第三十二話 歌姫の街アシュ
フランゲル達がハテナマークを浮かべたまま立ち去った後、キシアが嬉々として屋台を回ろうとしたため、惨めな思いをしたくないルドーとリリアは別れ、同じくお金があまりないトラストと一緒に適当に町の様子を眺めながら特に目的地もなく歩いていた。
エリンジも珍しく屋台の方に興味があるのかキシア達について行っているため同行していない。
あいつも一応貴族出身なので自由にできる金があり、キシア同様このような場に来たことがない様子だった。
遠目に無表情に美味しそうに屋台の食べ物を口に頬張っているのが見える。
金持ちどもめ、畜生。
「にしてもなーんか違和感あるんだよなぁ……」
『違和感?』
「なーんか足りないっつーか、イベント事だけどなーんか空気が違うっていうか……」
あちこちで手品やいろんな見世物がある中、しばらく歩いてルドーは首を傾げる。
楽し気にあちこち見て回っている住民や観光客たちの喧騒、出店やイベントでお祭り騒ぎに浮足立っている雰囲気、しかしどうにも何かが足りない。
一緒に歩くリリアとトラストが不思議そうな表情で見守る中、なにかを思い出そうと頭を指で叩いていたが、しばらくしてようやく思い至った。
「そうだ、音だ! 音が足りねぇ!」
「音? どういうことお兄ちゃん?」
「いやなんか祭りっぽいのに音楽の一つも流れてねぇから……」
祭りの空気感に何か足りないと思ったら、楽器演奏や合唱などの歌と言った類が全く聞こえてこなかったのだ。
花火のようなものもないので、聞こえてくるのは楽しそうな街の喧騒だけ。
ようやく思い至ってスッキリしたのか腕を組んでうんうんと頷いていたルドーだが、リリアとトラストは顔を見合わせた後怪訝そうな表情でまたこちらを向いた。
「だってお兄ちゃん、音楽?は女神様が禁止してるじゃない」
「そうだっけ?」
「歌も音楽も役職歌姫のものですから、無暗に使っちゃいけないですよ」
この世界に転生してきたルドーが一つだけ馴染めない文化がある。
それは音楽が禁止されている事だ。
それというのも歌姫と言う役職が関連している。
歌姫と言うのは数百年に一人出るか出ないかとされている超希少役職で、具体的には知らないがなんでもとんでもない力を持つという。
最後に確認されたのはちょうど三百年前らしく、それから長い事認知されていない。
神聖な歌姫の歌を汚さないようにと、役職を与える女神が歌姫以外の音楽と歌を禁止しており、物理的に歌も音楽を奏でることが出来なくなっているのだ。
実際ルドーもつい口笛やら子守歌やら童謡やらを口ずさもうとして、音が全く出なかったことがある。
前世で音楽も歌も知っているルドーにとっては違和感しかない。
女神が直接禁止事項を世界に強要している、勇者や聖女以上に特殊過ぎるその役職にルドーはつい懐疑的に呟いた。
「ほんとにあるのかねぇ、歌姫の役職なんて」
「あっあのこの街でそれ言うのあんまりよくないですよ!」
「えっなんで? ぶへっ!」
トラストが慌ててやめるよう言った瞬間急に何かが飛んできて、ルドーの顔に当たって破裂した。
何かと思って手で顔を拭うと、酸っぱい匂いに青臭い汁、目を開けてみれば赤い液体がぽたぽた顔から滴っていた。匂いが酸っぱすぎるのですぐ腐っているものだと分かる。
リリアとトラストが呆気に取られ、思ったよりツボに入ったのか、聖剣が物凄い勢いでゲラゲラ笑っているのが聞こえた。
「てんめぇいきなり腐ったトマト投げつけてきてどういうつもりだぁー!!?」
「歌姫様を馬鹿にするからだバーカ!!」
七つ程だろうか、頬に絆創膏を貼った少年がそう叫んで逃げていくところだった。
走り逃げる背後からルドーが大声で怒鳴るも人混みに紛れてあっという間に見えなくなってしまう。
赤い液体をぼたぼたまき散らしながら走るわけにもいかず、ルドーは諦めたように肩をがっくりと落とした。
「その、この町最後の歌姫がいたって伝承があるから、未だに信仰があるんですよ。だからその、無暗にそういう事言わないほうがいいです」
「はー、なるほど迂闊だったわ……にしてもどうするかこれ」
顔から腐ったトマトを滴らせたまま式典に参加するのはよくない。なんとか制服には付いていないので九死に一生だが、このままでは街中を歩くことも憚られた。
するとリリアが傍にいた住民に聞き込んでいたのか、お礼を言って戻ってくる。
「お兄ちゃん、あっちの脇に共用の井戸があるって。そこで顔洗おう?」
「悪いリリ、ちょっと案内してくれ、目に染みて見えねぇ」
『そのまま参加しようぜ、伝説になるぞ』
「うるせぇ黙ってろ」
ゲラゲラ笑いながら提案してくる聖剣を無視して、リリアとトラストに介錯されながら井戸に辿り着き、腐ったトマトの汁が目に染みて見えない中手探りでバシャバシャと顔を洗う。
なんとか汚れは取れたが、何となく腐ったトマトの酸っぱい匂いだけ残ったような気がした。
拭くものがなかったと思っていたらリリアがいつぞやのハンカチで拭ってくれる。
そのまま井戸脇に腰かけていったん休憩しながら先程の一件を思い返す。
「にしても歌姫の伝承ねぇ、ちょっと疑問に思っただけでガキがあれとか相当だな。トラスト具体的になんかあるか知ってるのか?」
「え、えっとその、街の中央の塔があるでしょ? あの天辺に、街を守った歌姫様が今も残っているそうです」
住宅街の影になっている井戸からも見える塔の方を指差して説明したトラストに、ルドーとリリアは二人で耳を疑った。
「えっ? 残ってるって、歌姫って役職だから人だよな? どういうこった?」
「最後にいたのがこの街で、でも大体三百年前って話だったよね?」
「なんでも街を守るために無理をして石化したとかなんとか。なんでそうなったかは資料が残ってないのでわかりませんけど、歌姫の石像が今もあるのは確か……です」
色んな知識に詳しいトラストですら曖昧らしいため詳細はよくわからないが、三百年前の現物が残っているので伝承化しているという事だろうか。
確かに現物があるなら物がないより伝承しやすいのだろう。
人が石化しているという部分は少し引っかかるが、それが本物の歌姫なのか、石像で作ったレプリカなのか、現時点でもよくわからないそうだ。
それにしても先程の腐ったトマト攻撃は過剰な気もする。
「あれ、そういやそもそもこの街に来てんのも建国三百周年の記念式典だよな。歌姫がいたっていうのも三百年前か、時期がほとんど一緒なのか?」
「建国して間もなく起こった事件だったんですよ、だからソラウ王国そのものも歌姫に対する認識が高いです」
「へぇー流石トラストくん詳しいね。歌姫の像かぁ、ちょっと見てみたいかも」
「あぁーまたすぐそうやってメルヘンチックなもんに感化される」
「うるさいなぁ、夢ぐらい見たっていいじゃない!」
リリアは恋愛小説など年相応に可愛いものやメルヘンなものが好きだが、指摘すると恥ずかしいのか手が出るのだ。
ぽかぽかと顔を少し赤くしたリリアに殴られるまま、ルドーはちらりと塔の方を見る。
街の中央に聳え立っているそれは、転移門から適当に歩いてきた現在でも結構な距離があったが、ざっとした目算でも集合時間までに往復できそうな距離でもある。
「まぁ暇だし、集合時間まで時間あるし、行けそうなら行ってみてもいいか」
「やったぁ! どんな像があるのか楽しみー!」
「僕もちょっと知識欲的に興味があります、い、行ってもいいですか?」
「今も同行してんのに今更だろ」
『歌姫の像ねぇ』
「おーッと残念だが今日はあの塔は立ち入り禁止だ」
聞き覚えのある大きな声に振り向いてみたら、イシュトワール先輩がそこに立っていた。
「先輩お久しぶりです! って立ち入り禁止ってどういうことですか!?」
リリアが駆け寄って挨拶をしたと思ったら、悲壮な顔で叫んだ。そんなに見たかったのだろうか。
そんなリリアの反応にイシュトワール先輩は少し困ったように続けた。
「ほら式典で大量に人が来てるだろ? 管理しきれずイタズラされちゃ敵わねぇってんで立ち入り禁止になってんのさ」
「そんなぁ」
リリアが大層がっかりして項垂れている中、ルドーもイシュトワール先輩の近くに移動して声を掛けた。
トラストはイシュトワール先輩がドラゴンライダーだと分かっているのか目を輝かせているが、接点がないのに話しかけていいのか躊躇するようにそわそわしている。
どこから取り出したのかメモもがっちり手に持ったまま。
「どもっす。先輩も来てたんすね」
「ほら式典だからよ、依頼だ依頼。つっても厳重なとこは国の魔導士が配備されてるから、依頼のあった三年のエレイーネーの生徒は持ち場のない非番が念の為うろついてる感じだわな」
聞くところによると式典には参加せず、街のあちこちをぶらついて不審者や不審物がないかついでに探すくらいの依頼だそうだ。
そう言ったイシュトワール先輩が顎で指示した先に、同じような依頼を受けたのだろうか、制服姿の三年がちらほら歩いているのを見かける。
街中だけでなく他にも依頼されているあたり結構徹底されている。
「やっぱ警戒してんすね」
「一応魔道具製造工場が連続襲撃されてるからな。この街には製造工場はないが、魔道具がわんさか溢れてんのは確からだから警戒するに越したことないだろ」
イシュトワール先輩は井戸のあった場所から街の通りの方に目を向けた。たくさんの人の往来と楽しそうな声が聞こえる。
その声に混じって唸るような変な声が聞こえたので顔を向けると、リリアがまだ納得しきれないのか身体を揺らしながら変な声を出していた。
思わずルドーも肩を下げて溜息を吐きつつ嗜める。
「リリ、いつまでしょぼくれてんだよ」
「だってぇー」
「そんなに見たかったのか? 塔の前の広場も式典で使われるから関係者以外立ち入り禁止だしなぁ。精々塔の真下ぐらいだが、見えるかどうか微妙だぞ」
リリアの余りの落ち込みっぷりにイシュトワール先輩が助け舟を出そうと色々と貰った情報から考えるように言うと、リリアは目を輝かせて食いついた。
「行く! 塔の真下でもいいから行く!」
「あーはいはいわかったわかった」
『兄ちゃん大変だな』
ルドーの返事にリリアがやったぁとぴょんぴょん飛び跳ねる。
先程知ったばかりの情報なのにそこまでだったのかとルドーが訝しむようにそれを眺めていると、早速行こうとリリアに襟元をぐいぐい引っ張られて首がもげそうになる。
ぐえっと言いながらルドーはなんとかリリアについて行った。
分かったからいい加減首から手を放してくれ。




