第二百九十九話 海の上のテクノポップ
「歌姫として世界を救えと言われても、そもそも平和なのに意味が分からないのん」
女神から歌姫の役職を授かる際に言われた忠告を、ピエロは意味不明だと無視していた。
今より中央魔森林が広がっていない時代。
シュミックの人里離れた小さな島で、ピエロは生まれ育った。
ピエロはおろか当時の島民でさえ、歌姫の知識が曖昧。
女神が言うなら世界的危機でも起きるのかと考えていた。
しかし待てども暮らせども、それらしいことは近場で発生しない。
魔物もいなければ、瘴気もない平和な生活で、ピエロは次第に女神の忠告を忘れていった。
ただなんとなく、そうしていると気分が良いから。
それだけの理由で、ピエロはいつもテクノポップを歌いまくっていた。
何かしようと歌っていたわけではない。
純粋に、歌うと気分が良くなるから。
それだけの理由で歌いながら生活していた。
隔絶された孤島の生活と、住民も誰も知らない歌姫の概念。
魔法を使用するわけでもない、ただ歌うだけの毎日。
そのせいか、歌姫の危険性も知らないまま、女神深教にも見つからずに大人になった。
「面白い奴だな! よし、我が城まで来るといい。歓迎してやる!」
当時のシュミック王族が、真っ赤な赤毛を靡かせてそう言い放った。
自由の効く第二王子の立場だからと。
気分の盛り上がる歌を歌って、国民をより元気にしてやってほしいと。
結果、ピエロは戦艦に姿を変えられてしまった。
止めようとしたあの時の第二王子を、戦艦内でズタズタに引き裂かれて。
もし仕えることが出来るのなら、あの第二王子と似た雰囲気を持つ、赤毛の彼が良い。
同じシュミック王家の血を引く者だと知らず。
ピエロは操作盤の空間に飛び込んだフランゲルを見つめていた。
◇
『今の状態のお前なら、声が出せるようになったなら――――歌える。自分で未来を切り開いてみろ』
聖剣の提案に、ルドーは目を見張った。
天井で吊り下がっていたピエロは、驚くように紫十文字の横線を太くする。
古代魔道具は、歌姫の歌を封印するために、無機物に姿を変えられたもの。
しかし聖剣同様、言葉を発せるようになったならば、無機物でも歌は歌える。
実際聖剣も、クロノの歌につられて歌っていたことがある。
轟々と水位が増していく操舵室で、ルドーたちはじっと天井のピエロを見上げて息を潜めた。
『……それが、そっちの奴がいう賭け、なのん?』
『どう転ぶかは流石に分からねぇ、余計悪化する可能性もある。だから賭けだ』
ピエロの問いかけに、聖剣は軽いノリで応えた。
歌を歌ってこの溺れそうな状況を打破できたとして、その後どうやって新造の戦艦を、コロバとナナニラを止めるか。
今は女神が封印されて大人しい女神深教の問題もある。
歌姫の歌は確かに強力な魔法だが、必ずしも解決する手段になるかは分からないのだ。
だから、賭け。
聖剣はそう主張している。
言われた言葉をゆっくりと噛み締めたピエロは、ボンボンの付いた三股のクラウンハットを揺らした。
『そっちは歌わないのん?』
『当事者でもねぇのに。自分から歌うの恥ずかしいだろ』
「お前やっぱそこなのかよ、聖剣!」
ピエロの疑問に嫌がる素振りの聖剣の意見を聞いて、ルドーは思わず大声をあげた。
全員がこの海水で溺れてしまいそうな危機的状況。
それでも聖剣は恥ずかしさを優先していた。
それはきっと全員が助かると、聖剣が信じている裏返しでもあるだろう。
だが自力でなんとかなるならば、出来ればしてほしいものだ。
一方でピエロは、聖剣の提案を反芻していた。
『自分で、切り開く……』
「そうだとも!」
満杯に近い操作盤の空間で、外に出られないフランゲルが、海水から頭だけなんとか出して叫んでいた。
「命令されるだけではない、自分自身を信じたからこそ、胸が張れるというものではないか!」
「自分自身を信じる……」
フランゲルの言葉に、水を吸ったドレスでなんとか泳いでいたアリアも反応していた。
いつもやたらと胸を張って、フランゲルは偉そうにふんぞり返っている。
だがそこには、自分は正しいことをしているという自負が常にあったのだろう。
間違ったことをしてしまうことも多いが、大元は善意、根は善人なのだ。
だからこそ、フランゲルはいつも胸を張っていた。
『その結果が、正しくないことだとしてもいいのん?』
「正しいことをするのではない、正しいと思うことをするのが重要なのではないか!」
迷い始めたピエロに、フランゲルはさらにゴボゴボと海水に押されながらに叫ぶ。
「一人ではないのだ! 正しいと信じていても、間違ったことは誰でもしてしまう。だが俺様の周囲には、そんな間違いを正してくれる良い奴らがいるのだ!」
「フランゲル……」
ゴボゴボと溺れ始めながら、大声で笑ったフランゲルに、アリアが胸打たれたように涙目になった。
間違えても、それを指摘して正してくれる。
それは相手を心の底から信用していないと出てこない言葉だ。
思えばアリアはフランゲルが女性たちに囲まれていたり、胸のことでやらかしても、怒って喚くだけ。
ルドーが考えるに、フランゲルに真剣に言い諭していなかったような気がした。
恥かしさもあったのだろう。
誤魔化しが入って、ヘルシュやウォポンに八つ当たりしていることもあった。
本来ならそれで察して欲しいものだが、フランゲルは馬鹿だ。
はっきり言われないと分からない。
アリアなら、されて嫌だと思ったことも、きっと遠慮なく全力で言ってくるに違いない。
そういう思いがフランゲルの中にあったからこそ、アリアとの関係がここまでこじれてしまったのだ。
外に出られない操作盤の空間が、泳げないフランゲルを捉えたまま海水で満たされていく。
「フランゲル!」
「アリアさん!」
アリアが悲鳴を上げて、フランゲルに泳ぎ近寄ろうとバシャンと水しぶきを上げた。
リリアが気付き、慌てて抱きついて海水の中引き止める。
ただでさえ泳げないフランゲルが、出ることのできない空間に閉じ込められているのだ。
これ以上無暗に操作盤の空間に入り込んで、溺れるようなリスクを増やすべきではない。
アリアからすれば、理解は出来ても認めることは出来ない心境だろう。
「貴様ら、アリアをこの空間に近づけるな!」
その一言を最後に、フランゲルのいた空間がゴポンと海水に沈んだ。
ゴボゴボと泡が立ち昇り、揺らめく水面に映る人影がどんどん薄暗くなっていく。
一際大きな泡の塊が、ボコッとあがって静かになる。
それを見たアリアが、半狂乱になってバシャバシャと暴れはじめた。
「いや、いや! フランゲル! フランゲル!!!」
「アリアさん、落ち着いて!」
「おい、リリも一緒に溺れるだろ! 落ち着け!」
海水を潜ろうとし始めたアリアを、リリアが必死に抱き留める。
アリアもリリアも布地の多いドレスを着ているせいで、海水に浮くので精一杯な筈だ。
パニックに陥った状態で潜ろうものなら、水面にすら上がって来られないだろう。
ルドーが泳ぎ近寄って二人をなんとか浮かせつつ、ピエロに早くなんとかしてくれと視線を投げる。
その瞬間、意を決したピエロがテクノポップを歌い始めた。
グルグルと両手を回し、ピエロはブラブラと動きながら、時折歌声に口笛を混ぜる。
アップテンポなリズムに合わせて、照明もないのに空間があちこち様々な色に照らされる。
揺らす速度を上げながら、テクノポップに合わせて指差し、ピエロは踊るように両手を動かし始める。
「水が……」
クロノが声をあげると同時に、海水の注入がピタリと止まっていた。
同時に戦艦が動き出したのか、ゴウンゴウンと、大きな機械音が響き渡る。
「フランゲル!」
「あっ、おい!」
「アリアさん!」
一瞬気を抜いたルドーとリリアの手を振りほどいて、アリアがバシャンと海水に潜る。
だが潜ったアリアが沈むより先に、操作盤の空間がガラスのように弾け光って、泡が浮かぶように消滅した。
そして空間の上部で動かなくなっていたフランゲルが、ゆっくりとアリアの近くに浮上してくる。
「お願い、助けて!」
アリアがぐったりとしたフランゲルを抱えて、必死に水面に浮かび上がった。
「フランゲル!」
「水を吐き出させろ!」
ルドーとエリンジの二人で泳ぎ近寄って、なんとか巨体を支え起こす。
リリアとアリアがフランゲルに手を伸ばし、それぞれ回復魔法をかけ始める。
様子を確認しようと、カイムとクロノもライアを連れてバシャバシャと泳いできていた。
「息してねぇぞ!」
「早く、時間が経つほど取り返しがつかないよ!」
フランゲルの様子を見たカイムとクロノが叫ぶ。
水を吐き出させようと、ルドーはエリンジと背中を叩こうとする。
その瞬間、フランゲルが光に包まれ、丸い球体が空に昇るようにフランゲルから弾けた。
フランゲルの真上に移動してきたピエロが、グルグルと両手をテクノポップに合わせて動かす。
ピエロが歌に合わせてフランゲルをびしりと指差し、ゆっくりと腕を上げる。
肺の中にたまった海水が、魔法によって抽出され、空気中で虹色に光り輝いて弾ける。
空気を吸えるようになって、途端にフランゲルが息を吹き返した。
げほげほと咳込むフランゲルに、わっと泣き出したアリアがしがみ付く。
たった今起こった現象を、ルドーはエリンジと見合わせる。
「……ピエロがやったのか?」
『あぁ。歌ってる間は好きに魔法が使える、それが歌姫の魔法だ』
ルドーの疑問の声に、聖剣が小さく応えた。
ルドーが振り返った時には、ピエロはフランゲルの上からいなくなっていた。
元居た天井付近でブラブラと揺れながら、ピエロは更にテンポを上げて、テクノポップを歌い続ける。
ボンボン付きの三股クラウンハットが、動きに合わせて揺れ動いた。
「おい、水が引いてくぞ」
カイムの言葉で、ルドーは海水の中で足が床についていることに気付いた。
テクノポップのテンポが変わる。
ピエロからリズムに合わせて、色とりどりのスポットライトが伸びていく。
見る見るうちに、操舵室を満たしていた海水が、動くスライムのように水位をグニャグニャ下げていく。
そして海水がなくなっていくと同時に、空間がグワッと大きく揺れた。
「うわああああああああああああ!!?」
大声で叫んで、ルドーは床にしがみ付く。
聖剣が見ているだけで面白いと、大きくゲラゲラと笑い始めた。
とんでもない重力が働いて、全員がその場に膝をつく。
「ぐわんぐわんするー!」
「捕まってろ、ライア!」
「動いてるよ、これ」
楽しそうにはしゃぎだしたライアを頭に乗せてカイムが喚く。
その横で、クロノが四方八方に赤い瞳を動かしながら状況を確認していた。
「お兄ちゃん、あれ!」
指差して声をあげたリリアの指摘に、ルドーは振り向いた。
操舵室の壁が、シャッターのように上に開いていき、見開きの良い空間が目の前に広がって行く。
戦艦が浸かっていた海が波を立てて水しぶきを上げ、ダバダバと船体から小さな水流を落としている。
古代魔導の戦艦が、海から急浮上していた。
遠く見える、コロバとナナニラが乗る新造の戦艦に向かって、ピエロのテクノポップに合わせて急旋回し始める。
新造の戦艦の背後を取った瞬間、エリンジが叫んだ。
「このままあそこに突っ込め!」
「でぇっ!? 正気か、エリンジ!?」
「あの大きさの兵器に対抗できるのは、この古代魔道具だけだ!」
驚愕を叫んだルドーに、エリンジはそう言って新造の戦艦を見据える。
コロバとナナニラはこちらに気づいたのか、心なしか心臓の戦艦は逃げるように移動する速度を上げた。
「お兄ちゃん、エリンジくん、あれ逃げていってない!?」
リリアも同じように思ったようで、床に両手をついたまま目を細める。
目の前に浮かぶあれだけ大きな兵器を、おめおめ逃がすわけにはいかない。
コロバは世界征服を宣言しているのだ。
それの実行の為に、どんな方法を使うかわかったものではない。
コロバとナナニラの暴挙は、何としても食い止めなければ。
腹をくくったルドーは、更なる衝撃に備えようと、床に強くしがみ付いた。
「しゃーねぇ、逃げられるよりマシだ!」
『いいねぇ、どんどんド派手になっていくぜ』
海水がなくなって感電の心配がなくなった聖剣が、バチバチと弾けて大笑いしている。
その笑い声がどこか、ルドーにはテクノポップにつられて歌っている様に聞こえた。
髪を伸ばして刃に変えて床に突き刺し、しゃがみ込んでいたカイムが、逃げていく戦艦を憤怒の表情で睨み付けた。
「ふざけんじゃねぇ! このままじゃ、捕まってる同胞がこの先も痛めつけられたまんまだ!」
「カイにぃ、ドカンといっちゃうの!?」
「ドカンと行くみたいだよ。危ないから伏せてようね、ライア」
一人平然と立って耐えているクロノが、そう言ってカイムの上にライアを置き直した。
カイムは一瞬クロノに視線を向けた後、ライアが振り落とされないように、髪でぐるぐるに巻いて背後に固定し始める。
「ちょっと! 私たちはどうなるのよ!?」
「何とでもなるだろう、アリア! 何せこちらは古代魔道具なのだ!」
両手で頭を押さえて伏せていたアリアに、フランゲルが守るように覆いかぶさっている。
フランゲルは、先程まで溺れて気絶していたのが嘘のようにピンピンしていた。
ピエロが歌いながら行った蘇生方法が、とてもうまく機能しているようだ。
「全速前進だ! 遠慮せずにぶっ飛ばしたまえ!」
フランゲルの掛け声と共に、ピエロのテクノポップがアップテンポに激しく変わる。
グルグルと回るピエロのクラウンハットが、残像のように靡いた。
古代魔道具の戦艦背後から様々な色に光る炎が大きく噴き出し、速度が一気に増していく。
立ったまま腕組みして耐えるクロノを除き、全員が襲い掛かる重力に目を細め、床に伏せてしがみ付いた。
『いっぱああああああああああああっっっっつ!!!』
「なんだとおおおおおおおおおおおお!??」
指差したピエロの掛け声と、新造の戦艦から響くコロバの悲鳴が共鳴していた。
激しい衝撃と共に、操舵室が地震のように大きく揺れた。
新造の戦艦背後から、古代魔道具の戦艦はど真ん中を捉えて追突する。
テクノポップは続く。
「な、なんだぁ……?」
ルドーが衝撃に頭を抱えていると、ガコガコと周囲が動き出した。
困惑したまま見守るルドーたちの目の前で、操舵室がまるで宇宙船のように独立して浮き上がる。
突然の動きに誰もついていけずに当惑していると、カンコンとテクノポップに合わせた音が追加された。
音の元に全員が素早く首を動かす。
どこから取り出したのか、クロノが操舵室中央の操作盤に向かって、ドラムスティックを叩き付け始めていた。
クロノの余りにも想定外の行動に、ルドーたちは呆気に取られて立ち尽くす。
ピエロが歌うテクノポップに合わせた、クロノのドラムスティックが叩く金属音。
歌姫であるクロノの周辺が、ポコポコとリズムに合わせて波紋を作り上げ始めていた。
「……歌わねぇんじゃなかったのか?」
「歌ってないよ」
困惑しながら立ち上がったカイムに、クロノは短く答えた。
リズムに合わせて首を振りながら、クロノはドラムスティックを叩いている。
その様子を見ていたカイムは更に困惑し、頭の上でライアが音に合わせて身を揺すり始めた。
テクノポップの歌と、カンコンと金属音が操舵室に充満していく。
確かに歌ってはいないが、指を鳴らすだけで歌姫の魔法は発動する。
ならクロノのこの行為も、歌ではないが歌姫の魔法として認識され始めているのだろうか。
丸い波紋が次第に増えて、どんどん広がりが大きくなっていく。
『ほっとけ、今は気分の方が上がってんだよ』
パチ、パチ、パチ、と、聖剣の雷がリズムに合わせて弾ける。
そういえば確か、以前に聖剣はクロノの歌に惹かれ、つい一緒に歌い始めたことがある。
歌姫の役職条件は、歌が好き。
トラウマが強いクロノでも、誰かが歌っていれば、ついつい身体が乗せられて音を奏でてしまうようだ。
やはりルドーが以前推測した通り。
クロノ一人に歌わせるより、誰かと歌わせた方がトラウマの克服には近道になるのではないだろうか。
ルドーが考えていると、不意に操舵室が斜めにグラッと傾き、ドカンと大きく何かが響き渡った。
「でぇっ!? 今度はなんだよ!」
ルドーは叫びながら、慌てて辺りを見渡した。
コロバとナナニラが乗る新造の戦艦に、古代魔道具の戦艦から何かが伸びて突き刺さっている。
否、古代魔道具の戦艦から、金属で出来た巨大な腕が伸びている。
新造された戦艦は追突されても、魔力をあちこちから噴射してなお逃げようとしていた。
そこに巨大な金属製の両腕が、古代魔道具の戦艦から伸びて、両脇からがっちりと掴んで指を食い込ませている。
先程よりも圧倒的に高い位置からの操舵室の視点。
操舵室の下から伸びる、金属製の太い両腕。
遥か下方に更に伸びている、海の上に立ち上がっているようにしか見えない両足。
海のど真ん中で、古代魔道具の戦艦は、巨大なロボットへと変形して姿を変えていた。
「うそだろ!? ロボットに変形してる!?」
『ボクチン、あの姿不服だったんだよねん』
ルドーの驚愕の声にも、ピエロはテクノポップの合いの手で答えた。
どうやらこのピエロが、戦艦の姿が不服だと、ロボットの姿に形を変えてしまったらしい。
『こりゃいいや、ぶん殴っちまえ』
聖剣の期待に応えるように、ロボットは新造の戦艦をガコォンと殴りつけた。




