第二百六十三話 枯れ木に花、言わぬが花
足元に、ひたひたと忍び寄ってくる感覚。
なにかに足を掴まれて、引きずり降ろされるような嫌悪感。
「や、クそ、く……」
ジャスタが、どろどろの血の海から、助けを求めるように引きずりおろそうとしてくる。
「また、助けて、くれない……」
悲痛な声が、空間に響き渡ってこだまし続けた。
「……」
ベッドの上で、ルドーは静かに目を覚ました。
『おい、大丈夫か』
「……あぁ、ちょっと気分悪い夢見ただけだ」
心配そうに弾けた聖剣に、ルドーは力なく応える。
あの後ルドーはカイムと一緒にゲリックに連れられて、魔法科校舎の屋上で中央魔森林の方向を眺めた。
夜遅く、光もない森は闇の底のように暗く、薄暗い瘴気が薄らと上気している。
ファブのレペレル辺境領は、また大型魔物暴走の脅威と対峙しているだろう。
中央魔森林の状態は日に日に悪くなっていっているという。
ゲリックの話を聞いたせいで、きっとあんな夢を見たのだ。
大きく息を吐き出しながら、ルドーはベッドから起き上がって着替え始めた。
「……とりあえず、魔人族の国の名前考えるか」
『おぅ、見事な現実逃避だな』
制服に着替えて聖剣を背中に担ぎながら呟けば、楽しそうに弾き返される。
歌姫として、クロノが怯えることなく歌えるようにすることも急務だ。
その為の対策として、アーゲストに頼まれた魔人族の国名案をクロノに尋ねようと、ルドーは誘い文句を考える。
「うーん、クロノは元々掴みどころなかったけど、今警戒心強いからなぁ。なんて声掛けりゃいいやら」
女神深教に対するトラウマが深いクロノに、なんといえば連想させずに、歌のフレーズとして国名を考えてもらえるか。
そこから歌に対する恐怖感を和らげて、歌いやすいようになってくれればいいが、あまりにあからさますぎると、察しのいいクロノにはすぐ気付かれる。
前世の世界で、歌はあくまで娯楽。
嫌なら無理をさせて歌わせる必要もなかった。
必要に迫られて歌を歌わせるという状況は、前世でも流石に滅多に聞かない話だ。
だから今の状況でどう対処するのか、ルドーには考えが上手く浮かばない。
「……なぁ、聖剣、聞きにくいこと聞いてもいいか」
『なんだよ改まって』
背中の鞘に刺さっている聖剣を、ルドーはそっと引き抜く。
向き合って対峙するように、両手で支えて正面に据えた後、ずっと考えていたことを、奥歯を噛んでから吐き出した。
「お前、今の状態で、歌えるか?」
言ってやったと、ルドーはじっと聖剣を見つめた。
古代魔道具が歴代の歌姫の成れの果てと聞いて、ずっと考えていたことだ。
他の古代魔道具は、通常形態では声を発することが出来なかった。
しかし聖剣だけはそうではない。
ルドーが始めて手にしたときから、聖剣は声をずっと発し続けている。
もし聖剣が今の状態でも歌うことが出来るなら、状況は大きく変わる。
しかしそれは、クロノと同様に女神深教の祈願持ちたちとのトラウマにも大きく関わっている。
必要だからと簡単に割り切れるような、生易しい話ではない。
ましてや聖剣は目の前で、家族と仲間を惨殺された経験があるのだ。
ルドーは緊張に手を汗で湿らせつつ、息を殺して返事を待った。
『えぇ、やらねぇよ。小っ恥ずかしい』
想定外の返答が返ってきて、ルドーは気が抜けてその場に大きくズッコケだ。
「なんでだよ!? そこは普通、“狙われる危険性が上がるからやめとけ”とか、“俺もトラウマなんだよ、やなこった”とか、神妙に返すところだろ!」
『重苦しく考えてんなぁ。別に歌おうが歌うまいが俺の勝手だろ』
「その理由が“小っ恥ずかしい”なのかよ!!!」
ずっこけて座り込んだまま、聖剣を右手に、ルドーは左拳を振り上げて抗議した。
今までルドーは、トラウマやら危険性やらを考慮して聖剣が歌わないのだと思っていた。
その話題に触れないのも、同じ理由から話しにくいものばかりで、同じだと勘違いしていた。
まさか歌うのが小っ恥ずかしくて、話しにくいから黙っていたとは、全くの計算外だった。
『俺は他人のために歌うわけじゃねぇんだよ。そういうわけで俺をメインの歌姫にはすんな。ほっとけ』
「いや、おまえなぁ……」
『つーか、そんなこと急に聞き出してどうしたよ』
「いや、一人で歌うより、二人のほうが歌いやすいかと思って……」
ルドーの返答に、聖剣がピリリと小さく弾けた。
歌いにくい相手にどうやって歌わせるか考えたとき、やはり人を集めて一緒に歌わせるのが楽かと、ルドーは前世の経験から考えた。
ただ、この世界は女神が音楽を制限していて、歌姫の役職意外歌うことが出来ない。
これもきっと、女神が歌姫を狩る際に見つけやすくするために制限したものだろう。
ルドーたちでは力になれないが、同じ歌姫だった聖剣ならば。
ひょっとすると一緒に歌えるのではと、ルドーはそう考えたのだ。
『……まぁ、確かに。他のやつが歌ってたら口ずさんじまうだろうがよ』
「お前もそうなのか?」
『まぁ、正直二回とも、合いの手入れたくてつられかけた』
初めて聞いた話に、ルドーは目を丸くした。
クロノが歌姫として歌っていた場面に遭遇したのは、アシュの時と、この間の無理矢理歌わせた時。
その両方で、聖剣は歌に惹かれて、なんとなく歌いたい気分に駆られていた。
歌姫の基準は歌が好き、それだけ。
それならやはり、一人で歌わせるよりも、二人で歌わせたほうが、クロノも歌いやすいかもしれない。
問題は聖剣がこの調子だと、こいつも自主的に歌いたがらないといったところか。
「聖剣」
『やなこった』
「頼むって」
『他当たりな』
「お前しかいないだろ」
『人前でだれが歌うか』
「お前なぁ!」
「てやぁ!」
「でぇっ!?」
ルドーがブンブンと聖剣を振り回して押し問答していると、掛け声とともに後頭部を的確に狙ったドロップキックをお見舞いされた。
そのまま誰かに背中に乗られて、ルドーは床に叩き付けられる。
「ルドにぃ、おはよ!」
「あぁ、ライア、おはよう。起きれないからどいてくれ……」
元気いっぱいに掛けられた挨拶に、ルドーは床に潰れたままくぐもった声を返す。
握ったままの聖剣が、大きくゲラゲラ爆笑し始めた。
ぴょんと飛びのいたライアがきゃいきゃい笑う声を聞きながら、ルドーは痛む頭を押さえつつなんとか立ち上がる。
「ルドにい、一緒に朝ごはん食べよ!」
「うん、いいけど……ライア、キャビンかカイムたちは?」
横でニコニコ笑うライアに、ルドーは周囲をきょろきょろと見渡す。
周囲にはレイルとロイズも見当たらない。
ライアたち三つ子を護衛しているはずの、ジャージー牛の頭の魔人族のキャビンも、カイムもクロノもボンブも、その姿が確認できなかった。
「ルドにぃを誘おうと思って、置いてきたの!」
「置いてきたって、まさか走って置き去りにしてきたのか……?」
『あーあ。今頃必死こいて探し回ってるだろうな』
楽しそうに笑い始めた聖剣を背中の鞘に戻しつつ、ルドーは頭の痛む思いで、ライアに手を引かれて食堂に向かう。
そこで案の定ライアを探していたカイムたちを見つけて、ルドーは溜息を吐きつつそっとライアを引き渡そうと近寄った。
ルドーが連れたライアに気付いたカイムたちが、慌てて駆け寄ってくる。
「カイにぃ、ライアいたよ!」
「ライアずるい!」
「まったくもう、探したのよぉ」
レイルとロイズがライアに走り寄り、キャビンがほっとしたように近寄る。
怒りで髪が広がっているカイムが、ライアに近寄るなり怒声を浴びせた。
「ライア! 勝手にうろちょろするんじゃねぇ!」
「お外には出てないよ!」
「そうじゃねぇんだよ! てめぇもてめぇだ、ルドー! 見つけたんなら連絡くらい入れろや!」
「いや俺、通信魔法使えねぇから!」
カイムの理不尽な説教に巻き込まれそうになって、ルドーは咄嗟に言い返した。
言い返しつつも、ライアをガミガミ叱り付けるカイムを、ルドーはそっと盗み見る。
ルドーの視線に気付いたカイムは、ライア、レイル、ロイズをキャビンに預けた後、食堂に入りながら話し始めた。
「アーゲストの家系によ、ちょうど三百年くれぇ前に、行方不明になった女がいたんだ。だからあいつは、魔人族が人攫いに遭い始めた時、率先して組織を作ろうと動いた」
適当にトレーに食べ物を乗せていくカイムの話を、ルドーは目玉焼きソーセージを皿に乗せながら静かに聞いた。
「魔人族は森ん中住んでるから、たまに行方不明になる奴はいる」
キャビンに連れられて、きゃいきゃいと食事を選んでいる三つ子を眺めながら、カイムは話を続ける。
「たがそいつは、居なくなった状況が不自然だったんだとよ。アーゲストの直系になる当時の兄貴が必死に探し回ったが、見つからなかった」
「じゃあ、その女性って……」
「一応アーゲストには知らせた。だが、大型魔物暴走ど真ん中じゃ、見つけんのは至難の業だろうよ……」
カタンと机に座ったカイムの話に、ルドーは向かい合って座りながら、居たたまれなさを覚えた。
魔人族がマフィアに人攫いに遭い始めた頃、最初に動いたのがアーゲストだったそうだ。
家系で行方不明になった人物が過去にいて、教訓として伝わっていたものが、人攫いで別の可能性をアーゲストが見出した。
だからこそ、その疑問の答えも見つかるかと、率先して組織を編成しようとしたそうだ。
理不尽な理由で追放された先祖が多かったせいか、結局人間の町に救出に行くほどの勇敢さを持ちえた魔人族は少なかった。
最初は力自慢だったボンブと、ライアたちを攫われた当事者のカイムしか集まらなかったという。
結局答えが見つからないまま、人攫い騒動の原因のマフィアは壊滅した。
だから今になって、別口から原因と悲惨過ぎた末路を聞かされて、カイムもやりきれないようだ。
「分かっただけでもよかったっつって、アーゲストの野郎は抜かしてやがったがな。まぁ、無念ではあるだろうから、出来ることなら協力してやるつもりだよ」
とても重い溜息を吐いた後、カイムはトレーの上に乗せた固いパンを口に突っ込んだ。
口に適当にパンと肉を突っ込みまくるカイムを、ルドーはソーセージを咀嚼しながらじっと眺める。
今は女神やらなんやらの問題が山積みで、大型魔物暴走の中心にあるだろう、三百年前の魔人族女性の遺体にまで手は回らない。
全部が終わったら、ルドーもカイムやアーゲストに協力しようとひっそりと考えていた。
「ルドにぃ! これ食べ方わかんない!」
「ん? あー、納豆この世界にあるんだ……」
並べられていた朝食セットをそれぞれ選んでみた様子のライア、レイル、ロイズが、カイムとルドーのいる机に集まり始める。
机の対角線にキャビンが座るのを見届け、ルドーはライアに納豆の混ぜ方を教えつつ、ついでとばかりに話し始めた。
「なぁ、国の名前決めるとして、魔人族ってそもそもどういう特徴があるんだ?」
「あぁ? 適当でいいっつったろが」
「いやだからそうもいかねぇだろ。それにこれはダメだっていう単語とかあったら困るし」
「あらぁ、見た目の割に真面目なのねぇ」
『やっぱ律義だよなお前、見た目の割に』
「見た目の割には余計だって!」
キャビンと聖剣の評価に、ルドーは卵焼きをフォークに指したまま抗議する。
聖剣の静電気のせいで、常時パチパチと逆立っている黒髪に、睨むような三白眼。
確かにどちらかというと不良みたいな見た目の自覚があるルドーは、地味に傷付いていた。
納豆のねばつきがベタベタと、口周りにまとわりつき始めたライアをカイムが世話している間に、キャビンがそうねぇとジャージー牛の首を傾げる。
「実はねぇ、一時団結をさらに強めようって、シンボルになりそうな植物を探してた時期があったわ」
「シンボルの植物?」
「結局、良くない時間に萎れるから逆に不吉だの、毒入りだから皮肉めいてるだの、棘付きだと子どもが手に取って危ないだのって、流れちゃったのよねぇ」
「あー、アサガオは萎れんのが昼、つまり繁栄が萎れるだろがって揉めてやがったたあれか」
キャビンの話に思い出したように、カイムが納豆と格闘しながら一瞬キャビンに目を向けた。
国の名前ではないが、魔人族の象徴になりそうな植物を考えようという話には、一度なったことがあるらしい。
しかし植物を検討すると色々と難癖が上がって、結局そんなものがなくても魔人族の結束は揺るがないと、話は無くなったそうだ。
「へー……ちなみに参考までに、どんなのがあったんだ?」
「さっきカイムが言ってたアサガオとか、ヒルガオとか。あとはトリカブトとか、トランペットフラワーとか、色々みんなで話してたわねぇ」
『……瘴気のある森の中じゃ、毒性のある植物が生えやすいのかね』
うーんと悩みながらキャビンが思い出す植物に、聖剣が困惑したような声をあげた。
どうやら聖剣の反応を見るに、今あげられた名前の多くは毒のある植物。
中央魔森林には、そう言った植物が生えやすいようだ。
「……カイム、それなにしてんの?」
「クロノ! これいつまで混ぜりゃいいんだよ!?」
ライアと共にずっと納豆を混ぜ続けていたカイムに、いつの間にかクロノが近寄ってきていた。
随分と混ぜすぎて、納豆の豆が若干崩れ始めてしまっている。
「大体五十回くらいが平均だよ」
「あぁ!? もう二百回は混ぜたぞ!?」
「うん、混ぜすぎ」
「もう食べていいのー?」
「ライア、多分まずくなってるから、交換しよう。同じの持ってくるから、そっち混ぜて」
ひょいと、若干ペースト状になり始めた納豆を、クロノはカイムから取り上げた。
同じ朝食セットを選んできたクロノが、ライアの横に座りながら、新しい納豆を渡す。
「はい、五十回ね」
「わぁい!」
「てめぇ、それどうすんだよ」
「捨てるわけないじゃん、そんな勿体ない。私が食べるから気にしないで」
困惑の表情に変わったカイムを無視して、クロノがペースト状の納豆を白米と一緒に食べ始めた。
「で、何の話してた訳?」
「魔人族の国の名前頼まれたからさ、参考になりそうな話聞いてたんだ」
図らずも魔人族の国の名前になって、ルドーは悩むような表情で答えた。
ルドーとしては、いかにさり気なく、魔人族の国の名前のフレーズでクロノに偶発的に歌わせるか悩んでいる訳だが、それをクロノは国の名前に悩んでいるように受け取っている。
「あー、アーゲストが頼んでたアレ。参考になりそうな話って?」
「それで話してたら、一度植物を象徴にしようかって話があったみたいで。参考に聞いてたんだ」
かなり自然な会話になって、ルドーはこれ幸いと説明を続ける。
「ライア、アジサイがいい!」
「僕はバラがいい!」
「俺はスズランがいい!」
「く、詳しいんだな……」
「森育ちだ、当たり前だろが」
ライア、レイル、ロイズが順番に主張し始め、ルドーが博識さに焦っていると、カイムが追い打ちをかける。
魔人族は中央魔森林の中に住んでいる。
森の中のため、植物とは割と親身なので思ったより詳しいようだ。
「まぁ、毒があるから間違って食べないようにって、口酸っぱくして教えられるからねぇ」
『割と実用的な理由だったな』
「あー、それなら詳しくても納得かぁ」
キャビンの説明に、聖剣とルドーも納得した。
危険物があるならば、確かに厳しく教え込まれる。
植物と自然と親身になるのも、環境を考えれば当然だった。
「アジサイ、バラ、スズラン、かぁ……まぁ、ありきたり過ぎて、国名には向かなさそうね」
ゆっくりと韻を踏んだ発言に、ルドーはそっとクロノを盗み見た。
指で頬を叩くクロノは、ライアたちが言った花の名前の音を、何となくで国に合うか言葉にして確認していた。
クロノの周辺の空間に、発言した花が、本当に一瞬、小さく咲いて消えた。
それは注意深く観察していないと見えない程、ほんの一瞬。
目を瞑ったまま無意識に行った、クロノの歌う行動。
ルドーはカイムと目配せして、小さく進んだ進展に、そっと机の下で二人は拳をぶつけた。




