第8話「驟雨」‐②
地面に横たわったままの男の横には、仲間だろうか。御者のような男も駆け寄ってきて膝をついて必死に声掛けをしている。彼はやってきたオウを一目見、なにか言いかけてすぐに視線を足元の男に戻した。
「よくない、かもしれない」
「さっき動かせないって、それはどういう……手当は?」
「駄目だ、外傷じゃないから、応急手当じゃ……もっと専門的な知識がいる」
オウの問いに、御者の男が青ざめたまま答える。その答えにタイハクは眉を下げてオウを見やる。
「なんとか……俺に使ったのは? あれは──」
すとん、と魔法使いの表情が落ちた。
「使えない。悪いけど、二度と使えない」
低い声で彼女は答える。冴え切った金の瞳に、タイハクは思わず身を引いた。
「あ、いや……そうだな」
言葉が詰まった喉が鳴る。じりりと照り付ける日差しが嫌に眩しく感じられる。御者の男が、またなにか言おうとして口を閉ざした。
「おい、ソイツから離れろ、魔女め……!」
鋭い声と共に銃口を向けられる。オウも、タイハクも反応が遅れてしまい、視線を向けることしかできない。じわりと乾いた空気に汗が流れ落ちる。護衛の者だろう。警戒心の高さはさすがと言うべきか。ボロボロになりつつも、構えた銃口がぶれることはない。まっすぐと己へ向けられたソレを、彼女はじっと見つめ返す。
「別に取って食ったりしないのに。こんなことしてる場合じゃないでしょ」
オウの持っていた杖が魔法で消える。
「う、動くな!」
乾いた音がする。咄嗟に飛び出した、その手を魔法使いは掴み返す。勢い余った青年はしりもちをついたオウの元に飛び込んでしまう。
「っ、てて……ちょっと、大丈夫?」
「いや、そっちこそ……」
流れた赤に目が行って、思わず言葉に詰まる。その一瞬を突いて、彼女はタイハクにしがみつくようにして手を伸ばした。されるがままの青年は目を丸くして慌てふためく。
「気は済んだ? 私たちに敵意はないの。なにか問題があるなら、そこの責任者っぽい人と話をしてきなさい。私たちはこの人の手当てがしたいだけよ」
「ちょっと、おい、オウ!」
ぐっと後ろ頭を掴んで、少女はタイハクの背中ごと抱え込んで話を続ける。
「ごめん。見ての通り抵抗の意志もないの。少しだけ話をするから。だから下ろして。お願い」
懇願する少女の声が、胸を通して響いてくる。いつのまに手に持っていた長銃を取り落としてしまうほどに、困惑していた己に驚いてしまう。そのまま両者はしばし睨み合った。
「待ちなさい。銃を下ろして」
割って入って来る声と足音が一つ。妙齢の女の声が、護衛を窘める言葉が聞こえる。そこでようやくタイハクは、オウの腕から解放された。ぱっと解かれてすぐに、青年はその腕を掴む。
「わっ、ちょっと」
「馬鹿! 傷が悪化したらどうするんだよ」
服のうちに縫い留めていた巾着から、布を取り出して止血を施す。左の二の腕の、中ほど。白い肌を銃弾は掠めたらしい。血が止まったことを確認してから、軟膏を指ですくって布を当てて縛っておく。鮮やかな手際に、少女は呆気に取られていた。
「汚れるとよくないんだよ、傷は」
「そうなんだ?」
「腕を切らなきゃいけなくなるぞ。あと虫が寄ってくる」
「う、そ、そっか……ごめん、ありがとうね」
「言いたいことはもっとあるけど、どうかな……」
ちらり、と向こうの様子を窺う。護衛と妙齢の女性が話し込んでいる様子だった。二人の向こう側らからじっとこちらを見つめる者もいる。それでも仲間を心配しているのは確からしい。先ほどの御者の男に促されるままに、一同はテントを立てる準備を始めた。
「タイハク」
「ああ、手伝おう。早く涼しい場所を作った方がいい」
徐に立ち上がった二人を見て、一同は一瞬手を止めた。が、若い女がそれを抑えて前に出る。
「お手を貸していただけますか」
「もちろん。手伝うわ」
オウの答えに、彼女は微笑んで返した。なんとなく察して寄ってきたのだろうアバニから、荷を下ろして簡易天幕を張る。少し砂を掘れば乾いた砂が顔を出した。濡れた砂を取り除くと、涼やかな風が天幕を揺らす。
作業が一通り終わって、手当を続ける者と荷物の確認を始める者に一団は分かれた。二人は邪魔をしないように、と砂陰に移動して腰を下ろす。
「……あー、びっくりした。まさか撃ってくるなんてさ」
「オウ、そのことだけど」
「なに?」
「どうするつもりだったんだよ。あんなことをして」
「話ができればそれでよかったのだけどね。難しいわね。こっちは銃もなにも持っていなかったのに」
「……止めてほしい」
「へえ……? どうして?」
「俺は……アイツらのために死ぬのはいい。けど、お前の無茶に付き合って死ぬのはごめんだ。それじゃあ意味がない」
絞り出した言葉に、金色の瞳は瞬きをした。そして、ああ、と一つ嘆息を漏らす。
「そうだった。私もこんなところで死ぬわけにはいかないし……多少軽率だったと思う」
謝罪の言葉を除いて、タイハクの求める言葉を魔法使いは紡ぐ。その目を見やって、青年は悟った。
(けど間違ったことはしてないって言いたげだな)
タイハクとて反撃はしないつもりだった。助けたい気持ちがないわけではなかった。けれど別に、助けるのは己でなくてもいい。そう思っていたのだが。むっと表情を固めて青年は考え込む。
「あのう、すみません」
緊張した空気を割って、若い女が砂陰にやってきた。彼女は控えめに微笑みながら、丁寧にスカートの裾をまとめて側にしゃがみ込む。
「先ほどはありがとうございました。少しばかりの御礼ですが、こちらをどうぞ」
そう言って差し出されたのは青く輝く、みずみずしい果実だった。二つあるそれを、タイハクは受け取って顔を上げる。
「シュリープ……いいんですか?」
「はい。命の恩人ですから。先ほどはうちの者が無礼を働いて申し訳ありません。あの人も、仕事をしたまでですから……けれど、敵意のない人に撃つべきではありませんでした。ごめんなさい」
深々と、目の前で頭を下げられる。
「……タイハク」
「俺は特に」
首を横に振って、タイハクは女に向き直る。
「あの、大丈夫です。俺らは別に……」
「お怪我は深くありませんか?」
「それは大丈夫。もう痛くないし。掠っただけだから」
オウは気丈に首を横に振ってみせるが、腕に巻かれた布にはすでに血が滲んでいる。掠っただけ、とは言うものの傷は傷。
「……そうですね、申し遅れました。私はトコ。あちらの商人隊の責任者をしています。シュリープは私たちの食料として持っていた分ですから、気にせず食べてください」
「ありがとう。いただくわ」
タイハクの手からシュリープを受け取って、少女は勢いよくかぶりつく。
「ん、甘い……皮がちょと、ごわごわしてるけど」
「……オウ。シュリープは皮を剥いてから食べるんだよ」
「え、ちょっと」
気まずそうに口先を曲げた少女を放って、タイハクはアバニを呼びつける。軽い足取りでやってきた相棒の口に果実を放り込んでやる。好物を頬張る姿を眺めてから、彼はトコに向き直った。
「ありがとうございます。見ての通り喜んでくれてます」
「よかったです」
「あの、不躾な質問なんですけど、護衛はどうされたんですか」
「彼が体を張ってくれたおかげで、私たちは無傷だったんです」
目を伏せて返された答えに、二人は思わず黙り込む。
「あの人は……なんとか助けられそうなのですが」
「なにか問題が?」
首を緩く横に振って、トコは息をつく。
「あの、折り入ってお願いがございます。私たちの代わりに医者を呼んできていただけませんか」
「姉貴! 魔法使いを信用できるわけないだろう!」
いつの間にトコの背後に近づいていた女が、噛みつくような勢いで話に割って入る。どことなく目元がトコに似ている。それでも彼女のものより、やや鋭く感じられた。高い位置で一つに結び、三つの節を作った独特な髪が風に揺れる。それを片手と視線で制して、トコは続けた。
「御礼はしっかりいたします。ただで命を張れとは言いません。シュリープか、路銀でしたらお渡しできます。両方は……少し相談させてほしいのですが」
「姉貴! 私たちがなんのために東都に行くと思って……!」
「ラウ、気持ちは分かるが今じゃない。控えていなさい」
強く窘められた女は、固い表情のまま下がっていく。
「すみません。妹は変わり者の私が随分と振り回してしまっていて。しっかり者ですから、余計な気苦労をさせてしまっているんです」
「いえ、大丈夫です。その、シュリープは……」
「ええ、どういうわけか望月が買い占めています。ですが先の襲撃で傷が入ったものも少なくありません。御譲りするのはそちらになります」
「それは……どうなのよ」
トコの言葉を飲み込んで、オウが耳打ちをする。
「傷の入ったシュリープは基本家畜用だ。売れないわけじゃない」
「ふーん、都合のいいように、てことじゃないのね」
「そうだな。ただ……俺らも砂丘を越えるならシュリープは欲しい。こちらとしても悪い提案ではないと思う」
「そう、じゃあこっちとしては乗らない理由が……ないわね」
ただ一つ、問題があるとすれば。
ラウと呼ばれた女の方を見て、二人は小さく息を吐く。
「そういう場合じゃなかったけど……魔法を使うと面倒ね」
「らしいな」
二人での相談を終えて、トコの方に視線を戻す。
「俺らは大丈夫です。けど、ここからイーショまでは……急いでも四日はかかります」
「ええ。承知の上です。私たちも少しずつ移動はするつもりです。できれば医者の方を連れてこられたらいいのですが、そうもいかないと思いますから。せめて先に声をかけられたら、と思いまして。そちらの方が、あの人が助かる可能性が高いと考えます」
「それは……そうかもしれませんね。ここにずっといれば先に暑さにやられます。けど、移動し続けてからじゃ……」
「間に合うものも、間に合わないかもしれません。ですが、今の私たちはもう、二手に分かれられるほど人数が多くないんです。ですから……」
「俺らの手が必要なんですね」
「あのさ、一個気になるんだけどいいかしら」
「はい、なんでしょうか」
「そこまでして助けたい理由は?」
思わぬ魔法使いの問いに、翡翠の瞳は丸くなる。
「雇った護衛なのでしょう? あなたの家族ではないのに、どうしてそこまでしたいの?」
「雇っているとはいえ、長らく砂丘を越える時にはお世話になっていました。何度も何度も、助けていただいています。私は雇い主ですから。仕事をお願いするときに、お互いに命を預ける約束をしたんです」
「私は魔法を使うけど、それでも頼むの?」
「先ほどの行動で、私は信頼に値すると思いました。だから、対等に取引を提案させていただいたのです」
「ふーん……そっか。よし、タイハク。やろう。私たちならサンドワームくらい大丈夫よね!」
「ああ、まあ」
浮かない返事のタイハクを小突いて、オウは話を取りまとめる。
「じゃ、そういうことで」
「ありがとうございます。私の我儘ですが……お先にシュリープを渡してもいいですか?」
「悪いがそれは受け取れない。あくまで報酬として後で渡してほしい」
タイハクの返事に、トコは目を丸くして頷く。
「分かりました……私は皆の説得に行ってきます。少し時間がかかると思いますが、待っていただけますか?」
彼女の提案に、二人は黙って頷いて返した。




