第五十話 悪魔との遭遇
真っ暗だ。何も見えない。
なんでこんなことになってるんだっけ。
確か依頼でエレイーネーからグルアテリアに向かって、そこで魔人族が戦争の理由にされそうになっていることが分かって、エリンジ達となんとか止められたと思ったら、明らかに人の領域を外れた剣を大量に出してくる男が襲ってきて。
最後に、あの男が言った言葉に頭が真っ白になって――――
「――――リリ! いってぇ……!」
「ぴいっ!」
『満身創痍だ、動くんじゃねぇ』
ルドーが気付くと、見たこともない殺風景な部屋の質素なベッドに寝かされていた。服の上から全身グルグル巻きに包帯が巻かれている。
あちこち若干血が滲んで身じろぐほど痛みが走っているが、今はそれどころじゃない。
「リリは! あいつは! どうなった!?」
「ぴいっ!」
『さぁな、気が付いたらここだ。なにがどうなったかわからねぇ』
軋む身体を無理矢理起こしながらルドーが叫ぶが、低い声で答えた聖剣からの返事は求めていたものではなかった。
あの男は回復役を攻撃する発言をしていた、あのままならリリアが危険だ。
「くっそ、リリ、いって!」
「ぴぃっ!」
『動くな、回復魔法かけてもらったわけじゃねぇ、傷が開くぞ』
ルドーが無理矢理身体を動かそうとして、痛みで身体が上手く動かずベッドから転がり落ちる。
ベッドから落ちた衝撃と怪我の痛みに傷口を押さえていると、ルドーの正面に少女が部屋の隅で小さくなって涙目でカタカタ震えている様子が目に入って初めて気が付いた。
ボロボロの白い麻布の簡素なノースリーブのワンピースから覗く痩せた褐色の肌に、立てば腰から太ももまで届きそうな紫の長い痛んだ髪、輝くような黄色の瞳に困惑を映していっぱいに涙をためて、カタカタ震える身体を可能な限り小さく見せようと縮こまりながらこちらを見つめていた。
見覚えのあるその痛ましい少女にルドーは慌てていたのも忘れてベッドから落ちた状態のまま放心するように固まって呟く。
「……あのカプセルの中にいたやつか?」
『あぁ、無事だ。取り出してたぞ』
尚もこちらを困惑の表情で見つめて小動物のようにカタカタ震え続けている少女に、ルドーは困惑しながらも無事だった事に安堵するように大きく息を吐いて胸を撫で下ろし、ようやく冷静になって痛む身体を庇いながら歯を食いしばって立ち上がった。
「……ここどこだ?」
『知るか、知らん場所だ』
周囲を見渡しても、蝋燭一本で薄暗い部屋の中は殺風景でベッド以外何もない。
壁が土なのか石なのか、赤黒い色以外何もわからず、扉が一つついているものの、木製なのか石製なのか、装飾も碌になくなんでできているのか今一判別できない。
ルドーは改めて自分を見直してみると、服の上から全身包帯でグルグル巻き、血が若干滲んでいるものの、戦闘の様子を思い返せば回復を掛けてもらったわけではないならこの状態で済んでいる方がおかしかった。
回復以外の何らかの方法である程度治療され、既に何度か包帯も変えられているとみていいだろう。
「……これ、お前がやってくれたのか?」
「ぴ、ぴいっ!?」
巻かれた包帯を指差して少女に訊ねたが、驚いた顔をした後ブンブンと首を振る。違うらしい。
『別のやつだ』
「だれだよそれ」
『知らん、男だが得体が知れねぇ』
「……この子をカプセルから出したのもそいつか?」
『あぁ』
なんとか痛みに耐えながらルドーがベッド脇の壁に立てかけてあった聖剣に手を掛けようとしたが、触った瞬間バチッと大きく雷が走って弾かれる。
痛みに思わず手を離したが、不審に思ってまた触ろうとしたらバチッと弾かれた。
意味が分からず聖剣を見つめていると、低い声が返ってくる。
『触んな。おまえもう持つんじゃねぇ』
「……急にどうしたんだよ」
『俺置いてそいつ連れて帰れ』
「いや意味わかんねぇよ!」
「ぴいっ!」
思わずルドーが叫んで少女がまた飛び上がる。
急に聖剣に拒絶されて訳が分からなかった。
「あの剣の男か? そういやなんか名前知ってたな、お前何知ってんだよ」
『前にも言ったぞ、覚悟もなく深入りすんな』
「理由も分かんねぇのに覚悟もくそもあるかよ!」
『知らないままでいいんだよ、こっちくんな!』
「だからそれじゃわかんねぇだろうが!」
「あーあーあー、起きるなり喧嘩しないでくれます? ほら怯えてますよ」
いつの間にか開いていた扉に、男が一人立っていた。
流れる様な朱色の短い髪、白目のところが真っ黒で血のような赤い瞳をして右目に赤く大きなモノクルをかけている。ニヤリと薄ら笑うその口元は、尖った歯がサメのように交互に並んでいた。
この場に似つかわしくない洒落た赤と白のストライプスーツを卒なく着こなした痩せた男が、ドアの前で何か器を持って立っていた。
「一応ノックしたんですけどね。三日程眠り続けていましたが、まぁ起きたなら僥倖」
そう言ってドアを閉めると男はスタスタとルドーの近くまで歩くと、徐に持っていた器をベッドの上に置く。
緑色と紫色が混ざった、強烈な薬のようなにおいのするボコボコ泡立った謎の物体が中に入っていた。
紫髪の少女も思わず吐きそうな顔をして涙目になって両手で鼻と口を塞いでいる。
「すみませんねぇ、私回復魔法は使えないので、ありったけの魔法薬を軒並みぶっかけさせていただき何とか治療しました。まぁあの怪我なのでそれでもまだ完治してないでしょう、薬も入っている滋養食です。どうぞ食べてください」
「……あんたがこれをしたのか?」
「いかにも。殺風景ですみませんね、如何せん何もないところなので」
「いや、治療ありがとうございます……」
そう礼を言ったルドーに、ニッコリと口元を綻ばせて視線で食べるように促してくる男。
視線の圧に負けてルドー器を手に取り、恐る恐る口に入れると、ゲロと土を混ぜたような何とも形容しがたい味に、鼻を強烈に刺激するアンモニア臭と思わず噎せ返る。
しかしなんとかゴクンと飲み込んだ瞬間、身体をスッと爽やかな何かが通るようにして軽くなり痛みが引いていく、どういう仕組みかわからないが、説明の通り確かに滋養食のようだ。
身体の傷が癒えていく感覚に、酷い味のする滋養食をルドーは涙を流してなんとか口に運ぶ。
「そんな感激して食べてくれるとは光栄ですねぇ」
「あ、味、なんとか、ならねぇのか」
「すみませんねぇ、味覚が死んでるのでどうにもなりません。それに安易に味覚調味料を入れると効果も消えますし」
どうしようもないことが分かったルドーはやけくそ気味に鼻をつまんで残りを一気に流し込んだ。
吐きそうになるほどの後味を味わいながらも、身体の痛みはほとんど引いてだいぶ楽になった。
「なんか、色々ありがとうございます……」
「別に構いませんよ、その古代魔道具の持ち主なら、手を貸すことに依存ありませんから」
「……え?」
男の言葉からただの親切心ではなく、理由があって助けられたと知って、ルドーは疑問符を浮かべる。
しかし男はルドーの疑問に返答する様子はなく、素知らぬ顔で部屋をゆっくりと見渡した後、徐に聖剣に意味深な視線を向けて話しかけた。
「心配する気も分からなくはないですが、既に遅い」
『なんだと?』
「もう向こうに情報は渡った。奴らの狙いはわかっているでしょう、今離れたら二の舞ですよ。彼の周囲の安全を考えるなら、傍にいて協力してやりなさい。エレイーネーにいる限りは滅多に手出ししてきませんから」
『……てめぇ、何を知ってる』
「おおよそあなたに関しては全てを。ここから見ていましたから」
一瞬、聖剣からバチッと脅すように雷が走ったが、スーツ姿の男には効く様子もなくしたり顔で平然と笑ったままだ。
大人しくなった聖剣に薄笑いを浮かべたまましばらく眺めた後、徐に困惑を隠しきれない表情のルドーの方を向く。
「大丈夫ですよ、もう拒絶しないでしょう」
「あんたなんなんだ? その姿、魔人族か?」
「あぁそういえば自己紹介がまだでしたね。私は魔人族ではありません。私はゲリック、悪魔です」
「あ、悪魔ぁ!?」
突拍子もないことを言われてルドーは男、ゲリックを上から下まで何度も見直す。
見た目は人に近いが、羽や尻尾があるわけでもない、歯は恐ろしくとがっているように見えるが、それでも人の範疇のような気がする。意味が分からない。
そもそも悪魔と自称するような男に、訳あって助けられる理由がわからず、ルドーは形容しがたい不安に駆り立てられた。
「……悪魔がなんで俺を助けた? さっきの様子から理由があってだよな?」
「それは言えません。まぁ悪いようにはしないとだけ伝えておきますかね」
ニタリと尖った歯を見せて笑うその姿はどこか人外じみている気もする。
怪しく光るモノクルの奥の赤い瞳に、得体のしれない何かを感じた。
その男の薄気味悪く笑う凄みに後ろで少女がまたぴいっと悲鳴を上げている。
「しかしまぁ大変でしたね、まさか転移魔法の暴走でこんな地の底の底まで落ちてくるとは」
「転移魔法の暴走? 何で知ってるんだ?」
「私はこの地の底から上すべてに目を配っていますから」
説明するように薄眼で笑って左手の指をあげていたゲリックは、そのままゆっくりとその指で聖剣を指し示す。
取ってみろという事だろうか。
ゲリックを見つめながらゆっくりと聖剣に近付き手に取ると、もう雷の拒絶はなかった。
「あまり彼を責めてやらないよう、過去のトラウマからあなたの安全を考慮してですから」
「なんか知ってるのか?」
「今教えるのはまだ早い。知らない方が妹さんも安全ですから、時が来たらあなたも自然と知るでしょう」
「リリアを知ってるのか!?」
「慌てない慌てない。無事ですよ、今はエレイーネーに戻っています」
ルドーは思わずゲリックに詰め寄るが、両手で抑えるようにされながら告げられる。
思わず安堵して腰が抜けたルドーはそのままベッドに気が抜けたように息を吐きだしながら座り込んだ。
薄ら笑いを浮かべたままその様子を見ていたゲリックは、両手を後ろに回してさらに話を続ける。
「このままあなた達をエレイーネーに戻してもいいんですが、今のままではあまりにも弱い。戻ってもまた巻き込まれた先で襲撃されたら今度こそ終わりでしょうね。武器型の古代魔道具を持っていながら全然使いこなせていない。今回は私も流石に色々と肝が冷えました、もうちょっと強くならないと送り出す気がしません」
「自分が弱いのは最近の敗戦続きで耳が痛ぇけど……というか送り出すって、そういえば地の底とか言ってたけどここなんか特殊な場所なのか?」
「本来生身の人間が来る場所ではありませんから。それでも来られたのは流石古代魔道具だというべきか。おかげで人間用の食料調達がかなり苦戦しています。薬の材料になりそうなものは山ほどあるんですがね」
薄ら笑いを浮かべながら告げるゲリックに、ルドーはどんどん身体から気が抜けていった。
悪魔を自称するゲリックがいるような場所、古代魔道具の暴走でようやっとたどり着けるような、生身の人間がいてはならない場所。
嫌な予感にルドーの背中に汗が伝う。
震えていた少女が話を聞いて怯えたようにその顔に恐怖を貼り付かせて、ルドーに近付いて足元にしがみ付いてきた。
「ここは地の底の底、この世界の生きたものが死んだあと訪れる最後の審判。地獄の果てにようこそ、生身の人間よ」
両手を広げて不敵に笑うゲリックに、ルドーは愕然と立ちすくんでいた。
 




