第三十五話 禍去って尚至る大過
「……ドー、ルドー!」
呼びかけにはっとしてルドーが目を開けば、周囲には大量の髪の毛が散らばっていた。
もう拘束は解かれ、回復魔法をかけてもらった直後なのか、身体の痛みも引いている。
ルドーが起き上がって横を見れば、エリンジがいた。
どうやら先程見かけた後、そのまま追ってきてくれていたみたいだ。
心配そうな無表情をしたのも一瞬で、いつも以上の仏頂面になって睨み付けてくる。
ルドーは全身に絡みついた髪の毛を払いながら、なんとか立ち上がって、周囲を確認するようにぐるりと見渡す。
崩れかけた古い廃墟の中、カイムはもうどこにも見当たらなかった。
「なにをしている」
「すまん、取り逃がした……」
エリンジの問いかけに、ルドーは肩を落として下を向いた。
だが近寄ってきたエリンジに、ルドーは不意に足を払われて横に倒れ込んだ。
大きな音を立てながら、ルドーはまた髪の毛に突っ込んだ。
床にぶつかった痛みに呻いていると、近寄る足音。
エリンジがルドーを見下ろすようにしながら睨み付けていた。
「なにをしている」
「いや悪かったって」
謝罪するが、なおも追及するように睨み付けてくるエリンジに、ルドーは困惑した。
起き上がろうとしたら、ルドーの胸に足を置かれて、踏み付けられ起き上がれなくなる。
エリンジが物凄く怒っている事だけは分かった。
ルドーは踏み付けられながら、両手を振ってさらに謝罪を重ね続けた。
倒れた時に巻き込んだ髪の毛が、ばさりと周囲に舞い上がる。
「いや、マジで取り逃がして悪かったって!」
「違う」
「え、なにが」
「なぜあの時一言言わない」
睨み付けたままグッと足に力を込められて、ルドーはドスッと地面に押し付けられる。
だがルドーはエリンジが何を言って、何に怒っているのかようやく理解した。
一瞬呆けた後、頭をかきながら、視線を逸らすようにルドーは謝罪した。
「……すれ違ったときに、声掛けなくて悪かった」
「未熟なお前は、一人ではまだ何も解決しきれん。周囲を見ろ」
「うん、そうだな、悪かったよ。助けてくれてありがとうな」
フンと鼻を鳴らして、エリンジはようやく足をどけた。
エリンジなりの気遣いだったようだ。
確かにすぐ傍を通ったのに、何も頼られなかったと知れば、エリンジなら腹が立つだろう。
今の反応もルドーには納得だ。
大量の髪の束の中に倒れたせいか、ルドーが立ち上がる時も、周囲の髪の毛が舞った。
ルドーがもう一度あたりを見渡したが、やっぱりカイムは見当たらない。
どうやらこの大量の髪の毛は、ルドーを拘束して気絶させた後、切り落としていったようだ。
「もう流石にいないか」
「髪の奴か。俺が来た時にはもうおらん。他には」
「あとはイシュトワール先輩が追ってるクロノだけだな」
散らばっている大量の髪を蹴り飛ばしながら、ルドーががっくりと項垂れて受けこたえると、エリンジはまた眉間に皺を寄せた。
「いたのか」
「広場の前で鉢合わせたんだよ。それで同時に別方向に逃げたもんで、別れて追っかけたんだ。髪使わなくてもどちゃくそ早くて、追うのに必死で声かけ損ねた」
「お前は速さも足りてない」
「えぇ、それ今言う?」
追撃するようなエリンジの批評に、ルドーは非難めいた声を出しながら、天井付近の壁に刺さった聖剣に近寄る。
近場の家具を、散らばった髪を退かしながら移動させて、バランスを取りつつ積み上げて、なんとか高さを確保しつつ登って手を伸ばす。
と思ったら、後ろから飛んできた虹魔法で、聖剣がガキンと弾かれた。
そのままグルグルと聖剣が回転したと思ったら、エリンジの近くの床にドスッと突き刺さる。
無表情のドヤ顔を披露しているあたり、エリンジには手伝ってやった感がある。
やるなら登る前にしろ。
家具から飛び降りて近寄り、ルドーは床に突き刺さった聖剣を引き抜く。
茶化すようないつもの軽い口調で声を掛けられた。
『よぉ、生きてるかぁ?』
「死んでたら拾えねぇよ」
ゲラゲラ笑う聖剣をそのまま鞘に戻して背に戻す。
人がまんまとしてやられたって言うのにこの調子だ、少しは心配してくれ。
「落とし過ぎだ」
「だなぁ、これも対策考えねぇと」
『紐で括り付けるのはダセェから勘弁してくれよ』
エリンジの指摘に、ルドーも悩み考えた。
聖剣がないとまともに戦えない状況が続いた上、魔人族にもその情報が渡った可能性がある。
早急に対策しないといけないが、かといって手に縛り付けるわけにもいかない。
どうしたものか。
そうこうしている内に、エリンジが連絡していたのか、ネルテ先生がやってきた。
そしてルドーを見るや否や、開口一番説教が始まる。
「全く、資格も持ってない未熟な一年坊主が、戦闘の危険を冒して何をしてるのさ」
「いや、見失いそうになってつい……イシュトワール先輩も、クロノの方追っかけてったもんで……」
「そういう時こそ、先に資格持ちと合流して、指示を聞くのが適切ってもんだよ」
ネルテ先生に大きく溜息を吐かれながら、最もな指摘にルドーは反省する。
「無事だったからよかったものの、彼らの戦闘力じゃ、下手したら死んでたし、市民にも危険が及ぶんだから。もうちょっと考えて行動しな」
「はい、申し訳ないっす……」
「あと、磁力で鉄製品の壁作ったのもルドーかい? あの後大量にバラバラ落ちてきて、危なかったんだけど?」
その後もネルテ先生にこってり絞られた後、式典の時間が迫っていたために、反省しつつみんなと合流した。
エリンジに踏みつけられた胸の部分に、くっきりと靴の跡が残ってしまっていた。
確信犯のエリンジ本人にはそっぽを向かれて。
フランゲルたちに指差して爆笑されて。
キシアたちからは何をしていたんだと呆れられて。
カゲツに汚れ取りの魔道具を高値でオススメされて。
エリンジから話を聞いたリリアからは、また怒りの往復ビンタをくらった。
やめろ、告げ口するんじゃない。
ジンジンと痛む両頬に手を当てながら、ルドーはちらりとイシュトワール先輩の方を見やる。
その周囲だけ、恐ろしく暗い雰囲気に包まれていた。
イシュトワール先輩が、物凄く落ち込んでいる。
三年の同級生たちも、イシュトワール先輩に声を掛けられず、人混みの中異様に空間が開けていた。
「……あの様子じゃ、クロノの方もまた逃げられたみたいだな」
「魔法のドラゴンまで出して、一時騒然としてたよ。でもダメだったみたい」
「飛翔する魔法のドラゴンは圧巻でした。一般の方は、イベントの一環だと思ったようで、不安などの混乱はなかったです。それでも追いつけてませんでした」
「飛翔する魔法のドラゴンより、足のが速いってどういうことだよ……」
リリアとトラストから聞いたクロノのその後は、思ったよりも信じられないような酷い内容だ。
だがルドーはもうクロノという化け物人間が、何をやっても驚かなくなってきている自分がいて、自身の慣れにも恐怖した。
クロノ本人に電光石火全力で逃げられて、物凄く落ち込んで座り込んでいるイシュトワール先輩。
ルドーはリリアとその様子を見ながら、居たたまれない気持ちになる。
ルドーがカイムから聞いた、もう特に拘束もされておらず、当の魔人族達にも分からない、クロノ本人の意思だという旨の話。
正直に話していいものかと、ルドーは躊躇した。
それでもいいから情報をくれと、イシュトワール先輩から懇願されて、ルドーが仕方なく話してから特にひどい。
暗い雰囲気の中、真白になったイシュトワール先輩の口から、魂が出ている様な幻覚がルドーには見えた。
ルドーも、リリアと自分に例えて想像しただけで吐き気がしたので、イシュトワール先輩の気持ちは痛いほどわかった。
クロノも拘束されてないなら、戻らないなりに連絡だけでもして、先輩を安心させてやればいいのに。
何度も呼び掛けたというイシュトワール先輩に、一言も返さず、全く振り向かないで全力で逃げたというクロノ。
クロノはそんなにイシュトワール先輩のことが嫌いなのだろうか。
接する限り、イシュトワール先輩はルドーたちにとって、優しくて気さくな人なのに。
ルドーには何一つ分からないことだらけだ。
イシュトワール先輩から視線を外して、ルドーは式典を待つ周囲の民衆に目を向ける。
ルドーたちが魔人族と遭遇したことは、ネルテ先生に伝えられ、ネルテ先生から式典関係者に伝えられた。
しかし式典は中止にはせず続行するらしい。
魔人族が広場まで来ていて、式典自体が狙われる可能性もあるというのに、何故だろうか。
国賓が来ているため、警備の影響で広場はエレイーネーの生徒も立ち入り禁止。
なのでルドーたちも、街の民衆と並んでの参加となる。
魔法科で集まって、式典はまだかと楽しそうにわいわい話しているのを横目に、ルドーはひっそりネルテ先生に近付いて訊ねてみた。
「式典が直前にしても、まだ街にいるかもしれねぇのに、続行するんですか」
「式典を仕切ってるアシュの上層部の意向だよ、警備を増やして対処するって」
ひっそりと声を掛けたルドーに、ネルテ先生も声を落として答える。
「私たちは招待客な上に、警備を依頼されている訳でもないから、あまり突っ込んで言えない。あくまで従うまでだよ。でも警戒はしておいてくれ」
そう話すネルテ先生の顔に、いつもの笑顔はなく不服なようだ。
しかしネルテ先生もこれ以上どうすることもできず、警戒することしかできない。
魔人族もクロノが下見だと言っていただけで、それが何の下見で、そもそも何が目的だったかわからない。
居場所すら分からなくなった今、警戒を強める以上の動きようがなかった。
「先生」
ルドーがひっそり話していると、エリンジが会話に入って来た。
エリンジは徐にポケットから何かを取り出すと、ネルテ先生に差し出す。
「髪の奴のものです。これで探知、出来ますか。一応俺も出来ますが、資格がないので許可がいると」
エリンジがそう言って差し出したのは、大量に落ちていたカイムの髪の一部だった。
いつの間に拾っていたのだろうか。
ネルテ先生は一瞬目を見開いた後、豪快にエリンジの頭を撫でまわして、髪をぐしゃぐしゃにする。
「よくやった! 魔法の痕跡が残ってる髪がそれだけあれば、充分位置の特定に使える!」
髪をぐしゃぐしゃにされて、エリンジはプルプル震えながら呆然としている。
そんなエリンジを放置して、ネルテ先生が周囲から目立たないように、こっそりと探知魔法を発動させた。
広場の方から拍手の音が聞こえ、式典のあいさつのようなものが魔法で拡大されて響いて来る。
どうやら始まるらしい。
ルドーたちは式典に気を取られて、広場の方に視線を向けていた。
だが探知魔法の魔法円に視線を向けていたネルテ先生は、驚愕して勢いよく上を向く。
「ちょっとまって、この位置、まさかあの塔の上か!?」
ネルテ先生の声に、ルドーとエリンジは思わず塔を見上げた。
しかしその瞬間、塔の天辺から魔力が弾ける様な、爆発と閃光が飛んだ。
と思ったら、耳を貫くような、不快な連続音が地響きの様に発生する。
まるで歌が下手な奴が、地声の大声で叫び続けているような、強烈な音だ。
広場や周囲にいた全員が、悲鳴を上げて耳を押さえるが防ぎきれない。
あまりの音圧に皆が目をつむり、蹲って動けなくなる中、中央広場に結界魔法が張られた。
国賓を守るためかと思って、耳を塞ぎながらルドーは見ていたが、しばらくして慌てている中の人間の様子から、そうではないことが分かる。
必死に開けろと、結界に向かって攻撃魔法を放ち始める魔導士たちがいたのだ。
中の人間を守るためなら、そんなことはしない。
街に来た時に見かけたエリンジの親、デルメも激しく結界魔法に攻撃しているのが見える。
今まで見たこともないような威力の、巨大な魔法攻撃をぶつけているのに、結界魔法はびくともしない。
どうやらあの結界魔法は、中にいる人物から張られたものではないようだ。
式典の為に各国から呼び込まれた来賓を、まさか人質にでもするつもりなのか。
「お、お兄ちゃん、変、なんか変だよ」
「くそ、一体何なんだよ、この変な音。古代魔道具の暴走の時とも違うぞ」
ネルテ先生が生徒を集めて、必死に音を何とかしようとしている。
ルドーの傍に寄ってきたリリアが、服を引っ張って必死に訴え始めた。
耳を塞ぎながら、なんとか会話を聞き取ろうと、ルドーはリリアの口元に耳を寄せて返す。
「お兄ちゃん、塔の上、音が鳴り始めてから、誰か、なにか、傷付いてる人がいる」
「き、傷付いてる人?」
「回復魔法の、影響かな、人が傷付いたら、わかるようになってきて、上に、酷い状態の、声が、何人か、聞こえる」
全員が耳を押さえて動けない中、しがみ付いて来るリリアの必死な発言を受けて、何とかルドーが塔を再び見る。
リリアが訴えるそれらしいものは見えない。
代わりに、ルドーが想像した事もないような恐ろしいものが見えた。
「ね、ネルテ先生! 塔! 瘴気が、魔物が!!!」
ルドーの叫びに周囲が塔の方を見る。
塔の天辺付近の空中に、どろりとした真っ黒な瘴気。
そこから数を数えることすら出来ないほどの魔物が、まるで噴水から水が噴き出すかのように、大量に沸きだしてきていた。




