第二十話― 鬼ヶ島闘技場編 ―
門をくぐった瞬間――空気が変わった。
外の重苦しい静寂とは違う。
ここには、“整えられた静けさ”がある。
足元に広がるのは、黒い石畳。
隙間なく敷き詰められたそれは、まるで都市の床のように精密だった。
壁も、天井も、すべて同じ黒。
磨き上げられた質感が、光を鈍く反射する。
一定間隔で灯る灯り。
炎ではない。揺らぎもない。
無機質な光が、通路を均一に照らしていた。
「……なんだよ、ここ」
神庭が鼻を鳴らす。
「外と違いすぎだろ。気持ち悪ぃな」
一本道は、すぐに分岐していた。
左右へ、さらにその先へと枝分かれしていく。
まるで――
「迷路、だな」
矢掛が呟く。
その声に重なるように、低い唸り。
哲西だった。
「……いる」
鼻をわずかに上げる。
「人型の鬼……いや、違う。もっと濃い」
目を細める。
「数も多い。奥に行くほど、強くなる」
沈黙。
「つまり?」
神庭が肩を回す。
哲西は短く答えた。
「戦いながら進むことになる」
その言葉に、神庭は笑う。
「上等だ」
拳を鳴らす。
「どこ行こうが同じだろ。出てきた奴を――全部ブッ潰す。それだけだ」
その横で。
桃太郎は、何も言わない。
ただ、奥を見ていた。
整いすぎた空間。
均一な光。
人の手のようでいて、どこか“ズレている”。
「……行くぞ」
それだけ。
石畳に、足音が響く。
規則正しく。
乾いた音が、迷路に吸い込まれていく。
――そのとき。
カツン。
別の音。
影が揺れる。
「来るぞ」
哲西の声。
灯りの下に現れたのは、人型の鬼。
だが――その目に光はなかった。
「……なるほどな」
矢掛が弓を構える。
「ただの迷路じゃない」
桃太郎が、一歩踏み出す。
「斬るぞ」
――次の瞬間。
足元の石畳が、消えた。
空間が、歪む。
落下。
視界が回転する。
重力が消え、戻り――
ドンッ!!!
叩きつけられた。
石が軋む音。
顔を上げた先に広がるのは――
巨大な闘技場。
円形。
底は奈落のように深く、壁面は滑らかな黒。
そして。
上を見上げれば――
無数の鬼。
びっしりと並び、こちらを見下ろしている。
笑っている。
歓声ではない。
これは――
品定めだ。
「……生きて帰ることは考えるなよ」
矢掛が低く言った。
冷静すぎる声。
「この状況、“逃げる”という選択肢は排除されている」
「はぁ?」
神庭が笑う。
雷が、ぱちりと弾ける。
「最初からそんなつもりねぇよ」
歯を見せる。
「全部ぶっ潰せばいいだけだろ?」
対照的に。
哲西は、上を見上げていた。
「……ぼく、あの人たち……」
声が震える。
「楽しんでる……」
その言葉に。
桃太郎は、静かに目を細めた。
「……ああ」
理解していた。
これは戦いじゃない。
――処刑だ。
ゴォンッ!!
地面が割れた。
現れたのは、異形の鬼。
四腕。二つの首。六つの眼。
観客席から声が降る。
「潰せ」 「泣かせろ」 「骨を見せろ」
桃太郎は一歩、前に出た。
「……来い」
瞬間。
消える。
「――速ぇなァ!!」
神庭が笑う。
すでに刀は振り抜かれていた。
「仙術・火炎刃」
炎が走る。
「火炎刃斬!!」
一閃。
三本の腕が同時に落ちる。
だが。
観客は――静かだった。
「浅い」 「まだだ」 「潰しが足りん」
桃太郎の眉が、わずかに動く。
(……評価している?)
鬼が吠える。
再生。
突進。
――その瞬間。
「遅ぇ」
雷が走る。
神庭。
二刀が閃く。
「オレ様の前で再生とか、ナメてんのか?」
雷が肉体の内側に侵入する。
バチバチバチ――!!
「中から焼けろよ」
爆ぜた。
肉体が内側から弾け飛ぶ。
――歓声。
「いい」 「今のはいい」 「苦しんだ顔が見えた」
哲西の顔が、強張る。
「……なんで……喜ぶの……?」
そのとき。
別の鬼が、落とされた。
だが――
そいつは、一歩退いた。
恐怖で。
ザンッ。
首が飛ぶ。
斬ったのは、観客席の鬼。
「退くな」
冷たい声。
「興が冷める」
哲西の瞳が揺れる。
「……え……?」
桃太郎が呟く。
「……こいつら、“生き残る気がない”」
矢掛が頷く。
「正確には違う」
「“生き残る”という概念が存在しない」
空気が、重くなる。
新たな鬼が三体、落ちてくる。
今度は――笑っている。
「いいねぇ」 「壊し合いだ」 「見せろよ」
哲西が、一歩前に出た。
「……ぼくがやる」
巨大な刀を担ぐ。
小さな身体に、不釣り合いな質量。
「……やめて」
誰に向けたのかも分からない言葉。
突撃。
ドンッ!!!
振り下ろし。
一撃で、鬼が地面ごと潰れる。
どよめき。
「力はある」 「だが甘い」 「まだ“壊していない”」
哲西の呼吸が荒くなる。
「……壊すって……なに……」
その瞬間。
背後から、鬼の腕が突き刺さった。
「――ッ!!」
血。
歓喜。
「いい」 「その顔だ」 「絶望を見せろ」
「……痛い……」
そのとき。
背後に、柔らかな光。
犬の精霊。
傷が塞がれる。
だが同時に――
何かが、切れた。
「……ゆるさない」
声が変わる。
低く。荒く。
肉体が膨張する。
骨が軋む。
毛が生え、牙が伸びる。
獣人化。
「オレの仲間に……手ェ出すなァァァァァ!!!!」
暴風。
鬼が吹き飛ぶ。
一撃で粉砕。
二撃で消滅。
三撃で、跡形もない。
観客が、初めてざわついた。
「……あれは」 「いい」 「壊し方が“本物”だ」
桃太郎が、静かに構える。
「……違う」
炎が灯る。
それは怒りではない。
意思。
「オレたちは――」
一歩、踏み出す。
「生きるために戦ってるんだよ」
「仙術・炎龍環」
光の刃がしなる。
龍のように。
「火焔龍舞斬!!」
炎の龍が、闘技場を呑み込んだ。
そして。
ゆっくりと、上を見上げる。
鬼たちを。
「……次は、そっちだ」
静寂。
一瞬。
その後――
鬼たちは、笑った。
「いい」 「ようやく“戦い”になってきた」
だが。
その笑いを――
矢掛だけは、冷たく見ていた。
(……“あれ”を使えば終わる)
脳裏に浮かぶ。
紫の羽根。
八咫烏。
(いや――使わない)
静かに、息を吐く。
「私は、人間だ」
その一言で、思考を断ち切る。
闘技場の空気が変わる。
これは、もう。
処刑ではない。
――戦争だ。




