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第二百七十三話 歌姫の送り出すレクイエム

 

 かつての幼い少女は、森の中を必死に駆けずり回っていた。

 森の木々に服が裂け、皮膚が擦れ、木の根に足が躓き、土に勢いよく顔面をぶつける。


 真っ暗になった視界に、先程の光景が過る。


 家の裏で畑仕事をしていた両親に会いに行こうとして聞こえた、ビチャビチャと滴る水音。

 倒れた両親に覆いかぶさるように、魔物がその肉に食らいついていた。


 事切れた、変わり果てた両親と、口元を真っ赤にして振り向いた、真っ黒な魔物。


 死に物狂いで逃げ出しても、魔物はその恐怖心に反応して追いかけてくる。


 背後から物音が聞こえて、身体が震えた。

 ザクザクと草木を踏み分けて、近付いて来る足音。


 頭を抱えて震えていたら、不意にぐらりと身体がうごいた。

 そこにいたのは、魔物ではなく、ただの一人の男の子だった。


 かつての幻術団の老婆と団長は、そうして森のほとりで初めての出会いを果たした。






 響いて来るミュージカルの音と共に、羅針盤からぶわりと大きなものが飛び出してくる。

 それは人の形をしているが、どこかぼやけていて、ぼんやりとした光を放つ。

 シルクハットをかぶった、目立つ燕尾服の男性の周りに、その影は集まり始めた。


 動きと共に、ミュージカルの歌声が響く。


 一人じゃない。

 この場に現れ始めた、複数の魂が、心からの喜びを叫ぶように歌い合っている。


「どういうことだよ、歌は歌姫にしか歌えないんじゃなかったのか?」


 目の前で広がって行く神秘的な光景に、ルドーはただひたすら混乱していた。


 空間に音と光が溢れる。

 光る人影が次々と集まってくる。


 男女が二人で組み合って、タップダンスのように力強く靴を踏み鳴らし、踊るように舞う。

 白い服の女性が前に出て、くるくるとバレエのように柔軟に回る。

 筋肉質の男たちが、バク転し、組重なって、見事な技を披露してく。

 そして動きは次第に、バラバラのようで統率の取れた、心を通わせたものへと変化していった。


 最初に現れたシルクハットの男性が、ビブラートを効かせて、一際大きい声で高らかに中心で歌い続けている。


 それはどこか演劇じみていて、歌い慣れた集団が、調和をもって成す。

 人の喜びのために歌われるミュージカルだ。


『歌姫しか歌が歌えないのは間違いないぞ』


「じゃあなんで、この集まってるのはなんだ!? 何が起きてるんだよ!?」


『歌姫本人が、他の人間に歌うことを許可する魔法を出したんだ。だから歌えてる。そんなことが出来るだなんて思ってなかった』


 感嘆するように弾けた聖剣(レギア)に、ルドーは目を大きく見開いて、再度目の前の光景を眺めた。


 先代歌姫が所属していた、幻術団。

 それは歌姫が歌を歌い、他の人間にも歌を許可することで取り成される、ミュージカル劇だった。


 歌を知らないソラウ王国の人間は、三百年前のアシュでの出来事が強烈過ぎた。

 今でも語り継がれる、幼い少女が讃美歌を歌う姿に、歌姫の印象が固定化されていた。


 だから男性が発するそれが歌であるとも、男性が歌姫とも知れず、ただの幻術と勘違いする。


 見ているだけで息をすることも忘れるような、そんなただ心奪われる歌劇。

 当然ソラウ王国の人々は夢中になったのだ。


 しかし幻術団として目立てば目立つほど、歌姫を知る女神深教への接触に繋がる。


 彼らはただ歌って踊っていただけ、人々はそれに純粋に魅了されていただけ。

 だがそれでも、ある日女神深教に見つかり、その毒牙にかかったのだ。


「何が起こっている!? 先程の瘴気暴走の続きか!?」


「違うよ、魔物は生まれていないじゃないか。ハイシェンシー」


 警戒した表情で竹刀を構えて慌て始めたハイシェンシーを、ネルテ先生がそう言って、視線をあげたままそっと竹刀を下ろさせる。


 森周辺に広がって行く、純粋に楽しむためだけのミュージカル。

 溢れた光と歌声はどんどん周囲に拡散していき、ただ楽しさだけが埋め尽くしていく。


「キシア?」


「え? え? そんな、何も悲しくなんて、ありませんのに……」


 アルスの驚きの指摘に、キシアは目元に手を置いて、初めて気づいたように困惑の声を漏らす。


 黙ってその光景を見つめていたキシアが、表情も変えないままポロポロと涙を溢し始めた。

 それは論理的な悲しみではない、心を揺さぶられたことによる、純粋な感動。


 ぽかんと口を開けたままのトラストとビタも。

 腰を抜かしてその場にぺたんとしゃがみ込んだメロンも。

 立ち尽くしたままのイエディとアリアとノスタシア(ノースター)も。


 ヘーヴ先生も、マルス先生も、レッドスパイダー先生と勇者狩りも。


 ルドーだけではなく、誰もがその空間に飲まれて、目を見開いて立ち尽くしていた。


「でも、古代魔道具は無機物で、歌えないんだろ? 実際あの羅針盤は歌えてなかったのに、なんで急に……」


『そこにいる歌姫との歌の接触ですよ』


「ゲリック?」


 頭に響いてきた声に、ルドーは咄嗟に右手の甲を見つめた。

 契約紋から返って来た悪魔の返答に、ルドーはどんどん盛り上がって行くミュージカルに聞き入りながらも問いかける。


『先程、堪え切れずに声をあげていたでしょう。そこに無意識に、感情と歌が乗った。その一瞬の歌の効果が、あの羅針盤に響いたんです』


「さっきのクロノの声に、感情と歌が乗った?」


「え?」


 ゲリックとの会話に、クロノがカイムの横で小さく声をあげた。

 目の前で起こった悲劇、それにクロノ自身を重ねた縋り付くような悲痛な声に、無意識に歌の効果が現れた。


 それが羅針盤だった元歌姫に、この幻術団の男性に届いた。


「歌姫の古代魔道具化は、不可逆なんじゃなかったのか?」


『然り。それはどうあがいても変えられません。肉体が元に戻ったところで、経過した時間は変えられない。急速に肉体が朽ち果て、たとえ歌姫であろうとも死に絶える』


 響いて来るゲリックの声に、ルドーは愕然とする。

 クロノの悲痛な声に歌が乗り、古代魔道具化が解除された。


 だがそれは同時に、目の前の元歌姫の死も意味していた。


 古代魔道具化して七十年。

 当時の団員だった女性でさえ、老婆と変わり果てている。


 あの女性より団長だった男性が高齢ならば、例え戻れたとしても、もう。


 叩き落される絶望的な事実に辿り着いて、ルドーは無意識に声をあげた。


「じゃあ、目の前のこれって……」


『ただし、捕らわれていた魂は解放されます』


「え?」


『終わりがあるからこそ、死は救済となる。無機物として生き地獄を味わっていた歌姫にとって、その死は本当に、悲劇足りえるでしょうかね?』


 全ては歌姫当人次第。

 そう告げるゲリックの声が、ルドーの頭の中に響く。


 古代魔道具化して、七十年。

 当時女神深教に団員を惨殺され、生き残った団員はあの老婆だけ。


 その状況で死に至れることは、歌姫であった団長にとって、悲しみしか残らないものだろうか。


 もし団長が悲しみしか感じていないのならば、なぜあれほど晴れやかに、高らかに清々しく歌い上げることが出来ているのだろうか。


「お祖母様!」


 トロープ公の悲鳴のような叫び声に、ルドーたちは振り向く。


 すると肉体から飛び出していくように、老婆から何かが大きく歌い叫びながら飛び出していった。


 褐色肌の、瑞々しくも逞しい女性。

 魔人族として見間違えようのない、かつての女性団員の姿。

 その背後で、老婆の身体が晴れやかな表情をしたまま、ぐったりと息絶えていた。


 老婆だった女性の魂は、足を高らかに上げてくるくると、鮮やかな前宙を繰り返す。

 再会を心から喜び合うように、かつての団員たちと歌を合わせながら、団長の元でくるりと互いに腰に手を回した。


 最初から、そこにいることが当然のように、ごく当たり前に。


 先々代のトロープ公が、攫った女性を屋敷に厳重に隔離した理由が、これを見ただけでルドーたちは察することが出来た。

 団長とこの女性は、他の団員たちよりもずっと、明確に固い絆が結ばれていたのだ。


 トロープ公が、老婆の身体に縋りついて咽び泣いている。

 しかし女性はそんなトロープ公には目もくれず、高らかに歌い上げて、団長とのハーモニーを奏で上げ始めた。


 そこにあの老婆だった女性の幸福がどこだったか、明確に示されていた。


『さて、あとは仕上げですかね』


「仕上げ?」


『何故魂が解放されたのに、ここに姿形が留まっているとお思いで? よく見てください』


「よく見ろって、なにを――――あっ」


 ゲリックに言われてルドーが周囲に目を凝らせば、あることに気付いた。


 シルクハットを被って高らかに歌い続ける団長の背後。

 ひび割れた羅針盤が光り輝きながら、くるくると宙を回転している。



 トドメをさせ。

 ゲリックは暗にそう伝えてきていた。



 団員たちが一斉に、なにかを待つように足踏みを始める。


 シルクハットの男性が、女性から離れて歩み寄り始めた。

 高らかに歌いながら、団員たちを背後に沿えて。


 やがてそれは一人の前で止まり、にこりと優雅に笑いながら、ゆったりとシルクハットを外して頭を下げた。


「おい……」


「大丈夫。カイム、ちょっと下がってて」


 警戒する表情をむき出しにしていたカイムの腕を、クロノが後ろから降ろさせた。

 頭を下げ続ける団長に向かって、クロノは慎重に、ゆっくりと歩み寄って行く。


「そうして欲しい、終わらせてほしいってことですか?」


 クロノの返答に、シルクハットの団長はまたにっこりと笑った。

 肯定の笑顔を向けられたクロノが、悲痛な表情浮かべる。


 挨拶を返すように、震える手でクロノは帽子を外し、同じように深々と頭を下げた。


 二人が頭をあげると同時に、力強い歌を歌い始める。


 胸の奥底に響く、感情が突き抜けていく、力強い歌声。

 その場の全員が言葉を失ったまま、その歌声に飲まれていた空気が変わるのを感じる。

 先程までのミュージカルに、クロノの歌声が合わさり、リボンの様な魔力が波引く強い輝きを放ち始めた。


 導かれるように団員たちが、笑顔を浮かべたまま割れていき、一歩一歩、クロノが歌いながらその先に近寄って行く。


 その瞬間、ルドーの手元から、まるで合わせるような低い歌声が響き始めた。


「……聖剣(レギア)?」


 同じ古代魔道具、元歌姫であった聖剣(レギア)も、ミュージカルに合わせて、見送るような歌を歌い始めていた。


 パチパチと弾ける雷が、追いかけるようにしてクロノの後から羅針盤に向かっていく。

 手を伸ばしたクロノに、羅針盤が自ら近寄っていき、両手の中でくるくると回転する激しさが増す。


 それにつれて、ミュージカルの歌は、一気に佳境へと向かい始めた。


「――――――――!!!」


 両目を瞑り、悲痛な表情をしたクロノが、叫ぶような歌声と共に羅針盤を大きく砕いた。

 パチパチと聖剣(レギア)の雷が、その破片を破壊していく。


 見届けたシルクハットの団長が、満足して頷き、言葉にならない歌声を響き渡らせる。


 解放された魂が、次々と天に舞い上がる。

 かつてアシュで歌姫像から少女が解放された、あの時と同じように。


 高らかに、清々しく、楽しさの限りで。

 宙転し、踊り合い、腕を組み合わせ、抱き合って笑いながら。

 人の姿をしていた団員たちの魂が、幸せの絶頂の姿のまま、光の球体に変わって団長を追いかけていく。


 高く高く、空高く昇って行き、やがてそれは――――――――消えた。


 クロノと聖剣(レギア)の歌声が、その場に大きく響きっていた。


「なんで、こんな、なんでっ……!」


「クロノ!」


 歌い終えたと同時にその場に泣き崩れたクロノに、カイムが駆け寄る。

 呆然とそれを眺めていたルドーは、そっと手を持ち上げた問いかけた。


聖剣(レギア)、良かったのか?」


『同じ立場として言わせてもらえば、羨ましいの限りだ』


「だから歌ったのか?」


『いや、歌はノリだ』


「……そうか」


 パチリと答えた聖剣(レギア)に、ルドーは静かに手を降ろした。


 古代魔道具、羅針盤は破壊された。

 同じ歌姫の立場である、クロノと聖剣(レギア)の歌によって。


 古代魔道具の羅針盤にされた、かつての幻術団の団長。

 彼はきっと、唯一居場所が分からなくなったあの老婆を、ずっと案じ続けていたのだろう。


 それでも運よく再会したが、羅針盤は言葉を発することが出来ず、絶望して瘴気を放ち、暴走しかけていた。


 暴走して破壊されることを待つだけだった羅針盤が、たまたま居合わせたクロノの無意識の歌で、魂が解放された。


 これは運命のいたずらなのか。

 あのまま暴走して破壊されるより、ずっとマシな結末だ。

 少なくとも、ルドーにはそう感じ取れた。


「クロノ」


「っ、う、うるさい」


「あいつ、最後笑ってた。だからきっと、団員も、みんな救われたんだ。俺が聖剣(レギア)でやった破壊と違って」


「う、あ、ああああああああ……!」


 ルドーの言葉に、嗚咽が激しくなったクロノが、カイムに縋りついた。


 瘴気を放ち、暴走した古代魔道具。

 それが人とは知らぬまま、ルドーは唯一可能だからと、次々と破壊し続けてきた。


 ルドーが今思い返せば、最後に僅かに聞こえた彼らの声は、やっと終わることが出来るという、どこか諦念が滲んでいて。


 だがアシュの少女も、今の団長と団員たちも、笑顔を浮かべたまま天に向かっていった。

 それは確かに、彼らにとっては救いだったのだ。


「おいルドー、てめぇ。慰めてぇのかトドメさしてぇのか、どっちなんだよ」


「一応慰めのつもりで言ったんだけど……」


『まぁ、今代の立場じゃ、すぐには受け止められねぇだろうよ』


 激しく泣き始めたクロノを抱えたカイムにジトリと睨まれたルドーは、ポリポリと頬をかきながら困惑の声を返した。

 聖剣(レギア)が小さく笑いながら入れたフォローも、クロノの泣き声にかき消されていく。


「あの、あの、涙が、涙が止まらないのですけど」


「大丈夫だよ、キシア」


「そうよ、とりあえずこれ使いなさい」


 こぼれていた涙が収まらないキシアを、アルスとマルス先生が笑って涙を拭き始める。


「ほらほら、地面に座ったままだと制服が汚れるよ!」


「ふおあああ!? あっありがとうございます!」


 腰を抜かしていたメロンを、ネルテ先生がケラケラ笑いながらぐいっと引き上げた。

 呆然としていたトラスト、ビタ、イエディ、アリア、ノスタシア(ノースター)の背中を、ヘーヴ先生が重い溜息を吐きながら、ポンポンと順番に叩いていった。


「貴方たち、いつまで呆けてるんですか」


「あっ、こ、言葉にならない光景につい……」


「わ、私は感想の語彙を探していただけですわ」


「でも、言葉、なにも、出て来ない」


「こっちの世界で、あんな高度なミュージカル聞けると思わなかったわ……」


『あれのフリとか、やっぱり難易度が高すぎるよ(; ・`д・´)』


 はっとした五人が狼狽えている中、レッドスパイダー先生に押さえつけられたままの勇者狩りが、じっとクロノの方を見つめていた。


「ちょっと待て! ちょっと待てぇい!!! 本当の歌姫は、クロノワール・レペレルだったのか!? そこの美少女ではなく!?」


『僕一応男子なんだけど(;´・ω・)』


「なにぃ!?」


 ようやく事態を把握したハイシェンシーが、ノスタシア(ノースター)を竹刀で指しながら叫んでいた。

 ノスタシア(ノースター)の女装替え玉選考に気付いたハイシェンシーは、ノスタシアが男子であることに、一番の驚愕の声をあげる。


「お前たち、最初から誰が歌姫と分かっていて、変装してそいつを選考に参加させていたというのか!?」


 ブンブンと竹刀を振り回しながら喚き始めたハイシェンシ―を、ルドーは近寄って取り成し始める。


「落ち着けって、色々事情があったんだよ」


「きちんと正確に話すつもりはあるんだろうなぁ!? バンティネカ様を欺いた罪は重いぞ!」


「……あ」


 ハイシェンシ―に言われて、ルドーは思い出した。

 確か歌姫選考の関係で、ハイシェンシーの目と耳は、バンティネカに接続されている。


 つまり、先程の羅針盤からの幻術団の様子も、クロノと聖剣(レギア)が歌い始めたところも。

 ソラウ王国第三王女のバンティネカには、バッチリ目撃されていたのだった。


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