第三十九話「無縁界 ― 忘れられた者」
大和の城。
昼。
書簡の山。報告。判断。命令。
桃太郎は、筆を走らせ続けていた。
桃太郎
「……次」
側近
「はい、こちら鬼ヶ島沿岸の警備配置案です」
桃太郎
「却下。穴がある。ここ――」
迷いがない。
速い。
正確。
完璧な判断。
――だが。
ふと、手が止まる。
桃太郎
「……?」
今、何か――
“違和感”。
だが、それが何か分からない。
桃太郎
「……気のせいか」
再び筆を走らせる。
夜。
一人、廊下を歩く。
静かすぎる。
足音だけが響く。
桃太郎
「……妙だな」
城はこんなに――
“広かったか?”
胸の奥が、わずかに軋む。
だが。
理由がない。
理由がない違和感は、思考に乗らない。
そのまま、流れる。
数日後。
訓練場。
桃太郎は、一人で剣を振っていた。
火炎刃。
炎が揺れる。
完璧な軌道。
無駄のない動き。
だが――
止まる。
桃太郎
「……こんなもんか?」
誰に言ったのか分からない。
返事はない。
当然だ。
最初から――
誰もいないのだから。
その時。
声。
???
「それで、満足か?」
振り向く。
そこにいた。
黒い鬼。
顔が、曖昧だ。
輪郭が、揺れている。
桃太郎
「……誰だ」
鬼は、わずかに笑う。
忘却鬼
「安心しろ」
一歩、近づく。
「お前はもう――誰にも失われない」
桃太郎
「……は?」
意味が分からない。
だが。
本能が、拒絶する。
忘却鬼
「繋がりは、苦しみを生む」
「失うからだ」
「裏切られるからだ」
「守れないからだ」
桃太郎
「……何の話だ」
忘却鬼
「だから、消した」
静かに。
当たり前のように。
「お前の“繋がり”を」
その瞬間。
心臓が――
ドクン、と鳴る。
桃太郎
「……っ?」
何かが、引っかかる。
だが。
思い出せない。
忘却鬼
「どうだ?」
「軽いだろう?」
「誰も守らなくていい」
「誰も失わない」
桃太郎
「……オレは」
言葉が止まる。
理由が、ない。
何のために戦うのか。
何を守るのか。
――空白。
忘却鬼
「それが“完成”だ」
「個は、完全であるべきだ」
「繋がる者は、弱い」
桃太郎の手から、炎が消える。
火炎刃が――揺らぐ。
桃太郎
「……オレは……」
分からない。
何も。
忘却鬼
「お前の強さは、他人に寄生した強さだ」
静かに、告げる。
「もう、寄生する必要はない」
沈黙。
風が吹く。
何もない空間。
本当に――何もない。
桃太郎の中から、
“理由”が、消えている。
その時。
ドクン。
再び、心臓。
強く。
深く。
脈打つ。
桃太郎
「……っ!?」
忘却鬼
「だから、消した」
「お前の“繋がり”を」
ドクン。
胸が鳴る。
違和感ではない。
――“痛み”だ。
忘却鬼
「どうだ?軽いだろう」
言葉は届いている。
だが、それ以上に――
何かが、内側から叩いてくる。
ドクン。ドクン。
桃太郎
「……なんだよ……これ……」
――その時。
声。
微かに。
遠くから。
美咲の声(断片)
「……桃太郎……!」
桃太郎
「……!?」
反応する。
だが、掴めない。
日生の声(断片)
『桃太郎、思い出す』
頭の奥が軋む。
記憶ではない。
だが、“呼ばれている”。
真備の声(断片)
「ここにいた」
景色が一瞬、揺れる。
誰かがいたはずの場所。
誰かといたはずの時間。
すべてが――“抜け落ちている”。
桃太郎
「……なんだよ……」
歯を食いしばる。
忘却鬼
「無駄だ」
「それは“関係の残滓”だ」
「すぐに消える」
ドクン。
ドクン。
ドクン。
だが――
消えない。
むしろ、強くなる。
桃太郎
「……うるせぇな……」
顔を上げる。
目に、火が灯る。
「知らねぇよ」
忘却鬼
「……何?」
桃太郎
「理由とか」
拳を握る。
炎が、戻る。
その瞬間――
さらに一つ、強い声。
ーーカン
「――絶対負けん!!」
桃太郎の瞳が、揺れる。
一瞬。
確かに、“誰か”がそこにいた。
桃太郎
「……いいねぇ」
わずかに笑う。
「思い出せねぇなら」
一歩、踏み出す。
「思い出すまで――やるだけだ」
火炎刃、再点火。
忘却鬼
「なぜ戦う」
桃太郎
「理由なんて――いらねぇよ」
炎が、爆ぜる。
ほんのわずかに。
「理由なんて――いらねぇよ」
その瞬間。
炎が、爆ぜる。
火炎刃、再点火。
だがそれは――
以前とは違う。
誰かのためじゃない。
命令でもない。
義務でもない。
それでもなお――
“繋がろうとする意志”。
忘却鬼
「……面白い」
初めて。
ほんの僅かに。
“楽しそうに”笑った。
――空気が、歪む。
忘却鬼の周囲に、闇が滲む。
それは空間ではない。
概念そのもの。
「無縁界」。
すべての“関係”を断つ領域。
忘却鬼
「では試そう」
「繋がりなきお前が」
「どこまで“抗えるか”を」
桃太郎、構える。
炎が静かに揺れる。
桃太郎
「……来いよ」
孤独の中で。
理由なきまま。
それでも。
一歩も退かず。
戦いは――
次の瞬間へ。




