第二百七十八話 盲亀の浮木
「ロドリゲスちゃんが浮いてるうううううううう!?」
初めて見た光景らしく、デポージーは絶叫した。
必死こいて空中飛行して逃走する亀を捕獲したルドーが、よろよろとデポージーの元に連れて行く。
亀が見つかったと知ったデポージーは咽び泣いて喜んでいた。
だが魔力でぐるぐる回りながら浮遊するロドリゲスに、目をひん剥いて驚愕する。
「そんなに回って大丈夫なの!? ロドリゲスちゃん、目が回らない!?」
「心配するのそっちなのか!?」
ぐったりとしているルドーは、ロドリゲスに困惑しているデポージーに声をあげた。
ロドリゲスはデポージーに亀ながら懐いているのか。
差し出された両手の上で、グルグルと回転している。
まるで犬が尻尾をブンブン振り回して、喜びを表しているかのように。
「あの、ひょっとして、こんな風に飛んだのは初めてなの?」
「初めてです。こんなの見たこともない……ロドリゲスちゃん、すごい!」
ルドーの背を撫でているリリアがおずおずと聞けば、デポージーは困惑しつつも、ロドリゲスに対してポジティブに捉えていた。
デポージー本人は大分ネガティブなのに。
「やはりあの悪魔、なにかしてるんじゃないのか」
『魔力を帯びた動物はたまに聞くが、後天的なのは怪しいからなぁ』
デポージーの反応を見て、エリンジと聖剣が難色を示している。
動物に魔力が宿る話を聞いたことのなかったルドーは、知っていそうな話をした聖剣に聞き返した。
「魔力を帯びる動物がいることがあるのか?」
『人間と同じだ。生まれつきになるから個体差があるし、魔力があったところで動物は魔法なんて使えない。宝の持ち腐れだからあんま話題にならねぇんだよ』
パチパチと弾けた聖剣は、珍しく詳しい説明を始めた。
人間ほどではないが、動物も稀に、生まれつき魔力を持って生まれてくる個体が存在するらしい。
世界の魔力核ネアから通る魔力源が近場にあった為か。
たまたま親同士が魔力を持っていた個体の遺伝性なのか。
理由ははっきりしていない。
ただ動物には、魔力を持っても扱えるほどの知能はない。
精々寿命が多少伸びたり、身体が頑丈になる程度。
個体差の範囲を超える程、逸脱した特徴は見せないそうだ。
だが確かに聖剣の話を聞く限り、この亀はその逸脱した個体にしか見えない。
「こんな風に飛行してるロドリゲスちゃんの方が珍しいんだ……」
聖剣の説明を聞いて、リリアも改めてまじまじとロドリゲスを眺める。
ロドリゲスはデポージーの手の中で、魔力を帯びてギュルギュル回転したままだ。
だがロドリゲスが突然飛べるようになったのなら、この脱走劇にも何となく原因の仮説が立ち上がる。
デポージーの会話から、ロドリゲスは突然魔力を帯びて飛行できるようになった。
そのことに驚いたのは、きっと飛べるようになった直後のロドリゲス本体。
デポージーが水替えを毎日やって、エサも手渡しで、リボンまで巻いていたのなら。
亀の水槽は、きっと脱走できない程に深くはあっても、蓋はされていなかったに違いない。
飛行出来るようになって驚いたロドリゲスは、パニックになって水槽の上部から飛び出した。
湿度管理に窓も開けていたなら、きっとそのまま窓の外に飛び出してしまっただろう。
そうして初めて見るエレイーネーの内部に、ロドリゲスは狼狽えて、心細くなった。
しかし初めての飛行移動でパニックに陥っていたせいで、水槽への戻り方が分からない。
亀であるのに水場も探さず、保護科の廊下をふよふよ浮かんでいたのは、きっとロドリゲスがデポージーのところ帰りたがっていたからだ。
脱走劇の全貌が見えたルドーは、新たに浮かんだ疑問を口にする。
「じゃあ、後天的に動物が魔力を帯びる可能性ってなんだ?」
「そんなもの、魔法でしかないだろう」
ルドーの疑問い、エリンジが無表情のまま吐き捨てる。
エリンジはずっと、ロドリゲスが飛行しているのがゲリックが原因だと考えているようだ。
確かにここまでのロドリゲス捜索で、ルドーとリリアはゲリックを見かけていない。
神出鬼没の悪魔は、ここ最近ずっとエレイーネーに滞在していた。
契約魔法の相手であるルドーとクロノを、ゲリックにとって都合よく使うためだ。
騙し討ちのようなことをしたゲリックの真意を問い質そうと、エリンジはゲリックをここ数日ずっと探しているが、見つからない。
確かに姿をくらませているなら、怪しいと言えなくはないが。
「問題は、誰がなんでそんな魔法を使ったかってことだよね」
「あの悪魔だろ、そうとしか思えん」
悩み声をあげたリリアに、エリンジは即答していた。
エリンジに対応するのが面倒にでもなったのだろうか。
ゲリックは雲隠れしてしまった。
そんな怪し過ぎるゲリックの行動。
眉間の皺を増やして、エリンジはかなり機嫌を悪くしている。
そこにあの空飛ぶ亀が現れたのだ。
聖剣の説明を聞けば、エリンジがゲリックの介入を疑っても仕方がなかった。
「うーん、聖剣、そうなのか?」
『いや、亀にまとわりついてる魔力は、あの悪魔のもんじゃなさそうだが……』
ルドーが確認すれば、聖剣は訝しむような声をあげた。
「もんじゃないけど、なんだ?」
『悪魔のもんじゃないのは確かだが、なんかぼやけてるな。誰の魔力かはっきりしねぇ……』
判別つかない聖剣の声に、エリンジも確認するようにロドリゲスに向かって手を上げた。
そのまま解析魔法をかけ始めたようだが、聖剣同様上手く判別がつかないようだ。
機嫌の悪い無表情のエリンジの、眉間の皺がどんどん刻まれていく。
「どのみち詳しく調べるべきだ」
「亀が空飛ぶようになったことにか?」
「考えが足りてないぞ。結果がどうあれ誰かしらが、エレイーネーに侵入した可能性があるだろ」
ジッとルドーを見据えてきたエリンジの指摘に、ルドーははっとした。
亀に対しての魔力付与。
その理由も行動も意味不明だが、そもそも亀がいたのは、基礎科のデポージーの寮個室。
つまり、基礎科の寮の個室に誰かが侵入して、わざわざ亀に魔力を付与したことになる。
エレイーネー内の相手ならば、それだけのことが出来るのは、魔法科の生徒か、教師しかいない。
しかし魔法科の生徒は基礎科の校舎に移動できないし、教師がそんなことをする理由もない。
そうなると必然的に、外部犯の可能性が高くなってくるのだ。
「……デポージー、誰かが部屋に入ってきた痕跡とかなかったか?」
「いやああああああああああああ! そんなことがあったら叫んでますうううううううう!」
聞いた途端絶叫されて、ルドーは咄嗟に両耳を押さえた。
そうだ、デポージーは全科目合同訓練で、常時叫び倒していたほど小心者だ。
侵入者がよりによってそんな相手の部屋にいれば、デポージーは基礎科寮に響く声で絶叫したに違いない。
そうなっていないということは、直接部屋に侵入したわけではないということだ。
「遠隔の魔力付与か……?」
「エレイーネーの防御を突破して出来るとは思えんが、唯一例外が最近闊歩してただろう」
「だからゲリックを疑ってたのか……」
エリンジの言葉で、ルドーもゲリックが疑われる理由に納得した。
エレイーネー内には様々な防御の為の魔法がかけられている。
だがゲリックはそれを涼しい顔で突破して、転移魔法で現れた。
その実例から、エリンジは亀に魔法をかけたのはゲリックではと疑っていたのだろう。
「でも、聖剣さんが分からないのに、調べて分かるの……?」
リリアがきょとんとしているライアの両肩を押さえ、引き寄せながら疑心を抱いている。
きっと、最悪の事態を想像してしまったのだろう。
この事態が、ゲリックの気まぐれで起こされたならまだいい。
だがもし、そうでないとしたら。
「なぁ、聖剣」
『いや、もしそうならあいつが反応してるはずだろ』
声を低くしたルドーに、聖剣がパチリと反応する。
魔力が付与できる存在。
その相手に、ルドーは心当たりがある。
女神深教の、縁祈願。
他人の魔力と容姿を奪って、それを任意の相手に与える能力を持つ存在。
一番厄介で最悪なそいつが、もし知らぬ間にエレイーネー内に侵入するのを許してしまっていたとしたら。
人を敢えて絶望的な状況に陥れることで、救われるように仕向けて信者を増やす、女神深教。
女神と敵対しているゲリックは、女神深教の連中も倒すべき相手だと認識している。
人知れず、ゲリックが女神深教の祈願持ちと遭遇してしまったのなら、雲隠れした理由にも繋がる。
一番考えたくない想像を振り払うように、ルドーは頭を振った。
「そうだよな。もし連中だとしたら、クロノが真っ先に反応して、カイムが通信飛ばすはずだし……」
重い息を吐いた後、ルドーは考える。
もし女神深教の祈願持ちがエレイーネー内に現れたなら。
一番警戒して怖がっているクロノが、気配で反応するはずだ。
クロノは朝から見かけていないが、問題があればカイムが何かしら行動して騒いでいる。
ルドーが食堂に向かう前にデポージーに捕まり、そのままロドリゲスの捜索をしていた間、そのような騒ぎは聞いていない。
クロノが寮の自室に一人籠って、震えあがってしまっていたらそれまでだが、幸いこの時間帯なら、きっとクロノはカイムの傍にいるはず。
「エリンジ、カイムと通信連絡できるか?」
「もうした後だ。一応確認したが、連中は全員中央魔森林のまま、動いていないらしい」
「中央魔森林にいるのはわかるんだ……」
エリンジの報告を聞いてほっと息を吐いたリリアが、つい声をあげた。
睡眠を魔法で封印しているクロノなら、夜中に女神深教の祈願持ちが現れても寝過ごして気付かないこともない。
エリンジ伝手のカイムの報告によると、クロノはまだパシフローでの一件を引き摺っているようで、少し落ち込み気味だとかなんとか。
だが落ち込んでいる余裕があるということは、恐怖に縛られていないということ。
女神深教の連中は、エレイーネー内に侵入していない。
「あれ? そうなるとやっぱゲリックが怪しいのか?」
堂々巡りして戻って来た推測を、ルドーは呟く。
女神深教でないとなると、侵入可能だった相手がゲリックしかいない。
本当にそうなのだろうかと、ルドーは改めて頭を捻った。
目の前で飛んでいる亀の魔力自体は、ルドーが肉眼で見る限りでも、そこまで大きなものでもなかった。
亀という人の掌に収まる体積。
それを考えれば、日常魔法が使える一般人より少し少ないくらいでも、十分おつりが出る。
魔法科は基礎科の校舎には入れないが、ゲリックが誘導すれば不可能ではない。
そしてゲリックは契約魔法が使える。
つまり、どんな魔法でも使える歌姫の魔法を持つクロノでも、この件は可能なのではないだろうか。
「いや、それこそやる意味わかんねぇって……」
「お兄ちゃん?」
「なんでもない」
こてんと首を傾げたリリアに、ルドーは片手で顔を覆って反対の手で否定するように遠ざける。
結局のところ、ロドリゲス、亀に魔力を付与するという行為自体が意味不明すぎる。
どれだけ考えても、ペットの亀に魔力を付与する利点が浮かばないので、犯人像が分からない。
ゲリックの場合、ただの愉快犯か。
クロノの場合なら、歌を歌う練習でもしていたのか。
どちらも考えられるし、どちらも否定できるから、ルドーにはなにも分からなかった。
「あっ、ロドリゲスちゃん」
うんうん唸って考えていると、デポージーの声が聞こえて、ルドーは顔を向けた。
するとデポージーの掌の上に、ロドリゲスがシュワッと回転を止め、ポテンと落下した。
両掌にちょこんと乗った亀が、大きく欠伸する。
「うん?」
おかしいと思って、ルドーはパチパチと目を瞬かせた。
エリンジとリリアの方に視線を向ければ、二人共目を見開いて固まっている。
ルドーはデポージーの掌で、甲羅に首と手足を引っ込めて眠り始めたロドリゲスを、再度見つめる。
「……聖剣」
『あー、もう調べるのも無理だな。魔力が完全に枯渇しちまった』
「やっぱりか……」
調べるようにパチッと弾けた聖剣に、ルドーはがっくりと肩を落とす。
後天的に付与された魔力は、ロドリゲスが飛行を続けていたために枯渇してしまった。
魔法か何かしらで付与されたものなので、休んでもきっと復活しない。
魔力が無くなれば、流石にもう調べようがない。
調査手段まで完全に失ってしまったので、ルドーたちはやむなく、感謝に頭を下げまくっているデポージーと別れることを余儀なくされた。
◇
「おやまぁ。ちょっと離席している間にそのようなことが」
さもありなんと、ゲリックはポーカーフェイスでそう言ってのけた。
朝食も食べないまま昼過ぎまで亀探しをしていたルドーは、腹が鳴ったこともあり、ようやく食堂に向かった。
そこに偶然いたカイムとクロノに、ライアを送り届けたわけだ。
「ライア! 勝手に一人になんなって、これで何度目だよ!?」
「えへへへ~」
単独行動でまたカイムに怒鳴りつけられたライアは、なぜか物凄く機嫌が良かった。
一体何があったのかと、カイムとクロノに説明を求められたため、ルドーは二人に亀の捜索騒動について一通り説明する。
するとどこから湧いてきたのか、ゲリックがルドーの背後で話を全て聞いていたのだ。
「でぇっ!? ゲリック、今までどこ行ってたんだ!?」
「どこって、地獄ですけど。例の歌姫候補だった女装くんに、地獄の魔法薬材料を交渉しましたでしょう? 取りに行くついでに、しばらく戻ってなかったので、荒れた魂の一時除去を」
さも当然という説明をしたゲリックに、ルドーは盛大に溜息を吐いた。
つまりゲリックは、パシフローで歌姫候補役を押し付けられたノースター用に、地獄特産の魔法薬材料を報酬として渡そうと、地獄に取りに戻っていたようだ。
またゲリックは長いこと地獄に戻っていなかった。
その為以前ルドーが地獄で見たあのどろどろの、死んだ魂だけとなった徘徊物を、ついでに地獄で遠くに投げ飛ばして整理していたらしい。
ゲリックは輪廻転生には手出しできない。
どうあがいてもそれは女神の領分。
だから死後地獄でどろどろに煮詰まった魂は、放り投げる以外に対処できないとかなんとか。
「なぜ最初から勇者狩りが対処だと言わなかった!」
「貴方たち伝えれば、ガチガチに対策計画してしまうでしょう? 一度そうやって捉えられ、その上既に戦意喪失した状態の勇者狩りに、それは悪手。出て来なくなる可能性がありましたので」
激しい剣幕で詰め寄ったエリンジに、ゲリックは涼しい顔をして答えた。
ゲリックがルドーたちに勇者狩りが目的と最初から伝えれば、対策にルドーたちが乗り出して、勇者狩りが逆に警戒して出て来なくなる。
それでは勇者狩りを味方として引き入れたがっているゲリックの目的に合わない。
だから敢えて伝えなかったのだと、ゲリックはしたり顔を浮かべた。
説明されてしまえばぐうの音も出ない話に、エリンジは渋々納得して矛を収めている。
「例の亀は、お前じゃないのか」
「なぜ私がそのようなことを?」
亀の魔力についてエリンジが問いかければ、こちらもゲリックは首を振った。
「ここは魔力の宝庫であるエレイーネーですよ。溢れた魔力に当てられて、帯びてしまっただけでは?」
「た、たまたまそうなったってことか!?」
「人間にとっては微弱でも、動物には量が多いですからねぇ」
驚愕の声をあげたルドーに、ゲリックはしたり顔で指摘した。
そのそも空中浮遊するエレイーネー魔法学校の校舎。
魔法科では毎日のように魔法の訓練を重ねているし、簡易転移門も魔力で動いていて、あちこちに魔力が渦巻いている。
つまり、ペットの亀が魔力を帯びたのは、環境による自然現象。
『確かになくもない話だな、失念してたわ』
言われてみれば説明のつく話に、聖剣まで納得の声をあげてルドーはガクリと机に突っ伏した。
「貴様ら! こんなところにいたのか!」
「俺の午前中騒いでた時間なんだったんだ……」
「お兄ちゃん……」
「あほくせぇことで落ち込んでんじゃねぇよ」
机に突っ伏したルドーに、リリアが心配そうな、カイムが呆れた声を掛ける。
「緊急事態が発生したのだぞ!」
「ルドにぃ元気出して!」
「そういうこともあるって、まぁ元気だしなよ」
「俺様の話を聞けぇ!!!」
「なんだよ、フランゲル」
ライアに加えて、クロノにまで励まされる中、先程から騒いでいたフランゲルがダンダンと地団駄を踏み始めたので、ルドーはムクリと顔を上げた。
確かフランゲルは、シュミックで問題が発生して自室待機していたのでは。
先生に報告するより先に、ルドーたちに声を掛けようと駆け寄ってきたのは、一体何事なのだろうか。
全員が面倒ごとの気配を感じて訝しむ視線を送る中、フランゲルはとんでもないことを告げた。
「コロバとナナニラがシュミックに入った! 攫われた魔人族の残りのカプセル全て引っ提げてな!」
◇
『はぁ、危なかった」
どこまでも続く暗闇の中、ほんのりと淡く光る空間。
サラサラと水が流れる音が、静かに響き渡る。
かつてルドーが訪れたことがある、光り輝く小さな泉。
その中心に佇む少女は、水浅葱色髪を揺らして、赤朽葉色の瞳を伏せた。
『……可愛かったから、ちょっと、撫でたかっただけなの』
泉の水面に映るのは、食堂で騒いでいるルドーたちの様子。
亀に魔力を付与した思わぬ犯人は、まだ誰にも本当の存在を認知されていない。




