第七話 無意識の執念
『おい馬鹿待て、ちょっと待て、おい!』
目の前の中規模魔物に向かって行くのに夢中で、ルドーは聖剣が叫んで呼び止めていることに気付かなかった。
メガネ男子に向かって迫ってくる、大きく口を開き牙を覗かせた魔物。
ルドーが追いつくのと、エリンジの攻撃が届くのは、ほぼ同時だった。
逃げてきたメガネ男子に魔法攻撃が当たらないよう、ルドーは首根っこをがしっと引っ掴んで地面に叩きつける。
メガネ男子はぬかるんだ地面に突っ伏して、ぐえっという情けない声をあげた。
ルドーはそれを聴きながら、聖剣を振り上げて喉元に突き上げ、バチバチとド派手に雷魔法をぶち込む。
同時に届いたエリンジの虹魔法の閃光が、ドスドスと魔物を串刺していった。
殺傷力は充分だった。
ルドーの目の前で、中規模魔物が大きく絶命の咆哮をあげ、ボロボロと塵になっていく。
『こいつは囮だ! 後ろ見やがれ!!』
聖剣の叫び、ルドーの背後からリリアの悲鳴が聞こえる。
ルドーは背筋がぞっとする。
考えうる限り、ルドーに取って一番恐れていたことが起きていた。
ルドーが振り返った視線の先には、先程の魔物より一回り大きな狼のような魔物が、バリバリと結界に食らい付いている。
人を襲うためだけに、魔物は倒されるだけの囮を使って、人が多い場所を狙いやすくさせていたのだ。
リリアは結界内に逃げた魔法科生徒の安全のために、なんとか必死に結界を維持しようとしていた。
だが結界魔法はまだリリアが習得して新しい。
おまけに相手は、ルドーが倒したことがあるだけの、リリアは相対したことも無い中規模魔物。
結界には貫いた牙から、ビシビシとクモの巣のような亀裂がどんどん入っている。
リリアが持ちこたえられるかは、時間の問題だった。
「うわぁ!」
「ちょっと! 安全なんじゃなかったの!?」
「ハイハイハイ、逃走一択ですよ!」
「そこの子! そのままだと食べられちゃうよ!」
「私はいいから、早く逃げて!」
他の魔法科生徒の逃げる悲鳴が森に響く。
結界の外から見ていた、ズレた発言のテンション高い女子が、リリアに向かって逃走を促している。
それでもリリアは、他の魔法科生徒が逃げ切るまで逃げようとしない。
今は周囲の安全より、リリア自身の安全を優先して欲しいのに。
「うっ……!」
不意にルドーの視界がグラッとぶれた。
ぼやける視界。
思わずルドーは顔を顰めて目を細める。
状況は全く違うのに、目の前の光景が、すりガラスのように重なって見える。
思い出すのはいつだってあの光景だ。
ぐったりと垂れた手足、その首に伸びた両手。
ゴロゴロと鳴り響く雷の音。
転生前の、首を絞められたあのとき。
「また妹を殺されてたまるかああああああああ!!!」
それは無意識の執念だった。
気が付けば、ルドーは既にその大規模魔物の真下まで移動していた。
鋭い牙が光る喉元に、聖剣の黒い刀身をザクッと突き立てる。
制御もせずに、雷魔法をあらん限り魔物に向かって解き放っていた。
ドオンと腹に響く轟音と、雷鳴があたり一帯を包んで、真白に光る。
ルドーは目の前で牙を剥く、四足歩行の狼魔物しか認識していなかった。
両手から煙が上がっている。
鼻腔を焦げ臭さが満たしていく。
熱や痛みなど構うものか。
ルドーの腕がまた真っ黒に焦げていき、熱でどんどん身体が焼け焦げて行く。
「ねぇ! ねぇ、そこ危ない!」
「早く動いて!」
「そのままだと避けられないよ!」
周囲が驚いて悲鳴をあげているのに、ルドーは全く気付かなかった。
黒い魔物が、雷の衝撃で真白に光り輝き塵となる。
その魔物の後ろから、ぬっとさらに大きな影が見えた。
理解した瞬間、ルドーはやっと冷静になれた。
まだ後ろに魔物がいたのか。
『魔物の後ろの死角か……おい、動けるか!?』
聖剣の必死な呼びかけを、ルドーは遠く耳に響かせた。
雷魔法のダメージが蓄積した黒焦げの身体では、ルドーは咄嗟に動けない。
リリアはひび割れた結界魔法の修復に集中している。
そのせいで距離の離れたルドーまで、回復の手が回せない。
魔物の背後からさらに現れた、熊型の巨大魔物。
薄暗い森の中で、のそりと仁王立ちして睨み付ける瞳の前に、ギラリと爪が怪しく光る。
「お兄ちゃん!!!」
『おい、おい! 俺を使え!』
リリアがルドーの背後で悲鳴をあげている。
握りしめ焼き固まった掌の中から、聖剣のかつてない必死な声が頭に響く。
たが全身黒焦げになったルドーは、奇跡的に立ってはいられたものの、指先一本うごけない。
その鋭い爪がルドーの顔に掠ろうとした時――――
――――聞いたこともないような、強烈な打撃音でその熊型魔物が吹き飛んだ。
ルドーの背後から、クロノが片手で帽子を押さえたまま跳びあがり、その一番大きな魔物に強烈な蹴りを入れた瞬間だった。
大規模魔物の頭をとらえるほどの、かなりの高さからの一撃。
急所の一つらしい首に思い切り蹴撃して、首ごとごっそり折れていく。
まるでスローモーションのようにゆっくり見える。
あまりの事態に、エリンジも含めた周囲が信じられず、言葉を失い目を見張った。
「でえっ!」
蹴撃の余波を近距離真正面から受けたルドーは、それから視界が黒一色になった。
◇
結論から言うと、一人五十体倒せというのはこけおどしだったらしい。
達成したのは、例の舌打ち無表情エリンジと、黒帽子のクロノの二人だけだった。
虹色に輝く複合魔法の同時発動を駆使して、エリンジらお手本のように魔物を倒していった。
そしてエリンジは五十体倒すや否や、ネルテ先生に報告して、さっさとその場を離れてしまった。
対してクロノは恐ろしいことに、魔法を全く使わず、殴る蹴るの暴力のみで魔物を倒して達成したそうだ。
戻ってもやることがなく待つのが億劫だと、クロノは五十対倒しても動かず、黙って周囲を観察していたという。
その間他の魔法科生徒も必死になって魔力を練り上げ、頑張って魔物を倒していた。
だが多くても五体前後倒すのがやっと。
戦闘が出来ない生徒をリリアが結界で守って、その周囲で戦闘する形を取っていたらしい。
戦闘不能になって黒焦げになったルドーは、慌てた周囲の人たちが、結界内のリリアの傍に引きずっていった。
すぐ傍であれば、結界を維持しながら回復魔法をなんとか使える。
リリアが回復を即座に施したことで、ルドーはなんとか難を逃れた。
そうして日が暮れた頃に突然全員が光り輝き、転移魔法でロビーに戻ってきた。
薄暗い森から、魔灯魔道具で照らされた最初の入り口前に戻され、突然の眩しさに全員が手で目を覆った。
「あ、あれ……?」
「はーい、お疲れ! まぁ、初めてにしては上々だね!」
「あの、一人五十体討伐じゃあ……?」
「ん? そんなもん、嘘に決まってるだろ?」
いったい何が起こったのかと、生徒たちは呆然としていた。
おずおずと手を挙げて尋ねたメガネ男子によって、ネルテ先生から全員にそう打ち明けられたのだ。
その後気を失っていたルドーは、運び込まれた医務室で目を覚ました。
「うーん……あれ? なんでベッドの上に……」
「お兄ちゃんのバカ!」
「でぇっ!?」
医務室にバチバチンと平手打ちの音が響く。
回復魔法が使えるからと、リリアは負傷した魔法科生徒を癒して回っていた。
その場に居たリリアに、ルドーは気が付くなり強烈な往復ビンタをくらったのだ。
温厚そうなリリアの突然の往復ビンタ。
他の魔法科生徒も、リリアの剣幕に圧倒されて一瞬引いていた。
「まぁ、確かにあれは死んだかと思った」
「黒焦げになっていく気迫、魔物より恐ろしかったですや」
「妹さんが不安になって焦る気持ちも当然でしょう」
その場を目撃した魔法科生徒たちが、口々に声をあげる。
次々と指摘されたことで、ルドーはあの時魔法の制御もせずに、また自爆してしまっていたことに初めて気付いた。
『いやぁほんと、流石に死んだかと思っちまったわ』
聖剣が皮肉気に呟く。
正直なところ、ルドーにも何故あんな行動をとったのか、自分でよくわからなかった。
気が付いたら身体が勝手に動いていたのだ。
「お兄ちゃん、私も立場が逆だったらって思ったら、気持ちはわかるけど。でももうちょっと自分も大事にしてよ」
拗ねたような声をあげたリリアに、ルドーはバツの悪さを感じた。
「悪かったよ」
「謝るだけならいくらでもできるもん」
謝罪を口にしたルドーに対して、リリアはそう言って頬を膨らませる。
今までルドーが無茶をして、自爆したのは一度や二度ではない。
謝罪はしても反省はしていないと、リリアには既に見抜かれてしまっていた。
『俺は好きだぜぇ、そういうの。派手な死に方になるし伝説だわな』
「うるせぇって」
頭に響く聖剣の声を、ルドーは頭を振ってかき消す。
リリアはルドーの自爆が多かったせいで、回復魔法だけはかなり上達した。
おかげで黒焦げになったルドーも、既に焦げたことも嘘のように元に戻っている。
リリアのその回復魔法の練度の高さも、周囲から驚かれたらしい。
入学初日の規模ではなかったそうだ。
それもルドーの自爆の多さの副次的効果ではあるが、今はルドーもリリアも黙っていた。
ルドーは改めて医務室を見回す。
ベッドに寝かされていたのは、気絶していたルドーと、もう一人の魔法科生徒だけ。
他の生徒は、逃げ回った際に転んだり枝に引っ掛けたりした擦り傷や切り傷ばかりで、軽傷者がほとんど。
それでも人数は片手で数える程度しかいない。
最初から結界の中に入って戦闘もしてなかった奴らは、怪我もないのでそもそも医務室にはいない。
とっくに寮の自室に行ってしまったらしい。
黒焦げから回復したルドーは、身体の確認をするようにあちこち動かしながら、ベッドから起きて立ち上がった。
「しかしあの帽子の子の蹴り凄かったな。あ、魔物って魔法使わず倒せるんだって初めて思ったよ」
氷魔法を使っていた、薄桃色の髪の男子が言う。
「身体強化魔法の類でも使っていらっしゃるのでしょうか?」
負けられないと話していた、深緋色長髪の女子が疑問を呈するように、口元に手を当てて思案顔で呟く。
「いや、あの人魔法使ってなかったですよ」
その一言に、視線が一斉に注目を集めた。
ベッドに起き上がり頭に包囲を巻いた、ルドーとエリンジが助け出した例のメガネ男子だ。
「いやあの、僕、観測者って役職持ってて。それで詳しく解析魔法をかけられるんですけど」
注目を受けたことで、メガネ男子は一瞬慌てた。
しかし先を促す周囲の視線を感じて、しどろもどろになりながらなんとか続ける。
「あの蹴り凄かったから、無意識に観測しちゃったんです。でもあの時のあの人からは、肉体強化とか、身体強化とか、強化バフの類の魔力反応全くなかったんです」
「じゃあ、マジであれ、ただの純粋な蹴りってことか?」
「多分……」
ルドーの問いかけにメガネの少年が告げれば、その場にいた全員が信じられない様にざわつく。
魔物を武器も魔法も使わず、素の身体能力だけで倒すのは並大抵ではないからだ。
そういえばクロノ本人が、魔法をまともに使えないとか言っていたような。
だとしたら本当に純粋な蹴りのみで、大規模魔物を倒したのだろう。
にわかには信じ難いが、通りで魔の森の中で魔法も使えないのに、妙に冷静にいた訳だ。
「それに新入生代表のあいつもすごかったな」
「ちょっと性格に難がありそうですけれど、実力は確かでしたものね」
薄桃色髪の男子と、深緋色の髪の女子が話題にあげる。
当然怪我もしなかったため、エリンジも医務室にはいない。
エリンジの虹魔法も、かなり高度な技術を要するらしいことをこの場のみんなが話している。
圧倒的過ぎる二人の様子。
どうすればあそこまで達するのか。
リリアの回復を待っている間に、議論が白熱し始める。
「まだまだですわね。実戦は初めてでしたが、想定していたよりずっと厳しいですわ」
「まさか攻撃がまるで通用しないとは思わなかったかなぁ、自信あったんだけど」
「うーん。火を消すのって、適当に水かけるだけじゃ難しいんだね」
「私ももう少し練度あげないと、魔物捕まえたまま動けなくなりますや」
リリアが順次回復魔法をかけていく。
終わった生徒はそれぞれ己の課題について話しながら、医務室を後にする。
魔物に対する認識や、今後の魔法の使い方。
各々思う事は多々あったようなので、もっぱらその話題で持ちきりだ。
「はい、あとは君が最後だね」
リリアの声にルドーが顔を向けると、例のメガネ男子に声をかけた所だった。
頭の包帯にリリアが手をかけた時、メガネ男子は申し訳なさそう視線を下げて声を出す。
「僕が考えなしに走ったせいで、あの大規模魔物たちを呼び寄せてしまったのに……回復魔法をかけてもらっていいんでしょうか」
下を向いたままのメガネ少年が、小さく声を溢す。
流石にメガネ少年も後ろめたさを感じていたのだろう。
まるで懺悔するように視線を落とし、表情も暗くなっている。
しかし魔物というものは、人の気配を感じ取って襲い掛かってくるもの。
ルドーとリリアはゲッシ村の魔の森浄化の際に、魔導士長からそう話を聞いていた。
あの規模の魔物が近くにいたなら、集団で転移してきたところに、遅かれ早かれ辿り着いただろう。
メガネ男子だけに非があるとは断言しにくい。
落ち込むメガネ男子に、励ますべきかどうかとルドーが思って頭を悩ませ始める。
するとリリアが不意に、メガネ少年にピコンとデコピンをくらわした。
「なに言ってるんですか、それとこれとは別の話ですよ。それに、まだ初日の事なんですよ。これから挽回していけばいいじゃないですか」
私だって初めての時は、まともに制御できなくてよく気絶していたんですからと、ニッコリ笑ってリリアはメガネ男子に回復魔法をかける。
まだ他人行儀で敬語も残るリリアの言葉。
しかしそれを聞いて、見る見る内に顔が赤くなっていく、メガネ男子の既視感。
あ、これダメな奴だと、ルドーは認識した。
メガネ男子のこの反応、村の男衆相手に、ルドーは何度か見たことがある。
恋に落ちた瞬間のやつだ。
リリアは普通にしていたら可愛い上に、性格もいいからこういうことがたまにある。
しかもリリア本人は他意がないので、相手の好意に全く気付いてないのが質の悪いところだ。
実際今の言葉も、メガネ男子を励ます以上の意味は持ち合わせていない。
リリアに惚れた男が、花や手紙をリリアに渡そうとするだけならまだいい。
だがこの手の男は、リリアを後ろからじっと見つめてついて来たりと、ストーカー化しやすい。
挙句の果てには家に侵入してこようとして、危ない方向に何故か行きがちなのだ。
不審者になった時、最終手段としていつもボコボコにしてきたのは、双子の兄としてのルドーの役目だ。
ちょっとこのメガネ男子は、要注意人物として見ないといけない。
『大変だなぁ、お兄ちゃんよ』
聖剣もこの微妙な空気を感じ取ったのか、クツクツと茶化してくる。
メガネ男子からぽーっと見つめられる変な空気に、リリアはきょとんとしている。
ルドーはリリアの首根っこを掴んで、強引にさっさと医務室を後にした。
頭の包帯の怪我は多分、ルドーが地面に引き倒した際のものだろう。
だがこの際謝らないでおくのは許してくれと、ルドーは心でそっと祈った。




