第十話「極(きわみ)」
修行は、終わりに近づいていた。
だがそれは、終わりではない。
――“選別”だった。
生き残るか、
それとも――削ぎ落とされるか。
ここから先は、技ではない。
生き方そのものが問われる領域。
しとりは、何の前触れもなく動いた。
金棒が、振り下ろされる。
空気が裂けた。
音は、遅れてくる。
桃太郎は、すでに刀を構えていた。
考えるより先に、身体が動いていた。
受ける。
次の瞬間――
ビィィン、と。
金属が、悲鳴のように震えた。
衝撃が、腕を砕くように走る。
骨が軋む。
脚が、地へ沈む。
(……重い)
仙術で威を殺してなお、この圧。
(これが……本気か)
歯を食いしばる。
刀がなければ。
いや――
(“人の身体”では、受けきれない)
その思考が、よぎる。
一瞬だけ。
――二撃目。
来る。
だが桃太郎は動かない。
わずかに、重心をずらす。
それだけで、金棒は頬を掠めて過ぎた。
地を蹴る。
踏み込む。
斬る。
迷いのない一閃。
(取った)
――そう、思った。
――だが。
「甘い」
声が、遅れて届く。
斬ったはずの場所に、何もない。
気づいたときには――
しとりは、刀の上に立っていた。
まるで。
そこに“重さ”という概念が存在していないかのように。
(……消えてる)
違う――消えたんじゃない。
消えているのは“気配”だ。
存在しているのに、認識できない。
(これが……仙の域)
桃太郎は刀を振り切る。
だが。
すべてが、届かない。
しとりの身体は、風に揺れる葉のように。
触れる寸前で、必ず外れる。
「……なかなかやるようになったな」
低い声。
だが、そこには確かな愉しさがあった。
「わしの攻撃を受けて、なお踏み込むか」
間合いの外。
だが、逃げ場ではない距離。
「その動きなら――並の鬼では相手にならん」
一拍。
空気が、沈む。
「だが――問題は、その先だ」
視線が、鋭くなる。
「自分より“上”が現れたとき」
その言葉。
胸の奥に、何かが触れる。
「お前は、どうする」
答える間は、ない。
しとりの気配が――消えた。
完全に。
次の瞬間。
“世界が変わった”。
殺気。
一つではない。
二つでもない。
無数。
全方位。
逃げ場は、存在しない。
「――最終試験だ」
静かな声。
だが、それがすべてを支配していた。
「百華閃」
空間が、裂ける。
斬撃。
斬撃。
斬撃。
数ではない。
“密度”だ。
世界そのものが、刃に変わる。
逃げるという概念ごと、切り刻まれる。
(……見えない)
いや――
(見える)
見えてしまう。
すべての軌道が。
すべての“正解”が。
(ここでこう動けば、生き残る)
(ここでこう斬れば、勝てる)
思考ではない。
“最適解”が、流れ込んでくる。
自然に。
当然のように。
――まるで。
“神が選んでいる”かのように。
(……これなら)
勝てる。
確実に。
無傷で。
完全に。
――何も失わずに。
(――違う)
その瞬間。
桃太郎は、歯を食いしばった。
(それじゃ……ダメだ)
何がダメなのか。
言葉にはできない。
だが、分かる。
それは、“自分じゃない”。
(オレは――)
一瞬の葛藤。
斬撃は、もう目前。
(オレは、人だ)
踏み込む。
――自分で、選ぶ。
“最適解”を、捨てる。
自分の選んだ一歩。
刀を振る。
ぶつかる。
火花が、弾ける。
衝撃。
重い。
遅い。
だが――
“確か”だ。
次。
次。
次。
全身で受ける。
ズレる。
崩れる。
それでも、繋ぐ。
呼吸。
鼓動。
ドクン。
――ドクン。
(二つ……?)
(また、か)
一瞬の違和感。
だが、止まらない。
(まだだ)
すべてを捌ききれない。
それでも。
(届かせる)
最後の一閃。
振り抜く。
――静寂。
風が、止まる。
一筋。
血が、落ちた。
しとりの頬。
浅い傷。
「……まさか」
初めて。
しとりの目が、わずかに揺れる。
「百華閃を……凌ぐか」
驚き。
そして――
喜び。
確かな。
「なるほどな」
小さく、息を吐く。
「見えとったな」
その一言。
桃太郎は、黙る。
「最適な道が」
視線が、鋭くなる。
「それでも外した」
沈黙。
桃太郎は、ゆっくりと言う。
「……あれは、オレじゃない」
しとりの目が、細まる。
「ほう」
「勝てるって分かった。でも……」
言葉を探す。
「それじゃ、意味がない気がした」
風が、吹く。
しとりは、ふっと笑った。
「……上出来じゃ」
金棒を、肩に担ぐ。
「力に呑まれんか」
「ならば――」
一歩、下がる。
「もう教えることはない」
空気が、緩む。
だが。
重みは、残る。
「いずれ、お前はもっと強いものと出会う」
一拍。
「その時――今日の選択を忘れるな」
桃太郎は、静かに頷いた。
胸の奥で。
ドクン。
――ドクン。
わずかに、不規則な鼓動。
しとりは、それを見ていた。
だが、何も言わない。
ただ。
小さく、笑った。
「末恐ろしいな」
空を見上げる。
光が、差し始めていた。
「人のままで、どこまで行く」
そして。
ぽつりと。
「それが――お前の“強さ”じゃ」
風が抜ける。
修行は、終わった。
だが。
“本番”は、ここからだった。




