「そんなことはないと思います。そうですね、ここまで手ごわいサンドワームにも遭遇してないですし。このままいけば……」
黄昏空の下、旅人は行先を改める。見上げた空にはすでに、星々が輝いていた。
「よく空を見るだけで方向が分かるな。お前は魔女ではないんだろう?」
方位磁石と地図を広げながらラウは小首を傾げる。
「ええと……砂丘に慣れているだけです。俺は、ここで暮らしていたこともあるので」
「そうか、それで水先案内人を」
ラウの言葉にタイハクは黙って頷く。
(俺もこれがなんだかはよく分からないし)
道に迷わない、言ってしまえばそれだけだ。なんとなく現在地が分かるのは、きっと地形などが頭に入り切っているから、なのだろう。そんな自信はないが、分かっているとなればそうとしか思えない。適当に理由をつけて青年は思考を切り上げる。
「……タイハク、なにか来る」
ふと、魔法使いが杖を構えた。静かに手綱を握り直して、タイハクも耳を澄ませる。風の音に混じって、仄かな水の香りがした。重く、淀んだ水の香りに、馬たちもしきりに耳を動かす。ざわり、黄昏の境界が歪む。
浮かび上がる影が、大きな傘を縁取った。その造形に、見覚えのあるタイハクは息を飲む。刹那、オッカがきゅう、と小さな声を漏らした。
「ッ、オウ、構えろ!」
ガキン! と派手に金属が歪む音がして、手にしていた長銃が吹き飛ぶ。咄嗟に何者かとの間に割り込んだタイハクは、勢い余ってオッカにぶつかる。驚いた牡馬は、身体をのけ反らせた。勢いよく砂上に放り出されたオウは、思わず目をつぶる。馬に投げ出されるのは二度目だ。迫る痛みに身構えていた体を、何者かが受け止めたのが分かった。
「ら、ラウ、さん!?」
「無事か……!」
己をその身で受け止めたラウが、ほっと頬を緩ませる。しかしそれも束の間。驚いたままのオッカはなりふり構わず駆け出していく。その横では、タイハクが見えないなにかと対峙していた。
「な、どういう……」
「コイツ……音無水母、だ……! 音がするものに、寄る! アバニ、二人を……」
ふんす、と鼻息が近くでする。凪いだ瞳をした小生意気な牝馬がそこにいた。飼い主のことは心配ではないのか、一瞥だけを寄越した彼女は勢いよくオウの襟首を噛んで引っ張った。
「あっちょ、待って!」
慌てて立ち上がって、魔法使いは杖を構え直す。
「さっさと始末するわ、よ!」
「光を!」
求められた魔法を、魔法使いは微かな記憶から引っ張り出してくる。
「そー……れっ!」
ばちん、と光が勢いよく花開く。一瞬にしてその場を昼にするべく、閃光が夜を塗りつぶす。顔を覆って光を防いだタイハクは、すぐさま音無水母の方を見る。溶けて消えかかるその様を、最後まで見届けて皆の無事を確かめる。
「アバニ……!」
はっと声をかけられた馬は顔を上げる。彼女の眼の前を覆っていた布を払って、かわいらしい鼻先が姿を現した。すぐ近くで、落ちた布を拾い上げるラウの姿があった。
「ラウさん、もしかして……」
「ああ、光を、と聞こえたから……この子には分からない、だろう」
瞬きを繰り返しながら、ラウもアバニの無事を確かめる。どこかきょとんとした表情で、馬は鼻を鳴らした。
「……アバニが人を嫌がらないのは珍しいな」
「そうか。難しい子なんだな。光栄だ」
「オッカは……?」
二人のやり取りを静かに見ていたオウが、おずおずと口を開く。
「あ、ああ……あの子は特別気が小さいんだ……探しに行かないとな。少し遠くまで行ってしまっているかもしれない」
「足跡は……すぐ消えちゃいそうだね」
「大丈夫だ。オッカにはちゃんと教えてあるからな」
そう言ってラウは懐から小さな鐘を取り出す。澄んだ音のするそれを、オッカは目印として探し出してくれるらしい。馬の聴力は途轍もなく優れている。この音が聞こえる範囲にはいるだろう、とラウは踏んでいるようだった。それでも他の生き物に遭遇してしまった場合、驚いてさらに遠くへ行ってしまう可能性がある。三人と一頭は駆け足でオッカの後を追う。
「ねえ、ラウさん。少し気になったんだけど……信用してないって、嘘だったんじゃない?」
「あ……それは……」
鐘を鳴らす手を止め、ラウは言葉を詰まらせる。少し視線を泳がせて、彼女は足を止める。
「すまない。なんとなく解ってはいたんだ。貴方たちの人となりが、よさそうなことくらい、なんとなく見れば分かる」
深々と頭を下げるラウにオウもタイハクも返答に困る。
「……私もなんとなく分かってたよ。だってラウさん、私のこと魔法使いって言ったでしょ。魔女じゃなくて」
「え、あ、あぁ……言っていたか……?」
「お姉さんとの話に割り込んできたときにね。どうして嘘をついたの?」
ぶつけられた純粋な疑問に彼女は逡巡した。やや間を開けて、一行は再び歩き出す。
「そうだな、まずは私の話を少ししないといけないんだが……いいか?」
「いいよー。聞きたい!」
「そ、そうか……うちは商人の家なんだが、なかなか経営が上手くいかなくてな。姉貴が嫁入りをすることで、店は畳まずに済んだんだが……」
西都にて、小さな店を構えていたラウの姉・トコは、行商人の息子に嫁入りをした。古くからの知り合いであったし、西都には訪れる度に尋ねてくれていたほどの仲だ。ラウとしてもよく知った快い相手であった。そこからラウの一家も行商へ商売形態を変え、旅をしながら商人として生計を立てていくことになった。
「上手くいってはいたんだが、義兄が戦争に行かなければならなくなってな。当主不在の間は、姉貴が当主としてうちを引っ張っていくことになったんだ。けど、女相手じゃ基本侮られてばっかりだからな。姉貴は背も高くないし、強い言葉は使わない」
「確かに。すごく丁寧で、でも物怖じしない人だったわね」
「ああ、すごいだろう。どんな相手でも同じように接する……私にはできないことだ。けど、それじゃ危ないことも多い」
「だから、ラウさんが強めに出て、守ってたってことなんだ。確かに、護衛の人たちにも示しがつかないのは大変だものね……」
「察しがいいな……その通りだ。仕事に関しては、相手も女の人か老人が多いから困ることは減ったんだけど。護衛職はまだまだ若い男の人も多いから、ある程度関係が築けていても裏切ってはいけない、だろう」
「なるほどね……そういうこと。だってさ、タイハク」
「別に……俺からは特に言うことは無い。馬が懐いてる時点で悪い人だとは思ってないし」
タイハクの言葉を聞いたラウは、ひと際強く鐘を鳴らす。ふと、アバニが顔を上げた。タイハクがぱっと手綱を離せば、彼女は駆け足で離れた場所にいる大きな牡馬に寄っていく。少し待っていれば、アバニはオッカを連れて戻ってきてくれた。
「すまない、ずいぶんと寄り道をしてしまった」
「無事ならいいですよ」
「さっきの音無水母っていうのは? もう大丈夫なの?」
「たまに出ると思う。なんとなく輪郭とかは見えるけど、光には寄ってこないから……もっと明るいカンテラを買っておくべきだったな……」
「なら大丈夫。私に任せて!」
そう言って、オウは指を振る。ふわり、ふわりと小さな光の球が浮かび上がった。
「夜光虫みたいだな、綺麗だ」
ラウの感想に、魔法使いは歯を見せて笑う。得意げにこちらを見やる彼女に、タイハクも肩をすくめた。




