第七話 無意識の執念
『おい馬鹿待てちょっと待ておい!』
目の前の中規模魔物に向かって行くのに夢中で、ルドーは聖剣が叫んでいる事に気付かなかった。
メガネ男子に迫ってくる魔物に、ルドーが追いつくのと、エリンジの攻撃が届くのは、ほぼ同時。
逃げてきたメガネ男子に、魔法攻撃が当たらないように、ルドーが首根っこを掴んで地面に叩きつける。
地面に突っ伏するぐえっという情けない声を聴きながら、聖剣を振り上げて喉元に突き上げ雷魔法をぶち込むのと、届いたエリンジの虹魔法で、殺傷力は充分だった。
ルドーの目の前で、中規模魔物が塵になっていく。
『こいつは囮だ! 後ろ見やがれ!!』
聖剣の叫びに、リリアの悲鳴が聞こえる。
ルドーが振り返った視線の先には、先程の魔物より一回り大きな狼のような魔物が、バリバリと結界に食らい付いていたところだった。
リリアは結界内に逃げた人の安全のために、なんとか必死に維持しようとしていた。
だが結界魔法はまだ習得して新しい。
ヒビがどんどん入っていき、持ちこたえられるかは時間の問題だった。
不意にルドーの視界がぶれた。
思い出すのはいつだってあの光景だ。
ぐったりと垂れた手足、その首に伸びた両手。
ゴロゴロと鳴り響く雷の音。
妹を殺されてたまるか。
それは無意識の執念だった。
気が付けばルドーは既にその大規模魔物の真下まで移動して、喉元に聖剣の黒い刀身をザクッと突き立て、制御もせずに、雷魔法をあらん限り魔物に向かって解き放っていた。
轟音と雷鳴があたり一帯を包んで、真白に光る。
両手から煙が上がっている。
鼻腔を焦げ臭さが満たしていく。
熱や痛みなど構うものか。
腕がまた真っ黒に焦げていき、熱でどんどん身体が焼け焦げて行く。
周囲が驚いて悲鳴をあげているのに、全く気付かなかった。
黒い魔物が雷の衝撃で真白に光り輝き塵となる中、その魔物の後ろから、さらに大きな影が見えたとき、ルドーはやっと冷静になれた。
まだ後ろにいる、しまった。
雷魔法のダメージが蓄積した、黒焦げた身体ではとっさに動けない。
リリアはひび割れた結界魔法の修復に集中しているせいで、距離の離れたルドーまで回復の手が回せない。
魔物の背後からさらに現れた、熊型の巨大魔物。
その鋭い爪がルドーの顔に掠ろうとした時――――
――――不意に聞いたこともないような、強烈な打撃音でその熊型魔物が吹き飛んだ。
背後から帽子を被ったクロノが、たった今その一番大きな魔物に、強烈な蹴りを入れた瞬間だった。
大規模魔物の頭をとらえるほどの、かなりの高さから、急所の一つらしい首に思い切り蹴撃して、首ごとごっそり折れていく様子が、まるでスローモーションのようにゆっくり見える。
あまりの事態に、エリンジも含めた周囲が、信じられない様に目を見張った。
蹴撃の余波を近距離の真正面から受けたルドーは、それから視界が黒一色になった。
結論から言うと、一人五十体倒せというのはこけおどしだったらしい。
結局達成したのは、例の舌打ち白髪エリンジと、黒帽子のクロノの二人だけだった。
魔法の同時発動で、お手本のように魔物を倒していったエリンジに対し、クロノはなんと恐ろしいことに、魔法を全く使わず、殴る蹴るの暴力のみで魔物を倒して達成したそうだ。
その間他の生徒達も頑張って魔物を倒していたが、多くても五体前後倒すのがやっと。
戦闘が出来ない生徒達をリリアの結界で守って、その周囲で戦闘する形を取っていたらしい。
戦闘不能になって黒焦げになったルドーは、慌てた周囲の人たちが、結界内のリリアの傍に引きずっていった。
すぐ傍であれば、結界を維持しながら回復魔法をなんとか使えると、リリアが即座に施したことで難を逃れたそうだ。
そうして日が暮れた頃に突然全員が光り輝き、転移魔法でロビーに戻ってきたことで、五十体討伐がこけおどしであったことを、ネルテ先生から打ち明けられた。
医務室で目を覚ましたルドーは、回復魔法が使えるからと、負傷したクラスメイトを癒して回っていたリリアに、またも強烈な往復ビンタをくらった。
温厚そうなリリアの突然の往復ビンタに、一瞬引いていた他のクラスメイトからも、口々に黒焦げになっているのに、全く気にせず気迫が恐ろしかったと言われ、ルドーは初めてあの時魔法の制御もせずに、また自爆してしまっていたことに気付く。
『いやぁほんと、流石に死んだかと思っちまったわ』
聖剣が皮肉気に呟く。
正直なところ、ルドーにも何故あんな行動をとったのか、よくわからなかった。
気が付いたら身体が勝手に動いていたのだ。
「お兄ちゃん、私も立場が逆だったらって思ったら気持ちはわかるけど、もうちょっと自分も大事にしてよ」
「悪かったよ」
『俺は好きだぜぇそういうの、派手な死に方になるし伝説だわな』
「うるせぇって」
リリアはルドーの自爆が多かったせいで、回復魔法だけはかなり上達した。
おかげで黒焦げになったルドーも、既に焦げたことも嘘のように元に戻っている。
リリアのその回復魔法の練度の高さも、周囲から驚かれたらしい。
入学初日の規模ではなかったそうだ。
他の生徒達は、逃げ回った際に転んだり枝に引っ掛けたりした、擦り傷や切り傷ばかりで、軽傷者がほとんど。
最初から結界の中に入って戦闘もしてなかった奴らは、怪我もないのでそもそも医務室にはいない。
とっくに寮の自室に行ってしまったらしい。
「しかしあの帽子の子の蹴り凄かったな。あ、魔物って魔法使わず倒せるんだって初めて思ったよ」
氷魔法を使っていた、薄桃色の髪の男子が言う。
「身体強化魔法の類でも使っていらっしゃるのでしょうか?」
負けられないと話していた、深緋色長髪の女性が疑問を呈するように、口元に手を当てて思案顔で呟く。
「いや、あの人魔法使ってなかったですよ」
その一言に視線が一斉に注目を集める。
頭に包囲を巻いた、例のメガネ男子だ。
注目を受けたことで一瞬慌てたが、先を促す生徒達の視線を感じて、しどろもどろになりながらなんとか続ける。
「いやあの、僕、観測者って役職持ってて、あの蹴り凄かったから、無意識に観測しちゃったんですけど、あの時のあの人からは肉体強化とか身体強化とか、バフの類の魔力反応全くなかったんです」
「じゃあマジであれただの純粋な蹴りって事?」
「多分……」
メガネの少年が告げれば、その場にいた全員が信じられない様にざわつく。
魔物を武器も魔法も使わず、素の身体能力だけで倒すのは並大抵の事ではないからだ。
そういえばクロノ本人が、魔法をまともに使えないとか言っていたような。
だとしたら本当に純粋な蹴りのみで、大規模魔物を倒したという事だろう。
にわかには信じ難いが。通りで魔の森の中で魔法も使えないのに、妙に冷静にいた訳だ。
当然怪我もしなかったためここにはいないエリンジの虹魔法も、かなり高度な技術を要するらしいことを、この場のみんなが話している。
圧倒的過ぎる二人の様子に。皆がどうすればあそこまで達するのか、リリアの回復を待っている間に議論が白熱し始める。
「まだまだですわね。実戦は初めてでしたが、想定していたよりずっと厳しいですわ」
「まさか攻撃がまるで通用しないとは思わなかったかなぁ、自信あったんだけど」
「うーん、火を消すのって、適当に水かけるだけじゃ難しいんだね」
「私ももう少し練度あげないと、魔物捕まえたまま動けなくなりますや」
リリアが順次回復魔法をかけていく中、終わった生徒は課題について話しながら、医務室を後にしていく。
魔物に対する認識や、今後の魔法の使い方など。
各々思う事は多々あったようなので、もっぱらその話題で持ちきりだ。
「はい、あとは君が最後だね」
リリアの声に顔を向けると、例のメガネ男子に声をかけた所だった。
頭の包帯にリリアが手をかけた時、メガネ男子は申し訳なさそう視線を下げて声を出す。
「僕が考えなしに走ったせいで、あの大規模魔物たちを呼び寄せてしまったのに……回復魔法をかけてもらっていいんでしょうか」
流石に後ろめたさを感じていたのだろう。
まるで懺悔するように視線を落とし、表情も暗くなっている。
しかし魔物というものは、人の気配を感じ取って襲い掛かってくるものだと、故郷の魔の森浄化の際に魔導士長から話を聞いていた。
あの規模の魔物が近くにいたなら、集団で転移してきたところに遅かれ早かれ辿り着いただろう。
彼だけに非があるとは断言しにくい。
どうしたものかとルドーが思っていたら、リリアは不意にメガネ少年にデコピンをくらわした。
「なにいってるんですか、それとこれとは別の話ですよ。それに、まだ初日の事なんですから、これから挽回していけばいいじゃないですか」
私だって初めての時は、まともに制御できなくてよく気絶していたんですからと、ニッコリ笑ってリリアはメガネ男子に回復魔法をかける。
見る見る内に顔が赤くなっていく、メガネ男子の既視感。
あ、これダメな奴だとルドーは認識した。
村の男衆で何度か見たことがある。
恋に落ちた瞬間のやつだ。
リリアは普通にしていたら可愛い上に性格もいいからこういうことがたまにある。
しかもリリア本人は他意がないので、相手の好意に全く気付いてないのが質の悪いところだ。
花や手紙をリリアに渡そうとするだけならまだいい。
この手の男はストーカーまがいにリリアを後ろからじっと見つめてついてきたり、挙句の果てには家に侵入してこようとして来たりと、危ない方向に何故か行きがちなのだ。
不審者になった時最終手段としていつもボコボコにしてきた手前、ちょっとこいつは要注意人物として様子見しないといけない。
『大変だなぁ、お兄ちゃんよ』
聖剣も空気を感じ取ったのか茶化してくる。
変な空気になって、きょとんとしているリリアの首根っこをひっつかんで、さっさと医務室を後にした。
頭の包帯の怪我は多分、ルドーが地面に引き倒した際のものだろうが、この際謝らないでおくのは許してくれ。




