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第二百七十二話 飛び立つ鳥はそこに

 

 端的に言うと、レモコは捕まえることが出来なかった。

 というのも、捕まえるだけの罪状が、レモコにはなかったというのが大きい。


「いやいやいや、あれだけ暴れて捕まえられないってなんだよ!?」


「今回のレモコさんは、違法行為をした証明が難しいんですよ」


 指差して大声をあげたルドーに、トラストが悩ましい表情で眼鏡を光らせた。


 レモコによる歌姫候補たちへの外傷は、アリアが回復魔法で治してしまっている。

 また歌姫候補を直接害した目撃情報が、被害者含めて誰にもなかった。


「なによ! 怪我人治した私が悪いっていうの!?」


「そうじゃないよ、アリア。流石に元マフィア、相手が上手だったって話さ」


 理不尽に喚いたアリアを、ネルテ先生がポンポンと頭を撫でて慰め始めた。


 レモコが直接的に歌姫候補を殴ろうとしているのを、アルスとキシアが防いでしまった。

 記録魔道具も用意して無かった為、歌姫候補を害している瞬間自体は、誰も目撃していない。

 つまりカイムやアルスたちは、倒れていた歌姫候補と、岩人形を連れていたレモコを見かけただけの状況になってしまっていた。


 魔物に倒された木々に、歌姫候補たちが押しつぶされただけ。

 そうレモコに主張されてしまえば、それを覆すだけの情報がルドーたちには存在しない。


 状況的には怪しいが、レモコが歌姫候補たちを害したと証明する手段が、失われてしまっていた。


『勇者狩りとか、あのおばあさんを捕まえてたのは?』


「そちらからも、拘束は不当で難しいと思いますわよ。考えればわかりますわ」


 ノスタシア(ノースター)が岩人形に捕まれていた二人を提示したが、ビタが険しい顔で首を振った。


 レモコが勇者狩りを捕らえていたのも、一般人が指名手配犯を捕まえた、危険人物拘束に該当する。

 老婆に対する行動も、巨大な岩人形で掴み取ってこそいたものの、外傷がない上身内のトロープ公に引き渡そうとしていたため、保護の観点が強い。


『あいつがベラベラ話してたっていう、歌姫の成りすましはどうなんだ』


「話すだけなら事件性はない。実際にそれで詐欺をしたわけでも、誰かに危害を加えたわけでもないからな」


 聖剣(レギア)のあげた疑問に、レッドスパイダ―先生が溜息を吐いた。


 レモコが狙っていた歌姫の偽証についても、ソラウ王国が独自に定めた歌姫の判定に従っていた。

 派手に暴れたが、それでもレモコは正規の手順を踏んでいたため、悪意を持っての偽証証明が難しい。


 犯罪計画を話したところで、それが事件性のある準備現場でもなければ、ただの質の悪い会話。

 偽証を未然に防いだからこそ、レモコを捕まえる口実が無くなってしまっていたのだ。


「前に所属してたっていう、マフィア関連で捕まえられないの?」


「その証拠が、ないから、捕まえられないって、話だと思う」


 ブンブン両手を振り回すメロンに、イエディが静かに取り成している。


 かつて鉄線の幹部であったはずのレモコだが、殲滅戦時に現行犯で捕まえることが出来なかった。

 殲滅戦で逃走されたことで、鉄線が元のマフィア組織、線連に移ったはずなのに、裏組織との繋がりの証拠がない。

 そこから女神深教に更に移ってしまったために、レモコのマフィア組織在籍の証明が困難になっている。


 長い期間レモコがマフィアで、泥を啜りながら生きてきたからこそ、マフィア関連の情報処理は徹底されていた。


 要するに状況を整理すると、レモコは何も悪いことをしていない。

 少なくとも概観はそう見えてしまっているのだ。


 そのため、ソラウ王国では任意同行が関の山であったが、当然レモコはそれに従ってくれるはずもない。


「この程度で勝ったつもりでいるなら、大間違いだってんですよおおおお!!!」


 巨大な岩人形の足音を響かせ、怒り散らしながら敗走していくレモコの姿を、ルドーたちは悔しくもじっと眺めることしか出来なかった。


「アルスさん……」


「まぁ、今回はレモコの企みを阻止できた分、一歩前進かな」


 心配そうな表情を浮かべ、手を触れようと迷っているキシアに、アルスはレモコを見つめながらそう答えた。


 アルスの口元は力なく笑っているが、拳はやるせなさを現すように強く握りしめられている。

 それを見たキシアが察したように、そっとアルスの肩に手を置いて労わっていた。


『正直に申し上げますと、私は歌姫について猜疑的に見ておりましたの』


 頭に響いてきた声に、ルドーたちは振り向く。

 バンティネカから通信魔法の報告を聞いて、ヘーヴ先生が小さく疑問の声をあげていた。


 基礎科に在籍するバンティネカとの今回の協力も、クロノからハイシェンシーへの声掛けもあったが、基礎科担任のヘーヴ先生が実動に回る部分も大きかった。


 バンティネカとヘーヴ先生のやり取りを、ルドーはじっと見据える。


「猜疑的というのは?」


『歌姫など、本当は存在しないのではと。少なくとも私はそう考えていました』


 通信魔法でバンティネカの出す静かな声を、従者であるハイシェンシーもじっと佇んで傾聴していた。


 バンティネカはクロノと情報のやりとりで応酬があったという。

 だがどうやら歌姫信仰の強いソラウ王国で、バンティネカは王族でありながら、歌姫否定派の考えを持っていたようだ。


 歌姫信仰の強いソラウ王国では、その考えは露呈すれば、下手をすれば王族でも立場が危うくなる。

 だからこそバンティネカは情報を話さず、様子を見るために協力していたのだろう。


 しかしバンティネカは何か心境の変化があったのか、考えを素直に吐露することに決めたようだ。


『アシュでの一件も、スレイプサス監獄でのことも、幻覚魔法による犯人一派の工作と考えるのが妥当でした』


 バンティネカの話は続く。


「犯人による工作?」


『両件とも起こったことを考えれば、罪状は限りなく重い。歌姫のような規格外の力を持つ者がいると考えるより、犯人の計画が失敗し、万一捕まった際のリスク管理と考える方が建設的です』


 ヘーヴ先生の疑問に、バンティネカは淡々と返している。


 つまりバンティネカは、歌姫という存在は、幻覚魔法によって見せられた幻だと考えているのだ。


 アシュで歌姫像を暴走させ、魔物を大量放出したこと。

 凶悪犯が多数収監されている、三大監獄スレイプサス監獄を破壊したこと。

 確かに双方共に被害があれば、犯人の罪状はかなり重いものになるだろう。


 だからこそ、犯人はその捜査の攪乱に、幻覚魔法で歌姫を作り出したのではないか。

 バンティネカはそう推測したのだ。


 実際アシュの住民を筆頭に、ソラウ王国は歌姫の再来に大いに湧き立った。

 双方の犯人を捜索するよりも、歌姫の捜索に注力するほどに。


「歌姫に憧れる国民感情も理解していますが、私は以前よりこの風潮を不安視していたのです。邪な輩に、付け込まれる隙を作るだけではないかと」


 重々しい口調で語るバンティネカの通信魔法に、ルドーたちは顔を見合わせた。


 バンティネカが歌姫否定の考えを持つようになったのは、ひとえにソラウ王国の安全を考えて。

 歌姫に救いばかり求めて、国民が自助努力をおざなりになるようにならないか。

 そして歌姫を騙るものや、情報を持つと欺く相手に、悪事に利用されたりしないか。


 バンティネカは歌姫を崇拝しすぎる風潮に、王族として危険を感じていたのだ。

 そしてレモコの報告を聞いて、その考えは確信に変わったのだろう。


 歌姫は存在しない。

 悪事に利用されるための、悪人どもの方便でしかないのだと。


 ルドーは一瞬、帽子を深く被り直したクロノに視線を向けた。


 実際は歌姫は存在し、すぐそこに本人であるクロノがいるだけに、神妙に語るバンティネカの話はとても滑稽に響いた。


『ところで、勇者狩りはどうするの? (;´・ω・)』


 ノスタシア(ノースター)の魔法文字に、全員が現実に引き戻された。


 歌姫の最終選考課題として、トロープ公は勇者狩りの捕縛を命じた。

 しかしノスタシア(ノースター)はそもそも歌姫ではないと、最初から分かった上で行動している。

 わざわざトロープ公に勇者狩りを引き渡して、ノスタシア(ノースター)が歌姫である証明をする必要はない。


 一方で、ゲリックは勇者狩りを説得して、仲間に引き込めと言ってきた。


「あー、どうすりゃいいかな……」


 困惑の声をあげながら、ルドーは縛り上げられた勇者狩りに視線を投げる。

 勇者狩りは全身グルグル巻きに縛り上げられて地面に座らせられ、先生の中で一番ガタイの大きいレッドスパイダー先生に押さえつけられていた。


 捕まえた後で考えようとは思っていたが、いざ捕まえたとなるとどうすればいいか、ルドーにはよくわからない。

 スレイプサス監獄は修復されたが、勇者狩りが収監されていたシジャンジュ監獄は厄祈願(やくきがん)によって破壊されたまま。


 女神深教の祈願持ちである厄祈願(やくきがん)が野放しである以上、どこに収監しても、また破壊される未来が見えた。


「そこにいるのかしらねぇ」


「えっ、ちょっ!? ばあさん危ないから!」


 ルドーが考えていると、トロープ公の祖母の老婆が、縛られた勇者狩りによろよろと近寄ろうとするのが見えた。


 ネルテ先生とマルス先生が、慌てて間に入って勇者狩りと老婆に距離を取らせている。


「あの、ねぇ、お知り合いなの?」


「知らん。恨まれこそすれ、近寄られる心当たりはない」


 困惑するマルス先生の問いかけに、勇者狩りは老婆をじっと見据えて応えた。


 確かに勇者狩りは、勇者だけを狙った犯罪者で、一般人を助けるような人柄ではない。


 ただ勇者狩りはシジャンジュ監獄に二十年収監されていたが、あの老婆の年齢を考えれば、収監以前に面識のある可能性もある。


『なんなんだろうな、一体』


「知り合いなのか、それとも他人の空似なのか。それすら分かんねぇな……」


 尚も勇者狩りに近寄ろうとしている老婆に、聖剣(レギア)とともにルドーも当惑する。


 問題は、この老婆が明らかに認識がどこかズレている点だ。


 加齢によるものか、認知によるものか。

 なんにせよ、老婆が見えているものが分からなければ、何を求めているのかよく分からないままだ。


「お祖母様! 探したのですよ!」


 声が聞こえてルドーたちが振り向くと、連絡を受けたトロープ公が駆け付けてきたところだった。

 まずい、このままだとノスタシア(ノースター)が勇者狩りを捕まえた形になってしまう。


「あっ、やべ」


「かっ、隠して! 隠してくださいまし!」


 ルドーとキシアの掛け声で、ルドーたちは焦ってノスタシア(ノースター)の前に人壁を形成する。


 だが狼狽えるトロープ公は、祖母に夢中でノスタシア(ノースター)には気付いていない様子だった。


「急にいなくなって、どうしたのですか」


「あのひとがねぇ、そこにいるのよねぇ。聞こえているのかしら」


「……昔話してくれた、幻術団の方ですか?」


 トロープ公と老婆の話に、新しい単語が出てきて、ルドーは怪訝に思った。


「幻術団? ってなにー?」


「ソラウ王国で有名だった曲芸団です。七十年前に突然、全団員が失踪してしまったのですが……」


「確か、その人、元関係者だって、話」


 ルドー同様疑問を抱いたメロンの声に、トラストが説明し、イエディが補足を入れた。


 身元不明の老婆は、ソラウ王国で有名な曲芸団の出身だったらしい。

 その当時を知る老婆は、勇者狩りに当時の団員の面影でも見たのだろうか。


 様子を見ていた先生たちも、勇者狩りの方に向き直る。


「あなた、出身は?」


「ソラウではない。シマス近郊だ」


 行方不明の団員の親戚か何かかと思ったマルス先生の問いに、勇者狩りは首を振った。


 ソラウ王国に対して、シマス国は真逆の位置だ。

 遠くにいる親戚の線も捨てられないが、少なくとも接点は限りなく低い。


「二十年前の騒動でも、彼女はこのような反応を?」


「いえ、今よりしっかりしていましたが、手配書には見向きもしてません……」


 ヘーヴ先生の問いに対するトロープ公の返答に、いよいよルドーたちは訳が分からなくなる。


 親戚であるにしても、二十年前に勇者狩りは当時のランタルテリアの勇者を殺し、人相が割れている。

 その時点で指名手配され、包囲網が敷かれる事態に発展したのだ。


 二十年前の当時、今より認知がはっきりしていた時の老婆は、その手配書に全く反応を示さなかったという。


 ならなぜ今、この老婆は勇者狩りにこんなに反応しているのだろうか。


「そもそも見えているのですか? その、瞼はずっと閉じたままですのに……」


「というか、視線、微妙に顔は見てなくない?」


 老婆を観察していたキシアとアルスが指摘する。


 確かに老婆は瞼がたるんで、閉じるように瞳を覆っていた。

 この状態では見えるものも見えない。


 一体何を認識して、老婆はそれを求めているのか。

 祖母として付き合いが長い様子のトロープ公も、混乱するように首をひねっている。


 だがここで、カイムがなにかに気づいたように顔を上げた。


「魂の視認……お前、魔人族か?」


「カイム?」


「魔人族にゃたまにいるんだよ。魔力が多いから目に魔力が宿って、魔力だけずっと目を閉じてても見えるやつが」


「ライアみたいに?」


「視認だけならライアよりつええよ」


 横で声をあげたクロノに、カイムはそう言って老婆に近寄る。


 カイムの妹の一人のライアは、確かに魔力で相手を認識していた。

 顔を覚えるよりも、魔力で覚える方が早いくらいには。


 老婆はかなり衰えていやせ細り、魔力も枯渇が始まっているのか、普通の人間の老婆と、見た目は大差がなかった。


 魔人族は中央魔森林に住み、瘴気の影響された進化で見た目が奇抜だが、元の祖先は追放された人間。

 長いこと森から離れ、老化するにつれて人間と大差のない姿に変化しても、理論的におかしくはない。


 魔力が目に宿っていても、目が光る程度なら、人間にも探知魔法が使える者は多いので疑問は抱かれないだろう。

 だから老婆の持つ異常性に、長い間誰も気づかずにいたのだ。


「魂の視認、七十年前の失踪――――あっ」


 カイムの話を聞いたクロノが、なにかに気づいたように勇者狩りを見て絶句した。

 そしてクロノとほとんど同時に、聖剣(レギア)も大きく舌打ちするように弾ける。


『なるほど、そういうことかよ』


聖剣(レギア)、まさか……」


『あぁ、そういうことだろうな』


 冷汗をかきながら、ルドーが戦慄の声をあげ、聖剣(レギア)が苦々しく応える。


 反応したのが、今代の歌姫クロノと、元歌姫の聖剣(レギア)

 それでルドーも察した。


 歌姫は百年周期にひっそりと現れ、そして女神深教の祈願持ちたちに古代魔道具に変えられ続けた。

 古代魔道具に変えられても、魂は変化しないのであれば。

 魂の視認でも、見た目が変わっても魂のその姿が変わらないのであれば。



 この老婆が見ているのは、勇者狩りが持っている古代魔道具、羅針盤だ。




「七十年前の失踪……そっか。いたんだ、そこに。それでやられたんだ」


「クロノちゃん?」


「おい、何を話をしているんだ?」


「そうだよ、そういう連中だもの。やるよね、それくらい……」


 ブツブツ呟き始めたクロノに、メロンとハイシェンシ―がそっと問いかけるが、クロノは虚空を見つめる。


 クロノの言う通り、最悪の筋書きがルドーにも見えてしまった。


 七十年前、クロノの一世代前の歌姫は、その幻術団にいたのだろう。

 それが幻術団が目立って行くにつれて、女神深教の祈願持ちに、歌姫の正体がバレた。


 そして当時の歌姫が古代魔道具の羅針盤に変えられてしまい、それに伴って団員も消された。

 殺されたか、殺されるよりひどい目にあったか。

 なんにしても、碌な結末は辿らなかったはずだ。



 それが七十年前の幻術団失踪の真相。



 この老婆は、その直前に先々代トロープ公爵に連れ去られたため、その急襲を人知れず逃れることが出来たのだ。


「古代魔道具がどのようにして作られたか、知っていてそれを振るっているのか!?」


 かつて勇者狩りが叫んだ言葉が、ルドーの頭に響く。

 その言葉の意味が、今になってルドーには理解できた。



 勇者狩りは、こいつは、古代魔道具の秘密に辿り着いている。



 ルドーは勇者狩りをじっと見据え、恐る恐る口を開いた。


「なぁ、勇者狩り……お前は、その羅針盤が、何か分かってて持ってたのか?」


 ルドーの問いかけに、勇者狩りは何かを察したように、ゆっくりと目を見開いた。


「……左腕の魔道具の収納口だ」


「いいのか?」


「どの道、今の俺にそれは何も示さん」


 勇者狩りの返答に、ルドーはネルテ先生の方を向いた。

 ネルテ先生は口を大きく一文字に結んだ後、警戒する目線でゆっくりと頷く。


 話が理解できず困惑しているトロープ公とハイシェンシーも含めて、全員が押し黙り、固唾を飲んで見守る中、ルドーはゆっくりと勇者狩りに近寄る。


 ルドーが勇者狩りの目の前まで来ると、押さえつけていたレッドスパイダー先生が頷き、さらに押さえつけを強めた。

 縛られたままの魔道具の左義手にゆっくりと触れ、勇者狩りが抵抗しないのを確認した後、ルドーはゆっくりと腕を探り始める。


 やがてカチリと金属が外れる音と共に、掌大にまで小さくなった羅針盤が、ころりと姿を現した。


 ルドーはそれを持って、ゆっくりと老婆を振り返る。

 勇者狩りに向いていた閉じた視線が、ルドーの掌に集中していた。


「やっぱりいたのね。ねぇ、わたしよ。なんで答えてくれないの?」


 ルドーが羅針盤を盛って近寄ると、老婆は瞼を閉じたまま、嬉しそうに手を伸ばしている。

 かつてそこにいた人に向かって、腕を掴むような仕草。

 再会を心から喜ぶように、痩せこけて皺くちゃな顔が小さく笑った。


 魂しか見えていないからこそ、その老婆には目の前の人物が、無機物に変わり果ててしまっていることに気づけていない。


 生きたまま無機物に変えられた羅針盤は、きっと老婆が見えているのに、その言葉に答えられない。


 歌姫化は不可逆。

 死んだ人が蘇らないのと同じで、人の姿に戻す事は出来ない。


 ルドーは言葉が出なかった。

 ただ愕然として、どうすればいいのかわからなかった。


 それはルドーの周囲にいた、トロープ公とハイシェンシー以外の歌姫の真相を知っている全員も。

 余りの現状に絶句して立ち尽くしていた。


「ねぇ、最後に迎えに来てくれたんでしょう? 死ぬときは一緒にって、約束したものね?」


「お祖母様、なにを――――!?」


「私はもうだめよ、頭もだめになってるもの。ねぇ、団長。みんな迎えに来てくれるかしら?」


 まるで今際の際のような言葉に、トロープ公は仰天したが、老婆は全く狼狽えない。

 目の前で繰り広げられる会話に、ルドーはただ息が荒くなるのに、愕然と声が出ないまま。


 両手に抱えた羅針盤から、少しずつ瘴気が漏れ出し始める。

 暴走する予兆だ。


 瘴気に気付いたアリアが、咄嗟に光魔法で払い始める。


「ちょっと! 瘴気が出始めてるわよ!」


『ルドー』


「っ、これを、この状態で……壊せって?」


 聖剣(レギア)の声と掌の中で薄らと漂い始めた瘴気に、ルドーは絶望した。


 古代魔道具は、同格の古代魔道具でなければ破壊できない。

 つまり、聖剣(レギア)を持つルドーでなければ、羅針盤を壊す事は出来ない。


 それは即ち、目の前の元歌姫の殺害も意味する。


「……どうして。何もしてないのに、ただ普通に生きることすら許されないの?」


「落ち着け、そんなことさせねぇから。落ち着け」


「できもしないこと簡単に言わないでよ!」


 クロノがカイムに縋りつくように強く肩を掴んで、震えながら悲痛な声を出した。

 カイムがクロノを宥めるように、両肩を抱える。


 強く叫んだクロノの声が、周辺を駆け抜けた。


 羅針盤がクロノ自身に、老婆の姿がカイムに、クロノの目には映ってしまったのだろう。


 歌姫は女神が操る女神深教の祈願持ちたちに、無機物の古代魔道具に変えられ続けた。

 千五百年、それは覆っていない。


「おい、だから何を話をしているんだ。分かるように説明しろ」


「お祖母様、落ち着いてください。近付くのは危険です」


 流石に困惑し始めたハイシェンシーが声をあげ、トロープ公が瘴気の出始めた羅針盤から老婆を遠ざけようとする。


 だが突然、羅針盤から瘴気が消え失せた。

 怪訝に思ったルドーが、羅針盤を手にしたまま見つめる。


「……? なんだ?」


 陽炎のように、何かが浮かぶ。

 それはルドーが手にした羅針盤からだ。




 羅針盤から、ミュージカルが溢れ出した。




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