第7話「女神の怒り」
塔から歩き出してかなり時間が経った。真上に近づいた太陽を憎らしく見上げてため息をつく。ふと、一歩遅れながら背後を歩く魔法使いを気遣ってみる。
「大丈夫か」
「……あつい。ねえ、どのくらい歩くの?」
「とりあえず行けるところまで。あんまりゆっくりしてると、装備的にも厳しくなるから……ちょっと険しいけど北のルートで行こうと思ってる」
「け、険しい……」
これ以上か、と言わんばかりにオウは顔を歪めた。
「暑さはどこにいても変わんないから。少しサンドワームが多いけど、オウなら大丈夫そうだし」
「そうは言っても、さあ」
私だって疲れるのよ、と抗議が一つ。
「俺も一応、サンドワーム用の阻害弾を持ってきてる」
「阻害弾? そんなのあるんだ」
「ああ。ちょっと高いんだけど……動きを鈍くする煙を出す。入ってるのは薬品だよ。防衛隊とかも使ってるやつだ」
「へえ……結構工夫してるのね」
「それで、ルートの話なんだけど」
タイハクは進路に話を戻す。
「塔から海側に出るのが北ルート、南へ出るのが南ルート。そのまんまだけど、険しさに違いがある。一応あんたは雇い主だし、意見は聞こうと思う」
「早いのは?」
「北だな。さっきも言ったけど短い代わりにサンドワームの遭遇率が高い。休憩できる場所が無いから、ずっと進み続けることになる。そういう意味でも過酷と言われているな。大体七日くらいかかる」
「でも七日かかるんだ」
「文句言うな。南はその倍だ。余裕があるから今日から動いても、祭の日の一週間前には着く」
「それなら余裕があるわ。遅くとも祭が終わるまでに決着をつけなければいけないもの」
「そう考えると余裕はないんだけどな……これ以上早くするのも難しいし」
「んじゃ北ね。案外海も近そうじゃない」
陽炎が立つ北の丘陵を見る。少し向こうからは海がこちらを覗いていた。声が明るくなったオウを見て、なんとなくいたたまれない気持ちになった。少し迷ってから、タイハクは口を開く。
「……錯覚だ。なにもないから、距離感が掴めなくなる」
「え……?」
「そういうものだ。というか、海に行ってもなんの意味もない。海水は飲めたもんじゃない」
「え、だって水でしょ?」
「……海を知らないのか?」
「記憶がないんだってば。でも、山育ちだし、きっと見たことないわ」
「そうか。大したものじゃないぞ」
「それはタイハクの感想じゃないの」
「……そうだな」
タイハクは口を曲げて浅く頷く。どう言葉にしようものか、思考を巡らせて青年は視線も周囲へ回す。強い日差しが照り付ける一面の砂は、白く輝いて見える。
(そういえば、そろそろ昼時か……さすがに移動ができないだろうな。休める場所を作らないと)
歩を緩めて、辺りをじっと見回す。眩しくも感じられる砂面はどこも変わらない。はず。
──ひとつ、ぽつりと空いた穴。
それに気づいた途端、タイハクは血の気が引いたのが分かった。
「しまった! オウ! アバニに乗れ!」
「は!? なに!?」
ぎょっとして顔を上げた少女を馬上に押し上げる。すぐさまタイハクも鞍に飛びついて手綱を引いた。馬は力強く駆け出す。
「……どうしたの!?」
「出るぞ!」
きぃきぃ、と甲高い音がどこからか聞こえてくる。ひと際強い風が吹いて砂が巻き上がる。後ろ、音につられて見やった視界の下。砂が盛り上がったと思えば、なにかがぬっと顔を出す。一瞬にして陰った足元を生ぬるい風が吹きつけた。
勢いよく覆い被さらんとする、その影に目を奪われる。白く、乾いた肌に短い毛。数珠つなぎのように短くくびれた体は長く、ほとんど砂に埋まっている。それが風を切る速さで砂地から這い出て、一行の真上に飛び出してきたのだ。
「右!」
一瞬の涼しさを他所に、鋭い声と共になにかを叩く音が聞こえる。ぐっとアバニの背に力が入ったのが分かった。太陽の元に駿馬は躍り出る。白い毛並みが陽光を纏って砂地に降り立った。サンドワームは不届きものをひき潰そうと、その巨体で砂面を殴打する。風が、砂が勢いよく二人と一頭に覆い被さった。
「う、わっ……ぷ、い、痛……!」
「フード被っとけ、頭も伏せた方がいい。砂は痛いぞ」
いつの間にゴーグルを装着したタイハクが遅れたアドバイスを投げかける。
「あ、アバニは大丈夫なの?」
「この子は砂が好きだからな。被った方が速い」
再度、陰った視界に思わず上を見る。駿馬は軽々と横に避け、派手に飛び散る砂も簡単にかいくぐってみせた。砂を割って飛び出した彼女たちの横に、サンドワームが並びかける。嫌な気配を感じて、少女は腕の隙間からそちらを覗き見た。
目のないはずの怪物と、目があったような。
ぞっと背筋を走った冷たい予感に、慌てて面を伏せる。ぐっと強い力が働いて抱える青年の体にも力が入った。
「跳べ!」
ふわ、と臓腑が、冷や汗が宙に浮いた。次の瞬間派手な音を立てて白い馬体は砂地を抉って着地した。それから再び駆け出して少し、タイハクは振り返った。跳び越えた大岩の向こう、背を向けたサンドワームが見切れて見えた。
「やった、縄張りを抜けた……! って、うわ」
「ぎゃーっ!?」
ゆっくりと速度を緩めていたアバニは、勢いよく背に乗っていた二人を振り落とした。およそ少女とは思えない悲鳴が側から聞こえる。砂を払いながら身を起こして、飛び込んできた光景にタイハクは思わず目を丸くした。アバニが耳を絞りながらオウに砂をかけている。オウも逃げればいいものを、フードを被って砂かけに耐えていた。
「あ、アバニ待て。もういいだろ。ごめんな、重たかったよな」
そう言ってタイハクは荷からシュリープを取り出す。最後の一つを遠慮なく口に放り込んでやれば、アバニは絞っていた耳を立てた。
「逃げればよかったのに」
「それは嫌」
差し出された手を握り返してオウは立ち上がる。
「なんなの……もう。機嫌損ねただけ?」
「いや……たぶん、オウが気に食わないんじゃないかな。新入り扱いなんだよ、たぶんね」
「新入りぃ……?」
「馬って群れで生活する生き物だから、上下関係に厳しいんだ。アバニから見たらオウは格下だから……乗せたのが気に食わなかったんだね」
「な、なにそれ……」
ちら、とアバニを見てみるが先ほどの不機嫌はどこへやら。今はすました顔でこちらを待っているらしい。それでも少し息が上がっているのだろう。全速力を出した彼女の体は桃色が透けて見える。
「でも、よかったな」
「なにがよ?」
「走り出した時に振り落とされなくて。サンドワームは人を狙うし……いくら強いって言っても、馬から振り落とされたらさすがに痛かっただろ」
「ま、まぁ……そうね。けど大丈夫。心配には及ばないわ。と、いうか……あんなサンドワームもいたのね」
「あれはまた大きい個体だったな。サンドワームは成長過程によって大きさが結構違う。大きくなればなるほど攻撃的で、人を殺そうとする」
「人を殺そうとするんだ……? 他の動物は狙わないってこと?」
「そうだな……馬も狙われやすいって聞いた。けど人ほどではないらしい……よ?」
大変ふんわりとした言い方にも関わらず、オウは小首を傾げた。
「ふーん……襲ったって食べれるわけじゃないのにね」
「女神の怒りだっていうし……必要があるわけじゃないのかも。砂丘はずっとあんなのがちらほらいる。縄張りに入ったらすぐ出た方がいい」
「私なら倒せるかもしんないけど……疲れるし、それでいいか」
「助かる。少しルートを外れた。迂回することになるけど、このまま回って戻るぞ」




