第二百六十四話 歌姫候補募集チラシ
ゲリックの指導する死ぬ気のアスレチック訓練で、魔法科の全員が基礎体力が飛躍的に向上した。
朝食時のクロノの無意識の歌で、歌姫の魔法もすこし希望も持てる。
まだ実用範囲では全くないものの、一時でもトラウマを忘れて歌えることが出来たのは、間違いなく前進だ。
そうするとあとの問題は、女神深教の祈願持ちたちの対策と、ジャスタを見つけ出すこと。
まだ戦い方も倒し方も、助け方も分からないまま、ルドーたちはがむしゃらに各々で身体を鍛え続けていた。
そんな中、エレイーネー魔法学校が抱えている厄介事など知らないと、別の問題が発生した。
「歌姫を発見するための、歌姫候補を大々的に募集、だって?」
いつものアスレチック訓練の後、座学前の教室で机に広げられたチラシに、ルドーは困惑した。
「久方ぶりに、呼び出されて、実家に戻ったら、これ見せられた」
大きな溜息を吐きながら、イエディが片手で顔を覆う。
イエディの出身は、歌姫信仰の強いソラウ王国のルッツ伯爵家。
家族関係と折り合いの良くないイエディは、突然強引に当主に呼び出された。
渋々戻ったと思ったら、そのチラシを突き出されて、お前も出ろと命じられたそうだ。
「えっ? でも、歌姫って、もう……」
ルドーはそこまで言って、そっと机に座っているクロノに視線を向ける。
クロノが歌姫であることは、エレイーネー魔法学校の教師陣と、魔法科一年には周知の事実。
しかし世間的な混乱が必須で、何よりクロノ自身が狙われかねないと、正体は公にされていない。
なので世間的には、歌姫はアシュとスレイプサス監獄で出現したが、まだ正体不明の謎の人物のままだ。
ルドーの視線に気づいたクロノが、机に肘をついたまま赤い瞳を細めた。
「そんな目立つ物、立候補するわけないじゃん」
「だよなぁ」
予想通りの返答に、ルドーはまたチラシに視線を戻した。
歌姫は、女神深教の祈願持ちたちに古代魔道具化されようと狙われる。
つまり、このチラシは女神深教たちに、格好の標的になりかねなかった。
歌姫信仰の強いソラウ王国では、神聖化している歌姫を、なんとしてでも見つけたいという思惑だろう。
危険なことをしているという認識はないと思っていい。
「でもこれ、どうすっかな……」
「イエディ、これ出るのー? 危なくない?」
「私は、絶対に違うから、出ないと、断った。そしたら、候補を探せと、これを押しつけられた」
心配そうにイエディに後ろから抱きついたメロンに、イエディはそう返した。
イエディがこのチラシを持ってきたのは、エレイーネー魔法学校内にいる生徒から、それらしいやつを探せという、ルッソ伯爵家の命令だったようだ。
ただ、イエディはあまり家族と仲が良くないのもあるのか、協力する気は更々無い態度でいる。
ここにこのチラシをイエディが持ち込んだのは、あくまでソラウ王国での動きを知らせるため。
王命のような条文が並んだチラシを読み込みながら、エリンジが無表情をあげる。
「既に何人か立候補しているのか」
「父に聞いた話だと、ソラウ王国内だけで、二百人ほど」
「二百人!?」
「そんなに……?」
『おーおー、こりゃまた派手な騒ぎになりそうだな』
思ったより多い人数に、ルドーは腰を抜かした。
ルドーの横にいたリリアも不安顔に変わる中、聖剣が興味深そうに弾ける。
チラシの内容を読む限り、ソラウ王国が歌姫候補を集め始めて一週間も経っていない。
それなのに、二百人も集まるのは流石に数がおかしい。
「二百人か! それはまた豪勢だな!」
「現時点でその人数、しかもそれ全部偽物なんすよね……」
「よくある利権目当ての偽物立候補でしょ? 乙女ゲームの定番よね」
「ハイハイハイ、管理が大変そうです!」
教室で話を聞いていたフランゲル、ヘルシュ、アリア、ウォポンがそれぞれ感想を述べた。
「いやおかしいだろ。歌姫は一人なのに、そんなに集まってる時点で、偽物の方が多いって誰でもわかるじゃないか」
「それがですや、今ちょっとソラウ王国で厄介な言説が主流になってきてるんですや」
ルドーが呆れた声を出していると、カゲツが腕組みして首を振っていた。
低身長ゆえに神妙な空気を感じさせないカゲツに、全員の視線が集まる。
「主流になってる言説?」
「そうですや。“歌姫は歌う際、女神の許可が必要になる“ってやつですや」
「なんだそれは」
ルドーの質問に返したカゲツの返答に、エリンジが怪訝そうに眉間に皺を寄せる。
「歌姫が今まで発見されなかったのは、女神が状況を判断をしていたからって言説ですや。歌姫が歌いたくても、女神が許可しなければ歌えない。だから証明できなかったって話ですや」
『うわぁ、めんどくせぇことになったな』
カゲツの説明に、聖剣が心底嫌そうにパチパチ弾けた。
商人魔導士を目指すカゲツが、ソラウ王国のサンフラウ商会伝手に聞いた話だ。
なんでもソラウ王国では、ここまで探して歌姫が見つからなかった理由の方を、推測し始めているという。
そこで今主流となっている言説が、女神が許可していなかったから、証明する手段がなくて露見しなかった、というものだ。
歌どころか音楽そのものが、女神によってこの世界では制限されている。
だから歌姫も歌えはするが、それも毎度女神の許可が必要、という推測だ。
音楽が制限されているからこそ、この言説には妙に納得感があった。
たとえそれが、全く見当外れの勘違いだとしても。
「……つまり、集まってる二百人は、全員女神が許可してないから、今は歌えないって主張してるの?」
「そういうことですや。本人がこれだから、それを証明する方法もなく、ひょっとしたら自分が歌姫なんじゃと、こんなに集まってしまったんですや」
リリアの声に、カゲツは歌姫本人のクロノを指差して答える。
だがその言葉に、キシアが逆に疑問を持った。
「ひょっとしたら自分が? どういうことですの?」
「女神が歌姫に歌を許可するとき、歌姫本人の記憶も消して守ってると。だから歌姫本人も自覚がなくて、そのせいで見つからなかったと言ってるんですや」
「うわぁ」
「実態は全然違うのに、妙に説得力ありますね……」
カゲツの詳しい説明に、アルスがなんともいえない声を出し、トラストは納得してしまう。
歌姫が女神深教の祈願持ちたちに狙われていることは、女神深教の危険性から秘匿していて、世間は知らない。
クロノが歌姫であることも同時に秘匿されているが、その秘匿性を世間は別の理由をつけて納得しようとしてしまったようだ。
だからこそ、二百人もの歌姫候補が名乗り上げてしまった。
「それ、ネルテ先生には相談してるのか?」
「ここに来る前に、してる。もうすでに、ソラウ王国から、進言されてたみたいで、頭抱えてた」
「えぇ……」
「こちらに情報が来てるなら、当然か」
イエディの返事に、ルドーは困惑し、エリンジは頷いた。
どうやらすでにエレイーネーにも、学生を全員一から調べなおしてくれと、ソラウ王国から先ほどの仮説と共に申請があったらしい。
だが実態は、女神深教の祈願持ちたちを恐れたクロノが、徹底的に能力遮断して正体を隠していただけ。
本当のことを話すわけにもいかないので、ネルテ先生は対応に困って頭を抱えているようだ。
「全くもう! 早とちりにもほどがありますわよ!」
「でも反論も出来そうにないし、正体を明かすわけにもいかないよね。どうしよう」
ビタが非難の声を上げ、リリアが困ったようにクロノに視線を移していた。
ルドーもつられてクロノを盗み見る。
クロノは帽子のつばに左手の指をかけ、右手の指で苛立つように机を叩いている。
机の横に立っているカイムが、険しい目でチラシを睨みつけていた。
クロノが正体を明かせば話は簡単だが、前述した理由でそれも難しい。
このままだと見て見ぬふりしか出来そうにないが、それで何か大きな被害が起きても問題だ。
女神深教が相手だと、被害の規模が想定出来ない。
だが今は女神本体が、空想の魔導書に吸収されている。
今までと同じように、女神深教が動くかどうかもわからなかった。
「……エリンジ、どうするべきだと思う?」
「放置はできんが、かといって馬鹿正直に行くのも危険だ」
考え込んでいる無表情は、ルドーの問いかけにそう言ってクロノの方を向いた。
「お前はどうするつもりだ」
「私の行動権の最終決定は私にはないよ。だからゲリックに聞いて」
「お呼びになりましたか?」
「うわぁ! いつからそこにいたんだよ、ゲリック!」
ルドーの背後に、ゲリックが当然現れて、チラシを眺めるようにかがみ込んでいた。
全員が驚いて大声をあげながら後退る中、ゲリックは姿勢を正して周囲を見渡す。
その怪しげなしたり顔の笑顔に、エリンジが眉間の皺をさらに深く刻んだ。
「次は何を企んでいるつもりだ」
「これは逆に丁度良い機会です。潜入して相手の出方を見ましょう」
「相手って……」
「女神深教の連中ですよ、もちろん」
ルドーに対するゲリックの返答に、周囲がざわりと騒ぎ始めた。
魔法科の全員、ソラウ王国の歌姫候補募集を問題ととらえていた。
だがゲリックは、逆にこれがチャンスだと認識している。
「女神を失い、方向性が定まらない女神深教に、歌姫という餌をぶら下げる。どう食いつくかによって、向こうの方向性が判別できると思いません?」
腰を曲げて指を立てるゲリックの提案に、ルドーは困惑した。
確かにゲリックの言う通り、今の状況で歌姫の情報をちらつかせれば、女神深教の動きは探ることが出来そうだ。
女神の状態を無視して、歌姫を古代魔道具化することを優先するのか。
女神の意志を尊重して、一旦様子見して女神の指示を仰ごうとするのか。
だがそれは、女神深教が動く場合、多大な犠牲を伴うリスクも生じている。
エリンジが薄ら笑うゲリックを睨み付けた。
「犠牲者は厭わないとでもいうつもりか」
「だから潜入して、可能なら事前に防ごうと話しているのですが」
あっさりと反論してきたゲリックに、ルドーはどうしようかと不審がりつつも考える。
「そうは言ってもどうするんだよ。連中が動くとなると、クロノを出すのは悪手でしかないぞ」
「そのつもりなら容赦しねぇぞ」
計画の是非は後として、ルドーはまず潜入が可能かどうかを考える。
ゲリックを睨み付けていたカイムが、疑いの眼差しをさらに強くしていた。
女神深教が歌姫候補の様子を見に来るならば、歌姫本人であるクロノが潜入するのは、あまりにもリスクが高すぎる。
歌姫の古代魔道具化魔法は不可逆。
もし潜入したクロノが捕まって魔法を完了されてしまったら、もう手遅れになる。
潜入に慣れているクロノだが、今回ばかりは頼れない。
「じゃあ、他の人を潜入させるの?」
同じように考えていた様子のリリアの提案に、キシアが横で首を振った。
「特例の資格持ちで、あちこちから依頼があった私たちは、最近ではある程度顔を覚えられ始めていますわ。潜入には向きません」
「名声をあげると、そのような不都合が発生するわけか!」
キシアの説明を聞いたフランゲルが、嬉しそうにガハハと笑い声をあげた。
本来二年次に試験を受けて手に入れるはずの魔導士資格。
しかしルドーたち魔法科一年は、アシュの一件で歌姫の情報を欲した同盟国連盟によって、例外的に資格を与えられた。
依頼による招待で、あちこちの国に来賓として招かれるようになり、大量依頼が舞い込んだルドーをはじめ、世間にその顔を知られつつあった。
だが歌姫候補としてソラウ王国に潜入を検討するなら、どちらかというと顔を知られていない方がいい。
相手が女神深教だとしても、関係ない一般に人たちに顔が割れていては、覚えられて行動を見張られたり、動きにくくなる可能性があるためだ。
「せめて誰も顔を知らない人がいてくれたらいいのですが……」
「……あら」
トラストの発言に、アリアが思いついだようにノースターを見つめた。
ルドーもつられて眺めたノースターの顔に、あることを思い出す。
ノースターはグルグルメガネを常にかけていて、眼鏡を外した素顔は、少なくともルドーは知らない。
さらにアリアの発言に気づいたのは、ルドーだけではなかった。
「……ノースターなら、眼鏡を外して潜入は出来そうってこと?」
『(ヾノ;・ω・) ムリムリムリ』
注目が集まり始めて、ノースターはグルグルメガネを冷汗でずらしながら、両手を振りつつ拒絶の魔法顔文字を空中に浮かべた。
しかし周囲は無視して話を進める。
「歌姫候補ですわよ。歌姫信仰のソラウ王国なら、見た目も重要視しませんこと?」
「でもノースターくん、眼鏡外したらすっごく美形だったよ?」
「えっ!? そうなの!?」
キシアに対するリリアの返答に、メロンが驚愕の声をあげた。
「前に、鉄線の幹部との戦闘で、メガネを外してて。すっごい美形だったの。それを見た幹部の女性の人も、高値で売れるって言ってて……」
リリアの説明に、キシア、ビタ、カゲツの目がビンと、品定めするような視線に変わる。
身の危険を感じて、ノースターは机と椅子を倒しながら慌てて後退り始めた。
『(;゜Д゜)ちょっと待っておちついて』
「……あらまぁ、そんな原石を隠しておいででしたの?」
「全く、これだから美的価値の分からない殿方は嫌になりますの」
「自力で広報活動できるなら、存分に使うべきですや」
キシア、ビタ、カゲツは三者三様で笑っているのに、なぜだろうかすごく怖い。
一体どこに隠していたのか、それぞれが化粧品をさっと取り出し始める。
すぐ傍に居たアルスとトラストが、何かを察して戦慄した表情でそっと離れ、フランゲル一行が楽しそうに、ポップコーンを取り出して観戦の体制に入った。
迫ってくるキシア、ビタ、カゲツに、ノースターはズササササと後退さりして、ダンと壁にぶつかる。
そのままノースターは全員が見守る中、貴族子女のキシア、元貴族子女のビタ、商いで目が肥えて監修も出来るカゲツにより、徹底的にその場で磨き上げられ始めた。
「えーっと……」
「何が起こってんだよ……」
「わからん」
「やるって決めてないのに、なんで変装させてんの?」
「知るかよ」
リリア、ルドー、エリンジ、クロノ、カイムの困惑の声が続く。
状況を楽しむように、ルドーの背中で聖剣が爆笑していた。
助けを求める魔法文字が、化粧の粉にまみれて浮かんでは消える。
「ふおおおお! 美人! めっちゃ美人!」
「儚い系の、美少女……」
しばらくして、化粧の煙が晴れて現れた人物に、メロンが大声をあげてイエディがつい感嘆の声をあげた。
それを見て、ルドーも言葉を失って立ち尽くす。
朴念仁エリンジまでも含めた男子全員から、赤面のため息が洩れて顎が外れた。
そこにいたのは、男子とは全く思えない、薄い金髪ロングのウィッグを被せられた、見たこともない美少女。
ガラスのように透き通った真白な肌。
黄土色の瞳がくりくりとまるで人形のようで、長いまつ毛が儚さを数段押し上げている。
男子の制服を着て居なければ、だれもこれがノースターという男子生徒だと気付けない。
完璧に仕上がったノースターの後ろで、キシア、ビタ、カゲツが、一仕事終えた満足そうな表情を浮かべていた。
『蹂躙された……(つд⊂)』
「ふむ。魔法文字で声を発しないあたり、歌姫っぽさに説得力もありますね」
様子を見ていたゲリックがそう言って、風を切るように手を振った。
すると途端に儚い少女感三倍増しの、白いレースワンピースにノースターの制服が変化してしまった。
女子たちから一斉に、可愛いという黄色い声が上がる。
とうとうノースターは、その場に崩れ落ちてしまった。
「どちらにせよ、エレイーネー代表で一人送り込まねばならないのですから。こちらから主導的に動く方が賢明ですよ」
両手を肩にあげた後、ゲリックはそう言ってルドーの困惑も無視して立ち去って行ってしまった。
「マジでこれで行く気なのか……?」
「周囲を固める必要もある。状況を詰めるぞ」
エリンジの一言で、歌姫候補募集の潜入は確定してしまった。




