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第8話「驟雨」‐①

 ふと、アバニが足を止めて天を仰ぐ。大きな耳が困惑したかのようにあちらこちらへ向けられる。


「なんだ、どこかから声が……?」


 風に混じって人の声が聞こえる。飛んでくる砂を払って、アバニと共に声の発生源を探す。オウは眉をひそめていたが、タイハクのあとに続いて周囲を見回し始めた。湿気た風がいつの間に雲を運んできていた。一層温くなった低い風が汗ばんだ肌を舐める。


「向こうか……?」


 山になった砂を超え、タイハクは向こう側を覗き込む。視界に飛び込んできた巨大な影にはっと息を飲む。


 飛砂のなか、ぐんと立ち上がった影があった。陰っていた日の光が浮き彫りにしたのは乾いた白い肌だった。


「な、なにあれ大きくない……!?」


 先ほど襲撃してきたものよりも二回りほど大きい。サンドワームの向こう側に動く人の影が見える。散り散りになった荷物と、馬車──なにが起きたのか一目で分かった。


「オウ、アバニと一緒に砂陰で退避してろ!」


 長銃を手に取り、タイハクは砂の坂を一気に下る。乾いた砂が足裏を掬うように流れていく。湿った肌に砂が貼り付いて、それが動く度に肌を刺激する。勢い任せに足を踏み出し、サンドワームの横をすり抜ける。


「無事か!」


 怪物の向こうにいた人影に声をかける。反応したのは二人、一人は身動きが取れないらしく、その場から少しも動かない。


「なにがあった?」


「分からない、急にサンドワームが下から現れたんだ……!」


「下から……」


 飛砂によって隠されていた穴を見、タイハクは息をのむ。そうか、別のサンドワームがすぐ近くに縄張りを広げようとしていたのか。一瞬のうちに合点がいった。いくら日差しに強いといえど、真夏・真昼間の烈日の元に好き好んで出てくる生き物ではない。息を吐いて、奇襲が来ないよう小さく祈る。


「……あっちの坂の向こうに俺の連れがいる、そっちならサンドワームも行きづらいはずだ。とにかくここから離れろ!」


「でも、こいつが」


「っ、いい。俺が連れてく」


 震える声で啖呵を切って長銃の撃鉄を起こす。怪物はこちらに狙いをつけているのだろう。低い唸り声のようなものを上げながらじわじわと接近してくる。

動きが遅い、と見て油断をすれば──不意に立ち上がったサンドワームが思い切り地に体を叩きつけた。派手に巻き上がった砂が、視界を覆い隠す。砂を割って厚い肉の塊が迫りくる。それをしゃがんで回避し、そのまま後ろに下がって距離を取る。


 もう一度、前進しようとするサンドワームの頭部目掛けて阻害弾を放つ。派手に上がった煙と薬剤のにおいが風にすぐ流されて行った。


(風が強すぎていつも以上に使えない!)


 歯噛みしながらタイハクは次弾を装填し、砂に倒れ伏す人物を確認する。多少良い身なりをしている男だった。苦し気に呻く顔は青白く、冷や汗が滲んでいる。一見怪我をしているようには見えないが、タイハクの脳裏には嫌な予感が過る。再度、立ち上がったサンドワームの影に覆われる。


 流星一条、灰色の飛砂を裂いて光の矢がサンドワームを穿つ。怪物は大きく体をのけ反らせた。風に紛れて光の残滓が流されていく。


「……オウ! 駄目だ、ここで魔法は!」


 制止の声は風に砂塵と共に攫われる。すぐ向こうで、御者の男が身を固くしたのが見えた。制止の声はしっかり魔法使いに届いていたらしい、が。


「そんなこと言ってる場合!?」


 再び立ち上がった怪物を撃って、彼女は声を張り上げる。足元から聞こえた呻き声にタイハクは唇を噛んだ。


「ああもう! けど、これはすぐ動かせない、ダメだ!」


「んだってぇ!?」


 粗暴な返事をした魔法使いはにわかに立ち上がる。強襲を受けたサンドワームは新たな標的を見つけ、そちらに向かう。ふと、鳥肌が立った。刺すような強く鋭い力が弾け、白い光の矢がいくつも形作られる。


「魔法! ね!」


 坂を転がるように降りてくる魔法使い目掛け、光の矢は一斉に放たれた。


「こいつ、そっちか!」


 魔法の壁を容易く貫いた光の矢は、派手に砂煙を立ち上がらせる。残滓も目隠しの煙もすぐに風が攫ってしまう。彼女は一息もつかずに、追撃の光を繰る。


 魔法の防御壁が反撃を許さない。硬く砕け散った力の余波が、強い風となって襲い来る。面白くなさそうに魔法使いは鼻で笑った。


 砂が次々と立ち上がり、鋭い大地の剣がオウを狙う。彼女はそれを危なっかしく横に、横に跳んで転がって避けていく。滲んだ汗を砂が撫でる。にじり寄る怪物の影は、もうすぐ側まで迫っていた。


 魔法使いは自ら寄ってきた好機を一気に手繰り寄せる。


 オウは勢いよく砂地に杖を突き立てた。じわり、と滲み出るなにかを肌で感じる。涼やかな風が、水の香りが鈍った思考を拭っていく。急激に冷えた風が運んできたのは──大粒の雨だった。沸き立つ雲は高く、高く高く天へ上る。一瞬にして生まれた竜の巣はタイハクたちの頭上に雷鳴と驟雨をもたらした。


 跳ね上がる砂をものともせず、灰の雨の中で魔法使いは面を上げる。金の瞳が捉えた怪物は、突然の降雨に困惑しているようにも見えた。


「風よ、雨よ……」


 奏でる言葉は鮮やかに。一瞬、雨粒が宙にとどまったように見えた。ゆっくりと眼前の景色が流れていく。瀑布が如き力が少女を中心に生まれ、爆ぜていく。


「壁を張れるのは前方。それは知ってるのよ」


 集まる水粒は一つ一つ、砂へ飲まれていく。細かく揺れる足元に、思わずタイハクはしゃがみ込む。刹那──水柱が勢いよく立ち上がった。水の槍に腹を貫かれたサンドワームが軽く吹っ飛んでいく様を目の当たりにする。


 ひと際強い風が吹いて雲を流していく。勢いよく顔を出した日の光は濡れた砂を強く照り付ける。立ち上る蒸気がまた、汗を誘った。呆然と一部始終を見守っていた青年は、やっと息を止めていたことに気づいた。


「タイハク、その人は!?」


 サンドワームがもう動かないことを確認し、オウは負傷者の元へ駆ける。


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