第二百九十一話 設置された罠、動き出した罠
「罠くさい気がするんだけど、どう思う? カイム」
「罠でしかねぇだろ。こんなに人がいねぇはずねぇ」
地下に続く階段を下りて周りを見渡すクロノに、カイムは舌打ちした。
マフィア組織に人攫いされた、中央魔森林に住む魔人族の同胞の救出。
裏社会の連中と繋がっている施設には、カイムはクロノと何度も数多忍び込んでいる。
島領主レチマスの、庶民には大きく、貴族には少し小さな館。
その舞踏会の会場から外れ、倉庫や研究に使われていそうな、関係者しか入れない地下へと続く薄暗い通路。
独特な空気感やピリピリとした緊張。
何となくこのレチマスの屋敷も、黒であるとカイムは判断していた。
「警備魔法の類、あった気しないんだけど。カイム、分かった?」
「てめぇが分からねぇのに、俺が分かる訳ねぇだろ。ねぇわ」
周囲を目まぐるしく赤い瞳で見まわしているクロノに、カイムは苛立つように唸る。
クロノはずっと、見るだけで妨害魔法の類を言い当ててきた。
歌姫のカラクリをカイムが知った今ならわかる。
妨害魔法の類は、クロノが瞳に常時展開していた探知系の魔法で、常に探り出していたのだろう。
そんなクロノが、明らかに敵地であるレチマスの館で、妨害魔法をあまり認識出来ていなかった。
レチマスが簡易転移門を裏社会マフィアやナナニラに利用されているなら、その現場を押さえられたくはないはず。
それにしては一番怪しそうな情報のある、簡易転移門への道の警備が薄い。
いや、薄いなんてものではない。
ほとんど配置されていないといってよかった。
連絡を取り合う、通信魔法の妨害は流石にされている。
だがカイムとクロノの目的地である地下まで、妨害魔法がそれだけなのはありえない。
こういう場合、目的地そのものが偽物か、目的地に大量の罠が仕掛けられているかの二択だ。
前者ならば敵は既に逃げた後の場合が多い。
だが後者の場合、こちらを亡き者にしようと目論んでいるので、対処が面倒だった。
そしてカイムは直感的に、今回は後者である気がしていた。
「魔法使わねぇ類の罠か。仕掛けか、毒か、電気か、なんにしても禄なもんじゃねぇ」
「……めんどくさいなぁ」
カイムが周囲を警戒していると、クロノが小さく溜息を吐く。
そして徐に、クロノは深緑のドレスのスカートをスルスルと捲り始めた。
捲れ上がってくる白い生足。
突然のことに、カイムはボワッと真っ赤になって、慌てて壁に背中をドカッと打ち付けた。
赤褐色の髪が、動揺したヘビのように壁伝いにうねる。
「だああああ!? こんなときに何してんだよ、てめぇ!」
「いや、サイズ合うドレスもこれだけだったし。このドレスだと隠し場所ここしかなくて」
そう言ってクロノは、さらにドレスをギリギリまでめくっていく。
やがてスレッドの入っていない側の太ももに、隠して巻き付けたベルトをバチンと外した。
真っ赤になっていたカイムがその音に視線を移す。
革ベルトに繋がった、小さなものが目に入った。
「……あ? 鞄か?」
「そ。前に見たことあるでしょ? 空間拡張魔道具の鞄」
クロノはそう言いながら、ばさりとドレスを戻した。
掌大しかないその革袋に、クロノは片腕を全部突っ込む。
レチマスの館に入る際、軽い身体検査はされた。
怪しいものを持っていないか、防犯上の建前で。
だがカイムの覚える限り、下着付近までは調べられていない。
貴族らしい相手も多くいたので、そこまですると失礼に当たったのだろう。
クロノはそんな盲点のドレスの下、下着のすぐ傍にそんなものを隠していたのか。
相変わらずの念入りな警戒心と用意の良さ。
カイムは一気に疲れてどっと力が抜ける。
赤褐色の髪が、ストンと垂直に垂れ落ちた。
カイムが項垂れている間に、クロノはバサバサと袋からものを取り出し始める。
見慣れたエレイーネーの青い制服。
それがなぜか二着。
怪訝に思ったカイムはつい声をあげた。
「おい、それ制服だろ」
「うん。戦闘があるなら、ドレスもタキシードも動きにくいと思って。用意してた」
「……おい。そっち男物だろ、しかも見覚えあんぞ」
「うん、カイムの分だよ。シュミック王家からの借り物の服だから、破ったら弁償物じゃん。払う余裕あるの?」
そう言ってクロノは、カイムの顔面にバシッと青い制服を投げつけてきた。
カイムは苛立ちながら顔に手を伸ばして、顔面にへばりついた制服を受け取る。
確かに中央魔森林の森育ちのカイムには、王家のタキシードを弁償するような金銭の持ち合わせはない。
依頼で多少の金銭こそ持つものの、それでも精々小遣い程度。
三つ子の食い扶持に苦労していた実家には、当然そんな余裕もない。
なにより魔人族には金の概念が希薄で、物々交換の方が主流だった。
万一戦闘でタキシードをボロボロにすれば、カイムは帰還したその時点で破産するだろう。
だが正装が必要になったのは、カイムたちがシュミックに来てからだ。
フランゲル伝手に王家から使わなくなった正装を借り受け、城で着替えた。
そして動く際にすぐ着替えられるようにと、制服はフランゲルの飛行船に置いてきたはず。
つまりクロノは一応念のためにと、カイムの知らぬ間に制服を失敬して準備していた。
飛行船のシュミック王家使用人を出し抜き、数ある男子の制服から、カイムのものだけピンポイントで。
そのことについて、カイムはもはや突っ込む気にもなれなかった。
呆れて項垂れていると、前方からスルスルと布の擦れる音が聞こえて、カイムは慌てて壁を向く。
「おい、だからってここで着替えんのかよ!?」
「人いないし、ここしか着替えられるとこなくない?」
カイムの大きな喚き声にも、クロノはどこ吹く風で取り合わなかった。
壁を向いたカイムの背後から、サラサラとシルクの布が動くような音。
明らかにクロノが、すぐそこの廊下ど真ん中でドレスを脱ぎ始めていた。
惚れて告白までした女が、カイムのすぐ背後で公開生着替えを敢行している。
一体これは何の拷問なのだろうか。
聞こえてくる布の音を、カイムは必死に喚いて大袈裟に音を立てて着替えて掻き消す。
クロノには前々から、女子としての羞恥心が無い。
歌姫という、女神や女神深教に見つかれば、悲惨な目に遭わされる特殊な立場。
バレれば周囲に危険が及ぶ。
クロノは正体が露呈しないよう、常に気を張っていた。
なりふり構っていられなかったのだろう。
女子としての羞恥心など、クロノはとうに捨ててしまっている。
クロノ本人がその手のことに素で疎い気質も持ち合わせているが、カイムは考えないことにした。
「だああああ! ったく、このくそアマ!」
すぐ背後から聞こえてくる音を、カイムは想像しないよう必死にかき消す。
カイムは息苦しいタキシードを脱いで、ネクタイを乱暴に外し、シャツのボタンを飛ばしていく。
着慣れてしまった制服の上着を、いつも通り上半身裸に肩だけ引っ掛けて、さっさとズボンを履き替えた。
履き慣れない革靴を脱いで、いつも通りの素足でペタリと床につける。
カイムは改めて疑問に思ってしまう。
クロノがどうやってカイムの制服を調達したのか。
しかし聞くだけ無駄だと、カイムは即座に諦めた。
カイムが危険だと言っても、クロノは平気で裏組織の施設に不法侵入する。
制服を預かった使用人が飛行船内で鍵をかけていても、クロノには効かないだろう。
「カイム」
「あぁ?」
着替え終わったのか、呼びかけられた声にカイムが振り返る。
いつもの帽子と制服姿に戻ったクロノが、ドレスとヒールの靴を革袋にヒュッと差し入れていた。
もう少しあのドレスでも、せめて色っぽい髪型のままでもよかったような。
一瞬カイムは残念な気持ちが沸き上がった。
はっとして誤魔化すように、カイムはガンと壁に頭をぶつける。
クロノはカイムの行動に怪訝な瞳を浮かべたが、無言である場所を指さす。
指差された先には、カイムが中央魔森林で見慣れた、黒い煙のような靄。
薄暗い廊下の床に、それが薄っすらと漂っていた。
「………瘴気か? なんでんなとこに」
「シュミックはここ数年、魔物発生数ゼロ。突発瘴気も起こってなかったはずだけど」
クロノの改めての説明に、カイムは首を丸める。
赤褐色の髪がカイムの苛立ちに合わせ、毛先が床近くで波打っていた。
島の多いシュミックは、中央魔森林とは隣接していない。
それは移動時の飛行船から、カイムにもよく見えていた。
世界でも近年、突発瘴気が発生していない魔物と出会わない珍しく安全な国。
カイムたちがここに来る前に聞いていた、シュミックの評価だ。
瘴気は何もない場所に突然発生する場合もある。
だがそれにしたって、今この場所での発生は、タイミングが良過ぎた。
カイムは脱いだタキシードと靴を、クロノに放り投げながら確認する。
「クロノ、この瘴気」
「ビンゴ。簡易転移門の方から漂ってきてる」
バシッと受け取りながら、クロノは答えた。
慣れた手つきで空間拡張魔道具の革袋に、クロノは受け取ったタキシードと靴をヒュッと差し入れる。
クロノはそのまま革袋を首からかけて、制服の中のいつもの位置に収めた。
赤い瞳を怪しく光らせ、クロノが瘴気の先を見据える。
「まだ魔物が発生する濃度じゃない。けど発生源が転移門の先なら、その先にはうじゃうじゃいるんじゃないかな」
ヒールから革靴に履き替えたクロノが、廊下をコツコツと進みながら手を振る。
この場所とタイミングで、突発瘴気が発生したとは考えにくい。
簡易転移門の先が、瘴気が溢れた場所と繋がっていると考える方が自然だった。
「それで見張りしてねぇってことかよ。迷い込んでも、転移門にたどり着きゃ魔物の餌食ってか」
クロノに続いてペタペタと廊下を歩きながら、カイムは周囲を見渡す。
見張りがいないわけだ。
簡易転移門目当てに迷い込んできた相手は、目標にたどり着いたと同時に、魔物にやられる。
魔力の多い者ならともかく、一般人はこの濃度の瘴気には気付きにくい。
今までもそうやって、忍び込んできた不審人物を対処してきたのだろう。
やはりカイムの予想通り、厄介な罠が仕掛けられていた。
「そんでどうする? 行く?」
「行くに決まってんだろが、ボケ」
振り返って肩をすくめたクロノに、カイムは噛み付く。
普通の人間には脅威だろう。
だがカイムにもクロノにも、魔物は脅威にはならない。
むしろ瘴気が溢れる簡易転移門があるなら、その先に攫われた魔人族の同胞がいる可能性の方が高かった。
ならば、進むべき道は決まっている。
薄暗い地下通路の更に奥深くにある扉、簡易転移門の研究室と思わしき、書類や機材が散乱した場所。
クロノの案内に従い、カイムはその部屋にたどり着いた。
部屋の中央に、起動した簡易転移門が、瘴気をうっすらと吐き出しながら鎮座している。
「魔物は転移門からこっちには来てないっぽいかな」
「つまり山盛り向こうで待ち構えてんだな、上等だ」
ゆらりと鎌首をもたげるように、カイムの赤褐色の髪が伸び上がる。
両手を伸ばしてコキコキと身体をほぐしたクロノが、警戒もなしに簡易転移門をヒョイッとくぐる。
カイムもそれに続き、簡易転移門の先に足を踏み入れた。
◇
「くそ、油断した……!」
「ネルテ、気を病むな。今回は相手が上手だった」
崖の上に設置された簡易転移門から身体を覗かせ、ネルテはボンブに支えられながら歯を食いしばった。
現れた島領主レチマスに、フランゲルがホイホイと誘いに乗ってしまった。
フランゲル本人としては、敵地に自ら赴いて、何かしら情報を得ようとしたのだろう。
案内し始めたレチマスにフランゲルが続き、ネルテとボンブが付き添う。
そして背後から、キシア、アルス、ビタ、トラストが続いていた。
「胡散臭い、悪意の臭いしかしない」
ボンブの役職、忠犬の鼻が、レチマスの悪意をこれ以上ないほど嗅ぎ付けていた。
警告を聞いたネルテも、警戒に警戒を重ねて周囲を見渡す。
だが、レチマスの策略は見事だった。
まさか案内された部屋のドア枠を、簡易転移門に置き換え、部屋に入った瞬間転移させるとは思わなかった。
扉が開いた瞬間、フランゲルは転移門の中に消えた。
そして案内していたレチマスが、通り過ぎ様に転移門の魔力を消失させたのだ。
豪華で空っぽの部屋の入り口で、ネルテは己の失態を受け止めた。
「フランゲル! くそ、やられた!」
「ネルテ、転移門を起動させろ!」
「どこに繋げていたか、解析しないと……」
「先生! 僕がやります!」
転移門に飛びついたネルテに、背後から追いついたトラストが大きく声を上げた。
観測者の役職で、トラストは即座に転移門の先を捉える。
ネルテはトラストの瞳がメガネ越しに黄色く光った瞬間、空中に緑の拳を作り出した。
「うちの生徒を、返せ!」
ドカンと緑の拳を叩き込み、簡易転移門を起動させる。
起動した簡易転移門に向かって、ネルテは即座に駆け込んだ。
だが転移門の繋がった先は、真っ逆さまに落ちる、岩だらけの小さな島の崖の上。
ザザンと島を打ち付ける波が、下から潮風を運んでくる。
「うわぁ!」
「ネルテ!」
ネルテに続いて上半身だけ簡易転移門をくぐったボンブが、落下寸前のネルテに気付いてガシッと腰を抱え支えた。
なんとか落下を免れたネルテとボンブは、崖の上の簡易転移門で体勢を立て直していた。
その遥か上空を、ギュオンと大きな飛行船が海の方向に向かって飛び去っていく。
「くそ、やられた……!」
「ここは、あの飛行船の停留所か」
下を眺めたボンブが、ネルテを引き上げながら鼻を鳴らす。
岩だらけの小さな島は、先程飛び去った飛行船がちょうどすっぽり入るくらいの大きさに、規則的に削り落されていた。
簡易転移門の先に飛行船を停泊させて、必要人物だけ乗せて飛び去った。
あれほどの速度では、ネルテの飛行魔法でさえ追いつけず、移動物体に転移魔法も使えない。
そうこうしているうちに、飛行船ははるか遠くで、突然ぱっと消えてしまった。
「消えた!? あの大きさで転移は無理だ、一体何をした!?」
「ネルテ、一旦戻るぞ。何か様子がおかしい」
ネルテの腰を支えていたボンブが、背後の簡易転移門に向かって牙を覗かせて唸る。
飛行船が消えた方向を一瞥した後、ネルテは渋々簡易転移門の中に戻った。
――――途端、ドガアァンと大きな爆発音が、屋敷の中を支配する。
ビリビリと震える鼓膜。
ぐらつく足場に身体を揺らしながら、ボンブと共にネルテは衝撃を受けた。
「なんだ!?」
「一体、なにごとだい!?」
「先生! 時限式の爆破魔法です!」
「あちこちから同時に爆破されておりますわ!」
大きな爆発音と衝撃にかき消されないように、トラストとビタが、両手を耳に当てながら叫んだ。
壁が吹き飛び、窓が割れ散って、瓦礫が周囲に散乱する。
屋敷は恐怖と恐慌の悲鳴と、爆発の煙と衝撃に包まれ始めていた。
「まずい、まだ逃げきれてない招待客がいるよ!」
「先生、どうすればよろしいんですの!?」
アルスが逃げ惑う正装の招待客を指差し、キシアが指示を仰いでくる。
攫われたフランゲルをどうにかしなければならないが、今は目の前の状態も放置できなかった。
「全員! 屋敷から離脱しつつ、逃げ遅れた人の救助に当たって!」
ネルテの号令と共に、目の前の生徒たちが動き出した。
安全圏への道を広げようと、トラストとビタが魔力伝達する。
トラストの解析魔法で、確実に安全な経路を探索し、ビタが変化魔法で瓦礫を道に変える。
落下物や飛散物から人々を守ろうと、キシアとアルスが魔力伝達する。
前に出て逃げ惑う人々に声をかけて誘導しながら、拡散氷結魔法で、飛んでくる瓦礫を氷付かせて対処していた。
「ネルテ、通信は妨害されたままだぞ!」
「無事であることを祈るしかない、脱出急いで!」
ボンブの報告に、ネルテは苦虫を噛み潰す。
脱出の際の連携を、この爆発を仕掛けた相手は完全に遮断していた。
舞踏会の会場に残っていた生徒や、別行動をとり始めていた生徒がどうなったのか。
今のネルテには、それを推し量ることはできない。
「全員会場から出たら、被害状況の確認を! 場合によっては回復を掛けてあげて!」
ネルテの叫び声に、全員が屋敷の出口を目指す。
あちこちから爆発音が連続して上がり、もう屋敷は持たなかった。
ガラガラと積み木が崩れていくように、呆気なく一気に崩れ落ちていく。
「海だ。あの海、絶対何かある――――!」
なんとかその場の全員で屋敷から脱出しながら、ネルテはフランゲルが連れ去られた飛行船の先を思い描いた。




